第一話 レッド・スカイ

紅林 赤音くればやし あかねを一言で表せば明るい女の子だ。

真っ赤なツインテールの髪を振りながら常に奔走し、事件に巻き込まれるよりは事件を起こすような性格だった。彼女は改造人間にされた影響で髪と瞳が赤くなったものの、その本質自体は変わっていないように私には思える。改造人間になる前もなった後も赤音は変わらず元気な女の子で周りに元気と迷惑を振りまいている。

改造人間になったことを嫌がるどころか、積極的にそれを使って楽しむような性格だ。赤音は頭と手足を胴体から分離し、それを自由に操ることができる。かく言う私もそれを何回も目撃している。初めて頭の分離を見たときは昏倒してしまったが、今では少し驚く程度に慣れてしまった。赤音が特に気に入っているのはロケットパンチだ。よくそれで友達にいたずらをして怒られている。しかしその裏表のない人柄からか、なんだかんだみんな、私も含めて赤音を許してしまうのだ。

これはそんな、紅林 赤音と友達の物語。





運動も勉強もそこそこに出来ない私は昔から『元気だけが取り柄』というのが周囲からの評価だった。確かに否定する根拠も材料もないけど、それにしたってだけ、というのはあんまりではなかろうか。かといって自分自身、元気以外の長所が思いつかないのも事実だった。

だからだろうか、改造人間になった時も私は取り分け落ち込むということがなかった。むしろ元気以外の長所が出来たと喜んだものだ。

髪の毛と瞳の色は真っ赤に染まり、更にはロケットパンチまで出来る様になったのだから、少なくともロケットパンチが出来る女の子なんてこの世に二人もいないだろう。

幼馴染の青兎は改造人間になったことを嫌がっていた。私は青兎みたいに怪我をしてもすぐに治って、電車よりも速く走れたりするのはかっこいいと思うんだけどな。

まぁ私みたいに喜んでも、青兎みたいに嫌がっても、結局は元に戻る方法もなく受け入れるしかないわけで。

改造人間になってから約一年半、私達は中学生になった。

小学校とは確かに違う校舎の新鮮な匂いを嗅ぎながら、私は新たなクラスメイト達が待つ教室の引き戸を開けて、開口一番取り柄である元気をいっぱいに挨拶をする。

「おっはよー!」

私の挨拶に、一瞬クラスが静まり返ったがすぐにクラスメイトたちは「おはよう」と挨拶を返し、それぞれの会話に戻った。

後ろに立っていた青兎が私のことを睨みながら「恥ずかしいんだよ」と私の背中を肘で突く。

クラスの中を一通り見回すと半分くらいは同じ小学校の出身で見知った顔だった。と、私はその中で一際異彩を放つ髪色をしている生徒が目に入った。その子もこちらを見ていたので、私は遠慮なしに小走りでその、真っ白な髪色をした女の子に近づいた。

「もしかして噂の、改造人間仲間ッスか⁉」

真っ白な髪色に端正な顔立ちをした、なんというかお嬢様という表現が似合いそうな少女は少し驚いた顔をしていた。おっといけない、コミュニケーションの第一歩は自己紹介からだ。第一印象は大事だからね!

「私、紅林 赤音って言うの!得意技はロケットパンチ!」

言いながら腕を突き出してみせる。さすがに新入生ひしめくこの教室内でロケットパンチを披露するのは気が引けるのでジェスチャーに留めておくことにした。

すると私の後ろから青兎が小さくため息をつきながらも私に続いて自己紹介をする。

「私は蒼真 青兎、まぁよろしく。ちなみに赤音が馬鹿なこと言ったら無視していいから」

幼馴染の辛辣な言葉に「ちょ、青兎酷い!」とすかさず抗議申し入れを行ったが当然のように無視された。人権とはなんだったのか。改造人間だから人権あるか微妙なんだけど。

「二人は、仲が良いのね」

と、私達のやりとりを見ていた真っ白な少女が口走る。今のが仲良く見えたのだろうか。見えていたのなら良しとしよう。

「そりゃ私と青兎は赤い糸とか腐れ縁とか諸々の絆で結ばれた運命共同体だからね!」

「単なる幼馴染だろーが」

青兎との仲の深さを熱弁したのだが、当の幼馴染は嫌そうな顔をして訂正してきた。一体なにが不満なのだろうか。全部だろうな。

真っ白な子は隣の席に座るオカッパ頭の女の子と顔を少し見合わせたかと思うと、その綺麗な顔立ちで微笑みながら自己紹介した。

「私は雪姫 白愛、よろしくね」

続けて、隣のオカッパ頭の少女も目を少し逸らしながら会釈をする。あれ?この子ももしかしてお仲間なのかな?

「う、漆原 黒乃です。よ、よろしく」

「漆原さんも改造人間なの?」

単刀直入に聞いてみると、漆原さんは遠慮がちに小さく頷いた。髪の色は真っ黒で普通だが、確かに瞳をよく見ると、まるで吸い込まれてしまいそうな真っ黒な瞳をしている。

と、あまり友達を苗字で呼ぶことのない私は『漆原さん』と言った自分の口に気持ち悪さを覚えた。さっき頭の中で苗字呼びをしたことにさえ違和感を感じている。

私は自分のこめかみを一休さんのようにグリグリと拳で押し、閃いたとばかりに言った。

「じゃあ白愛と黒乃って呼ぶね!」

私の提案にしばし、白愛と黒乃は固まっていたが、白愛が小さく吹き出すように笑った。

「元気な子だなぁ、じゃあ私も赤音と青兎って呼ぶね」

「おう!」

友達が増えたぜ!と私は喜び、青兎もまんざらでもない様子で頷いていた。

「ね、黒乃」

「う、うん白愛ちゃん」

「二人はずいぶん親しそうだけど、前から友達なの?」

私は気になり、白愛と黒乃に問いかける。

二人は顔を見合わせたかと思うと、すぐにこちらを向いた。

「まぁね、黒乃とは小学校でクラスが一緒だったんだ」

「ほへーお互い改造人間になんかなって難儀ですなぁ」

心にも思っていないことを口にする。

「んでさ!白愛と黒乃は何が出来んの?」

いよいよ、私は一番気になっていたことを聞いてみるとことにした。が、タイミング悪くそこで担任の先生が教室に入ってきてざわめいていたクラスが徐々に静かになっていく。

「まぁまぁ、放課後教えてあげるからさ」

白愛は残念がる私をあやす様に言った。渋々私は窓際の自分の席に座った。

そしてクラスメイトひとり一人の自己紹介、担任の先生の自己紹介と、中学生としての心構えなどなどetcetcを小一時間ほど拝聴した。

先生の規則云々の話はほとんど私の耳には入らず、私は今日から始まる中学生としての新たな生活に、そして早速出来た白愛と黒乃という新しい友達がどんなことが出来るんだろうと、色々なものへの期待に胸を膨らませていた。




