第11話 初めて消防ホース持ちました

 父さん母さん兄さん、お元気でしょうか。俺は今、消防ホースをもっています。消防学校に入った記憶はないのに、なぜでしょうか。


 勤務3日目となる朝は筋肉痛による節々の鈍痛を全身に抱えながら迎えた。ここまでひどい筋肉痛は人生初といっても過言ではない。もともと俺はインドア派で休みの日はどこかへ出かけるよりは家にこもっている方が好きな人間なのだ。体力が人並みなところへの毎日の肉体労働はきついものがある。昨日何時に寝たのか覚えていないが、22時は回っていなかっただろう。疲れてスマホさえ見る元気がなく翌日の仕事に支障がないよう体力をなるべく回復させねばと体が勝手に判断し寝落ちした。しかしひどい悪夢であった。東さんの運転するレーシングカーの助手席に乗りマリオカー○よろしくバナナに転んで池につっこみザバンという衝撃とともに飛び起きた。彼女の運転は俺の中でトラウマになっている。

 日課のようになっているヒゲの質問はいつも通り調べたことは聞かれず「哺乳類と爬虫類の違いは?」と聞かれ撃沈した。いつになったら一矢報いることができるのだろう。ワイバーンの作業に至っては頭突き事件以降、あいさつ以外は1週間離れて見ているだけになったのだが今日は花子から唾を吐きかけられ顔がデロデロになった。つらいね。涙がでてくるよ。姑のごとくいびってくるワイバーンに較べてワームの扱いやすさよ。素直に外へでていってくれるし何より小さいのが良い。向かってきてもなんとかなる。ワイバーンとかタイマンなら絶対負けるからだめだ。そして迎えた午後作業。

「五十嵐、新人を借りていくぞ」

 と本人の了承なしにワイバーン班の班長の尾上さんに連れていかれた先はこのドラゴンマウンテンであった。


「今日はドラゴンマウンテンの清掃だ。気張れ」

 目の前には黄色い雨合羽を身にまとう尾上さんが仁王立ちしている。ビール腹のおっさんが黄色い雨合羽を着てマスクにゴーグルを装着する姿は不審者まるだしである。ここが街道であれば道行く人は何も見なかった風を装い素通りし、警察は間違いなく職務質問してくるだろう。現に同じ格好をしている俺を通りすがりの親子が変なものを見るような目でチラチラ見ている。

 そういえば雨合羽を最後に来たのっていつだろう。小さい頃は、歩く度に鳴るカサカサとなる音や雨に濡れてぴったりと体に吸いつく感触が好きだった。けれどそのうち、周りに着る子がいなくなり、いつの頃からか着なくなっていた。大人になって雨合羽を来ているのは、雨の中交通整理をしている警官か、台風が来たときに突貫レポートするアナウンサーとカメラマンぐらいではないだろうか。 

「その消防ホースは一体何に使うのでしょうか?」

 マスク越しにくぐもった声をだしながら黄色いクマの傍らにある消防ホースを指した。

「掃除に決まってらぁ。名前の通り見ての通り、ドラゴンマウンテンは山を模した展示場で、深い堀の中心に高さ8メートルの山が切り立つ構造をしている。そこにピスヘントっていう、エストニア・リトアニア・ラトビア・ドイツに伝わる小型犬サイズのドラゴンを32頭飼育していんだが1週間に1回、そいつらのウンコを洗い流すのと砕けた宝を回収するのが目的で、これを使って山を全面的に洗ってんだよ」

「宝? 金銀財宝ですか?」

「本物だったら俺が猫ババしてるわな。鉱石風レジンっつう、こういうのを見たことねぇか?」

 尾上さんが手にしたものは、淡い青が透き通る手のひらサイズの鉱石のようなものだった。ゲームにでてきそうなアイテムで中二病がくすぐられる。

「ないです。どこかで買えるものなのですか?」

「ハンドメイドサイトで結構売っているから今度見てみろ。作り方自体はそこまで難しくねぇ。ちなみにこれは俺が作ったもんだ」

 おおよそハンドメイドという言葉からほど遠い尾上さんが作ったというのは衝撃であったが、言ったら拳骨が飛んできそうなので黙っていた。沈黙は金だ。


「それをどうするのですか?」

「見せるからこっちに来い」

 消防ホースを放置し、尾上さんはドラゴンマウンテンの展示場の洞窟の通路へ向かう。来園者が触ったりいたずらしないようにホースを見えない場所に置かなくてといいのだろうかと思いつつついて行った先は、ドラゴンマウンテンの底部分であった。アクリルガラスが貼られ山の中の様子が見え、ガラスの向こうでは4本の足に翼をもつピスヘントと呼ばれるドラゴンが寝ていたり穴を掘っていた。よく見ればガラスの一部に人の手が出し入れできる隙間が少し空いている。尾上さんが先ほどの鉱石風レジンをその穴に入れると、ピスヘントが数頭わらわらやってきて、よいしょと口で受け取ると、嗅いだり放り投げたり実に楽しそうに遊んでいる。可愛いかも。人生で初めてドラゴンが可愛いと感じた。

