第六話 私(古橋芽衣とかいう凡人)から見た普通じゃない人達~その二~


 そんなこんなで15時50分。


「先生、お待たせしました!!!!」


 わざわざ律義に一礼してから部屋に入る琴美ちゃん。過剰なのは空手の礼儀作法が癖付いてるからなのか、それとも生来の性格故なのか。


「条件まであと10分あるけど、いいのか?」

「はい! ちゃんと完成させましたから、大丈夫です!」


 ハキハキと返答して貰ったスケッチブックと自身のスマホを鞄から取り出し、荒画くんに提出する。一応琴美ちゃんに配慮して、スケッチブックの中身を見ないよう彼女の隣に移り、座って待つよう促す。

 一枚一枚、数分くらいかけてスマホの写真と見比べて観察している。表情一つ変えないから、関係ない私まで緊張してしまう。隣にいる琴美ちゃんなんてもっとだろう。

 そう思って表情を窺うと、無表情でじっとしていた。流石堂々としてるなぁ、と感心していると、一瞬こめかみが痙攣したように見えた。


「琴美ちゃん、緊張してる?」

「いえ、しゔぇ……っ、してないです……」


 あ、噛んだ。途端に耳まで真っ赤になり、両手で顔を覆ってしまう。

 なんだろう、早々に彼女と仲良くなれてよかった気がする。テレビで観た時の印象を引き摺ったままだったら、この仕草や表情が全部演技に思えてしまうだろう。


「はいこれ。ただ待ってるのもあれでしょ?」


 そう言って、彼女が来るまでに買っておいたミルクティーを手渡す。下の自販機や、何ならそこら辺のコンビニやどこにでも売ってるペットボトルのやつ。


「えあの、よろしいんですか?」

「いいからいいから、素直に奢られなさい。あ、それともミルクティー苦手だった?」

「い、いえ、大好きです! あ、ありがとうございます!」


 言葉と一緒に深々と頭を下げる。何だか、よく後輩に何でも奢る先輩とかいるけど、気持ちが分かる気がする。

 そうして緊張を解す目的で、休日何してるのか、この前公開された映画一緒に観に行こうとか、近くのコーヒーチェーン店の新作が美味しかっただとか、色々な話をして盛り上がった。

 一度荒画くんがこっちへ視線を向けるも、見つめ返した私の意図を汲んだのか何も言わずに絵の評価を続けた。就職面接の会場じゃないのだ。彼も変な緊張を琴美ちゃんに与えるのは不本意なのだろう。

 そうして刻々と時間が過ぎていき、ふと自分の腕時計を見てみる。

 軽く30分が経過していた。


「すっごい吟味してるわね」

「まぁな。ちゃんと評価しないとだし。それに」

「それに?」


 私が小首を傾げると、右手で手招きしてきた。


「別にいいよな本渡」

「っ、はい、どうぞ。覚悟はできてます」


 何の覚悟だろうか、と思い、呼ばれるままに荒画くんの隣まで移動する。そしてスケッチブックを手渡され、中を見るよう促された。


「……………………ぇ」


 結論から言うと、下手だった。

 まず、模写してこいと言われた筈なのにみたいな絵が1ページ目からデカデカと描かれていた。茶色と緑、それと少しピンク色が点在してる。そんな絵が何ページにも渡って続いていき、やがて何を描いていたのかようやく理解した。


「これ、桜?」

「正解」


 そう言って荒画くんが琴美ちゃんのスマホを見せてきた。

 そこには、色んな方向から撮影した桜の写真が映し出されていた。近くだったり遠目だったり、上からだったり下からだったり。上からのは、恐らくどこかの教室からだろう。周囲の物品や人まで忠実に描こうとして、しかしそのどれもが忠実に描けていなかった。


「何といいますか……葉桜を選ぶなんて、今の季節感にぴったりな題材だと思」

「はっきり言って下手くそだな」

「あう……!」

「ちょっと少しはオブラートに包みなさいよ!!」


 林業の伐採作業並みに斬りやがったなこの男!!

 いや、確かにこれは、専門ではない私でも思ってしまう。これは模写ではない。

 子どもの描いた絵だ。シュールレアリズムを悪い意味で勘違いした絵と言ってもいい。我ながら酷い喩えだと思ったので口には出さないが、どうフォローするべきか本気で分からない。


「はっきり言って酷い出来だ。模写しろっつったのに輪郭も遠近感も滅茶苦茶。シュールレアリズムを悪い意味で盛大に勘違いしたような絵になってるぞ。どうフォローしようか全く分からないしフォローする気もないからフォローしないが、下手くそ以外の評価が見つからない」

「ぁ、あぅぅぅ……」

「あ・ら・が・く・ん!!!!!!!!」


 だから言い方!!

 駄目だ。彼に任せてたら琴美ちゃんの心がズタズタになっちゃう。自信とかモチベーションだとかがバッキバキに破砕されちゃう!!