自身で能天気と認識しているほどの能天気な私でもさすがに、改造人間にされた直後は困惑した。

まず警察の人とかに誘拐されたと聞かされて、犯人の顔を見ていないかとか色々一杯質問されたけれど、私の記憶は長い間、覚えてはいないが楽しげな夢を見ていた記憶だけだった。あとは私の他に誘拐された人が三人いたこと。内一人は知り合いどころか幼馴染の青兎だったこと。みんな私同様に無事(?)に帰ってきたこと。そして身体に何らかの改造を受けたことを大人の人たちに説明された。

正直半分も覚えちゃいないが、自分の身体が以前と違うことだけははっきり認識できた。なんと言えばいいのかは分からないが、まぁなんとなく分かったのだ。私なんか変わったな、と。

実際四人の中でも、見た目的な変化では私が一番顕著だったらしい。

染めても赤色がすぐに浮かび上がってくるこの髪に、カラーコンタクトを入れても何故かコンタクトが赤色になってしまう真っ赤な瞳。極めつけは手足と首元に出来ていたギザギザの『切り取り線』。まるでバイ○ンマンの歯みたいなそれは指で触ると確かな段差として確認できる。痛くないし痒くもならないから普段は別に気にならないんだけど、他人から見ると相当目立つらしい。

そして驚くことに、なんとその切り取り線は実際に切り取ることが可能だったのだ。

平たく言えば手足と首を飛ばせるようになった。

最初に暴発した時にそれを目撃した看護師さんが卒倒したのは記憶にはっきり残っている。あれは悪いことをした。

しかしその後の実験とか練習とかで、私自身手足と首が胴体から離れてももちろん死なないし、血も出ないし痛みもない。離れた手足はまるでくっついたままかの様に自分の意思で動かせるし、頭が離れても胴体と手足は通常通りに動かせた。

つまりロケットパンチが出来る様になったのだ。

発射した手は私の意思次第で戻ってくるから一々拾いに行く必要もない。

そこで私は気づいた。これってラッキーなんじゃないかって。

「ロケットパンチ出来る女の子なんか私だけだし!」

「赤音はポジティブなんだねぇ……」

放課後の校庭、野球部とサッカー部が練習するグラウンドの隅で私は白愛と黒乃にロケットパンチを披露していた。青兎も呆れ顔で私を見ている。いつもの事だ。

部活生たちも何人かこちらを一瞥していたが特段騒ぎになることもない。

私達が改造人間になって五年も経つのだ。世間は、少なくともこの町の人たちは私達に慣れてしまっている。五年も経てば人間、慣れるものなのだ。

「で?青兎は何ができるの?」

白愛が腰に手を当てながら青兎を見る。青兎はバツが悪そうに頭を掻いた。

「ごめん、私あんまりその、改造人間になったのを喜んではないんだ」

「あ、そうなんだ。いやこっちこそ無神経でごめん」

なんとなく重い雰囲気になりそうで、それが嫌だった私は二人の間に割って入った。

「青兎はね!怪我してもすぐ治っちゃうし足がめっちゃ速いんだよ!」

「まぁ、そんなとこ」

「で?で?白愛と黒乃はどんな特技が?」

私は目を輝かせながら二人に詰め寄る。

「これって特技なの?」

と、白愛が笑いながら言った瞬間、消えた。

比喩でも何でもなく、私達の目の前から一瞬で。まるで最初からそこに居なかったかのように。

「すっげー!なになに?透明人間になれるの⁉」

「はっずれー」

後ろから聞こえた声に振り向くと、すぐそこに白愛の顔があった。

「おわぁ!」

驚いた私は思わず飛び退く。心臓が口から飛び出すかと思った。

「今のは瞬間移動だよ」

「瞬間移動⁉絶対遅刻しないで済むじゃん!」

「発想」

白愛は呆れるように笑って、人差し指をピンと立てた。するとその先にライターほどの小さな火柱が上がる。

「私は超能力が使えるんだ。しかも色々ね」

「ほへぇー」

素直に感嘆した。すげぇ。

これは大トリに期待せずにはいられないと、私は黒乃の方を急いで振り向く。

「黒乃は!なにが!出来るんですか!」

私の声に黒乃は少したじろく。動作の一つひとつが小動物みたいで可愛い。

「く、紅林さんとかみたいに凄くはないんだけど……」

「あ・か・ね!」

苗字で呼ばれたことに直ぐ様反応し、私は小動物に訂正を促した。黒乃は慌てた様に「えぅえぅ」言っていたが、目をつぶって深呼吸をして。

「あ、赤音さん……」

「あ・か・ね!」

「あ、あ、……ぁかねちゃん」

「大きな声で!」

「あ、赤音ちゃん!」

「よろしい!」

やっと名前で読んでくれて私は無い胸を張った。対して黒乃は張ってもいないのに相当にある。胸が。

「で⁉黒乃の特技見せて見せて!」

「う、うん。じゃあ……」

黒乃は遠慮がちに右手を水平に上げたかと思うと、右手が蛸足だった。ん?

