第五話 私(古橋芽衣とかいう凡人)から見た普通じゃない人達

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 私、古橋芽衣の印象としては、『鋼のような女性』、という感じだった。


 本渡琴美。荒画くんから素っ頓狂な話を聞かされる前から、どういう人物なのかは知っていた。父親である本渡国俊ほんどくにとしが運営する新極真会、矢柄浜道場師範の下、7歳の頃から習っているらしい。


 何故知っているのか、と問われればこう答える。『テレビで観た』から。


 様々な分野で頑張る、あるいは活躍している子どもを対象として紹介する、的なドキュメンタリー番組があったりするだろう。どの局の何の番組なのかは(興味がないので)忘れてしまったが、確かその番組で紹介された放送を観た事があった。細かく説明すると、放送された回の内、8歳の時と11歳の時のを紹介した分は観ていない。


 三度目――、中学生女子の部に出場していた彼女が日々努力し、するまでの映像だった。


 大会内容は『演武』。型、あるいは形と呼ばれる、『攻撃や防御の技を一連の動きに纏めて演じる』もの、らしい。詳しく調べた訳ではないので、どういう評価基準で勝敗を判定しているのか知らない。その放送では、当時14歳だった本渡琴美の練習風景だったり、道場仲間との談笑だったりと、色んな映像が紹介のナレーションと共に流れていた。よくある番組のよくある映像、そんな在り来たりなけれん味のない構成。


 そう思いながら観ていた私の目に、の映像が飛び込んできて、心臓が飛び出そうな思いをした。


 CMが開けた直後だ、CGじゃない事くらい一目で分かる。両端が壁に固定されてる横倒しにした鉄骨(みたいな柱)に吊り下げられて、どの方向から攻撃されても極端に動かないように鎖で繋がれている。一応その道場の天井は高めだったので、サンドバッグが天井に当たる心配はなかった。

 まぁ、当時の私は自分より年下の女の子が、自身より明らかに大きくて重いであろう物体を蹴りだけで打ち上げた事実に、ただただ困惑する事しかできなかったんだけどね。

 蹴った瞬間に爆竹みたいな衝撃音が響き、付随するように鎖の金属音がその現象の現実味を増幅させ、頂点付近まで弧を描きながら打ち上げられた真っ黒な何かは、そのまま力なく真下に落下して数回跳ね蠢き、やがて静止した。

 その直後、少し遠目で背後から撮影してたカメラマンか誰か相手に、振り返ってを浮かべて見せたのだ。スタジオでMCの芸人やゲストの俳優、女優は目を丸くして、凄いだのヤバいだの驚きながら時に笑いながら同じ映像を見ていたのだが、私は驚いたり笑ったりする事すらできなかった。

 多分、畏怖、というものだったと思う。

 心臓を鷲掴みにされた。意識して深呼吸しないと呼吸するのを忘れてしまいそうになり、可愛さと美しさと豪傑さがそこに完全な形で同居していた。

 元々そのサンドバッグは柱を支点に回転する構造ではなかった為か、父親である本渡師範に怒らてしまい、それに対して素直に謝る、といった感じで映像が続いた。ナレーションの人も落ち着いた様子で彼女の蹴りを褒めたり、その後の組手(1対1の本当に殴ったり蹴ったりする試合)の練習風景を紹介したりしてたが、内心絶対困惑してたに違いない。

 その後の型も凄かったが、あの蹴りが頭から離れずにいたので、『優勝するくらいの凄い型だったんだな』という感想しか抱けなかった。繰り出される技の種類だとか、キレだとか、緩急の付け方だとか、詳細など素人なのでまるで分からなかったから。


 そしてその衝撃は私だけじゃなくて、日本全国、果ては世界中に伝播した。


 やっぱりSNSの影響力というのは凄まじいのだと改めて理解できた。その放送回の映像やスクリーンショットを上げる人が続出し、動画共有サービスにて彼女の事を紹介や解説をしたりする人も出始めた。特に、道場での友達との談笑時にも殆ど表情に変化がなかった事がいい印象に移り、『寡黙で清楚、時折見せる微笑がクールな空手女子』という形で知れ渡る事になった。

