第19話 花子ノート

 2日後、抗生剤と胃薬を処方され退院した。抜糸までの1週間は飲酒も激しい運動も極力しないでくださいと病院側に言われ、総務には3日ほど病気休暇をとって良いと言われたが、山川さんのキンド○という黄金アイテムを抱えながら過ごしたらそのまま社会に復帰できなさそうなので1日にしてもらった。医者に一生跡が残るだろうと言われた額の傷口は思いの外小さく、ヘコアユのようであった。カミナリだったら、ハリーポッ○ーの熱烈なファンと間違われないだろうかと心配していたが杞憂であった。

 そして仕事復帰の日。パークの裏口から入ろうとした瞬間に、鼻をかすめた強烈な臭いに俺は顔をしかめた。ほんの数日で鼻はすっかりここの臭いを忘れてしまったようだ。事務所に入ると中にいた人たちからの注目を集め、大丈夫? 花子にやられたんだって? 骨をぶつけられて大けがしたんでしょう? もう復帰して大丈夫なの?と労り言葉の言葉を頂いた。ワイバーン班以外の人は顔どころか名前すら覚えていないので早く覚えねばと思う。


「おはようございます」

 席に荷物を置き声をかけると、パソコンを眺めていたヒゲがこちらを向いた。

「おはよう。元気そうでなにより。前に話したように、今日からアレの通りだ」

 ヒゲは窓際にある大きなホワイトボードを指さした。表が白で裏が赤の小さな札が人数分貼られている。両面に職員の名前がかかれており、札が白だったら出勤、赤では休みだと一目で誰が勤務しているか分かる代物だ。それぞれの班ごとにまとまっているのだが、以前まではワイバーン班の5名のうち4番目にあった俺の名札が遠くに追いやられていた。それを見た瞬間に暗い感情がこみあげた。

「……俺はまだ納得できないのですが」

  努めて冷静な声をだそうとして、声が震えた。

「じゃあ、花子を説得できるか? これ以上、攻撃しないでくださいって?」

「それはっ……!」

「無理だろう? 怪我されて困るのはお前だけじゃない。お前の穴埋めをするために班の調整、本来ならば必要のない細々とした事務処理、時にはマスコミ対応まで及ぶ可能性だってある。ドラゴンに攻撃されて怪我したなんて格好のネタだ。俺さえよければっていう考えがやめろ。お前の行動一つが下手したら組織全体に迷惑がかかると思え」

 五十嵐はため息をついた。

「別に俺の独断と偏見で決めた訳じゃない。ワイバーン班のメンバー全員と各班の班長および園長補佐を含めた話し合いの上でだ。仕事をする上で納得出来ないことなんてこれからいくらでもでてくる。俺は黙々と従う人間になれとは言わん。上が決めたことに文句をいってもいいし反論してもいい。だが必ず代案をだせ。出来ないなら従え。それが仕事ってもんだ。納得できないからって嫌だ嫌だと駄々こねてお前はいつまで学生気分でいる気だ?」

 容赦のない言葉に俺はぐっとつまり何も言えなかった。口を結んで何も言えない様子を髭はしばらく眺めそして、パソコンに顔を向けた。

 

 ワイバーン舎での作業がなければ、午前中はぽっかり予定が空く。ワーム舎の掃除を終えリンゴ切りでもしようかと向かっていたのに、気づくと鬱蒼としげった小道にいた。

 ここにくるのは三度目だ。社会人になって初めてドラゴンパークを訪れた時、乾草搬入の時、そして今だ。森を抜けた先の大きな広場では、巨大な銀龍は初めて会ったときと同じく、展示場で目を閉じて寝ていた。 寝息をたてすやすやとのんびり寝る様子に、抱え込んでいた感情があふれてくる。こんな感情を抱いたまま、作業が出来るとは思えない。休園日であたりに飼育員もいないことをいいことに、体を投げ出すように手すりにもたれかかった。

「富士さんは良いよな、ずっと寝ているだけでよくて。ごはんは誰かが用意してくれるし、お前なんていらないって言われない。俺もそうなりたいよ」

 八つ当たりのような言葉を吐いても、銀龍は目を閉じたままだ。俺ごときちっぽけな人間なんて、彼にとって蟻のようなものだろう。

「仕事は思い描いていたものとまったくかけ離れているし、肉体労働だしウンコ浴びてばっかだし。そもそもなんなんだよ、ドラゴンって」

 愚痴愚痴と情けないと自覚はあるが止まらなかった。

「仕事は何一つできないし訳が分からないし、花子に勘違いでいじめられて病院送りされたあげく、ワイバーン班を外されるし。俺、疲れたよ……」

 盛大に大きなため息を吐く。ため息をついた分、幸せが逃げていくという話だが魂まで抜け出たようだった。どれぐらいそうしていただろうか。これ以上サボったらさすがにダメだと頭の大人な自分が訴えるほどには、していただろう。そろそろ行こうとため息を最後にひとつつき、体を起こして調理室へ向かう。風が頬をなでながら通り過ぎ、木々がささやくように揺れた。

