第三話
ザザッ、ザザザッ――
ブラウン管特有の砂嵐から映像は始まったが、特に何も映っていない。なんだこけ脅しかと気持ちを落ち着かせようとしたが、砂嵐の中から少しずつ白黒の画像が写し出されると、いよいよ逃げ場がなくなったと焦る気持ちが大きくなった。
――そこは、どこかの室内だろうか。
質素なベッドの上で誰かが寝ている映像だ。ベッドの横には複雑そうな機械が設置され、そこから延びる管という管が寝ている男の体へと繋がっていた。
その、あまりに痛々しい様子を見て、どういった映像かが理解できた。
ここは、どこかの病院だ。横になっている男の表情は、土気色で、痩せこけ、苦悶に満ち、どれ程の激痛が体を襲っているのか想像すらできない。
しばらくするとカメラの
メタルフレームの眼鏡をかけた几帳面そうな医者は、胸元からペンライトを取り出すと、ドラマなんかでよくみる瞳孔の反射を確認し、深く息を吐くとライトをオフにする。
「……午前九時二十分、御臨終です……」
死亡の確認を終えた医者は、淡々と命の終焉を告げた。
映像がさらに引きになると、医者の横とベッドを挟んで向い側に誰かが立っていたのが初めてわかった。
そこに立っていたのは、俺の家族だった者達。
ということは、あそこにいるのは――
「おい……この亡くなってる男って」
『ご推察の通りです。東金さま、何度も申し上げますが、貴方は既に亡くなっているのです』
「見苦しい姿を見せてしまったね……」
それまで虚勢を張っていた男の姿は、嘘のように消え去り、背中を丸め椅子にちょこんと座る老年独特の哀愁が漂っていた。
『いえ、誰しも己の死を突然突きつけられれば、取り乱すのも無理はありません』
「一つ聞きたいんだが、俺はこれからどうなるんだ?このままさ迷い続けるのか?」
至極当然の質問に、さらりと答える。
『このままなにもしなければ、いずれはそうなります。ですが、あなたが抱えている未練を晴らせば、まだ成仏は可能ですよ』
「未練……?そんなもの、誰しも山のように抱えているだろ」
『仰る通り、小さいものをコツコツと数えていたら、それこそ人はみな成仏できなくなってしまいます。ここでいう未練とは、死んでも死にきれないほどの想いのことです。それを解消しない限りは、その未練が
死んだ事実を受け入れるだけでもいっぱいいっぱいだというのに、さらに追い討ちをかけるような情報をさらりと投げつける男の
『東金さまは、ご自身が残した未練がなんなのかを、まずそれを知るところから始めましょう。これまでの人生を振り返り、何を失い、何を求め、どう死んでいったのか、今から再確認いたします』
そういうと、テレビを巻き戻し始めた――
――ん?ここは……どこだ?
今の今まで葬儀屋にいたはずが、気が付くと暗い廊下の、座り心地の悪い椅子に腰掛けていた。
腕時計を確認すると、午後十一時を差している。
よほど急いで来たのだろうか、着ていたスーツもシャツもよれよれになり、ネクタイは乱暴に緩められ、額から首筋にかけて汗が流落ちた。
両手を握りしめ、必死に神に祈るような、そんな姿をしている。
――こいつ……昔の俺じゃないか。
自分の意識はここにあるはずなのに、体だけ乗っ取られたように、体は俺のいうことを聞かなかった。
なぜか若かかりし頃の自分が目の前に存在して、その体の中に年老いた自意識がポツンと居候しているような――どうしてこんなことになったのかは理解できないが、根拠はなくともきっとあの深山という人間の仕業だろうと予想した。
もうあの男が何をしても驚かない自信がある。
目の前の俺は、かれこれ二時間は祈り続けている――
「神さま、どうかお願いします……巴が無事出産できますように、助けてやってください……」
爪が食い込むほど力強く握られた手の中には、安産祈願で有名なお寺の御守りが握られているのを、男は覚えていた。
――ということは、ここは病院か。そういえば、巴が初産で心配でしょうがないっていってたから、隣県まで安産祈願のお守りを買いに、ひとっ走りしてきたんだったな。
まだ会社を興したばかりの時に、初めてできた一人娘のため、一番でかい御守りを二つ買って、自慢げに見せたときのあいつの顔……たまらなかったなぁ。
『なんであんた二つ買っとんねん。生むのはうちやで』
「俺も一緒に祈れば、神様にも二倍の大きさで想いが届くだろ」
『キザなやっちゃなぁ』
そんな~時代も~あ~ったねぇと~
オギャー!オギャー!
そのとき、分娩室から赤子の鳴き声が聴こえてきた。
「産まれたのかっ!?」
血相を変え立ち上がると、自分が産んだわけでもないのに、脱力して椅子にもたれた。
「良かったなぁ……良かったなぁ。ちゃんと神様に祈りが通じたぞ」
涙を流しながら喜ぶ自分を見て、当時の記憶がまた蘇る。
――わかるぞ、その気持ち。この日初めて父親になったんだもんな……。そりゃ涙を流すに決まってる。
「無事産まれましたよ。大きな女の子です」
手術室から出てきた先生が笑顔で教えてくれると、俺は先生に抱きついてお礼を述べていた。
それから一般病棟に移され、巴と生まれた赤ん坊に対面した。
『ああ、良かったな……』
「ほら……かわいい女の子やろ」
血の気が失せた妻の顔は、一つの命を産み落とすという大事業を終えた後にも関わらず、光輝いて見えた。
『名前……決めたんか?』
「ああ、『茜』なんてどうだ?」
『ええ名前やん……』
死んでる身としていうのはおかしな話だが、産まれたばかりの茜は、いや、赤ん坊全般にいえるが、生命力の塊そのものに見える。
まだ右も左もわからないというのに、精一杯鳴き声で自己主張を続ける茜に、生まれてきてありがとうと、何度感謝したことか――
妻も涙を流している。心底嬉しいのだろう。
そこで俺の意識は途絶えた――
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