「ピスヘントは他のドラゴンどもとは違っておとなしく、家に住み着いて家主へお宝を持ってきてくれたりする」

「一家に1頭欲しいドラゴンですね」

「だがそのお宝ってのは隣の家から持ってきたものだったりすんだ」

「なんと傍迷惑きわまりない」

 どう考えてもトラブルの元ではないか。隣人との不和は避けたいものである。

「つまりはお宝大好きドラゴンで、パークではこうやって1回100円のガチャでピスヘントに宝を模した鉱石風レジンをあげることができんだ。動物園でいうサル山の餌やり体験みてぇなもんだな。でも、くだけちまったり傷だらけになると捨てちまうからドラゴン山が宝であふれかえらないよう定期的に回収する必要があんだ。ってことでさっきの消防ホースの出番だ」 

 ……という経緯のもと。冒頭に戻る。

 持たされた消防ホースはそれ単体でも重みを感じる。ホースの根本にはテーブルサイズの大きなエンジンがあった。

「水が放出されている時には、絶対手を離さねぇことだ。うっかり離しちまえば暴れる龍のごとく手がつけられなくなって水道代がやばくなる。じゃあ、ポチっとな」

 他に注意点とかないの? と言う前にゴゴゴゴと音をたて背後にあるエンジンが動き出した。

 ぺったんこだったホースが水の圧により生きたようにむくむくっと動いたと思うと、いきなりドっという衝撃と音とともにホースから水がとびだしドラゴン山へ放出された。

「ひいいいいい!」

 手のなかで掴んだホースがのたうって動き回る。動かないように押さえ込むのに精一杯だ。ドドドドドドっと断続的な振動が筋肉痛の腕から全身に響きわたり体が悲鳴をあげる。両足でふんばらないと体ごともっていかれる。

「耐えろっ!!!」

「無理ぃいいいっ!」

 尾上さんは仕方ねぇなぁという風に肩をすくめると、エンジンを止め音とともにホースはしぼんでいき俺はへたりこんだ。

「感想は?」

「消防士さん、すごい」

「社会科見学にいった小学生の感想文かよ。そのうち30分以上もてるように日々鍛錬だ」

「無理です」

「最初っからあきらめんじゃねぇ。今日は俺が上から山を洗っていく。おめぇがやることは、こいつをもって山の中に入って糞便と砕けた宝の回収だ」

 投げてよこしたのは孫の手を巨大化したような、先に先端の曲がった竹を扇型にならべてくくったものだった。

「なんですか、これ」

「熊手だ。ホウキでちまちまやってりゃ日が暮れるからな。鍵渡すから裏口から山に入れ」

「ドラゴンが32頭もいるなかを俺一人で、ですか? そもそも入ったことすらないのですが」

「ピスヘントはいたずら好きではあるがおとなしい性質だから攻撃はしてこない。翼の生えた犬と思えば怖くねぇだろ」

「たとえ犬でも32頭もいればものすごく怖いです」

「なんかあったら上から水かけて援護するから大丈夫だ。何事もやってみなけりゃ分からん。さぁいった、いった」

 入ったことがない獣舎なんて照明スイッチの位置がどこにあるのかすら分からず、暗闇の中、手探りながら探しようやく見つけた。尾上さんに較べたら、ヒゲは一度自分でやってみせてくれるという優しさが多少はあったと思いながらそれっぽい2重の扉を開けると、目の前には山がそびえ立っていた。ドラゴン山の底だ。壁が空への視界を覆っており、まるで井戸の底にいるようだ。背後の扉の鍵を閉められたら脱出はまず不可能だろう。

「始めっぞおぉぉぉ――っ!!」

 大声に反応し顔を向けると、壁の上にいる尾上さんの持つ消防ホースから水が放出されるのが見えた。水圧によりホースの形を保ったまま水が山に勢いよく衝突すると、直線がはじけ放射状に広がっていく。するとどうなるか。山にこびりついていた糞便が舞い散るのだ。そしてミスト状になった糞が底にいる俺に降りかかるのだ。ゴーグルの視界が茶色く染まっていく。スプラッシュマウンテ○の比ではない。雨合羽を着て、ゴーグルを装着し、マスクをつける意味がようやく分かった。いや、今までの経験上、だいたいこうなることは分かってはいたが、ここまでとは思わなかった。ここは腐海の森だ。霧の糞が胞子のごとく飛び交い俺を浸浸食していく。マスクを外したら肺が確実にやられる。どうして毎日、これ以上の底はないと思えることを更新し続けていくのか。雨合羽の隙間からとびでていた前髪がすでにでろっとして茶色い水が滴っている。霧状の糞は避けようがなくただただ浴びるしかなく、諦めの境地に達するしかない。一度汚れてしまえば、もう元の白には戻らない。やむをえない理由で罪を犯してしまった者のような心境を抱えながら俺は心を無にして作業に専念しようと一輪車を押した。

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る