「ホント、こりゃ酷い」

「あのね!! 少しは彼女の気持ちも考えて言ったらどうなの!?」

「分かってる。だからはっきり言ってやろうと思ったんだ。って」

「……え?」


 私が本気で説教してやろうかと思った矢先、荒画くんは琴美ちゃんに向き直って彼女の絵への評価を続けた。


「技法だとか、技術だとかはからっきしだ。だからこそ教え甲斐がある、というか教え甲斐しかない」

「お、教え甲斐しかない、ですか?」

「ああ。どっかの絵画教室だとか、実際に画家として活躍してる人を師事して真似てみたとか、そうやって『中途半端』に技術を習得してる人よりよっぽどいい」


 至って真面目な顔で、本気で真面な事を指摘してますと言いたげに、彼は姿勢正しく私達と対峙している1人の人間に堂々と告げた。


だ。ある意味で何もない、何かを生み出せる技も知識もない状態の手だ。でもだからこそ、これから何でも吸収できるし、何でも覚えられるし、何でも描けるようになる」

「……」

「……正直羨ましい。恥も外聞もなく、そう思える」


 思わず目を丸くしてしまった。彼の口から、そんな言葉が発せられるだなんて。


「でもだ。このままじゃお前の描きたい絵は描けない。それは分かってるよな?」

「はい! 勿論です!」


「ならこっから、がっつり鍛えてくぞ。自分が描きたいと思った絵を描いてみせるとか何とか抜かしやがったんだ、やり遂げるまで途中下車は許さないからな!!」

「はい!!!!!! よろしくお願いします!!!!!!」


 あまりの声量にお腹の奥底にまで振動が伝わってきた。間近で和太鼓の音を受けたのに似ている。若干荒画くんもビビってるのが分かる、顔に出ちゃってるわよ顔に。


「とはいえ、確認したいんだが。本渡、お前俺んとこ来るまでに絵の勉強とか、少なくともどういう描き方があるのかとか、そういうのは調べたりしなかったのか?」


 それは私も気になっていた。

 荒画くんに教わりたいと凄い熱心に頼み込んだと聞いてたので、それだけ彼を師事してるんだとは思ってたけど、彼女の目的はあくまで『記憶にある思い出の景色とやらを絵として残したい』というものだ。方法だけなら、何も荒画くんから教えてもらう以外にいくらでもある。

 ここまでに誰か、少なくとも書籍やネットなどの媒体を使って探したりしなかったのだろうか?


「えっと……調べたりしたんですが、その……」

「その?」


 歯切れの悪い言い方をした後、私の手元にあるスケッチブックを指差して答えた。


「試しに調べたり覚えたりしたことを使って、描いてみたんです。それで、

「……な、ん、だって?」

「そ、それって、抽象画とか、印象派の絵の解説動画を観たりとか、ではなく?」

「はい。ぱーす? の取り方とか、インエイ? の出し方とか、模写に関するもの、です」


 そう言われて、私はもう一度スケッチブックの中の絵を確認した。

 何度も言おう。どこをどう見ても、何の技法も知らない子どもが描いたような絵にしか見えない。

 彼女が嘘を吐いてる可能性もある。今さっき荒画くんから散々下手くそだのなんだの言われたので、ほんのちょっぴり自尊心が顔を出して見栄を張りたかった、という事も考えられる。

 ただ同時に、彼女がそんな嘘を吐くとは思えないのも本音だった。そういう行為に意味がない事を理解してそうだったし、何より所作や言動から、何に対しても正直であろうとする姿勢が見て取れた。

 それならそれで、尚更この出来はヤバいと思うけど……。


「ねぇ、荒画くん、ホントに大丈夫?」


 さっきはビシバシ教えていくから覚悟しろよ的なニュアンスで啖呵を切ったけど、本当に教えられるのかな、この人は?


「大丈夫か? だって」

「……っ」

「大丈夫じゃねぇよ」

「や、やっぱり?」

「当たり前だ。大丈夫だったらそもそもあんな必死こいて俺に頼み込む訳ないだろう」


 いや、どんな頼まれ方されたのか、見てた訳じゃないから分かんないけども。

 でも、表情も言動も、先程啖呵を切った時のと全く変化はなかった。


「独学でどうにかなるなら、そこら辺の書店やネット通販で参考書買って、自分で学習して国家資格の試験受ければいい。それができないから高い授業料払って、講座だとか学校だとかを利用するんだろう。それと一緒だ」


 もうそこには、どうやって教えていこうかなどと情けなく愚痴を零していた、気弱な画家の姿はいなくなっていた。


「むしろやるべき課題やステップが想定より増えたけど、それだけだ」


 問題はない、そう言って琴美ちゃんに新しいスケッチブックを手渡した。


「まずは最低限の技法からだ。数と時間に物を言わせてガンガン描かせるから、さぼったら承知しないぞ」

「はい!!」


 多分、私の抱いていた不安は杞憂に終わってる。

 幻覚か錯覚かはどうでもいい。2人の目に、煌々と炎が見えた気がした。それくらい、静かに燃える熱量が、確かに2人から伝わってきていた。

 別に何かの賞を取りたいとか、何々の権威の人に思い知らせてやるだとか、野望とか使命とかがある訳ではないのに。


 それらに匹敵する程の思いが、確かにこの師弟の内側で燃えていた。


「私も手伝うわよ。専門外なとこもあるけど、できる限りのサポートはするわ」

「あ、ありがとうございます!!」

「別にいいってのに」

「いいのいいの。そういう気分なんだから」


 何より、だ。


「こんなに面白い組み合わせの2人なんだもん。無関係でスルーするなんて、損でしょ損」

「おいそっちが本音か」


 勿論本音だ。


 放っておくだなんてできない、そう思える人が1人から2人に増えたのだから。

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