第参話

 桔梗が去っていった鬼屋敷の一室にて――外道丸は相も変わらず酒をあおっていました。

 人間の女に興味を持ったことは、きっと一時の気の迷いから生じたものだと己に言い聞かせ、苦い酒を胃袋へと流し込んでいると目の前の小鬼がなにやら心配顔で話しかけてきます。


「お頭……あの人間の女。放っておいていいんですかい」

「ふん。そんなに気になるならお前にくれてやってもいいぞ」

 外道丸がギロリと部下の小鬼を一睨みしてやると、格の違いからか可哀想な小鬼は足を震わせて立ってるのがやっとという有様です。

 それも無理はありません。蟻と巨像では力を比べることすらおこがましいというものですから。


「め、め、滅相もございません!お頭のに手をつけるほど頭が沸いているあやかしなんざこの一帯におりやせんて」

 その卑屈な態度を見てどいつもこいつも気に入らないとムカつきが収まりません。

 そもそもお気に入りとはなんだと殴り付けると、小鬼の肩から上は何処かに消し飛んでしまいました。

 一人きりになると今度は桔梗に腹が立ち、それ以上に彼女の身柄を心配するという鬼としてはあるまじき感情に支配されそうになります。


 これまで自分以外の存在など塵芥ちりあくた程度にしか認識していなかった外道丸からすれば、己の心さえままならない状況などあってはならないものです。

 苛立ちから大杯おおさかずきを畳に投げ捨てると、大きな音を立てて粉々に砕けちります。その音に何事かと駆けつけた部下達に外道丸はある指示を出しました。


「いいか。先日出ていった桔梗の後を追うのだ。目的地に辿り着くまで護衛をしてやれ。人の足ではそうは遠くに行けまい」

「は、はあ。それだけでよろしいのですか?」

「……何が言いたい」

「てっきり親分は人間の女に懸想をしてるのでは――」


 最後の言葉まで口にすることは許されませんでした。

 何の気なしに放った言葉は外道丸の逆鱗に触れ、哀れな部下は一瞬にして肉塊へと姿を変えてしまったからです。


「さぁ……同じように思ってる奴はおらんのか」

 今しがた起きた惨状を見て名乗りをあげる者などいるわけもありません。

 もし手を挙げれば、待っている未来は足元に散らばる肉塊だからです。

 その後すぐに桔梗の後を追うべく、数匹の鬼達が疾風のごとく山を駆けていきました。そして、その姿を樹上からじっと見下ろす鳥が一匹――



 その頃、京の都では――


「晴明様の仰る通りに剛の者を各地から連れて参りました。これでいかなる鬼どもにも遅れは取りませぬ」

 晴明の指示通り、男は東方西走して各地から名を馳せる強者達を集めてきました。

 晴明は縁台から立ち上がることなくその屈強な男達に鋭い視線をよこすと、たった一言――


「この者達では根城に辿り着くまでに滅ぼされてしまうでしょうね」


 軽くため息をつきながら首を横に振るのです。

 そのあからさまな態度を侮蔑と捉えた男達は、力に任せて目の前の男に槍と刀をお見舞いしたのですが、その体を刃が貫いた瞬間――霧のようにその姿が掻き消えてしまったのです。


「どういうことだ!これは妖術の類いか!?」

 いくら屈強な男達とはいえ、目の前で起きた面妖な術に惑わされてしまい、腰を抜かす者も出る始末。


「悪いことは言わない。そなたらでは命を捨てに行くようなものだ」


 いつの間にか背後に立っていた晴明は、懐から人形の紙を四枚取り出すと宙に向けて投げます。

 するとただの紙が大男に姿を変えたのです。

 身の丈は男が連れてきた者達より遥かに大きく、まるで巨木のような胴の太さに圧倒されるばかりで、ただ仰ぎ見ることしかできません。


「この者等はわたくしの忠実な下僕しもべです。鬼屋敷に連れていって酒天童子を退治するがよろしい」

「この方達は、人間ではないのですか」

「式神です。なので仮に倒されたとしてもご安心を。時間がたてば復活しますので」


 無論、わたくしの式神がそこいらの鬼程度に遅れを取るわけもありませんが――と変に強気な態度を見せますが、男にとっては願ったり叶ったりの申し出でした。

 ただでさえ未知の鬼と対峙するのですから、戦力は強ければ強いほどいいのです。かといって命は有限でもありますので、被害はなるべく出したくない。

 必死に探した強者達も使い物にならなくなった今では、この死なない式神こそ最強の切り札になると確信するのも無理はありませんでした。


「ちなみに……ここまでしていただいて、その、金はどのくらいご用意すれば……」

 むしろ一番の悩みは金銭面に移り変わっていました。果たしていかほどの額になるのか――それを想像するだけで卒倒ものです。


「お金はいりません。ですが、酒天童子の亡骸なきがらはわたくしに譲っていただきたい」

「鬼の頭領の亡骸をでございますか?いったい何に使うおつもりで……」

「それは知る必要もないでしょう。ただ貴方は首を縦に振ればよろしいのです」

 そう返す晴明の眼は一層鋭く、そもそも男には断る術など最初はなからなかったことを思いだし言われた通りに条件を飲みました。


 ちょうど話が一段落したころ、空から一匹の小鳥が晴明の肩へと舞い降りました。

 晴明は小鳥のさえずりに耳を傾けると、いくらか表情を変え、口許にはうっすら笑みを浮かべるではありませんか。

 一瞬とはいえ男が垣間見たその表情は、まるで人外の生き物のような――もし、鬼が笑うのならこのような顔をするのでは――そのように思ってしまうほどに畏怖を感じさせる笑顔だったのです。


 いくら絶対命令とはいえ、このような素性の知らぬ者の手を借りてよいものなのかと一抹の不安を感じたものの、結局晴明の言う通りに話は進んでいきました。


「それでは、明朝に出発をしましょうか」


 命令が滞りなく進めばそれでいい――晴明にたいして感じた得体の知れない不安は、懐の奥深くにしまいこんで忘れてしまえばいいのだと、男は晴明と共に笑うのでした。


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