第9話 花子に嫌われた男

 ジーパン、Tシャツにカーキ色のシャツを羽織る。これが出勤する姿と知ったら、上の世代の人間なら泡を吹いて「これだから今時の若者は」とか言い出すに違いない。これぞ新鋭のIT企業の社員のファッション。いや、嘘です。ドラゴンのウンコで汚れても問題ないと選んだ結果だ。スーツを誰一人着ない職場ってどういう場所なんでしょうか。まぁ、気分は向かうところ敵なしだ。爬虫類と恐竜の違いは、おおざっぱだが足のつきかたが違うからだと知っている。今日は昨日のようには撃沈だけはするまい。そう思っていたのに。

「爬虫類と恐竜とドラゴンの中でもっとも鳥に近いのはどれだ?」

「質問が、違うっ!!」

 意気揚々と掲げた出鼻は出勤早々、ヒゲにくじかれた。

「当然だろう。あの質問はここに勤めるやつなら知ってて当然のことだ。もし今日になっても知らないようなら、お前の評価はどん底をつきぬけてブラジルに達する勢いだ」

「疲れて速攻で寝たいところを我慢して調べたんですよ!」

「なら分かるだろう? これは昨日の質問を少し角度を変えただけのものだ。それで? 鳥はどの種に近いと思うか?」

 ヒゲは試すように見てくる。鳥と爬虫類と恐竜とドラゴン? そもそもなぜそこに鳥が加わるんだ。鳥は羽毛でふわふわな一方、他三種はウロコに覆われゴツゴツのテカテカじゃないか。まるで姿形が違う。鳥と言えば羽で空を飛ぶ姿が浮かび、昨日見たワイバーンが重なった。

「ドラゴン……だと、思います。理由は……飛べる、から……です……?」

 語尾が完全にあがっていた。自分でも言っていてなんだが、大好きなとあるライトノベルにでてくる妖精さんの語尾のようであった。聞き苦しい男声だが。15fの世界に行きたいと思うぐらい、ヒゲは冷めた目で見てきた。

「お前の評価は今、ブラジルに達した」

「ひどい!」

「飛べるから鳥とドラゴンが近いというなら、ペンギンやダチョウの立場はどうなる? のけ者か? あと爬虫類のプテラノドンも飛べるが? なんなら飛ばないドラゴンもいるぞ?」

 昨日に引き続き二度目の撃沈に言葉もでない。うーあーと言いながら俺は机につっぷしてた。

「じゃあ、鳥がどの動物に近いか調べるのが明日までの課題な」

 ああ無情。これ以上、俺の睡眠時間を削らないで欲しい。いっそ始まるまでもう寝るかと思っていたところへ、隣の机に気配を感じた。

「おはようございます」

 聞き覚えがある可愛らしい声に顔をあげた先には、一昨日見かけた小柄な小動物がいた。彼女は俺の机の左隣に背負っていたリュックをよいしょと置くと微笑みかけてきた。

「河合さん、今日から隣の席の東結菜です。よろしくお願いします」

 にこりと笑う姿は、どんなエナジードリンクよりも俺の頭をしゃっきりさせた。カワイイ。彼女が隣の席……?例のOL女子と小学生コラボの不思議空間の机は彼女だったのか。なんという幸運、なんという僥倖。小学生の時の新しい席替えで気になる女の子が隣にあったようなどきどきだ。

