第18話 心の傷
目が覚めると目の前には女神がいて異世界生活が始まる……なんてことはなく、蛍光灯に照らされた白く無機質な天井が広がっていた。ベッドの形状や部屋の作りから、どうみても現代の病院だった。
「牛の骨が額にあたり、ぱっくり裂けてかなりの流血をしていたので3針ほど縫ってあります。額の傷は今より目立たなくなると思いますが、少し残るでしょう」
意識が戻りぽけーとしていたところ、看護師に連れられてきた医師が説明した。鏡に映し出された自分を見ると、頭にはゴツい白い包帯が巻かれている。俺は花子に牛の骨を頭にぶつけられ意識不明になり病院へとかつぎこまれたそうだ。どう考えてもおかしな話で笑われるかと思いきや、医者は平然としていた。この病院にはちょいちょいパークの職員が運び込まれているそうで、そういう話には手慣れたものだそうだ。いや、どんだけだよ。過去にどういう事例があったのか事細かに教えて欲しい。
見舞いにきた家族はみな、大爆笑であった。
「今日のリモート飲み会ネタに使おう。俺の弟はドラゴンにやられて病院へ搬送されたって」
「私も今度、リモートママ友お茶会で話すわね。みんなの呆気にとられた顔を見るのが今から楽しみだわ」
末の息子がベッドで頭を包帯ぐるぐる巻きで横たわっている傍らで、きゃっきゃと話す兄と母に俺はため息をつくばかりであった。
「ねぇもう少し、俺のこと労ってくれない? 人生初の手術だよ?」
「そういったって、たった3針だろう? 父さんはな、20年前にスキー中に転倒骨折して以来、鉄板が足に入っているんだぞ?」
「その話、百回は聞いたよ。飛行機に乗るときにいつも保安検査場で待たされるこっちの身にもなって欲しい」
どんな話も笑いに昇華せよという家訓ゆえ、心配されるだろうなんてみじんも期待もしていなかったが、なんでかな。涙がこみあげてきたよ。
家族らが一様に薄情であった一方、見舞いにきたパークの人たちの反応は様々だ。園長補佐には頭を下げられ、入院にあたって色々と書かなければならない書類を渡された。中には事故発生状況のイラストを書かなければならないという項目があり、美術の成績が2の俺には苦行でしかない。尾上さんは肩を落とした様子で「俺の判断ミスで怪我をさせちまってすまねぇ。花子を許してくれなんては言えないが、長い目で見て欲しい。あいつは今、不安定な状態なんだ」と話した後「だが俺ならよけれた。帰ったら千本ノックだ」と言われた。令和の時代というのに発想が昭和である。東さんは開口一番「大丈夫ですか? 強敵との戦いを終えたマンガの主人公になっていますよ」と言い、入院中寂しくないようにとドラゴンのフィギュアを置いていった。コカトリスというゲームでよく見るモンスターのはずだが、不気味なニワトリにしか見えなかった。明日退院予定だったが、せっかくの心遣いを無下にできず受け取った。山川さんはお菓子と長編マンガが大量に入っているキンド○を渡してくれた。暇だったので非常に嬉しいのだが、俺の望みと好みを的確にねらい打ちしていて恐ろしい。ヒゲは「大事にならなくてよかった」と一言いったあと、班員が好き勝手言っている中、ずっと黙っていた。そしてみんなが去った後に一人でやってきた。
「忘れ物ですか?」
「いや、少し話したいことがあってな」
そういって、電気ケトルで湯をわかしお茶をいれると近くの椅子に腰掛けた。
「さっきお前の家族に会ったんだが、色々面食らったぞ。父親には“あなた、いける口ですね”と今度飲みにいく約束をされ、母親には“良い筋肉ですねぇ”と二の腕をもまれて、兄には“珍しい職種の友だちの話ってみんなにウケるんですよ”とライン交換する羽目になった」
「一人残らず迷惑かけてすみません」
「なんというか、家族に会ってお前のルーツが分かった気がする」
「みんなによくそう言われますね。この親にしてこの子ありって。逆のパターンもありますが」
「だろうな」
ヒゲはお茶をすすった。そして深くため息をつき、沈黙したあと、口を開いた。
「正直に言うと、俺はお前がすぐに辞めるものかと思っていた」
さらっと本音を飛ばしてくるヒゲに、俺は面くらった。どう返答すれば良いのか。えーひどいですよーと軽く返すような雰囲気ではまるでない。本音の吐露には本音しかなかった。
「俺も正直に言いますと、初日にドラゴンのうんこをくらったときに辞めようかと思いました」
「その後はどうだった? たとえば幸子に初めて見られたとき、なにを感じた?」
「幸子に、ですか?」
勤務実質初日に初めてワイバーンに挨拶した時のことか。仕事に慣れるのに精一杯な毎日で、遠い過去のように思えるが考えたらまだ数日とたっていなかった。
「そうですね。市役所の最終面接の時の記憶が、ありありと思い出されました」
ヒゲは目をしばたたかせると、眉をハの字に下げた。
「……なんだそれは」
