第二章 東金治(60代無職)

第一話

 お客様の御要望に全てお応え致します

 明朗会計/即日対応可/各宗派要対応


 葬儀屋【曼殊沙華まんじゅしゃげ】は、仏様を極楽浄土に送り届けます


「……なんだ?ここは……」

 気がつくと、俺は見知らぬの葬儀屋の正面でボケーっと突っ立っていた。別に葬儀屋に用などなかったのだが、まるでここに呼ばれてきたような……。

脳裏には、真夏の誘蛾灯に誘われた哀れな羽虫の様子が浮かび、思わず苦笑いをしたた。残念ながらその表現がぴったり当てはまるようだ。

 本当になんでこんなとこにいるのか、皆目検討がつかない――

 よくよく思い出してみると、俺はこのところずっと霧の中をさ迷い歩いていたような――どこまで行っても晴れることのないもやの中を、何も持たず歩くような、心許なさを絶えず感じていた気がする。

 それがどのくらいの期間に及ぶか知らないが、そんなおぼろげな記憶が微かに残っているだけで、何故外を出歩いているかもわからない。


 ――まさか、この歳でもうボケてしまったか……。

 一定の年齢を迎えると誰もが恐怖する、背後から確実に忍び寄る黒い影と、背筋の悪寒に震えた。

 六十を越える歳とはいえ、今のご時世、還暦などまだまだ現役で通じる年齢のはずだった。

 体力だって、<まだまだ若いもんには負けはせん>という気力が自分を支えていたし、認知症になるなど全くもって想像もしていなかった。

 いや、したくもなかったというのが本音か。

 そういえば、お隣のシズさんが、先月認知症と診断されたらしいが……。

 近隣とも疎遠だったなかで、唯一会話を交わしていた一回り年上の隣人の、あの徘徊をしていた姿を思い出すと、まるで他人事ではなくなる。

 明日は我が身とはいえ、なってしまったらどうしようもないものか。


 放っておいてくれれば、そのうち勝手に死んでいく身だというのに、自らの足で葬儀屋に辿り着いたなど、なんの冗談だと自嘲したくなる。

 俺はもう要らない存在だと揶揄やゆしているのか、神様とやらは――

 いや、口は悪くなったが、葬儀屋を悪くいうつもりは全くない。人生の後半戦に入った俺にとって、葬儀屋は、もはや遠くの友人より身近な存在だといってもいい。

 だが、それとこれとでは話が変わってくる。

 もし体のどこかが悪かったとしても、生前から積極的にお世話になりたいとは、まだそこまでの域に達するには、覚悟が出来ていないというのが正直な感想だ。



 目の前のボロ屋敷は、まるで、俺が小さい頃に住んでいたような、平屋にそっくりだった。当時の極貧生活を思い出す。

 素人目から見ても、いつ倒壊してもおかしくないような造りで、おちおち見ていられない。

 看板に葬儀屋と書かれていなければ、肝試しに使われるような、無人の廃墟だと思われてもおかしくはない。

 そういえば、近頃は解体費用の問題とかで、都心でも放置されっぱなしの建物が増えていると新聞で目にしたことがある。

 俺が同じ立場なら、解体費用を惜しんでやむを得ず放置するのはわかるんだが……よくよく考えると、この街は以前新興住宅地として開発された土地なので、区画整理の際に大部分の古民家は立ち退きを受けたはず――

 そうなると、あらかたの家は取り壊されてるはずなのに、辺りの見渡すと同時代に建てられたような民家は見当たらず、この葬儀屋一軒だけが残されるというのもおかしな話ではあった。

 洋風な家が建ち並ぶ界隈で、この一軒だけが誰にも必要とされず、時の流れからすらも見放されてしまったような、そんな物悲しさを感じてしまうのは、ふと記憶のなかに現れた誰からも忘れ去られてしまった憐れな俺と、つい共通項を見つけてしまったからだろうか――

 案外、最近流行っている廃墟マニアなる特殊な人間には好まれるかもしれないが。



 しかしどうしたものか、帰ろうにも帰りかたがわからないので、どうせなら生前葬の話でも聞いてやろうかと思い、ほんの出来心で扉に手をかけた。

 俺が長々と考えてたのはあくまで邪推に過ぎず、実は長年この地で葬儀屋を営んできた地元密着型の店舗、という可能性も捨てきれず、口コミとやらでお客が来ることも想像できる。

 なんなら葬儀にかかる費用のお得なサービスも、こういうお店ではあるかもしれない。

 それなら善は急げだ――葬式はなにより金がかかる。


「すみませーん。お邪魔しまーす」

 経年劣化で木枠が歪んでいるのか、ガタガタと、戸が外れそうな音を軋ませ、人一人分開けるのになかなかな骨が折れる引き戸を無理矢理開く。

 その店内は想像通りというか、懐かしい家電や家具ばかり揃っていた。

 先程までは単に前時代的な建物とばかり思っていたが、案外古い物好きのお客向けに、お店自体がレトロ感をアピールした宣伝なのかもしれないと、これまた邪推をした。


『あ、お客樣ですね!いらっしゃいませ!どうぞどうぞ!』

 店内の様子に似合わない快活な声が、どこかから聴こえてきた。店内をぐるりと見渡すと、私の足元にいつの間にか小さなお嬢ちゃんが立っていた。

 現代では絶滅危惧種となった、珍しいおかっぱ頭の小さな女の子だった。これでブルマ姿なら完全に昭和へとタイムスリップするだろう。

 年は、孫と同世代くらいに見えるから、十歳かそれ以上か――子供ながらお店の手伝いをしているとは、ゲームばかりしている孫よりも、だいぶ優秀な子なんだろう。

 爪の垢を煎じて飲ませてやりたいわ。



「お嬢ちゃん。このお店のご主人はいるかい?いたら話を聞きたいんだが」

『お嬢ちゃんじゃないよ!千代だよ!お兄ちゃんでよければ連れてくるから、そこの椅子に座って待ってて』

 とてとてと走っていく後ろ姿を見つつ、男の目線は鋭くなった。

 ――何?お兄ちゃんだと?あの子の兄だとしたら、上に見積もっても、まだ二十代もそこそこくらいだろうに。そのような若造にお店を経営する能力があるのか?と、疑問に思った。

 俺の悪い癖だが、ついつい経営者目線で見てしまう。悪い癖なのはわかっているが、こればかりはどうしようもない。

 社長業というのは、それほど楽にできる仕事ではないのだから――

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