「おぉ?」

白愛の瞬間移動ほどではないが驚いた私は目を丸くする。黒乃の右手が蛸足になっていた。先程まで確かに普通の右手だったのに。

「こ、これは?」

私は躊躇なくその蛸足をなんだこれは、と撫で回す。

「あ、私ね、色んなものに変身出来るの」

変身?すげぇ。でもなんで蛸足なんだろう。

「なんか……黒乃ってエロいね」

「へぅ⁉」

私の一言に黒乃は変な悲鳴をあげる。この豊満な胸と蛸足の組み合わせ、なんかいやらしい感じがした。

黒乃は頬を真っ赤にして慌てふためき、背後では白愛が爆笑していた。青兎も口元を押さえて笑っている。

放課後の校庭に部活生の掛け声と、改造人間の笑い声が響いていた。





中学二年生、七月。

二年生に進級しても私達四人は同じクラスだった。

なんだろう、この学校には改造人間は同じクラスでなければならないなんて校訓でもあるのだろうか。まぁ嬉しいから良いんだけど。

それにプラスで嬉しいことがあった。私と青兎のもう一人の幼馴染である衣舞が同じクラスになったのだ。注釈しておくが衣舞は改造人間ではない。

「しっかしまぁ、暑いねぇ」

衣舞は夏服のスカートの裾を摘みうちわ代わりにパタパタと煽ぐ。私もそれにならって同じ様にしていると黒乃が「ふ、二人とも!」と何故か慌てて止めにきた。

「お、男の子もいるから……」

顔を赤くして小さな声で発した黒乃の声に私はクラスの男子連中を見渡す。今、明らかに四、五人ほど慌てて視線を逸した。さすがに恥ずかしく思って私はすぐにスカートから手を離す。

「見たい奴には見せときゃいーのよ」

衣舞は全く意に介していなかった。男子の熱い視線よりも夏の日射しの暑さの方が耐え難いらしい。

幼馴染歴十年近くなる私からすれば「さすが衣舞さんッス」と賞賛の言葉を言わずにはいられなかった。それにしてもあちぃ。

ちらりと白愛の方を見ると、彼女はいつもと変わりなく姿勢良く自席に座りノートをとって予習をしている様だった。額や頬にも汗の一つ、見当たらない。

「暑くないんすか白愛さんー」

手で顔を煽ぎながら白愛の席に擦り寄ると、不思議とひんやりとした風を感じた。

「おわっ、白愛の周りだけ空気が涼しい」

「超能力で温度調節してるから」

便利過ぎるだろ。私もロケットパンチより超能力が良かったわ、とあまりの暑さに思ってしまう。

「ずっりー!職権乱用だよ白愛さん!」

「職権乱用じゃなくて特権乱用だね」

白愛はこちらを向いてキリッとした顔で言った。

「青兎は暑くないのー?」

白愛のキリ顔から青兎の方に視線を移すと、青兎も汗はかいているものの私と衣舞と黒乃ほどではなかった。

「夏もランニングしてるからな、ちょっと慣れた。熱順応ってやつ?」

「ほへー……才能の白愛と努力の青兎だね」

なんかスポ根漫画の主人公とラスボスみたいだ。どちらがどちらかは割愛。にしても暑い。

「黒乃ーエアコンに変身してぇー」

「え、えぇ?」

黒乃に頼ってみた。がすぐに後ろから青兎のチョップが飛んでくる。

「いて」

「黒乃が真に受けるだろ。この位の暑さ我慢しろ」

「うへぇ」

まったく、なんで一番暑さ耐性持ってそうな赤色してる私が暑さに弱いのだろうか。誘拐犯も気が利かない。そこら辺の属性オプションを付けて欲しかった。

「勉強する気なんて塵ほども起きないよー……」

暑さにグダり、机に伏せる。

すぐに青兎から「年中そんな気ないだろ」とのお言葉が耳に飛んできた。




中学二年生、十月。

「あれ?青兎今日も休み?」

梅雨の季節。雨の降る中で学校にやって来た私は幼馴染の席を見て言った。いつも会う通学路で会わないなとは思ったのだが、今日でもう一週間休んでいる。

「う、うん青兎ちゃんそんなに体調悪いのかな……?」

黒乃も心配そうに青兎の席を一瞥した。

私は自分の席に鞄と腰を降ろしながら衣舞に話しかける。

「衣舞、なんか聞いてる?」

「なーんも。電話も出ないしメールも返信ないし」

衣舞は両手を挙げ『お手上げ』のポーズを取る。

「あの真面目な青兎が珍しいよねー」

「うーん……」

私は空席を眺めながら青兎の顔を思い浮かべる。

仏頂面がデフォルトの、青いショートヘアの幼馴染。いつも私に呆れて横槍を入れてくる親友。

ここ一週間、槍が来ないなら来ないでだいぶ寂しいなと実感していた。連日の雨も相まってか、いつもの調子も出ない。よっしゃ。

「今日の帰りにちょっと行ってみよ」

誰に言うわけでもなく、私は一人つぶやいた。

学業を終え、みんなに「お先!」と告げて足早に校舎を出て雨の中、サボり魔の自宅に向かった。

何度も遊びに行ったことのある家の前で足を止めて、外観を観察してみる。

二階にある、サボり魔幼馴染の部屋の電気が点いている様子はなかった。居ないのかな?

しかし鋭い私はその暗い部屋が時々わずかに光っているのを見逃さなかった。

傘を少し頭上からずらして、私は首から上、つまり頭を発射した。胴体は傘を持ったまま、所持品と私の身体を濡れてしまうのを防いでいる。

首だけロケット、通称ロケットネック(今考えた)になった私は二階の青兎の部屋の窓から室内を覗く。

するとそこにはスナック菓子とジュースを足元に置き、体育座りをしてテレビを見ている青髪引きこもりの姿があった。

私は空飛ぶ生首の存在に気づかない青髪サボり魔をしばらく観察してから、首を胴体に戻す。当たり前だが頭はびっしょりと濡れている。左右に結ったツインテールの先からハイペースで水滴が流れ落ちながら、私はふかーく深呼吸をする。そして意を決して右腕を蒼真家宅の玄関に向けた。

青兎のお父さん優しいから許してくれるだろう。むしろ娘を引きこもりから立ち直らせてくれたと感謝されるかも知れない。

「ロケットパーンチ!」

そんな甘い考えで、私は右手を発射し鍵のかかった玄関のドアを無理やり押し開けた。そのまま青兎の部屋まで一直線に腕を飛ばして引きこもりの部屋のドアを玄関と同じく叩き開ける。