 今ではそのバズりもかなり落ち着いてきた(時間が経過するにつれてフェイク映像と思われていったのが一番の理由)のだが、彼女が私の通う高校に入学してきたと分かった時は学校内は当時の勢いを取り戻すように騒然となった。彼女を知ってる人は勿論、他の科のクラスや学年でも大多数いたのでかなり話題になった。当然私も驚いた、心臓が飛び出そうになる程。


 だから荒画くんから『絵を教えてほしいと頼まれた』などとメッセが届いた時は、『もう少しマシな売名行為はなかったのか』と本気で思った。ただ、まだ一年間の付き合いだから知ってる範囲とはいえ、荒画くんがこんな真似、そもそも売名行為自体をするとは思えなかったので一応真剣に応対しておいた。

 ちなみに、『この日の昼頃に校内の食堂であの本渡琴美と言い争いをしてる男子がいた』という噂を聞いたのだが、それが荒画くんだと知ったのは上述の相談事をされた後だった。お陰で相談事の真実味が増して、話し合いの行方が気になって気になって仕方がなかった。


 あのサンドバッグを蹴り飛ばした事がある空手女子が、何故絵を習いたいなどと?


 事実は小説より奇なり、をテレビ越しに味わった私としては、無視するなんて到底できない。

 結果、荒画くんは絵の講師を引き受けた。ならば是非ともレクチャーの現場にご一緒し、彼女に接近を試みよう。

 私にとって、きっと非現実的な邂逅になる。それこそレッドカーペットを歩くハリウッド女優を間近で見るくらいの。



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 だから想像だにしなかったのだ。

 あの寡黙で清楚で、時にクールな微笑を浮かべる『鋼のような女性』本渡琴美が、こんな絵しか取り柄のない脆弱男子相手にガチ泣きしてる光景を目撃するなんて。

 表面上は平静を装ったつもりだったが、上手くいっただろうか不安だ。お陰で荒画くんに対して結構な罵詈雑言を言ってしまった気がする。……いや、言われても仕方がない事をやらかしたのだから別にいい気もするけど。


、はい連絡先」

「はい、ありがとうございます」


 彼女が天日干ししようとしてた絵を片付ける作業の間、何度か話してみて分かった。普通にいい子だ。

 私や荒画くんより(彼は男子の中ではちょっぴり低めだけど)背が高いし、脚とかも私より細いしがっしりしてる。何気に私より胸もあるし……、なるだけ隣に立たないようにしよう。

 ただ、それ以外というか、全体的に普通の女の子だ。背の高さも、適度に引き締まった脚線も、整った顔立ちも、自然で気にならなくなる程に、普通に可愛い後輩って感じだった。

 こうしてスマホ振って連絡先交換して仲良くなるきっかけになったのだし、荒画くんには少しだけ感謝しよう。とりあえず数学の課題くらいは面倒見てやりますか。


「古橋先輩は、先生と同じ学科なんですか?」

「学科はね。私は建築デザインクラス。彼は美術クラス。油絵水彩日本画水墨画なんにでも手ぇ付けてる節操のない人なの」

「おい人の事浮気性のクソ野郎みたいに言うのやめてくれませんかね」


 などと供述しているが、事実しか言っていないので問題なし。色んなジャンル、色んな手法を試して『自分の描きたい絵を模索している』と明言しているのだから。


「そんな事より本渡、今日の日程は?」

「あ、はい。今日は午前中だけです」

「そうか。ならこれを渡しとく」


 そう言って荒画くんはいつの間にか用意していたスケッチブックと鉛筆、それと水彩用の画材道具一式を琴美ちゃんに手渡した。

 折り畳みになってるタイプの金属製のパレットで、内側には24色の固形絵具がブロック状に埋め込まれている。中には付属品の吸水用スポンジにウォーターブラシペン。これは持ち手部分に普通の水が入れてあって、筆先を回転させる事でブラシ部分に任意の量の水を含ませられる仕組みになってる。それと普通の筆が、細いのと太いのの計2本。


