第二話
『連れてきたよー』
どれ、どんな男か見定めてやろうかと、本来の目的も忘れて、みしみし音を軋ませる椅子の上でふんぞり返っていると、奥から
一目見た瞬間、その圧倒的な容姿にひっくり返りそうになった俺は、なんとか体勢を立て直すことに成功した。いやいや、危なかった。
どこぞの日活俳優のような高身長、低く、かつ威圧的ではないバリトンボイス、女性なら誰でも虜になるほどの、甘いマスク。
往年の石原勇次郎もかくやという容姿端麗な男だ。
「貴方がこのお店の社長ですか……。はじめまして、わたしは
『ご丁寧にどうも、東金さまでいらっしゃいますね。本日はどういったご用件で?』
「いやあ。実は生前葬のことで伺いたいことがあってね」
『なるほど、生前葬ですか……』
――ふん、物腰は確かに柔らかいが……まぁ、それだけの男のようだな。途端に会話が詰まってやがる。そこはさっさと話を進める場面だろ。
こんな優男が会社を回せて、どうして俺が……。
『申し訳ございませんが、当店では生前葬は執り行っていないのです』
「やってないだぁ?葬儀屋が葬儀をやんなくてどうするっていうんだ。客の要望に応えるのが仕事というものだと思わないかね?」
――なんだよ……客の要望にまともに応えられないのか……がっかりだな。
『まことに仰る通りです。お客様は仏様ですからね。東金さまのご要望にもお応えしたいのは山々なのですが、状況が状況ですので、生前葬は無理な相談でございます』
「おいおい。客を選ぶというのか?そんな接客態度が広められたら、困るのはそっちだろ」
――ふん。社長だかなんだか知らんが、舐めた態度を取ってるのが悪いんだ。世の中悪い噂ほど広まるのがはやいもんはないんだよ。
『そう仰られても無理なものは無理でございます。生前葬は、生きておられる方の為のものですので』
その発言に、頭の中の安全ピンが抜け落ち、ドスを利かせた声に切り替えた。
「なんだい、俺は生きながら死んでるとか、そういう類いのブラックジョークのつもりか?ふざけんじゃねぇよ」
――ダメだなこの小僧は、なんのつもりか知らんが、客を怒らせるとは商売がなんなのかわかっていない。
『なにか勘違いをされてるようですが、東金さまを侮辱したりするような意図はありません。事実を述べたまででございます』
――やめたやめた。ちょっとちょっかいかけようとしたら藪蛇だったわ、タクシーでも拾って家に帰るとするか。
『既にお亡くなりになってるというのにですか?』
古めかしい机を挟んで、若僧、いや深山さんと相対している。
視線の下には、社長の肩書きを背負った、
ちょっと冷やかし程度に訪れただけなのに、いったい全体どうしてこんな面倒毎に巻き込まれなくてはならないんだ……。
早く帰ってシロを散歩に連れていかなくてはならないというのに。
「だから、おじちゃんさーもう散歩も無理だって言ってるじゃん。ちゃんと人の話を聞こうよ」
ワシの孫よりも幼く見える女児が、お茶を運びながら呆れたように諭してくる。
先程まで頭に血が上っていた自分が酷く情けなく思えた。
「少しは落ち着かれましたか?」
「あ、あぁ……」
目尻を細くさせ、柔和な顔つきで訊ねてくる。
こんな表情で近寄られたら、世の女はイチコロなんだろなぁと、男と出ていったきり音沙汰のない女房のことを、微かに思い出した。
お茶の苦い味が、心に染みる――
遡ること数分前――
「おい!なんで鏡に写らねぇんだ!」
男の指示で、俺の腰辺りの高さしかない小娘が、店内に置いてあった鏡を高く持ち上げると、そこに写る現実を見せつけるように鏡面を顔に近づけてきた。
鬱陶しいが渋々付き合ってやると、その鏡には写るはずのものが写し出されていなかった。
まるで狐につままれたような、あり得ないことが目の前で起きている。ここにいるはずの、俺の、俺の顔が映っていない――後ろの背景が写りこむだけだった。
「これはなんの冗談だ?客をからかって何が楽しいんだ!」
俺は怒りで震えていた。こんなに怒ったのは、一人娘が出来ちゃった婚の報告を聞いて以来だ……あれ?そういえば、すっかり忘れていたぞ。
そもそも、ここに来るまで家のことすら忘れていたような……。
『鏡に映らないのも、ここに辿り着く前の事を忘れているのも無理はありません。なぜなら、それは貴方が亡くなって時間が経ってしまった何よりの証拠なのですから』
――男の口からとんでもない言葉が飛び出た。いうに事欠いて、俺が死んでるだと?幽霊とでもいうのか。
「……あんた、頭大丈夫か?もしや、ここ新興宗教とかじゃないよな?」
レトロで、わりかし好みだった店内が、今では妙な圧力を感じ、おどろおどろしく見えてきた。
急いでここから立ち去らねばと本能が告げている。老体に鞭打ち、走って店内から出ようとしたが、引き戸は一切開かない。
――こんなときに立て付けの悪さが裏目に出たかっ!
『そうではなくて、このまま東金さまを外に出してしまいますと、もう二度と成仏する機会を失ってしまう可能性がありましたので、申し訳ありませんが手荒な手段を選ばせて頂きました』
何をいっているのかさっぱりだったが、うやうやしく頭を下げる男に、かえって恐ろしさを感じた。
「なぁ、調子にのって悪かったよ。頼むから帰してくれないか?な?」
俺の心からの嘆願も、目の前の男には通じなかった。まるで聞き分けのない幼子の我が儘に、どう言い聞かせよう困っている親のように、『困りましたねぇ……ここまで強情な方も珍しいですが、東金さま、今から流す映像をご覧になっていただけますか?』そういうと、埃をかぶったブラウン管テレビの電源を入れた――
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