「こちらこそ、よろしくお願いしますッ!」

 今日も一日頑張れる。毎日だっていける。男は単純なのだ。乾草搬入? いやそれは勘弁だ。


 今日のワイバーン班は尾上さんがお休み。昨日のむさ苦しい男4人の時とは違い、1人女の子が混じるだけで華やかさが違う。

「そういえば河合さん。昨日、鶏頭を見てずっこけたそうですね」

「ぶっほぉっ!?」

 忘れようと努めていたことが彼女にも知れ渡っている事実に思わずふきだした。恨めしげに噂の出所であろうヒゲを見ると悪びれる様子は一切ない。

「事実じゃねぇか」

「最初は誰だってそうですよ。私も初めて動物園実習でびっくりしました」

 ああ、こんな俺を慰めてくれるなぞなんて心優しい人なのだ。

「でもそのうち、ヒヨコもマウスも鶏もさばくのに慣れますよ」

「……さばく?」

 だが、続く言葉に俺の目は点になった。佐幕? 幕府を支持することかな? 幕末って佐幕派か倒幕派かで別れるよね。

「動物を解体することだ。マグロの解体ショーとかテレビで見たことあるだろ?」

 現実逃避を始めた頭をヒゲが引き戻す。見たことあるよ、マグロの解体ショー。デパートとかで職人さんがものすごく長い包丁つかってバシュバシュ切っていくのは壮観だよね。でも、ああいうのって料理人のカテゴリーの人がやることであってそこらへんの一般人には縁のゆかりもない話だと思っていたよ。

「……本当にやるのですか? 俺が?」

「そのうちな」

「何事も経験ですよ、経験!」

 2人はさも当たり前のように言ってくる。なんだろう。ここに来てまだ月日はたっていないのに、一般人の枠組みからどんどん外れてきている気がするんだ。そういえば、隣のバケツ山盛りの鶏頭を見ても、昨日のようにびくつかないことに驚いた。ああ、今日は空が曇り空だ。

 ワイバーン舎に到着するとバケツを冷蔵庫へ運び込み、おはようの挨拶をしに寝室へ向かう。昨日は初めての顔合わせということで俺が最初に挨拶にいったが本来であれば人間の方も上から順番に挨拶していくそうだ。初めに山川さんが幸子から挨拶をしていき、ヒゲ、東さんと続く。誰も尻尾バンバン攻撃をされない。昨日とうって変わって静かなものだ。あんなちっこい東さんでもと思うと2日目のお前がなにを言うかと思いつつ、ぶっちゃけ落ち込む。

「ワイバーンって本当に人のこと見分けているんですね」

 頭が良いのかと半信半疑であったもののこの光景を見ていると信じざるを得なかった。

「あぁ。職員はもちろんのこと、来園者も常連だったら顔も覚えている。結構服装も見ていて、夏にやってくる学生実習生なんていくらでもなめきって良い存在と思っているな。ほら、お前の番だ。行ってこい。檻から1メートル絶対離れろよ」

 ヒゲに促され、怖いと思いつつも廊下へ足を運ぶ。今日は東さんがいるのだ。かっこわるいところは見せたくない。尻尾バンバンされても平常心だ、平常心。そう心に言い聞かせ、昨日のように幸子から挨拶をしようと花子の檻のそばを通ろうとした瞬間。ダンッと大きな音とともに俺の服を鈎爪がかすった。ぎょっとして飛び退いたが、もし檻から1メートル離れていなかったら引きずり込まれていたかもしれない。悲鳴はこらえた。いや、嘘だ。驚きのあまりでなかった、が正しい。顔をすすすっと横に向けると、花子がこちらをじっと伺っていた。その顔には、悲鳴をあげないの? ツマンナイって書いていた。……こいつ、絶対性格が悪い。昨日からなんなんだ、お前は。俺に何か恨みがあるのか。バクバクする心臓をおさえつつ、いたずらが失敗したなとぎこちない笑みで見ると、にらみつけられた。遅れて挨拶に行くと幸子は、あら、この私をほっといてあの小娘と遊んでいたの? と言いたげな目をしていた。“挨拶の順番を間違えると機嫌が悪くなる”ヒゲの言葉が頭によみがえり、さーっと血の気が引いた。

