第17話 もぐもぐタイムのお時間です

 日に日に増える感染症患者数に専門家たちが「3密」を叫ぶ今日このごろ。緊急事態宣言がだされた首都から離れた田舎では1人でもでたら大騒ぎなためよそものに対しては当たりが強く、県外ナンバー車には石が投げつけられると聞く。この地域は現在に至るまで奇跡的に0人が続いているが、市の職員が県外にでるには部長の許可が必要となり、マスクや消毒薬は相変わらず手に入らず、これからどうなるのかと先行きは不安でないと言えば嘘になる。リモートワークに切り替える企業もあるそうだが、現場がメインのドラゴンパークには土台無理な話で今日も今日とて出勤だ。

 しかし電車が来ない。予定到着時刻から10分以上立っているのに事故があった様子もアナウンスもないのはおかしい。ダイヤル改正なんてこの時期にないと思いつつ、確認のために時刻表を見に行き、横にある土日祝日の表示に顔が青ざめた。本日は土曜日。つまりは休日ダイヤであった。


 バスに乗り遅れ、パークについたのは8時20分と着替えたら始業ギリギリの時間であった。息を切らせて事務所に駆け込みヒゲと目が合うと、彼は不満げな顔をした。こんな時間に来たら日誌のチェックや朝の質問とか出来ないけれど別に遅刻したわけではないのだ、と心の中で叫びつつ荷物をどかっと置いて更衣室へ急ぎ、もうすぐ始業という時間に席に着くと、机の上になにやらペラリとした白紙の長方形の紙が置いてあることに気づいた。なんだこれと思い手に取ると、裏には漢字と数字がズラズラ書いてある。

「それ、昨日配られた給料明細な」

 ヒゲが右から言った。

「これが噂の初任給……!」

 あまり働いた気がしないが、嬉しい気持ちは隠せない。どれどれと給料の欄を探して右下の額を見て、その額に目ん玉がひんむいた。これならアルバイトした方がよっぽど稼げるだろう。

「低いって顔に書いてあるぞ。ちなみに15年後のお前の給料は、これぐらいな」

 そこには今の額からちょっとだけ増えた数字が書いてあった。最初だからこの額でも仕方がないと思っていたが、15年たっても大きく変わることはない現実にうめきそうになった。安泰の道を選んだが、一年で一万も増えないとは思いもよらなかった。

「会計年度職員と較べればもらえている方だからな。あいつらの前ではぎゃあぎゃあ言うなよ?」

 かいけいなんたら?なんですかそれと聞こうとしたら、朝会を告げる総務の声が聞こえ、結局分からずじまいであった。


 ドラゴンパークはこの時期いつもであればピクニックにくる人たちでにぎわうそうだが、今年は土曜日でも人がまばらで閑散としていた。

「今日はリンゴ切りは良いのでしょうか?」

 普段ならワイバーン舎とワーム舎の清掃が終わった後は調理室へ向かうが、本日は再びワイバーン舎へ舞い戻っていた。俺、ヒゲ、東さん、五十嵐さんと今日出勤のワイバーン班が勢ぞろいだ。

「ああ、それは午後に回す。今日はこれからワイバーンがごはんを食べる様子を見ることが出来るイベント、通称もぐもぐタイムをやる。他のイベントが密を招くと軒並み中止にせざる得ない中、ワイバーン舎は外周が広いからな」

「そのもぐもぐタイムのごはんってなにを使うのでしょうか」

 俺が質問すると、横にいた東さんがトテトテと歩き休憩室の冷蔵庫を開けた。そこには原始人がかじっていそうなドデカイ骨付き肉がバケツに何本も入っていた。

「牛と馬の大腿骨です!」

 にこやかな顔で告げる東さんに、そうでしょうねぇと遠い目をするしかない。

「これを食べている時ってもぐもぐって可愛らしい雰囲気じゃまるでなさそうなのですが。どっちかというとムシャムシャタイムとかボリボリタイムとかじゃないですか」

「確かに実際はゴキャゴキャタイムだな」

 わはは、と声を上げながら尾上さんが言う。いや、なんだその聞いたことのない擬音は。より怖いし、子供がトラウマになるんじゃないか。規制しなくて良いのか。

「じゃあ、準備をすっぞ。東は解説、五十嵐と兄ちゃんは屋上な」

 この建物に屋上なんてあったんだと思いながら、ヒゲの指示のもと大腿骨の入ったバケツごと持ち上げ、休憩室の隅の方にあった狭い階段を上っていった。


『本日はドラゴンパークにお越しいただきまことにありがとうございます。11時になりましたのでワイバーンのもぐもぐタイムを始めたいと思います』

 東さんの声がドーム状の展示場に響きわたると、ドームを取り巻く観客達が期待した目で見上げた。ざっと50人ぐらいはいるだろうか。最前列では、バズーカのようなカメラを構えた常連たちがいるのが見える。