そして体育座りしていた幼馴染の襟首を引っ掴み、室内から雨の降りしきる外へ強制的に引っ張り出した。

青髪引きこもりサボり魔幼馴染を目の前まで引きずり出し、呆気にとられて私を見つめるだけの青兎に向かって私は怒鳴った。

「一週間もサボってズルい!」

私の一喝に青兎はしばらく黙っていたが、突如笑ったかと思うと。

「お前って本当に……」

と、私をまた小馬鹿にしそうだったので青兎が喋る前に私が口を開く。

「青兎がいないと寂しいから今日から登校ね!」

「……もう少しサボりたかったのに、仕方ないな」

一週間もサボってまだサボり足りんかコイツ。

もう一言、言ってやろうかと思った矢先。

「あんたたち、なにしてんの?」

背後から声をかけられ振り向く。

「あ」

思わず声が出て、続いて額に汗が滲む。

そこには青兎のお姉さんの紫苑さんが傘を差して立っていた。

やべぇ。怖い方のご家族が来た。

「……青兎、あんた外に出たんだ」

「こいつに無理矢理ね」

私を挟んで姉妹が話す。紫苑さんは青兎から自宅の玄関に視線を向け、そちらへ歩いていく。

そしてドアノブを何回か回し、鍵が完全に破損していることを確認してから再度私に視線を戻した。

「赤音ちゃん」

「はい」

「これ、壊した?」

「すみませんでした」

その後、私は蒼真家宅に招かれ、一時間ほど青兎共々説教される羽目になったとさ。とほほ。




奇跡的に受験に合格した私は高校生になった。

この町には高校というものが少なく、学力に特に目立った違いもない。違いがあるとすれば普通科高校か工業科高校かのどちらかだ。

私達の中には将来設計に工業系へ進もうという人はいなかったので、全員同じ普通科高校に進学した。例によって、改造人間四人は同じクラスだ。なにか作為的なものを感じずには居られないけど、ま、いっか。ちなみに衣舞は隣のクラスである。この学校は三年間クラス替えがないそうなので、衣舞と同じクラスになることはもうない。

高校一年生、十月。

高校生になって早半年、私達は来たる文化祭の準備に追われていた。ウチのクラスの出し物はお化け屋敷。私達四人はもちろんお化け役である。むしろ私達四人以上の適役はいないだろう。

「白愛さーん、衣装のことでちょっといい?」

「はいはーい」

私と一緒にダンボールをハサミで切っていた白愛がクラスメイトに呼ばれて行った。聞くところによると白愛は超能力で火の玉を出す役らしい。しかし衣装ということは本人も客の前に出るのだろうか。

「しっかし青兎がお化け役を引き受けると思わなかったなぁ」

「……まぁ、断るのも悪いし」

私の対面で布を縫っていた青兎は作業しながら言った。

あんなに自分が改造人間であることを嫌がっていたのに、てっきりお化け役をクラス委員に頼まれたときは断るか最悪喧嘩にでもなるかと思ってヒヤヒヤしたのに。

「青兎も成長したなぁ」

私がしみじみとそう言うと青兎はジト目で私のことを見つめてきた。

「なにが」

「いや人としてね」

「お前は全然成長しないよな」

他の人と話すときはそうでもないのに、青兎は私と話すときは返しが冷たい。もしかして嫌われてんのかな。

「ねぇねぇ青兎」

「なに?」

「私のこと好き?」

「…………」

無視された。傷付くぞ、ちくしょう。

「黒乃ぉ〜青兎が冷たいよぉ」

隣で一緒にダンボールを切っていた黒乃に寄りかかりながら抱き着くと、黒乃は少し顔を赤くしながらも「よしよし」と頭を撫でてくれた。優しい可愛い。

「青兎ちゃんも、もちろん私も赤音ちゃんが大好きだよ」

黒乃の柔らかい言葉に胸がジーンと熱くなる。黒乃の胸に飛び込んだまま青兎を一瞥すると、黒乃の言葉を否定もせずに目を逸らして頬を掻いていた。

本当は聞かなくても分かっている。

白愛も黒乃も衣舞も、そして青兎も私のことを好きでいてくれている。

だって私は私のことを好きな人が好きだから。

「私もみんなのこと大好きだよー!」

喜びながら私は黒乃により強く抱きつく。高校生になってより豊満になった黒乃の胸に顔を押し付けるとクッションのように気持ちのいい弾力があった。

さすがに恥ずかしくなったのか黒乃は「あうあう」言いながら遠慮がちに私を押し退けようとしたが私は黒乃のことを掴んで離さなかった。と、後ろから抱きかかえられて私は黒乃から引き剥がされる。

「こらこら、何やってんの」

抱かれたまま振り向くとそこには呆れ笑いを浮かべた白愛が立っていた。

「黒乃は私のものだからね」

白愛はニッコリと笑ってそう言い放つ。ちょっと怖かった。

やっと離してもらって黒乃の方を見ると湯気が出そうなほど顔を真っ赤にして固まっていた。私が抱きついたからか白愛の一言のせいかは定かではない。

「ねぇ、白愛は私のこと好き?」

「恥ずかしいこと聞くなぁ……うん、好きだよ」

「にゃはー!」と奇声を発しながら今度は白愛に抱きつこうとしたが超能力でせき止められた。すげぇ、まるで見えない壁があるかの様に、どうやってもこれ以上白愛に近づけない。念動力ってやつかな。

「ほら、遊ぶのは仕事を片付けてからだよ」

白愛は床に正座し、切りかけのダンボールを手に取り作業を再開した。私も「はーい」と言いながら同じようにダンボールを切り始める。

「文化祭……上手くいくといいね」

「うん!頑張ろうね!」

黒乃のつぶやくような言葉に私は破顔一笑した。


結果を言えば、文化祭は大失敗だった。

いやお化け屋敷自体はある意味では大成功だったのだが。

どういうことかと言えば怖すぎたのだ。

暗闇の中に浮かぶ赤目の笑う生首、火の玉を浮かべながら近づいてくる死に装束の白髪の幽霊、頭に本物の杭を突き刺して青い血を流しながら迫るフランケンシュタイン。極めつけには手が八本あるオカッパの蜘蛛人間が壁を這っていた。

怖さという観点では大成功に間違いなかった。黒く塗りつぶしたダンボールで間仕切りされお化け屋敷となった教室から、お客さんの尋常ならざる悲鳴がいくつも響いたのだから。

失敗点を言えば、あまりに怖すぎた。

お客さんの内の何人かが泡を吹いて昏倒してしまった。

当然私達のクラスは生徒指導の先生と担任からめっちゃ怒られてしまった。特に企画をしたクラス委員と実行犯の改造人間四人は指導室にまで呼び出され、今後学校行事で無闇に改造人間の力を使わないことを約束するように言われた。私が「えーっ」と不満の声を上げると。

