昔話

第壱話

『ねぇ、貴方はどうしてそんな寂しそうな声をしてるの?』

「……欲しいものが、手に入らないからさ」

『どうして手に入らないの?』

「この手で触れれば傷つけ、抱こうとすれば絞め殺してしまう。だから俺は、大事なものには触れられないんだ」

『その、大事なものって、なに?』

「……さぁな」


 さて、少々昔話を致しましょうか――

 現在いまよりも、夜の闇が濃く、ヒトの住む世界とそれ以外のモノの棲む世界がはっきりと別れていた古き時代に、一匹の鬼が京の都を恐怖に陥れていました。

 その鬼は、手下と共に昼夜問わず美酒をあおり、気紛れに美女をかどわかしてはきたら殺し、目についた倉から金品を強奪するなど狼藉の数々と数多の無辜むこの命を奪っていたのです。


 しかし、とうとう悪事に耐えかねた朝廷の指示のもと、徒党を組んだ人間たちの策に嵌められた鬼は、哀れ、無念、人間たちに刀を振り下ろされその首を打ち取られてしまいました。

 それでも生命力が尽きない鬼は、死してなるものかと自らの首を打ち落とした、自らを姑息な罠に嵌めた人間にその牙で噛みついて離しませんでした。

『我はこのような姑息な真似はしない』

 そう言い残し、多くの人々から畏れられた鬼はその命を絶たれたのです――



 ――が、歴史とは常に勝者が作るものというのは周知の事実です。悪名高い鬼として畏れられ、後世に伝えられていくことになった敗者にも歴史はあります。

 鬼と畏れられた彼にも、彼なりの信念があり、守りたいモノがあったことを皆様には知っていただきたく、今はほんの少し……彼のお話しを聴いていただけますでしょうか――





 昔々、京の都にそれはそれは美しい一人の若い青年がいました。

 眉目秀麗、博学多才、彼が歩いた先では小鳥たちが歌いだすといわれるほどの完璧な造詣で、世の半分は男とは言えどこれほど天から愛された男は他にいやしないと、数多の女子おなごから恋慕を寄せられる存在でした。


 想いをしたためた恋文が連日連夜彼の元へ洪水のように届きましたが、どれほどの文字の奔流をもってさえその若き君の心を射止めることができた女子おなごは誰一人いませんでした。

