第三話

 ――ん……ここは……また違うところ?


 固く閉ざされた目蓋まぶたを開くと、先程まで手にしていたお椀はなく、まして室内でもなかった。

 人気ひとけはなく真っ暗な場所で、辺りを見回すことでようやくそこが海に面した公園であることがわかった。

 夜のとばりが落ち、対岸には工場地帯の照明だろうか、イルミネーションのように明りが灯っている。姿は見えないものの、どこかから船の汽笛も聴こえてきた。

 昼間なら景色が楽しめそうなロケーションなのだろうが、あいにく真っ暗で全体像は把握できないうえ、季節は真冬なのだろうか、コートを着た私は極寒の寒風に体の芯から震えていた。

 意識だけの私は、どうやら寒さは感じないらしい。


 ――それにしても……私機嫌悪いな。寒いからかな?


『まりさん。話があるんだ』

 隣には、重大な覚悟を決めたような、緊張した面持ちの陽平が、こちらをまっすぐ見据え唾を飲み込む。

「なによ……話って」

 それにたいして、私は酷くぶっきらぼうに返した。顔も見返さずに。


 ――あ、思い出した。この前日にちょっとしたことで喧嘩をして、その翌日にこんな寒いところを歩かせられたもんだから、それで機嫌が悪かったんだ。


『僕と、結婚してください!』


「えっ!?」

 ――えっ!?


 まるでシンクロしたみたいに、私と私は同じタイミングで驚いた。

 街灯が頭上から二人を照らし、そのプロポーズの瞬間は世界中から他の存在が消えてしまったように思えた。

 私と陽平の息遣いしか感じられない公園の片隅で、まるで時が止まったように永い静寂が二人を包んでいる。

 スポットライトが当てられた舞台ステージのクライマックスさながらに、陽平の精一杯の、一世一代のプロボーズの言葉が公園に響き渡る。


 ――あぁ……そうそう。急に告白なんかされて、想像もしてなかった私は、怒っていいのか笑っていいのか、それとも泣いてもいいのかわからなくなったんだっけ。

 でも、結局は嬉しくて、抱きついてオッケーしたんだよなぁ。


 陽平に抱きついた幸せそうな私を見送ると、三度、暗闇へと落ちていった――



 ――ん、今度はどこ……ってうわっ!


 開かれた視界には、フリルが沢山あしらわれた純白のドレスを着ている自分の姿が、曇り一つなく磨きあげられた巨大な鏡一面に写しだされていたことにまず驚いた。

 他にも、サイズ、種類、カラー、多種多様なウェディングドレスが一列に吊るされたそこは、どうやらウエディングドレスの試着室のようだった。

 照明の光を乱反射するスワロフスキーが各所に施され、普段の数倍も美しく見えるのは、意識だけの私が客観的に見ているからだろうか。

 昔の私にはどう見えていたのだろう。

 実体の私は、今も鏡に写る自分の姿を見ては惚けている。


「うわぁ……綺麗」

 溜め息のように、ポツリと呟く。

『大変お似合いですよ』

『うん。似合ってる。凄く綺麗だよ』

 後ろで眺めていたスタッフと陽平も、口を揃えて誉めたたえてくれた。

「本当に綺麗だと思ってる?」

『もちろん!こんな女神みたいな人、他にいないよ!』


 どんなに喧嘩しても、陽平はいつだって等身大の愛を表現してくれる人だった。素直で優しくて、そこが好きで好きでたまらなかったんだ。

 感極まったのか、鏡をみていた私はポロポロと大粒の涙を流し、その場に倒れるように膝から崩れ落ちてしまった。


 ――それは陽平が選んでくれたドレスだったんだよね。嬉しくて嬉しくて、それでも素直じゃない私はうまく表現できなくて、つい泣いちゃって、陽平もスタッフの方も困らせちゃって、後で謝ったんだよね。

 でも、この日にやっと結婚するんだって心から思えた。

 残すは、式当日だけのはずだった――


 この先の、まだ見ぬ輝く未来が、陽平と共に歩む人生が、無条件で訪れると思い込んでいた私は、何も知らずに満面の笑みを浮かべている。



 幸せな場面が一転して、これまで以上に、真っ暗な闇へと私の意識は落ちていく――



 おびただしい数の赤色灯が、狂ったように深夜の住宅街を照らす。辺り一面に大量の血糊ちのりを撒いたような、それとも網膜の毛細血管から血がにじんでしまったのか、視界には気色悪い赤一色の世界が映る。

 何が起きたのかと、近隣の住宅から野次馬たちが押し掛け、様子を窺う者もいれば、怖いもの見たさでこの場にいるやからもいた。

 蟻の群れのように群がった人々の視線の先には、道路脇の電信柱と、コンクリートの壁に衝突し今も黒煙をあげている車が事故の悲惨さを物語っていた。

 タイヤが少し離れたところに転がっている。それはもはや鉄の固まりだった。スクラップ工場に積まれたブロックのような、原型をとどめていないその惨状を、携帯片手に野次馬たちは写真を撮っている。

 その事故現場をみて、私は、涙が止まらなかった。


 ――やめて……やめて……こんな光景、見せないで……。

 ひしゃげた扉から、真っ赤な血が滴り落ちる片腕が、ダラリと、力なく垂れ下がっている。

 その薬指には、血と煙が立ち込める現場に不釣り合いな、真新しい指輪が悲しげに輝き続けていた。



 これまでよりも強い力で上に引っ張られ、目を開けた先には、深山さんと、心配そうに私を覗きこむ千代ちゃんの姿があった。


『御自身に何が起きたのか、思い出すことはできましたか?』

「……はい。全て思いだしました」

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