「どうやら紅林にはもう少し説教が必要なようだな」

と生徒指導の角刈り先生に言われ一人だけ居残りで一時間も怒られた。

「お、やっと出てきた。お疲れー」

生徒指導室からやっと解放されて出てきた私を白愛が出迎えてくれた。

「白愛、待っててくれたの?」

私はげっそりとした顔でなんとか白愛に笑いかける。

「あはは、こってり絞られたらしいね」

「えへへ、まーね……」

「ほら、みんなもう打ち上げ先で待ってるよ」

白愛は言いながら私に右手を差し伸べた。

「うーい……」

私はよろよろと白愛の手を取る。瞬間、私たちはファミレスの前に居た。

うわ、瞬間移動使いおった。

白愛に生徒指導の先生のお言葉がまるで身に沁みていないことがよく分かった。

「白愛ってけっこー図太いよね」

「淑女に向かって失礼だよ」

一体誰が淑女なのか検討も付かない。

私はそのまま白愛に手を引っ張られてファミレスのドアをくぐる。するとファミレスの一角にクラスメイトたちの姿があった。

「あー白愛と赤音やっと来たー」

クラスメイトの一人がこちらに気づいて手を振る。どうやらもう打ち上げを始めていたようでピザやらポテトやらジュースやらがテーブルの上に置いてあった。

「ほらほら、二人はこっち」

とクラス委員の女子に手を引っ張られてクラスメイトたちが座る一角の中央に案内される。

そこにはすでに黒乃と青兎が並んで座っており、その横に空いた二人分のスペースに私と白愛が並んで座る。

「おつかれ赤音」

「た、大変だったね」

青兎と黒乃が労いの言葉をくれて私は大丈夫と言う代わりに笑いかけた。

クラス委員の男子と女子がコップを片手に立ち上がり、大きく咳払いをする。

「えー、それじゃあ皆さん、主賓が揃ったことで改めて乾杯したいと思います」

クラス委員の男子、池川 勇気くんがそう言ってコップを高く掲げる。

そしてクラス委員の女子、中嶋 夏樹さんが元気な声で言った。

「かんぱーい!」

クラスメイトたちは各々近くの人同士で乾杯し「おつかれー」と互いの苦労を労う。私も隣に座る白愛と黒乃と青兎、そして対面のクラスメイトたちと乾杯した。

「いやーそれにしても大成功だったよな!」

「うんうん、四人のお陰だね!」

勇気くんと夏樹ちゃんが私達を見ながら言った。するとクラスメイトの所々から賛同の声があがる。

「そこら辺のお化け屋敷よりよっぽどヤバかったよ」

「俺一回周ってみたけど、ホント心臓止まるかと思ったよ……」

「お化け役四人だけだったから、どっちかと言えば倒れた人の介抱のが大変だったよね」

「紅林さんの生首は普段見慣れてても、あーいう暗いとこだとマジで怖かったよね」

「ほんと⁉よかったーちょっと心配だったんだぁ」

「四人ともあんま休憩出来なくて大変だったでしょ?ほら食べて食べて!ここは皆の奢りだから!」

「青兎ちゃん身体張ってくれてありがとねー」

「あぁいや……こっちこそありがと、結構楽しかった」

「雪姫さんの幽霊、迫力凄かったよ。美人さんて幽霊役やると途端に怖いよな」

「きゃ、美人さんなんてお上手だねぇ中田くん」

「黒乃ちゃん!ほら今日の主役なんだからもっと胸を張りなよ!胸大きいんだし」

「ふぇ⁉」

いつの間にか全員を巻き込んだ会話になり、私は楽しくて笑った。白愛も黒乃も笑顔だ。

すると隣に座っていた青兎が微笑みながらつぶやくように言った。

「なんか私……今日始めて改造人間でよかったかもって、ちょっとだけ思えた」

「……そだね」

青兎の言葉が嬉しくて、茶化す気にもなれなくて、ただ賛同した。クラスメイトたちが笑い、騒ぎ、店員さんに注意されて少し静かになったけど、それでもみんなは笑顔で各々、喜んでいた。

前言撤回。

私達のクラスの文化祭は、大成功だ。

「あーっ!楽しかったねぇ!」

日が沈んでしまった帰り道、青兎と二人、並んで歩いていた私は文化祭と打ち上げ会の両方を思い出し笑った。

「うん、楽しかった」

隣を歩く青兎も珍しく素直だ。それだけ楽しかったのだろう。

「青兎、もう自分のこと嫌いじゃない?」

不意に立ち止まり私は青兎に聞いた。

青兎も立ち止まりジッと私の顔を見つめる。

そして少し俯いて、考えるような仕草をしたかと思うと、歯を見せながら満面の笑みを見せた。

「そう簡単には割り切れないけど……今日の自分は割と好きだ」

「……うん、だったらよかった!」

私も笑って青兎に返す。

「いっつもそんくらい笑顔だったら可愛いのになぁ」

「うっさい」

青兎は笑いながら私の肩を小突く。

「やったなー」と私も青兎の頭を軽く小突いた。

そして可笑しくなり、二人で大笑いした。




高校一年生、二月。

新年になり二ヶ月が経過したこの月は、学校中の男子たちが色めき立っていた。

「なんか皆、落ち着き無くない?」

私が不思議に思って周りを見渡していると、一緒に登校していた青兎が言った。

「バレンタインだからだろ?」

そっか、今日は二十四日、バレンタインデーだった。縁がなくて毎年忘れてしまう。

「青兎は誰かにチョコ渡すの?」

「そんな相手はいない」

なんともつまらない返答だ。

私は衣舞の方を向いて同じように質問したが、衣舞も無言で首を横に振った。

「寂しい女三人ですなぁ」

「あっはっは」

衣舞が渇いた笑いを口にした。

教室の前で衣舞と別れ、青兎と共に教室に入る。

「おはよー白愛、黒乃」

先に登校していた白愛と黒乃に挨拶していると、私の目に思わぬものが飛び込んだ。

黒乃の机の上に、包装されたチョコレートが。

「誰に渡すんスか黒乃さん!」

ゴシップ記者のごとく黒乃に詰め寄ると、黒乃は笑って白愛を指差した。

「このチョコ、白愛ちゃんから貰ったの」

「なーんだ、友チョコかぁ」

「マジチョコだよ?」

白愛の言葉に一瞬、沈黙が訪れたが黒乃がすぐに「白愛ちゃんったら冗談ばっかり」と笑う。白愛もそんな黒乃を見て微笑んでいた。冗談じゃない気がする。

「私も白愛ちゃんにチョコあげたんだ」

と、白愛は黒乃に貰ったチョコレートを鞄から取り出して自慢気に掲げた。

「そっかー、友達にチョコあげるのも有りだな」

私は明日、遅刻ではあるが皆にチョコを持ってこようと決めた。

「……」

「ん?」

青兎が気まずそうにこちらに何かの箱を差し出している。なんだ?