「これで何でもいい、何かを模写してこい」

「え、なにかって、なにを描けば……」

「何でもだ。風景でも人物でも何でもいい。今のお前の実力を見たい」

「私の……」


 渡したのは、どれもこの部屋が美術部の活動拠点として使われてた頃からの備品。部員達が好きに使えるようにと買い揃えてストックしてた分で、使い切れずに彼へ譲渡したのだという。彼も有り難く使ってるそうで順調に消費してるのだそうだが、こうして彼女に手渡す分は残ってるらしい。


「題材は特に指定しない。条件は2つ。『モデルにした物は必ずスマホの写真で撮っておく』。これは絵を描く際の視点や角度が同じになるアングルから撮影する事。人物画の場合は必ず写真の事までセットで了承を得ておけ」

「はい!」

「もう一つが『今日の16時までに提出する』事。以上を守れば何を何枚描いてもいい。建物だろうとそこらの花や木でもいい。絵の具も一緒に渡したが、使い方も、使う使わないも自由でいい。未完成でもいいが、時間までに完成させるつもりで描け。いいな?」

「はい!」


 あくまで自主性を重視した教え方にするって事か。教え方なんて分からないとかぼやいてたからどうするのかと思ったけど、確かにこれなら何から教えればいいか判別しやすくはなるわね。


「何か質問は?」

「はい! 私絵の描き方とかよく知らないんですが!」

「それでも鉛筆や筆の使い方くらいは知ってるだろ。分かんないなら分かんないなりのやり方でいいから、とにかく描いて見せてみろ」

「は、はい! わかりました!」


 あんまり納得してないっぽい顔だけど、それでも言われた通りにやってみようという気概は私にも伝わってきた。腹筋に力を入れて発声するのが癖付いてるんだろう、部屋いっぱいに彼女の溌溂な声が響く。大きいけど、決して不快ではない。


「(ねぇ、本当に大丈夫なの?)」

「(確実とはいかないまでも、知ってたり使えたりする技法がなんなのかを知っといた方が、何を教えるか道筋が立てやすいだろ。一から教えていくよりか時間短縮になる)」

「(そうじゃなくて君の方。公募展用の作品制作)」

「(……そっちも何とかしてみせるさ)」


 大丈夫じゃなさそうだなぁこれは。

 耳打ちしている最中に琴美ちゃんは身支度を済ませたようだった。指定の学生鞄に貰った画材道具を入れて、私達に深く一礼する。


「先生、ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。古橋先輩も、片付けを手伝ってくださり、ありがとうございました」

「いいのいいの。もしまた彼に理不尽な事言われたりしたら相談して。いざとなったら芸列げいれつのみんな総出てシメとくから」

「おい」

「あ、あのそんな、そうなっても先生はきっと悪くないと思うのでどうかお手柔らかに」

「お前も真面目に応対しなくていいから……!!」


 そう言って琴美ちゃんに早く戻るよう促すと、またも一礼して部屋を後にした。パタパタと廊下から響く足音が次第に遠退いていき、完全に止んだところで荒画くんが机を移動させ始める。


「今日授業あるの?」

「午前の1限だけな」

「それなのにわざわざ朝から来たの?」

「ああ。今回ばかりは午前の最初に授業があって助かった。もしあのままベランダに干されたままだったらと思うと」

「いくら今日の日差し強いからって、そんな簡単に劣化しないと思うけど。そこまで古い物でもないんだし」

「ダメージを蓄積させるのが嫌なんだよ、たとえ数分程度だとしても。全く、あいつもあいつだ。少し考えれば分かる事だろうに……」


「荒画くん」

「……っ。悪い、失言だった」


 ばつが悪そうに頭の後ろに手をやる。「首でも痛いの?」などと軽口を言って、意図的に彼の雰囲気を解してみた。


 相手が予想外の行動をすれば、誰だって感情的になってしまう。誰だって驚き、怒り、その感情をそのまま言葉に乗せたり、あるいは変換したりして吐き出してしまう。でもそうして出てくる言葉はその人の負の感情を発散させるだけで、。理知的で、客観的で、論理的な言葉でなければ、どんな人でも納得しづらいだろう。

 それでは駄目だ。誰かに、何かを教えなければならない人なら尚の事。自分の心の内を換気するだけで、排出された感情は相手の心を傷つけ、思考を鈍らせる。


 ほら、例えば何かミスをした人に対して『少し考えれば分かる事だろう』って、注意するでしょう。あれって便利な言葉だと思わない?