「違うんだ、幸子。花子がちょっかいをだしてきただけで真っ先に会いに行こうとしたんだ」

 慌てて弁明するも、幸子の顔からは疑念は解けずとりつくしまもない。“言い訳は分かったわ。それで?”とケンカ中の彼女のような顔をしている。それだけではない。あろうことか花子の寝室の方から尻尾でバンバンと格子の扉を叩く音が聞こえてきた。

「尻尾バンバンはやめなさい、花子ぉっ!!」

 一瞬、俺の声に反応してぴたりと音は止まったが、すぐにさらに大きな音をたてて再開しコンクリートの建物を耳障りな音が反響する。

「花子おおおお!!」

 再び花子のいる方向へ顔を向け声をあげる。そして俺は気づいてしまった。……3人に一部始終見られていることを。我に返ると、俺はしゅっと顔をつくった。そして幸子、節子、太郎、いまだに尻尾を振りかぶる花子の順にさっと挨拶し、ぽけーっと俺を見ていた3人のもとへ何事もなかったかのように戻った。

「いや、そのぅ……顔にそう書いてあったように……見えまして? あははは」


 言いながら思う。俺は一体なにを言っているんだ。三人は、三者三様の反応をした。

「とりあえず、なんて言っていたか翻訳してもらって良いか?」

 ぶっとばすぞ、このヒゲ。

「河合さん、ワイバーンが言いたいことが分かるのですか!?」

 東さんやめてその純粋な目。あと山川さん、背中を向けていても肩が小刻みに震えているのが分かります。結局、笑い疲れた山川さんが「花子、やめてあげなさい」と優しく言ってようやく花子はとぴたりと尻尾の動きを止めた。


「じゃあ、今日は展示場側の扉の開け閉めをやってもらおう」

 気を取り直してヒゲの指示通り扉の取っ手を持つ。ヒゲが寝室側の取っ手を下げるとワイバーンの寝室と俺の足下にある網目格子の廊下の扉が開き、中からワイバーンがでてきたのを見計らって俺も同じように展示場側の扉を開くと、幸子、節子、太郎の順にでていく。ここまでは順調だ。だがしかし予想通りというべきか。花子がでていかない。寝室からはでたものの、俺の足下でぴたりと動きをとめ網目の隙間からこっちを睨みつけてきた。俺、お前になんかしたか? どうしてこんなにあたりが強いんだ。昨日はさっさと出て行ったでしょ! 早くでていってよ。だが願いむなしく、花子は俺の足下の網目めがけて頭突きを始めた。

「うわっ!」

 足下が揺れバランスを崩しそうになる。下には鉤爪が網目の隙間から少し突き出ていた。取っ手から手が離れ、崩れ落ちそうになった体を駆け寄ったヒゲに支えられる。

「下がれっ!」

 ヒゲに追いやられ、山川さんが俺の腕をつかみ離れる。すると花子は頭突きをやめ鉤爪を引っ込めるとふんと鼻をならし出て行った。扉が閉まりただよっていた緊張感がとけていく。

「大丈夫か?」

「大丈夫ですけれど、もしこけていたら……?」

「運が悪ければ鉤爪が刺さっていたな」

 ゾッとした。当たりどころが悪ければ大怪我じゃないか。

「花子は一番地位が下だから、人に対してあたりが強い。新人に対しては特にそうだ」

 ヒゲがヒゲをさすりながら言い、山川さんも東さんもうなずく。

「そうですよ。私だって最初は花子にけっこう威嚇されて、本当におっかなびっくりでしたよ」

「けれど、普通は威嚇止まりだ。ああやって人を攻撃しようとするところは初めてみた」

 ぽつりと言った山川さんの言葉が突き刺さる。それって相当なことじゃないでしょうか。俺は餌を見てずっこける男という称号に加え、新たに扉の開け閉めができない男という称号と花子に攻撃されそうになる男という称号を得た。まだ2日目だぞ。怪我は男の勲章というけれど、働くごとに増えていく心の怪我も勲章に入るのでしょうか。

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