「どったの青兎」

「……鈍いな。受け取れよ」

言われたままに箱を受け取った。軽い。まさかこれは。

「チョコ?」

「……まぁ、言っとくけど友達として!だからな」

「にへへ、ありがとう青兎」

素直に嬉しかったので素直にお礼を言った。

衣舞にも帰りに渡す予定だそうだ。

「白愛って普通に黒乃以外からもチョコ貰えそうだよね」

「男子人気も女子人気も高いもんな」

私と青兎は揃って白愛をからかう、が。

「…………」

白愛は先ほど掲げた黒乃のチョコを大切そうに見つめたまま何も反応しなかった。

「あのー、白愛さん?」

白愛の顔を覗き込みながら声をかけると、白愛はハッとして「ごめん、なに?」と反応した。

「あ、いや別に。何でもないんだけど」

「そう?」

言って白愛はいつもの微笑みで、再び黒乃のチョコを鞄にしまう。

なんだか最近、白愛の様子がちょっと変だ。

度々今みたいにぼーっとしている時がある。


授業が終わって昼休み、昼食を食べ終わった青兎と黒乃が席を外したので、私は白愛に聞いてみることにした。

「ねぇねぇ白愛?」

「ん?」

「最近、黒乃となにかあった?」

「え……な、なんで?」

「いや白愛の様子がおかしいからさ」

何か悩みなら相談に乗らなくては。友達だからね!