『みなさま、頭上でワイバーン達が飛んでいる姿がご覧いただけますでしょうか。いつもは遠すぎて見えないと言われてしまう彼らですが、本日はごはんを食べている様子を特別に見るこことができます。ここでみなさまに質問です。ワイバーンは普段なにを食べているでしょうか?』

 ワイバーン舎の格子で覆われた屋上で解説を聞きながら、俺とヒゲは大腿骨をワイヤーにひっかけていた。

「屋上と真ん中の観覧席の間にワイヤーで大腿骨をぶら下げておくと、ワイバーンが空から降りてきてかっぱらっていくんだ。ダイナミックに滑空する姿や豪快な食事風景を見せてワイバーンのありのままの姿を見せるのがこのイベントの趣旨だ。俺たちはこの屋上で、大腿骨がもっていかれるごとに新たな骨を補充する作業を3本分行う」

「4本ではなく? 1頭食いっぱぐれないでしょうか?」

「幸子はプライドが高いから見せ物になるのを嫌って絶対に来ない。節子は気まぐれ屋で来る確率は半々、太郎と花子はだいたい来てくれる」

 さすがラスボスの風格をもったワイバーンは違う。むしろ来ないでくれて正解だろう。あの目で睨まれたら、ちびって今後パークには一切近寄ろうとしない人間も中にはいるに違いない。

「東の『では飼育員さん、お願いします!』って声が聞こえたら大腿骨をおろす。そのうちお前にもマイク解説をやってもらうから、どんな風に解説をやっているか、どうやって進行しているかしっかり聞いて参考にしておけ」

「人前でマイクを使って話すのが非常に苦手なので、裏方に徹したいです」

「そういう意見が通る職場と思うか?」

「思いませんね」

「分かっているなら話が早い」

 視線を観覧席へと視線をうつすと、東さんがおどけた様子でジョークを言い観客の笑いをさそっているところだった。あそこに立つ自分を思い浮かべても、てんぱっている姿としらけた観客しか想像できなかった。

『それでは屋上にいる飼育員さん、お願いしまーす!!』

 テンション高めの合図とともに、ヒゲはワイヤーの位置を調節しながらスルスルと大腿骨を降ろす。すると1頭のワイバーンがいち早く反応し群の輪から離れ、こちらにどんどん近寄ってくる姿が見えた。丸い点に見えなかったそれは、本来の猛々しい姿が視認できるほど大きくなる。そのまま骨へと急降下していくかと思いきや、視界からふっと姿が消えた。あたりを見回すと、低空飛行のまま観客に己の力強さを見せつけるようにぐるっと旋回していた。ウロコのひとつひとつが確認できるほどの距離で飛ぶワイバーンにお客さんたちはおおっとどよめく。そして勢いを保ったまま大腿骨にとびかかると、ぶちっとワイヤーから離れた骨を地面にたたきつけた。

 緑色のワイバーンが勝ち誇ったように顔をあげると、骨に食らいつきゴキャゴキャと不気味な音を立てながら骨を食べ始める。もぐもぐってレベルではなく、尾上さんの言う通りゴキャゴキャタイムだ。生々しい音に、お客さんのわぁと驚く声とひぃという悲鳴があがる。想像以上に迫力満点だ。

「あれは太郎ですか?」

 うまそうに骨肉を食べるワイバーンを指しながら言うと、ヒゲが眉をあげた。

「当たりだがもう区別がつくのか? 1週間以内で覚えろとは言ったものの、あまり期待していなかったんだが」

「ひどいっ!」

「人によって一ヶ月以上かかる場合もあるんだ。どうやって見分けたんだ?」

「そうですねぇ。常連さんから太郎は他のワイバーンと較べて頭の突起が多いと聞いていたのもあったのですが、お客さんに自分の姿を見せつけて飛ぶ姿はやんちゃな性格な太郎そのものかなと思ったもので」