 こう言えば、注意する側はから。楽なのよ。


 って、この前の『ビジネスマネジメント概論』の授業で習ったものを引用してみたり。建築デザインに何の関係が、なんて考えたりしながら受けてたけど。

 荒画くんはその辺りを何となくだけど理解してるっぽいから、大丈夫だとは思うけどね。


「そういえば、古橋さんの方は授業大丈夫? そろそろ教室戻った方が……」

「大丈夫」


 そう言って、私は持ってきた鞄からタブレット端末を取り出して見せる。


受けるから」

「……朝から登校してるから、てっきり対面授業だったのかと……。だったら何でこんな時間に登校して」


 何でって、そりゃあ決まってるじゃない。


「君と琴美ちゃんの事が気になったから。だから授業の合間とかにでも、色々聞かせてね。後輩女子になんて呼ばせてる経緯とか、さ?」

「へ、やっ、違っ!! あれはあいつが勝手に!!」


 とか何とか、色々必死になって弁明してる荒画くんはやっぱり面白い。



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 昼食は運よく食堂の席を確保できたので2人で食べた。いつもは自宅だったり対面授業で使う教室だったりで、必ず誰かと一緒に食べるのが私にとって普通だったので気にしなかったが、どうも荒画くんはそうでもないらしい。

 女子と一緒に食事するのってそんなに緊張する、と揶揄ってみたら、「今朝の言動で女子とは思えなくなった」などと生意気な事を言ってきたので、隙を突いて彼の唐揚げと私のトマトを交換してあげた。

 交換ってのが私なりの優しさだ。強奪じゃなっただけマシと思ってほしいものだわ。

 さて、そんなこんなあって再び彼と一緒に画室へと戻る。今日はお互い午前中しか授業がないので、この後は完全なフリー。私は課題でも終わらせようかと机を借りてタブレットを取り出し、彼は彼で部屋にあったスケッチブックを手に取って窓の外を眺めていた。


「もしかしなくても、私って邪魔?」

「邪魔、と言いたいとこだけど作業が停滞してる今となってはいようがいまいが関係ない」

「そ。なら遠慮なくいさせていただきます」


 カバーと一体になってるキーボードをカタカタと操作し、時にタッチペンでデータの設計図を作成していく。

 窓から戦ぐ風の音が耳へと届く。丁度いいBGMね、余計な思考を排して、課題に集中できる。

 そうこうしてる内に終わってしまい、端末上の時間を見るとまだ14時半だった。琴美ちゃんが来るまでまだまだ余裕がある。


「…………」


 荒画くんはというと、じっと根気強く外を眺めてる。いや、あれは偶々視線を外に向けてるだけで、多分何も見てないのだろう。


「…………」

「少し休んだら? ずっとそうしてたら疲れ」

「大丈夫だ」

「……っ、そう」


 即答だった。必死になって語気を強めないよう抑えて返事をしてる感じだった。


 彼曰く、『写実画』しか描けないらしい。写実主義リアリズムを主体としてるとか、何々画派を称賛してるからとか。他の表現は好みじゃないとか、そういう事ではない。

 目に見える物を忠実に描けるが、目に見えない物はどう描いていいか分からないのだそうだ。写真、あるいは本当に実物が目の前にあると錯覚するくらい、現実的で、写実性の塊のような絵を描く。