「……何にもないけど……なんでそこで黒乃が出てきたの?」

アレ?そういえば何でだろうか。

白愛と黒乃ってセットみたいな感じがするから、自然と黒乃の名前が出てきたのだろうか。いや、それもあるがそれだけじゃない。

「なーんか、なんて言っていいか分かんないんだけどさ、黒乃もちょーっとばっかり、変、というか」

「黒乃が?」

変、といっても性格が変わったとか、仕草が代わったとかそういう訳ではない。なんて言えばいいだろうか。なんにも浮かばなかった。

違和感と言う事さえ差し支える、いわば私の勘と言うやつだった。

「やっぱり黒乃が変は無し。忘れておくれ」

「……」

白愛は少し黙っていたが、やがて口を開いた。

その口調はいつもの様な余裕のある口ぶりでは無い気がした。

「あの、ね……いや、やっぱり何でもない」

「うがー!そこまで言ってやめんねー!」

「本当に大したことじゃないんだ。心配させちゃってごめんね」

そう言って白愛は逃げるようにその場から去った。

うーむ、あれはもう教えてくれないやつだ。黒乃に聞くしかないだろう。

「余計なお節介かな……」

少し、躊躇った。

「いやいや、私っぽくないな」

私は立ち上がり、黒乃が向かったはずの図書室に歩みを進めた。

図書室の机で本を読んでいた黒乃を図書室の外へ連れ出して話を聞くが、黒乃にも心当たりはないようだった。

「う、うん……白愛ちゃん確かに最近ぼーっとしてるよね……でも、私も理由は知らないんだ」

「私の勘は黒乃との確執と言ってるんですが」

根拠のない推理を黒乃に投げかける。

「んー……でも本当に何もないよ?」

「そっか……私の勘違いかなぁ」

黒乃が嘘をついている様子はない。

伊達に五年も付き合ってないのだ。黒乃の嘘は見ればわかる。だって黒乃って嘘つくと目が左右に凄い泳ぐんだもん。

結局、次の日から白愛がぼーっとすることはなくなった。それどころか後輩女子からチョコを貰ったことを自慢してきやがった。

「まぁ私ほどの美貌の持ち主になれば―」

「あーはいはい」

と、語り出した白愛を青兎が軽くあしらう。

私は鞄からチョコを取り出し、両手で青兎に差し出した。

「あ、あの、青兎ちゃん」

「なんだ赤音、気持ちわりい」

青兎は心底そう思ったかのような口調と表情だ。失礼な。

「私の気持ち、受け取ってください!」

「あ、チョコ?サンキュ」

青兎が私からチョコを受け取り鞄にしまう。

「ちょっとー!私の気持ちに対しての返答が軽いよ青兎!」

「お前は何を求めてんだよ」

青兎に詰め寄る私と、私を押し退けようとする青兎を見て、白愛と黒乃は笑っていた。

そうして、高校一年生の生活は終わりへと近づいていった。




高校二年生、七月。

今年も頭の痛い時期が来た。

蝉の鳴き声がうるさい教室で、みんなカリカリと勉強している。私も一応黒板に先生が書いていってる数列をノートに移してはいるけれど、まるで頭に入ってこなかった。

「ここ、期末に出すからなー」

どこ?と黒板を注視するが、数式のどこが始まりでどこが終わりかもよくわからない。

あとで白愛に聞いてみようかな。でも面倒だからやめておこうと早々に私は諦めた。

授業が終わり、次の授業までの五分休憩に入る。

まだノートに書いている者、周りの人と雑談する者、トイレに行く者とみんなが様々な行動をしている中、私は机にうつ伏せた。

「うー……頭痛いー」

「だ、大丈夫?赤音ちゃん」

隣の黒乃が背中を擦ってくれた。

吐き気はないんだけど落ち着く気がする。

「ありがとねー黒乃ー」

「期末テスト、難しそうだね」

黒乃もあまり勉強は得意な方ではなく、私の気持ちに共感してくれた。

そう、期末テストの時期がやってきたのだ。

テストという言葉を聞くだけで頭が痛くなる私にとっては、このテスト期間は悪夢のような時間だった。

良い事はいつもより早目に帰れることくらいだ。しかしみんな真面目で帰って勉強するというので、誰も遊び相手が居なくて退屈極まりない。

「なんでこの世にテストなんてあるんだろう」

「う、うーん……頭が良くなるため、かな?」

「数学なんて社会に出て何に使うんだよー」

学生定番の文句を口にする。

こんな文句を垂れても現実が変わらないことは歴史が証明してくれていた。

「でも、悪い点取っちゃったら夏休み補習になっちゃうから、一緒に頑張ろう?」

「うーん、確かに補習は嫌だ……」

黒乃の励ましでなんとか頭を上げた私は机の中から次の授業である社会の教科書とノートを取り出した。

数学よりはまだ出来る方だが、それでも毎回平均点よりは下である。

今年はせめて赤点以上は取れるように頑張ろうと、後ろ向きな決意を固めた。溶けるかもしれないけど。


「期末テストも無事終わり!」

「お前は無事ではないだろ」

いらん横槍を入れてくる青兎を無視してそのまま続けた。

「明日から夏休み!」

期末テストという地獄を乗り越えた後に見えた天国に、私は目を輝かせた。

「明日は何して遊ぼうか⁉」

「赤音はいくつになっても無邪気だねぇ」

白愛が笑い、黒乃が私の演説に拍手をくれる。

今日、私達は二年生一学期の終業式を終えた。そう、明日から四十日間の長期休暇、夏休みだ!

私は「はーい!」と元気に真っ直ぐ手を挙げる。

「海とか!いいと思います!」

「定番だね!」

白愛が私の素晴らしき提案に乗っかってくる。

「じゃあ明日!早速明日行こう!」

今年は暑くなるのが早く、もう海開きがされている。

「明日かぁ、私は予定ないけど」

と言いながら白愛は青兎と黒乃の方を見る。

「私も大丈夫だよ」

「わ、私もいいんだけど、その」

黒乃が少し顔を赤くしながら、遠慮がちに言った。

「み、水着のサイズが合わなくなっちゃって」

つまり新しい水着を買いに行かなくてはならないということだ。どこのサイズが変わったかはあえて聞かなかった。

「黒乃また胸が大きくなってるもんねー」

聞かなかったのに白愛が言いやがった。

ちくしょう、私は中学生の時から変わってないのに。

「赤音も青兎もぜーんぜん変わんないのにね!」

白愛が悪魔のようにケタケタと笑ってきやがる。

「ぐぎぎぎ……じゃあ明日は皆で水着を買いに行くとあうことで!」

歯を食いしばりながら無理矢理話題を変えた。青兎も隣で私の言葉に大きく頷いている。

「ご、ごめんね皆」

黒乃が謝ったのはみんなで買い物に行かなきゃならなくなったことだろうか、それとも私達が恥をかいたことについてだろうか。前者だと信じたい。




「海だー!」

「いえーい!」

翌々日、海にやってきた私と白愛は歓喜の声を挙げながら海に駆け足で入っていく。

後ろでは青兎が「子供か」と呆れ顔で、黒乃はその隣で笑っていた。

残念ながら衣舞は欠席だ。今日は家の用事で来られないらしいので、衣舞も誘ってもう一度、夏休み中に海に来よう。

「冷てー!きもちー!」

学校のプールとはまた別種の、磯の匂いが鼻を突く海の中に突入していく。

腰まで水の中に浸かった辺りで一旦足を止め、私は青兎と黒乃の方を振り向いた。

「二人も早く来なよー!」

「はいはい」

と、青兎が黒乃と一緒にこっちにやってくる。

一歩きする度に黒乃の胸が上下して、周りの男の人がチラチラと黒乃を見ているが、手を出そうものなら白愛に八つ裂きにされるだろう。

黒乃はいつものオカッパ頭ではなく、髪を後ろに結っている。恥ずかしがる黒乃に白愛が半ば無理矢理「絶対可愛いから!」とセットしたのだ。

当の白愛も黒乃と同じく今日はポニーテールにしていた。そして私もいつものツインテールではなく、髪を後ろに束ねて縛っている。やっぱり動くときは一つに縛っておかないと落ち着かないものなのかな。

青兎は普段から趣味でランニングをやっている為か、髪を伸ばしているところを見たことがない。というわけで髪を結うなどできる訳もなく、今日もいつもと同じショートヘアだ。