 ヒゲがこちらを感心したように見つめた。

「悪くない。見た目だけでなく性格と行動も含めて総合的に見ることは、ドラゴンを飼育する上で大事なことだ。なかなか良い感覚をしている」

 ヒゲの言葉に目が点になる。褒められたのは初めてかもしれない。

「五十嵐さんに褒められるたってことは、俺にはドラゴンを見る才能がありますかね!」

「お前はそうやって調子に乗ったとたん、大失敗しそうな顔をしているから滅多に褒めないようにしてんだよ」

 はは、どんな顔だよ。まったくその通りだがよく見ているわ、このヒゲ。

「さて、節子は来そうにないな。となると次は花子か。一体、どうでるか」

 次の骨をとりつけるとヒゲがぼそりと言った。花子の名前に緊張する。花子よ、俺を嫌っているのは知っているけれど、せめてお客さんの前ではださないでくれよと願った。

 二本目の骨付き大腿骨がつり下げられる。1頭のワイバーンが反応し、旋回中の輪から離れた。花子だ。なぜだかそうだと確信した。花子はそのまままっすぐスピードを落とさず急降下してきた。そして吊られた大腿骨につかむと、そのままの勢いよく檻に突っ込み蹴りを喰らわせた。ガーンと展示場に金属音が鳴り響きり悲鳴が上がる。花子の攻撃的な態度にあたりはシーンと静まりかえった。

『おっと花子ちゃん、今日は着陸がへたっぴですねぇ!』

 そんな雰囲気を変えようと、東さんが明るい声を張り上げ緊張が緩和された。けれど花子は檻越しとはいえ、音を立てたら向かってきそうな恐ろしい雰囲気だ。次はなにが起こるのか。観客が見つめる中、花子はゆらりと地面に降り立つと、屋上にいる俺を睨んだ。

「ギャアアアアアア!!」

 花子が翼を広げ、つんざくような声を張り上げた。びりびりと空気が揺れる。一瞬の静寂のあと、歓声があがった。攻撃対象が自分ではないと分かれば現金なもので、お客さんはもう大喜びだ。常連さんたちもご満悦でシャッターを切りまくっている。大興奮の観衆の傍ら、俺には「お前なんて消えてしまえっ!!」という叫び声に聞こえた。

 花子は足下にある大腿骨をくわえるとぶんと振り上げ、俺のいる場所へ投げつける。格子に骨があたりガシャーンと派手な音がたつと、おおーと歓声があがった。常連さんたちをのぞいてほとんどの人たちは、これをパフォーマンスの一環だと思っているだろうなぁと、我が身に降りかかる敵意を前に俺はもう他人事だ。格子よ、俺の身代わりになってくれてありがとう。骨が跳ね返って花子の足下に落ちると、貪るように花子は食らいつき始めた。その様子を見て俺は、ようやく食べてくれたとほっとため息をついた。けれど、しばらくすると花子は骨を粉砕するのをやめて、しきりに口をモゴモゴさせた。なにやら考え事をしている風な顔だ。まるでそう、口の中にある骨の欠片がどのくらいの大きさか測っているようだ。

「一体、なにをしているんだ?」

 ヒゲが隣でいぶかしげな声をあげた。え、ヒゲも今まで見たことのない行動なの? と思いながら花子を見続けていると――目が合った。ぞわりと悪寒が走る。彼女は俺がいる方向を確認すると、天井に口を向けた。そして次の瞬間、顔をばっと振り上げ口から何かをこちらに向けて吐き出した。それは高速スピンしながら、俺めがけて飛んでくる。

「へ?」

 その白い固まりが格子の隙間を通り、俺の視界を覆った瞬間、額に強い衝撃が走った。

 視界が白く染まり上がる。畑中さんがなにやら叫んでいるようだったが、よく聞こえなかった。ココナッツの実が頭に直撃して死ぬ確率はサメに襲われて死ぬ確率より高い。ならば骨が直撃して死ぬ人ってどれくらいなのだろう。薄れゆく意識で最後に思ったのは、そんなくだらないことだった。

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