第二話
『おネェちゃん。シュワシュワのお酒飲む?』
「え?あ、いや、お酒は飲めないからいいや……」
この車はどうやら好き勝手改造されてるらしく、千代ちゃんは備え付けのクーラーボックスから缶ビールを取り出し手渡してきた。だから飲めないといっているのに。
『なぁんだ。おネェちゃんゲコなんだ。ゲコゲコゲーコ!』
『よしなさい千代。お客様になんて失礼な態度を取るんだ。いつもいっているだろう。お客様は』
『わかってるよー。お客様は仏様でしょ』
ぶすっと年相応な膨れっ面をさせる千代ちゃんをバックミラーで確認して、一応は納得したのか困ったように苦笑いをしている。
その様子をみて、二人の関係性がなんだか羨ましいなぁと思った。そういえば、私もちょっとしたことで
脳裏には誰だかわからないシルエットだけが浮かび上がった。
――ん?今のは誰かしら……。
『さぁ着きましたよ。目的地に』
先に降りた深山さんが、まるで役員相手にするように丁重にドアを開けてくれた。
慣れない所作に
「えっと、どうして私の住所をご存知なんですか?ここ、私の住んでいるマンションですよ?」
私の至って真面目な、素朴な疑問に、何がおかしいのか深山さんの切れ長な目が、少し驚いたように開かれた。
「おや、まだ思い出しませんか?出来ればご自身で思い出してほしいのですが……致し方ありませんね。誠に申し上げにくいのですが、既にこのマンションは片瀬様の帰る場所ではなくなっているのです」
「はい?だってここは私と陽平の家で……あれ?」
「何か思い出しましたか?」
そうだ……私、どうして彼氏の陽平のこと忘れてたんだろう……。
今の今まで、深山さんに言われるまで記憶の中からすっぽりと彼の記憶が抜け落ちていた。
大事な彼のことを忘れることなんてあり得るのだろうか。
それに……なんで私、ふらふらとさ迷い歩いてたんだろう……?どうしてその違和感に気付かなかったの?
『ようやく違和感に気付き始めたみたいですね。ですがまだまだです。よくご覧になってください』
マンションを指差し問いかけてくる。
『あのマンション。あなたが覚えてるマンションと何も変わりはないですか?』
「えっと、外観ですか?うーん。そう言われると――」
よくよく見てみると、正面に建つマンションは白い壁がところどころ苔むしていたり、全体的に汚れが目立つというか……築十年以上は経っているといわれてもおかしくはない見た目をしていた。そう――風雨に晒され続けたような時の流れを感じる。
「あれ?」
ふと、おかしなことに気付いてしまった。
『どうしましたか?』
「……違います」
『何が違いますか?』
「あ、あのマンションは……私の知っているマンションではありません。だって、まだ新築の時に越してきたんですよ?」
私の言葉を待っていたかのように、深山さんは頷いた。
『正確には思い出せてないでしょうから、特別に教えて差し上げます。落ち着いて聞いてくださいね。ここは――あなたが存在した十五年後の世界なんです』
時が止まるとはこの事かと思うほど、次の言葉が出てこなかった。
馬鹿馬鹿しい話を真面目な顔して語るものだから、思わず噴き出してしまった。
「ちょ、ちょっと待ってくださいよ。十五年後ってなんですか?私がタイムスリップでもしたっていうんですか?真面目そうに見えて案外冗談がお好きなんですね」
『冗談がどうか、それは片瀬樣が一番ご存知のはずですよ。何があったのか、今一度、よく思い出してみてください。あなたの未練がなんだったのかを――』
私は何を忘れてしまったというのか、言われた通り、なくしたものを思い出そうとすると、私の意識は暗い闇の中へと落ちていった――
――あれ……ここ……どこ?
暗闇のトンネルから抜け出した私は、ついさっきまで葬儀屋にいたにも関わらず、なぜかふわふわのベッドの中で寝息をたてて丸まっていた。
枕元のデジタル時計は、午前十一時を表示している。
――なんなのこれ??
聴きたいことが山のほどあるというのに、深山さんも千代ちゃんもここにはいない。呼び掛けても返事はない。
――どうしろっていうのよ……。
どうやら一人でこのよくわからない状況を切り抜けるしかないみたいで、なんのヒントも出さないまま消えた二人にお門違いの恨み節を吐いた。
そういえば、意識が途切れる前に未練がなんちゃらかんちゃらって言っていたような気がする。
今日一日で摩訶不思議なことが立て続けに起きすぎていたので、もうどうにでもなれと半ば
――え?びくともしないんだけど……。
ベッドの中の私は変わらずに寝息をたてて寝ている。そして、おかしなことにその人様には見せられない姿を私ははっきりと目にしている。
例えるなら、内側からもう一人の自分をモニターから監視しているような、そんな奇妙な感覚だ。
――もしかして、意識と実体が分かれているというの?
まるでSFの世界じゃないかと呆れにも似た感心をしていると、現実の私は芋虫のようにもぞもぞと動き出し、やっと起床するのかダルそうに布団から抜け出すとうまく開かない
外はというと、雲一つない青空が広がり、小鳥が気持ち良さそうに飛んでいた。にも関わらず私はというと、陽射しが煩わしそうに片手で日差しを避けるように顔を覆った。
細めた眼の下には濃い隈が浮かんでいた。
――まるで吸血鬼じゃないのよ。
「あー全然寝足りないや……」
爆発したような酷い寝癖を気にすることもなく、ぼりぼり頭を掻いている。普段の自分を見るのってこんなにも恥ずかしいものなのか。
トントントン、と、小気味よいリズミカルな音が部屋の外から聞こえてくる。一定のリズムを刻むその音は、毎日聞いていたような――
そこでやっと私は思いだした。
――そうか、ここは……この部屋は……私が暮らしていた部屋じゃない。
『ああ、起きてたんだね。まりちゃん』
寝室のドアが開くと、人懐こい笑顔をみせる男性の姿がそこにあった。
――陽平……?
「うん。今起きたところ……」
『だいぶ疲れてるね。もうお昼だよ』
「ああ、うん、残業が続いてるからかな」
――そうだ、私、仕事で毎日遅くまで残業してて、それでこんな昼まで寝てたんだ。
忘れていた記憶が、少しずつ甦ってくる。
『もうそろそろ起きるかなと思って、お腹に優しいご飯作ってるからさ、遅めの朝食だけど一緒に食べようよ』
――陽平の手作りの料理かぁ、懐かしいなぁ。
いつも食べていたはずなのに、いつ食べたか思い出せないくらいに忘れていた。
『周りから期待されてるんだろうけどさ、体が資本なんだから無理はしちゃダメだよ』
「うん。心配してくれてありがとう」
朝食を食べてる私に、無理はしないようにと陽平が釘を刺す。
――確か、この頃は同棲を初めたばかりで、仕事では期待に応えようとかなり無茶してたんだっけ。
私の目元には、濃い隈が染み着いているところから、日々の忙しさを窺い知ることができる。
手にしたお椀から漂ってくる、お味噌汁の優しい香りが鼻腔を刺激し、意識だけの私は無性に泣きたくなった。
すると、再び意識が暗闇の中へと落ちていった――
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