 それを、技法だとか手法だとかそういう概念すら知らない7の時に体得して描いてたというのだから、頭の中が疑問符だらけになった。

 琴美ちゃんといい、彼といい、天才って言葉で片付けていいものか判然としない人種だ。

 でも、その所為かどうかは分からないが、彼は写実以外の絵がてんで駄目らしい。勿論描けない事はないのだが、彼自身が納得いかないのだそうだ。

 というのも、保管棚にある彼の描いた抽象画と称する絵を見た事があるのでその理由が何となく理解できた。


 全部、模倣だった。


 要は、抽象画と呼ばれる他人の作品を模倣する形でしか、抽象画を描けないのだ。しかも色も形も技法も全く同じで、3Dと思えるくらい似ている。勿論機械を使えば細かい差異はあるのかもしれないが、少なくとも人間の目ではオリジナルと彼の模写の違いに到底気づく事はできない。

 どんな色で、どんな形で、どんな技法で、どんな素材で、どんな題材で、そういったあらゆる要素を自分の頭の中で思い浮かべる事ができない。

 彼の描いてきた作品は、どれも模写。陰影も輪郭も、肉眼で見た通りに描かれる。


「……飲み物買ってくるけど、何かいる?」

「いや、別に……」

「ずっとそうしてるじゃない。喉乾いたでしょ? 買ってきたい気分だから奢られなさい」

「……じゃ、緑茶。冷たいやつ」


 渋々といった感じでリクエストを提示する。一度もこっちを振り返ろうとしないので、スマホを持って部屋を出た。

 実習棟の1階にある自販機で、荒画くんの分も合わせて購入する。いくつもの会社の自販機があるので買う分には困らないが、いくら人が集まるからってこんなにいるのかと思ってしまう。


「……そんなに拘らなくても、って、言ったら怒るかな……」


 本人から聞かされた。あれだけ自分の納得する抽象画に拘るのは、ある公募展の審査員にこう言われたからだ、って。


『気持ち悪いくらいにリアルだね。もっと学生らしいというか、自由というか。僕なら横の絵の方が、抽象的で自由で綺麗で、いいと思うけどなぁ』


 荒画くんと知り合ったのは入学してすぐの事。これは、それ以前ので出来事だから、実際に何が起きて、本当にそんな事を言った人がいたのかどうかは定かではない。

 確実に言える事は、彼は、その日以来『自分の絵』が嫌いになったという事だけだ。

 他人から評価される絵を描きたい訳じゃない、自分が描きたいと思える絵を描ければそれでいい、そう言っていた。私の目の前で、目の前に私がいたのに、

 だから、たとえ回り道だとしても、無駄な時間として浪費するだけになったとしても、ああして悩む彼に、『気にするな』とは言えなかった。


 天才故の葛藤、などとは決して言うまい。


「買ってきたよ」


 その言葉に頼ったら、彼を全くの赤の他人として、永遠に突き放してしまうと思ったから。


「ありがと」


 そう言って立ち上がってスケッチブックを自身が座ってた椅子へ置き、私の方へ歩み寄ってきた。緑茶を受け取ると、空いた私の手に銀色の硬貨を握らせる。


「……多いよ。あと奢るって言った」

「それくらい払える。返報性の原理が人一倍強いんだ俺は」


 何よそれ。覚えたての難しい言葉を使いたがる子どもみたいな言い分で、彼は元いた椅子へと腰かけた。

 なので、


「えいっ!!」


 財布から穴の空いた銀色硬貨を取り出して、コイントスの要領で彼に投げつけた。


「うおっ!!!?」

「そんな事言うなら、貸し借り無しの方がいいでしょ!」


 お子様みたいな屁理屈を捏ねる彼に、私もお子様みたいに返報する。

 これは、やっぱり琴美ちゃんの講師役をサポートした方がいいだろうなぁ。そんな事を思いながら、ギリギリで硬貨をキャッチできた彼にうまいうまいと拍手を送る。

 ふくれっ面の彼も、やっぱり面白い。


 こんなにも不器用で頑固な頑張り屋さんを放っておくという選択肢は、私にはない。これまでも、そして多分、これからも。

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