第10話 ナッカーホール清掃

「新人ということを差し引いても、花子に嫌われ過ぎていると思うんですよね。なんというか、俺という存在を追い出したがっている気がする」

 昼のこと。買ってきたコンビニパンをほおばりながらつぶやくと、両隣の箸の動きがぴたりと止まった。あからさまな挙動に左右を見やる。東さんはわざとらしくスマホをリュックから取り出し眺め始めた。ヒゲは何気ない風を装い再び弁当を食べ始めるが、じと目で見るとため息をついて、そりゃあ気づくよなと呟いた。

「なにか知っているのですか? なにか隠していたのですか?」

「花子がお前にきつい態度をとることは最初から分かっていたんだが、先入観は相手を見る目を曇らせるからあえて言っていなかったんだ。だが、ここまで花子が攻撃的になるとは思わなかった。俺の落ち度だ」

「俺の何がだめなんですか? ドラゴンのことをまったく知らないことですか?」

「いや、これに関してはお前はまったく悪くない。花子自身の問題なんだ。花子はな、島本という以前ここで勤めていた奴にすごくなついていたんだ」

 胸元の島本の名前を見る。3月に辞めた彼。そしてその補充で入ったのが俺だった。

「なついていたってレベルじゃないですよ。もうベタぼれ。彼が出張で4日間出勤しなかった時は不機嫌まるだしで、ものすごく怖かったです」

 スマホから顔をあげ、東さんがため息混じりにつぶやいた。

「島本が辞め入れ替わりにワイバーン班に来たのがお前だ。花子はどう思うだろうか?」

「誰だお前は! 愛しの島本をどこへやった!?……というところでしょうか」

「俺の推測だとそうだな」

 いわれのないいじめだ。だがそう考えると花子の俺への今までの嫌がらせのような態度は納得する。しかしなぜだ。俺はただのんびり暮らしていきたいから市役所に入ったというのに、ドラゴンパークという謎の領域に赴任になったあげく、勘違いでワイバーンにいじめられている。

「俺は一体、どうすれば良いのでしょうか?」

「時が解決してくれるのを待つしかない」

 それまで耐えろということですね。ははは。俺のガラスのハートがもつかなぁ……。


「午後はナッカーホールの清掃だ」

 パーク内にある池を模した展示場で、ヒゲに渡されたのは胴付長靴という代物だった。長靴が胸元までつながっている防水ズボンで、魚屋さんがよく着ているオーバーオールっぽい服? だ。略して胴長と言うらしいが、ただの悪口にしか聞こえない。これまたここに来なかったら一生着なかっただろう。

「これを着たまま転んだら、服の中に浸水するから気をつけろ。まぁ前日から汚水ポンプでだいたい水は汲み上げているから溺れることはない。これからナッカーホールの底にたまったヘドロの汲み上げをする。定期的にやらないと排水溝がつまるからな」

「そもそもナッカーホールってなんですか?」

「ナッカーと呼ばれるドラゴンの住む池のことだ。ナッカーは全長9メートルの飛べない水生のイギリス産のドラゴンだ。ナッカーの伝説の中でも有名なのはライミンスターのナッカーだな。非常に大食らいなナッカーに困ったライミンスターの市長が、退治したものには報奨金を賜ると言ったところ、名乗りを上げた農民のジムが大きな毒入りパイをナッカーに食べさせ弱せ斧で首を切り落とすという話だ。彼はその後、パイをつくった時に使った毒が手についたままなことに気づかず、顔をぬぐってしまったために死んでしまったと言われているが、その墓は今でもライミンスターの教会にある。普段ナッカーはこっちの池の底にいることが多いが、今日は掃除だからあそこに隔離している」

 全長9メートルといえば中型バスくらいの大きさか。爬虫類好きの友人が最長のオオアナコンダは全長9メートルと言っていたから、ヘビと一緒ぐらいと思うと大したことないなと、格子の向こう側をのぞくと丸太のように太く赤い大蛇がうぞぞと蠢いていた。前言撤回。むっちゃ怖い。夢にでてくる。やべぇ目があった。

「ナッカーの好物はウサギ、馬、迷子の子供だ。迷子の子供が泣きながらこのナッカーホールに近づくと、興奮したナッカーが首をもたげる姿を何度か見かけられている。一応、今のところ事故はないが迷子が多発するゴールデンウィークには万が一がないよう警備員を雇って見張りをしてもらっている」

「その子供にとっては泣きっ面に蜂状態で一生のトラウマものですね。ちなみに人生に迷っている少年の心をもった大人は、迷子の子供にカウントされるでしょうか」

 ヒゲは残念なものを見る顔をしてナッカーのいる格子を指さした。

「検証するから格子の向こう側へ行ってこい」

「やめておきます」

「くだらんこと言っている暇があったらとっとと始めるぞ。池の底のヘドロをスコップですくったら一輪車にのせて外へ運びだす。ひたすらこれの繰り返しだ」

 俺は今いる池を眺めた。ざっと見ただけでも小学校のプールの半分の大きさで、深さは俺2人分ぐらいある。

「2人で、ですか?」

「他のワイバーン班も作業が片付いたら駆けつけてくれるし、デッキブラシでこすったり高圧洗浄機を使った本格的な清掃は年1回飼育全員でやる。今日はある程度のヘドロの除去と、普段は掃除出来ないアクリルのコケの除去だけだ」

 ヘドロに使っている足首を見た。このヘドロをどれくらいすくえばある程度といえるのだろう。あと排水溝完全に詰まっていませんか?

