第弐話

 さて、酒天童子こと外道丸――桔梗なる女を捕らえたまでは良かったものの、さて、どうやってその心を我が物にしてやろうかと画策していた頃、京の都の一角で天地が引っくり返るような騒動が起こっていました。



 都の中央――それも一際絢爛豪華な屋敷の廊下を、一人の男が爪を噛んではあっちへ行ったりこっちへ行ったりとしています。


「何故じゃ!どうして我が娘の桔梗がどこにもおらぬ!おいっ!我が娘を見てはおらぬか!」

「は……あいにく桔梗様を見たという者はおらぬとしか。現在その行方を探ってはいますが結果は芳しくなく……」


 部下に当たり散らすのも無理はありませんでした。なぜなら手塩にかけて育て上げた可愛い可愛い一人娘が姿を消していたからです。

 近年大江山の酒天童子という鬼の仕業で、幾人もの女がさらわれているという不穏な噂話も男の耳に届いていたので、まさに気が気ではありません。


「あぁ……いったい何処に行ってしまったんだ。左大臣への嫁入りが近いという時期に……」

「その嫁入りが不服だったのかもしれません」

「なんじゃと?左大臣のもとに嫁ぐのが不服じゃと?そんな畏れ多いこと申していたのか我が娘は!」


 あまりの愚かさに頭が沸騰し、噛んでいた爪は勢いよく割れてしまいました。


「近しい者にはそう漏らしていたようです」

「ぐぬぬ……親の顔に泥を塗りおって。早急に探し出すのだ!金ならいくらでも出す。何としても見つけ出すのだ!」

「は!」


 こうして、なんの手がかりもないないまま桔梗の捜索が命じられたのですが、それを命じられた部下はたまったものではありません。

 何故なら、

「見つかるまで帰ってくるな」

「見つからなかったときはその首であがなえ」

 そんな無茶な話がまかり通るのがこの時代の常でございましたが、哀れ部下には反論の余地などございませんでした。


「ああ……まるで雲を掴むような話ではないか。私一人でどうせよと仰るのだ……」


 金をいくら使っても構わないとはいえ、大きな額を動かせば周囲に怪しまれますし、そうなれば左大臣の耳にも良からぬ噂が届く可能性もございます。

 策が浮かねばどうにもこうにもいきません。

 困り果てて道をすごすご歩いていると、どこからか鈴の音が聴こえてきました。

 ちりん――ちりん――ちりん――


「なんだ……この鈴の音は」


 男は奇妙に思いながらも、鈴の音にいざなわれるように音の元へと向かいます。


 とある屋敷の門前に辿り着いたところで鈴の音は止み、代わりに稚児が二人――まるで男を出迎えるように待ち構えていました。


「あ、申し訳ない。鈴の音に導かれてここに辿り着いたのだが……」


 この世の者とは思えない美しい稚児は、後をついてこいとでもいうように屋敷の中へと姿を消していきました。後ろ髪引かれると申しますが、男は後ろ髪に引っ張られるようにその後を大人しくついていきます。


 すると、縁台から雨露に輝く紫陽花を細い目で眺めている男を見つけました。

 おかしな事にその庭は梅雨の雨上がりのように濡れていたのです。ですが見上げれば雲一つ無い青空ではありませんか。

 まるで狐につままれたよう気分でその場に立ち竦んでいると、こちらを見向きもせずに庭を眺めていた男が口を開きました。


「あなたの探し人なら検討はついてますよ」

「失礼ですが……あなたは一体何処のどなたでございますか」

 勝手に他人の敷地内に立ち入った者が言うべき言葉でございませんが、名乗れと言われた男は返します。

「これは失礼を――わたくしは安倍晴明と申します」

「あべの、せいめい?はて……どこかで耳にした覚えがあるような無いような……」

「しがない陰陽師でございますのでお気になさらず。それより桔梗殿ですが、ある物の怪の手に捕らえられております」

「物の怪ですと!?それはもしや酒天童子とやらでしょうか」

「左様です。百を超える配下の鬼と共に大江山に潜伏してるようですが、わたくしの眼は誤魔化せません」

「どうか頼み申す!その酒天童子から桔梗殿を救ってはいただけないか」

 打つ手がない男は、濡れた庭に臆面もなく額を擦り付け伏して頼みますが、晴明は返事をしません。

 事を早急に進めすぎたかと不安に駆られた男は、恐る恐る彼の顔を見上げると、何やら思案しているようでした。


「残念ですが……わたくしの力では酒天童子には敵いません。ですので剛の者を引き連れてその首を打ち取るのが吉と出ています」



 一方その頃――大江山の鬼屋敷では相も変わらず呑めや歌えやのどんちゃん騒ぎを鬼達は繰り広げていました。


「いつもこのような宴を?」

「ああ。それが鬼のさがだからな」


 外道丸は、数週間桔梗と寝食を共に過ごしていましたが、自分に恐れるどころか、時折呆れるような口調で物申してくる女に一層強い興味を持ち始めていました。


「後生ですから、私を解放してはいただけないでしょうか」


 この一点さえなければ――鬼の頭領も何度言えば理解するのだと辟易させられますが、そこは譲れません。


「どうしてそこまでして山を越えようとする。まず自分の身の安全を俺に乞うべきではないか」


 桔梗に興味はあっても、人間の頼みを聞き入れることなど鬼の矜恃が許しません。

 ことある毎に鋭い爪と牙をちらつかせて脅してはみたものの、それも涼しげな顔でやり過ごす桔梗の剛胆さには呆れてものも言えなくなりました。


「私には、会わなくてはならない人がいるのです……」

「その者とはいったい何処のどいつだ」


 この俺様がここまでしても心が折れない原因は、きっとそいつのせいにちがいない。

そう思うと、訳もわからない感情が腹の底で熱湯のように煮えたぎり、外道丸はいつの間にか未知の感覚に翻弄されていました。


「その方は……幼い頃に結婚を約束した方です」

「結婚だと?」

「はい。ですがその方は病弱ゆえ、いつ今生の別れになるのかわからないのです。ですから私は生きて彼のもとへと辿り着かねばなりません。こんなところで鬼に捕まっている時間はないんです」


 そうか。男が原因だったのか――自分に振り向くことの無い桔梗がどうして山越えに固執するのか知ってしまうと、途端に熱が冷め、興味も何処かに失せてしまいました。


「そうか。ならさっさとその男の元へと行くがよい」

「え?よろしいのですか?」

「何を言っている。お前がさっさと出ていきたいと散々喚わめいていたんだろう。俺の気が変わらないうちにさっさと出ていけ」

「あ、ありがとうございます……」


 囚われの身だったというのに感謝するのもおかしいだろうと、外道丸は口にすることはありません。

 静かに去っていく桔梗の気配を感じながらさかづきを傾けます。


「ふん……何処にでも行くがよい」


 自慢だった鬼の力もたった一人の人間の女に通じなかったことを自覚すると、自分という存在が酷くちっぽけに思えた外道丸でした。

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