 ――じっくり話してみなさい。

 ざわめきのなか、はっきりとそう聞こえた。

 ――鍵はドラゴンマウンテンに 。

 ばっと、銀龍を振り返ったが彼は相変わらず寝たままであった。



 あの後、調理室に向かうとリンゴの大部分を切り終わっており、そばにいたヒゲは俺を見ても何も言わなかった。彼の顔を見るのも気まずく、昼休みはパンを抱えたまま例のドラゴンマウンテンへ向かうと、ピスヘントたちは俺の事情なんて知らんこっちゃで山を楽しそうに駆け回っていた。悩みなんてなさそうで羨ましいなと眺めていると、そのうちの1頭が俺の姿を確認すると駆け寄ってきた。

「ピース」

  声をかけると、彼は嬉しそうに尻尾をふった。鉱石レジンを渡したあの日以来、すっかり仲良くなったあのピスヘントだ。こうして顔をだせば、すぐに来てくれるようにまでなっていた。

「なんかここに鍵があるって聞いたんだけれど、それっぽいのない? 鍵っていっても分かりにくいか。扉をガチャって開けるのに必要なものに似ているものだ」

 ジャラジャラと鍵を見せたがピースは首を傾げた。わらわらと他のピスヘントらも集まってきてなにやら相談しているようだったが、どのドラゴンたちも同じように首を傾けた。

「いや待てよ。鍵は鍵でも比喩的なものを指している可能性もあるかもしれない。こう重要そうなものとかないか? ピースにとってレジンぐらい大切そうなもの」

 その言葉になにか心当たりがあるのか、ピースはきびすを返し群を離れると、山へと去っていった。そしてしばらくして姿を現した時には、口に何かをくわえていた。

 アクリル越しにそれを受け取ると、茶色い紙束であった。

「ノート……?」

 泥と糞便でかなり汚れているが、あのドラゴンマウンテンの中に落ちていて野ざらしにされていた割にはそこまでボロボロではない。表紙の汚れを指でこすり、下にあった文字を見てはっと息をのんだ。

『花子ノート 島本優』

 そう書かれていた。

 島本。花子をおいていった張本人。どうして彼のノートがドラゴンマウンテンにあるのだろうと思いながらぺらりとページをめくると、綺麗な文字が並んでいた。

『五十嵐さんに「お前の日誌は主観的すぎる。簡潔に客観的に書け。それでは日記だ」と言われてしまったので、飼育日誌とは別にこちらに担当になったワイバーンの花子のことをつづろうと思う』

 ペラリとめくると短い文がポツポツとノートに書かれていた。

『花子にまた唾を吐きかけられる。これで10回を越えた』

  思わず吹き出す。お前も浴びていたのか、島本。その後も糞を投げつけられたり尻尾バンバンされたりと続き、どれだけひどい目にあったのかの羅列であった。けれど、ある日を境にその関係性が変わった。

『花子が群のトップを目指そうとして、ナンバー2の節子にケンカを吹っかけて返り討ちにされ、右大腿部に傷を負う。獣医の山岸さんによれば、麻酔をかけて縫合するほどではないとのこと。尾上さんは自業自得だと言うけれど、精神的にかなり落ち込んでいるため、担当としてよりそってあげたい。空き時間をみて励ましにいく』

『花子が初めて手ずからご飯を食べてくれる。ようやく認めてくれた』

『耳の穴付近をなでると嬉しそうに目を細める。少しずつ触らせてくれるようになった』

『会う度になでるよう催促してくる。今日なんて30分撫でてようやく解放してくれた』

『五十嵐さんから「お前は花子と距離が近すぎる。花子はお前のペットじゃない」と注意される。そんな風に接したつもりはなかったが、周りからそう見えてしまうなら気をつけなければ』

 しばらくは花子との日々が綴られ、内容は少しずつ専門的なものになっていき学会発表する研究について触れられたりしていた。それが一変したのは他所のドラゴン施設から打診が来た時からだ。

『ドラゴンパークに就職した時は、ドラゴンと一緒に働けるなら嘱託だろうと、どんなに安月給でもいいと思ってた。知りたいこと、調査したいことは尽きない。けれど一方で――将来が見えない。一年ごとの更新のたびに、次回も契約できるだろうかと不安がかすめる。そこへ共同研究をしていた安岡先生から、ドラゴンサンクチュアリに空きがあり、推薦してくれるという申し出を受ける。またとないチャンスだ。だが、花子はどうなる?』

 そこからは苦悩がありありと書かれていた。今まではそこまで気にしなかった文字の形が、時に力任せに書いたように濃く、そうかと思えば震えながら書いたように揺れている文字もあった。けれど、ある文を最後にそれは終わりを告げた。

『ドラゴンパークを去ることを決めた。花子にどう別れを告げれば良いのか分からない』

 それ以降は白紙であった。深々とため息をつく。彼のことは俺の前任ってこと以外、何も知らなかった。けれどただ一つ、これだけは言える。

「……本当に、花子のことを想っていたんだろうだろうな」

 気づけば、ピスヘントたちが気遣わしげにこちらを見ていた。財布からありったけの100円玉枚を取り出してガチャを回すと、その音だけでピースたちはわくわくした目でこちらを見ていくる。そして鉱石風レジンを手渡すと楽しげに山へ帰っていった。レジンを取り上げれば、彼らは悲しむだろう。花子にとってはそれが島本だった。けれど、彼がここを去ってしまったことを誰が責めることが出来るだろうか。俺に何が出来るのか分からない。けれど、少しでも何かを変えることは出来ないかと思い始めていた。

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