 最初は熱に浮かされていた女子たちも、男の付け入る隙のなさとその無慈悲なほどの女子への態度から、心無い者の間で「外道丸」という不名誉な名をつけられる始末でした。


 京の都でどれ程の女子おなごが月夜に袖を濡らそうとも、彼はなんの痛痒つうようも感じることはありません。

 届いたばかりの手紙を中身も見ずに破り捨てようと眉を動かすことのない冷淡な人格も、彼の蔑称に説得力を与える助けとなってしまいました。


 何故、彼がそのような態度をとるのか――それを知る者が側にいなかったことが最大の不幸だったといえるでしょう。

 そもそも、彼の心の内に存在した感情というものは、幼い頃に消滅してしてしまったのです。正しくいえば、感情を失ってしまった、というわけです。

 幼い頃、外道丸は不幸な事故により頭部に致命的な傷を負ってしまいました。幸い命は助かったものの、その代償として大事な感情を失ってしまったのです。

 全てが完璧だった男の子から感情のみが抜け落ち、成長しても戻ることはありませんでした。



 ある日、外道丸のもとに一通の手紙が届きます。

 ――またあの年増女か。いい加減己には不相応だと諦めて欲しいのだが。

 脳裏に浮かぶあの醜女しこめに、不快に思うこともなければ迷惑に思うこともなく、ただ叶いもしない努力をどうしてするのだろうか、という疑問で頭が一杯でした。

 彼にしてみれば意味のない行為を続ける意味がわからないのです。

 その手紙の差出人は幾度も外道丸の元へ恋文を届けては破り捨てられていた女で、いつぞやは男の行く先々に姿を現していたのです。

 毎度毎度送りつけられる熱烈な恋文に感情がないとはいえいい加減うんざりし、この日もまた破り捨てようとその手紙を真ん中から引き裂きました。


 すると――目の前で信じられないことが起きました。

 二つに割かれた切れ目から、封印が解かれたように真っ黒な炎が燃え上がったのです。

 彼は不思議に思い手紙を投げ棄てようとしたのですが、黒い炎は瞬く間に彼の体全体へと広がっていきました。

 残念ながら感情はなくとも感覚は存在します。

 手で払っても払っても消えることない炎は、意思を持つように火の勢いを増し、ちりちりと皮膚を焦がし肉を焼く激痛を確かに彼に伝えるのです。

 ですが、それを表現するすべを知りませんでした。

 その身を業火に焼かれながら独り苦しんでいると、どこかから嘲り笑う女の声が響いてきました――


 <人の想いをまともに理解しようとせぬ外道丸様には、人の心を持たぬ鬼の姿がお似合いでしょう>


 破り捨てた手紙には女がこめた呪詛がかけられており、手紙を破ると発動するように仕組まれていたのです。

 それでも、もし破らなければ呪いは発動しないような救いも残されていました。

 助かる道は残されていたのですが、外道丸は自らへの想いを破り捨ててしまった結果、炎が消えた頃にはその身を異形の鬼の姿へと変えていたのです。


 外道丸は嘆きました。これまでの生活を送ることが不可能になったと悟った鬼は、大江山へ住まいを移したのです。


 それから何度季節が移ろいだでしょうか――

 京の都では鬼の襲撃が頻繁に起き、役人が頭を悩ませていました。酒、女、財宝、そしてヒトの命が連日連夜奪われ、捜査も虚しくいたずらに兵士の命を散らせるだけでした。

 いつの頃からか、その鬼の首領が当時住んでいると噂された大江山とともに畏怖をこめ、<大江山に棲む酒天童子>と名付けられました。

 悲しいかな、その頃にはヒトであった頃の記憶は無くなり、一匹の鬼として欲望の赴くままにその力を奮っていたのです。


 ある日、縄張としていた大江山の山中に、無用心にも一人で歩いている女の姿を酒天童子の手下の鬼達が見つけました。

 彼らはこの女を首領に貢げば自分達に褒美が与えられるだろうと期待をし、その女を屋敷へと連れ去りました。

 当の女は自らの身に何が起きたのかもわからず、ただただ困り果てました。

 麓で「この山に立ち入るのは危険だ」と、再三注意されたのですが、女にはこの山を越えて向かわなければならない目的地があったのです。

「不動明王様のご加護がありますから」

 女の着物の内側には御守が縫い付けられ、きっと噂の鬼から身を守っていただけると信じていました。

 ですが、御守りの効力も効かず、鬼の手によってその命は風前の灯となりました。


「頭っ!見てくだせぇ!この美女を!なかなかの上玉じゃねぇですか?」

「おい!俺が見つけたんだろが!」

 女は何が起きたのか未だ理解できませんでしたが、この身が、くだんの鬼に囚われてしまったことを本能で察知しました。


「――女、名はなんという」

 女を呼ば声はとても冷たく、冬の池の落とされたようにの底から冷えきってしまうような声をしていました。

「桔梗と申します」


 本来なら恐怖に体が震える場面なのですが、目の前の女は己の姿を前にしても背筋をしゃんと伸ばし、まっすぐとこちらを見据えていました。

 酒天童子は桔梗とやらの佇まいに、鬼に変化してから感じたことのなかった不思議な愉悦が欲望渦巻く心にぽつと灯るのを感じたのです。

「桔梗、お前は二度とここから外の世界に戻ることは叶わぬ。諦めて俺の酌でもしておけ」

 いつもの女とは違う感情を桔梗からは感じたものの、さして気には留めませんでした。どうせ遅かれ早かれ胃袋の中に収まるのですから。


「困ります。私には行かなければならぬところがあるのです」

「なんだと?」

 そのとき、初めて自分の声が険しくなるのを自覚しました。

 今まで数多の女人を連れ込んできましたが、誰一人自分の命令に異を唱えることなど無かったのでまさかのことに周囲の鬼達も慌てふためきました。

『殺せ!』『犯せ!』『食い散らかしてやれ!』

 悪鬼どもの罵詈雑言の嵐を酒天童子は黙って聞いていましたが、おもむろに片手をあげ手下達を黙らせると桔梗に一つ訊ねました。


『この山は俺の縄張りと知りつつ、そこまでして辿り着きたい場所があるというのか』

「はい。それまで私は死ぬつもりは毛頭ありません」

 確固たる強い意志をもつ女の眼差しは、まるで自分への恐怖は見えません。鬼はこの女がそこまで執着する場所というのはどこなのか気になりました。

 自分への態度は許せませんが、その失礼な口から、いつか己への恭順を示す言葉が聞けたらどれだけの愉悦を感じることができるかと薄ら笑いをしました。

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