「そんじゃ、始めるぞ」

  完全に肉体労働だと思いスコップをヘドロにつっこむ。するとゴスっと何かがスコップにぶつかった。ヘドロにまみれた堅いものを持ち上げ指で拭うと白い表面が見えた。へドロぬぐうと現れたのは真っ白の堅い物体だ。よく見るとそれは、手のひらサイズの何かの動物の頭蓋骨であった。

「ひいいいいっ!?」

「あ、言い忘れたがたまに食べ残しがでてくるから気をつけろ」

「そういうこと、早く言ってくださいと何度言えば分かるんですか!!」

 もうだめだ、この職場。俺は天を見上げた。


 夕方。俺は再び死んでいた。昨日の乾草搬入でやられた腕と腰に、何度もスコップで重いものをすくっては運ぶ単純作業による新たなダメージが加わり体が悲鳴をあげている。ああ、これからバスをのりついで帰ると思うとつらい。早く家に帰りたいけれどバスに乗るまでがめんどくさい。

「河合くんってバスで来ているんですよね? 私もそっち方面なので車に乗っていきませんか」

 机で倒れる俺に、東さんの天使の声が響きガバリと顔をあげた。

「やめろぉ!!」

 俺の返答する前にヒゲが叫ぶ。そして珍しく慌てた様子で東さんにくってかかっていった。

「お前はまだ免許取り立てだろう。この中途半端な時期に、いきなり2人の人員補充はすぐにはできないからやめてくれ」

「なんで事故を起こす前提の話をしているんですか!? ひどいですよ!」

 いきなりのヒゲの参戦に、心の中でなんだこいつは、東さん言ってやれと応援した。ヒゲは俺が楽をするのが嫌なのかと思いながら2人のやんややんやを見ていると、総務担当が近寄ってきた。

「河合さんはまだ社会保険証が届いていないんだ。その場合、事故るとこちらの手続きがめんどくさいから極力やめて欲しい」

 おいおい、俺の配置換え希望先の総務まで口を出してくるレベルってどういうことだ。もしかして本当にやばいのか。いや、免許をとっているなら大丈夫なはず。いや、ちょっと不安だしやっぱやめておこうかなと思った俺を東さんは振り返った。

「人を乗せて運転した方が上手になれるって聞いているから河合くん、お願い」

 両手を合わせてお願いされて断れる男がいるだろうか。いや、いない。

「いいよ!」


 俺の即答にヒゲは深々とため息をついて、一言いった。

「なにかあったらすぐにパークに連絡しろ」

 そしてその日、俺は思い知ることになる。車というのは、運転者の運転スキルによって天国にも地獄にもなることを。初心者というのは右折がうまくできずに何度も左折を駆使してどうにか目的地を目指すということを。指定したルートを何度も間違えぐるぐる同じところを回っていると、ナビが諦めて別ルートを用意してくれることを。俺は恐怖の中思い出すことになる。事故が起きた際、助手席の死亡率が一番高いということを。

 その日、車で20分のはずのところ1時間かけて家についた。無事についたときは、生きていることへのありがたみを知った。そのままシャワーを軽く浴びてベッドに直行しても良かったが、そんなことしたら明日の朝、ヒゲから冷たい視線を浴びることが分かっていた。鳥がドラゴンと爬虫類と恐竜の中でどれに一番近いか調べなければならない。かといって昨日のように本をじっくり見る元気もなく、該当しそうなページをぱらぱらと流し読みしていたがとあるページに書いてあった文を見て驚愕した。

“鳥類は恐竜から進化した”。したがって恐竜は絶滅しておらず、鳥類として現代に生き延びていると。

 ”恐竜が鳥として生き残っているだと……?〟信じられない事実であった。しかも遺伝子的にもティラノサウルスがワニやトカゲよりもニワトリやダチョウの方が近縁であるだと……?どうみてもワニの方がぱっと見、恐竜っぽくない?だが、読み進めていくとなるほどと思うところがあった。後肢の付き方から大ざっぱに爬虫類と恐竜が分かれることは昨日調べたことだ。そしてその後肢の形態を見ると、基本的に二足歩行である恐竜は鳥と似ている。そういう目で見ると、確かに歩き方だけ見れば、ティラノサウルスとニワトリはワニより近い。そうか……鳥はドラゴンと爬虫類と恐竜のなかでは恐竜に近いのか。答えが見つかったと同時に、俺はそのまま本を枕に意識がぷつりととぎれ眠りについた。

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