「俺の中のトラウマの一つです。一発目の質問でやらかしてこれはもう落ちたと思って、それからの日々はしばらく無気力でした」
「お前らしいかもしれんな。俺が幸子に見つめられた時に感じたのは死だった」
「え……?」
思わずヒゲをまじまじと見たが彼は手元にある湯飲みを両手にかかえてじっと見つめて動かなかった。
「死、ですか?」
「ああ。幸子のあの目で見つめられると、誰もが過去のトラウマを思い出してしまうんだ。ワイバーンにそんな能力はないはずだが、幸子は色々と別格だからな。相手が自分を世話するのに相応しい人間か見極めるためにやりかねない。事前にそんなイベントが起きると知っているとより恐ろしいことになるそうで、みんな知らされないまま会うことになるんだ。俺の場合はバイクで事故って死にかけた時の記憶で、しばらくは幸子に挨拶するのが怖くて仕方がなかった」
「なんというトラップ……」
「ドラゴンを飼育する施設は全国に4つと少ない一方、志望者は多い。実習生も夏に結構な数がやってくるが、どれだけやる気に満ちあふれていても幸子に会ったやつは半分逃げ帰る。けれどこっちの予想を覆して、お前はぴんぴんしていた」
「その後の尻尾バンバンでだいぶ泣きそうになりましたけれどね」
「幸子に会ってきた人間を数多く見てきたが、逃げ帰れるなんて上等な方だ。それにな、ナッカーのプール清掃の時だってそうだ。あのアナコンダのようなナッカーを見たとたん、膝が震えて立てなくなって、あんな恐ろしい生物の近くで作業することなんて出来ないって泣くやつもかなりいるんだ。けれどお前はそんなことはなく、その上、花子に攻撃されて入院する羽目になっても、ケロリとしてまだこの仕事を続けようとしてくれている。ここまで鈍感で図太い神経のやつはなかなかいない」
「それは褒めているのですか、けなしているのですか?」
「褒めているんだ。河合、俺はお前が良いキーパーになれると思う。だからこそ――お前にはワイバーン班を外れてもらいたい」
ヒゲが顔をあげ、俺の顔を見据えた。突き刺さる視線に俺は呆然とするしかなかった。
「どうして……ですか?」
「危険だからだ。俺は逆に誰もが今回のことを深刻に受け取っていないのか不思議でしょうがない。3針だぞ? それだけの怪我を負った。命に別状がなかったとはいえ、次は分からない。尾上さんたちにはまだこのことを言っていないが、俺が説得すればのんでくれるだろう。これは花子のためでもあるんだ。彼女はお前を見ると、どうしても今はいない島本のことを思い出してしまう。視界に入らなければ、いずれ落ち着くと思うんだ」
パークで働き初めてたった数日。そう言われてしまえばそうだけれど、自分なりに精一杯やってきたつもりで、それに班員とも少しずつ慣れ親しんだと思っていた。そこから外されるというのは、やってきたことへの全否定に等しい。けれど花子のためなんだ、と言われてしまえば、たかが新人にすぎない俺には何も出来ない。
「島本ってやつは花子に好かれていたのにどうしてそれを裏切るようなことをしたのですか?」
悔しさとやるせなさがない交ぜになった感情が心をうずまき、誰かにアタリたくて口からでたのはそんな言葉だった。
「島本は、嘱託職員だったんだ」
「それってなんですか?」
「正職員ではなく、臨時で採用されている非正規職員だ。給料は低い上、正職員の俺たちと違って昇給もなくずっと勤め続けられる保証もない。今年から会計年度職員という制度に変わってボーナスがでるように改善された点もあるが問題はまだ山積みだ」
「あの額より低いって……。家賃とか生活費を払ったらほとんどなくなりませんか? なのにどうして続けようと思うのですか」
「ドラゴンが好きだからだ」
ヒゲの言葉に頭をガンと殴りつけられた錯覚を覚える。来たくて来たわけではない俺への当てこすりとして言ったつもりではないだろうけれど、そう思ってしまう。
「あいつもな、市の職員になろうとしていたんだが受からなかったんだ。そこへ他の施設から正職員にならないかと声がかかった。いつまで続けられるか分からない低賃金の嘱託職員と別のドラゴン施設での正職員。あいつは最終的に後者を選んだが、すっぱりと決めた訳ではない。花子を置いていくことを最後の最後まで悩んでいた」
だが、と彼はため息をついた。
「結局のところ、どう言い訳したって人側の都合でしかない。花子からすれば、ある日を境に島本は突然いなくなったとしか思えないだろうな」
額の傷がずきりと痛んだ。体の傷は目に見えるし、これぐらいの傷であればそのうち治るだろう。けれど心の傷は誰にも見えないし、時間がたてば自然に塞がるなんてことも癒えることはない。花子の咆哮が耳によみがえる。彼女の心の傷を誰が癒せるというのだろうか。
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