「そんで、何しよっか!」

と、私が三人に聞くと黒乃がおずおずと脇に抱えていたゴムボールを差し出すように前に出す。

「い、一応これは持ってきたんだけど」

「ボールかぁ……よし!」

私は腕を振り上げて声高々に宣言した。

「鬼ごっこしよう!」

「はぁ?鬼ごっこ?」

青兎が首を傾げて怪訝そうな顔で私を見た。

白愛と黒乃もキョトンとしている。

「このボールを持ってる人が逃げて、他の三人がボールを取りに追いかけるって遊び!」

「あ、いいねそれ」

白愛の賛同の声に私は得意気に鼻を鳴らして頷く。

「じゃ、今ボール持ってる黒乃が鬼ね!」

「えぇ?」

「十秒数えたら追いかけるから、ほら逃げて逃げて!」

手をプラプラと動かし、黒乃に逃げるように促す。

黒乃は戸惑っていたものの、三秒数えた辺りでボールを抱えて海の中を走り出した。

「はーち、きゅーう、じゅう!」

数え終えた瞬間に慌てて逃げる黒乃の背中を追いかけだした。

私と白愛が並走し、背後を青兎がやれやれといった様子でついてくる。

少しずつ黒乃と私達の距離が縮まってきて、私は貰ったと黒乃が持ってるボールに手を伸ばした。が、横から伸びてきた白愛の手とぶつかり掴みそこねる。

「あ、ごめーん」

「もう、気をつけてよ白愛ー」

などと私達が言い合っている間にまた黒乃は逃げて距離をつけていた。仕方がない、奥の手を使うときが来たようだ。

「ロケットパーンチ!」

私の右手が発射され、黒乃の持つボールに一直線に飛んでいく。

「ええええ⁉」

黒乃は振り向きながら驚嘆の声を上げた。猛スピードで飛んでくる私の右手はみるみる黒乃との距離を詰めていく。

「ず、ズルいよ赤音ちゃん!」

「ぐへへ!勝てばよかろうなのだーっ!」

どこぞの悪役のような口調で高笑いをあげる私の顔面に、どこならともなく水鉄砲が飛んできた。それも顔にちょっとかかる程度のものではなく、軽く溺れてしまいそうな量が。

「おぼろろろろろろろ」

あまりの水流にバランスを崩し、私は海の中へとすっ転ぶ。

そのせいで右手のコントロールを失い、私のロケットパンチは黒乃から外れて空を切った。

なんだなんだと急いで水中から顔を上げて周囲をみわたすと、こちらに向かって手を突き出し、意地悪な笑みを浮かべる白愛の姿があった。

「黒乃には触らせないよ、赤音!」

白愛の周りに海水が球体となって浮かんでいる。白愛が念動力で水鉄砲を撃ってきたのか。

「超能力はズルだよ白愛!」

「ロケットパンチを先にかましたのはどちら様ですかー」

返す言葉がなかった。

「というか、チーム戦じゃないんだけど!」

「それでも私は黒乃を守る!」

あくまで白愛は黒乃の味方をする腹積もりらしい。

ようし、そっちがその気なら。

「青兎!私達も協力するよ!」

「え、やだよ」

最後の希望が呆気無く絶たれた。

「というかロケットパンチに超能力まで使いやがって……あんまはしゃぎ過ぎるなよー」

もちろん青兎の注意に聞く耳など持たなかった私と白愛は、黒乃を巡り海という公共の場で大接戦を繰り広げるのであった。


「ふぃー楽しかったねぇ」

結局、黒乃の逃げ切りという形で鬼ごっこは終了した。

その後は気の済むまで泳いだり、みんなで焼きそばを食べたり、誰が一番長く潜れるか勝負して無限に潜れる青兎の圧勝だったり、海の中で水をかけあってまた白愛の水鉄砲を食らったり、黒乃が鮫に変身して映画ごっこをしたり、とにかく遊んだ。

気づけば夕方になっており、水平線に夕陽が沈みかけていた。映画のラストシーンみたいだ。

「たーのしかったねぇ」

四人で並んでシートの上に寝転んだまま、私は言った。

「う、うん、また皆で来ようね」

黒乃も満足したようで、私は嬉しくて笑ってしまう。

「……なーんか五年間、あっという間だったなぁ」

白愛がしみじみとつぶやく。

誰も、なんの五年間かは聞かなかった。聞かなくても分かる。改造人間になってからだ。

「そうか?私は長かった気がするけど」

青兎が空を眺めたまま言った。

私はまぶたをつぶり、五年間のことを思い返す。

去年の文化祭のこと。

中学で白愛と黒乃に出会ったこと。

小学校でロケットパンチが出来ることを友達に自慢したこと。

記憶を現在から過去へと遡っていく内に、私は改造人間になった日のことを思い出した。

目覚めると何故か病院のベットで寝てて、目覚めると看護師さんが大慌てでお医者さんの先生を呼びに行った。

そしてお父さんとお母さんがもうすぐ来るからね、とお医者さんが言ってから三十分後、私の家族であるお母さんとお父さんと妹が病室に入ってきた。

未だ状況のわからなかった私は上手く動かない舌を頑張って動かし、取り敢えず「お、おは、よう?」と言ってみた。するとまず、最初に妹が大泣きしながら抱きついてきて、続いてお母さんとお父さんも泣きながら私と妹に覆い被さった。

「み、みん、な、ぐ、ぐるじぃー!」

私が悲鳴をあげるとお父さんとお母さんは慌てて離れたが、妹だけは私に抱きついて離れなかった。

「おねえちゃん!おねえちゃん!」

「おーよしよし……桃歌は、甘えん坊さん、だね」

泣きじゃくり、私の患者服に涙と鼻水を擦り付ける小さな妹の頭を目前にしながら笑う。

すると妹は頭を上げて、涙を流しながらもニッコリと笑った。それを見たお父さんとお母さんも笑ってた。

その後聞いたところによるとなんと私は一ヶ月も行方不明だったらしい。それは心配させちゃったなと、私は家族みんなが急に抱きついてきたことに納得した。

目覚めてから一ヶ月くらいは行方不明だった間、動かしていなかったらしい身体のリハビリをしながら色々検査を受けてたけど、わかったのは髪と瞳が真っ赤になったことと、手足と首が取れるようになったことくらいだった。当然理由などわかっていないが。

検査を終えてやっと家に帰れることになって、私は迎えに来たお母さんと一緒に二ヶ月ぶりの家に帰宅した。

「たっだいまー!」

と、ドアを開けると、そこには待っていたお父さんと妹が立っていた。

「おねえちゃん……」

「ただいま、桃歌!」

妹は私に駆け寄り、少し間を空けて立ち止まる。

てっきり胸に飛び込んでくるかと思い両手を広げていた私は、その体勢のまま固まってしまう。

妹は人差し指をたて、私の二の腕にある『切り取り線』をなぞる様に触った。こそばゆい。

「おねえちゃん……これ、痛くない?」

妹が泣きそうな顔をしながら私を見上げる。

私は慌てて笑いながら言った。

「ぜーんぜん!お姉ちゃん大丈夫だよ!」

私の言葉に安心したのか、妹はほっと息をつき、笑顔を見せてくれた。

その笑顔が愛おしくて思わず妹を抱き締める。

私が笑えば皆が笑顔になる。

だから私は笑うのだ。皆の笑顔が好きだから。


「ねぇねぇみんな!」

真っ赤に染まった綺麗な夕焼け空を見上げながら、私は大好きな友達に声をかける。

「私ね、みんながだーい好きだよ!」

私は言って、満面の笑みを浮かべた。

青兎は、白愛は、黒乃は、一瞬キョトンとした顔を浮かべたが、すぐにみんな笑顔になった。

「うんうん、私も皆が大好きよ」

「わ、私も!大好き!」

「なんだこの恥ずかしいノリ……まぁ、私も好きだよ」

私も、みんなも顔が紅くなっていたが、この真っ赤な夕陽のせいかどうかは分からなかった。

「ようし!最後にもうひと泳ぎすっかー!」

と、私は立ち上がり夕焼け空の映った赤い海へと走っていき、少し遅れてみんなもついてきた。




私は私を好きな人が好き。

だから皆が大好きだ。


これはそんな、改造人間であり女子高生の、私達の物語。

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