第8話 ワイバーン写真集ってあるんですね

 昼。俺は死んでいた。勤務たった半日でこのざまである。午前中の最後の仕事であった乾草搬入という作業で1つ20kgの圧縮された四角い草の塊をひたすらドラゴン舎へ持ち運び続けたおかげで、箸を持つ手がプルプル言っている。腰にもきている。1時間の休みでは回復できる見込みはないだろう。


「初めての乾草搬入経験者は翌日、箸をもてなくなるぞ」

 右側の机から聞こえる声は言うまでもなく、ヒゲである。

「そういうこと……なんでやる前に言ってくれないんですか、教育係……」

「この仕事は自分で自分の限界を見つけることが大切だからだ。ドラゴンを学ぶ上で大切な5つのFというのがある。そのうちの1つはForesight、先を見通す力を持つこと。少しでもまずいと思ったらすぐに応援を呼ぶ。こういうのは言われても気づかない。現に俺が言ってもあのときのお前は聞いていなかっただろうし」

 うん、そうですね。飼育全員が集まる中、朝の名誉挽回の場だと思い、聞く耳持たず突っ走りました。図星です。乾草を限界以上に運びました。

「あとお前が頑張ってくれると、俺の運ぶ量少なくなるし」

「そっちが本音でしょう!!」

「おっさんには結構きついんだよ。あと、朝に言い忘れたが4月5月のシフトを決めてくれ。どこにいれても良いが3日に1回は休んだ方が良い。基本、この仕事は肉体作業だからな。ワイバーン班は5名中最低3名が出勤することになっているから再来月からはそのつもりで」

 シフトってバイトかよ。初日勤務でこの有様なのに、6月からきっちり頭数に入っているのが怖い。新人をもうすこし長い目で見て教育して欲しい。俺に優しいのは、このお手製卵焼きの砂糖の甘さだけだ。



「午後は餌切りだ」

 安寧の時間が終わり、連れて行かれたのは調理室であった。厨房を思わせる銀色のステンレスの台がどんと中央を占めており、脇には手洗い場がずらっと並ぶ。

 大事な仕事道具だからちゃんと扱えよとヒゲに渡された俺のマイ包丁には例のごとく、「島本」と書かれていた。島本、お前はこの仕事に耐えきれずやめたのだろうか。見知らぬ彼に同情していると、ヒゲはドンっと調理台の上にリンゴが山盛りに入った網目コンテナを続けて3つ置いた。1年間毎日1個食べてようやく消費できなそうな量だ。もう嫌な予感しかしない。

「夕方に給餌予定のドラゴン山用のごはんの準備をする。どんどん切っていくぞ」

「これを全部ですか?」

「ああ。それが切り終わったらパンと野菜と人参だ」

 顎で示された場所にはゴミ袋に入った大量の食パン3袋、野菜と人参があった。まさかこれを全部切るのかと思うとめまいがした。

「できるだけ早くリンゴを1cmの角切りにすること。痛んでいる場所があれば切り落とす」

 五十嵐はリンゴを手に取り指先で軽く抑えると、トトトトっと輪切りにし、すっすっと指を動かしながら包丁でさくさく切っていくと、いつの間にかリンゴは角切りとなっている。角切りリンゴが包丁でざっとヒゲの足下にある大きなザルに落とされたと思ったら、すでに五十嵐は次のリンゴをつかんでおり、どんどん角切りにされていく。まるで機械的で流れるような正確な動きは全自動リンゴ切りマシーンのようだ。

「目標1つ15秒以内だ。最初のうちは切ることに慣れるだけで良い。それじゃあスタートだ」

 五十嵐が再び機械と化したため、つられ手にある包丁でリンゴを切ろうとしたら、力をいれていないというのにすうっと刃物が通り、あまりの抵抗感のなさに驚いた。家庭用の包丁とは切れ味がまるで違う。

「言い忘れていたがそいつは尾上さんの研ぎたて包丁だ。ちょっと刃先に触れただけで切れるぞ」

「そういうことは早く言ってくださいよ!」

 恐ろしすぎる切れ味におっかなびっくりでリンゴを切っていった。


 望遠鏡の視野に、遠くで羽ばたくワイバーンが入ったと思ったらすぐに視野外へ消える。さっきからずっと同じことの繰り返した。1時間半以上餌を切り続けたあと、ドーム状のワイバーン舎の中心にある観覧席に座り望遠鏡で旋回するワイバーンをずっと観察している。五十嵐から一週間以内にワイバーン全頭を区別できるようにしろと指示を受け、先ほどからずっと眺めているのだが、側から見ればサボっているようにしか見えず、慣れない望遠鏡を見続けて目はしばしばし始めたのでそろそろ白旗をあげたい。五十嵐はナッカーの作業があるからといってどこかへいった。放置だ、放置。教える暇のない様子はいよいよブラックじみている。新人を初日から一人にしないでほしい。

 いや正確には、一人ではない。俺の隣で来園者の中年男性がバズーカのようなカメラを三脚にセットしひたすらカシャカシャとワイバーンをとり続けている。俺が来る前からずっとカシャカシャしており、今もカシャカシャしている。カメラのメモリの容量とかどうなっているのだろう。無言で撮り続ける男が気になってしょうがないが、彼がいなかったら俺は今座っているベンチで眠りこけていたに違いない。

「君、見ない顔だけどふれあい班から移動してきたの?」

 ふいに、男がカメラから顔をあげこちらを振り向き話かけてきた。

「いえ、今年から入った新人です」

 初対面なのになれなれしいこのカメラ男は誰だと思いながら、にこやかな顔で返事をした。

「ああ、そっかあ。島本くんの替わりの人か。君、好きなドラゴンなに?」

「入ったばかりなのでまだ推しドラゴンは決まっていません」

「もしかして市役所の配属でしぶしぶ来たパターン?」

 俺の返答に男が瞬時に冷めた顔をして言ってきた。マウントをとろうとしたら、取るに足らない相手だっだと思った時の顔だ。

「はい、そのようなものです。右も左も分からず、先輩になんとかワイバーンを見分けられるようになれと言われたのですがさっぱりで。ドラゴンにはお詳しいように見えますが、良ければワイバーンの見分け方を教えていただけないでしょうか」

 下手にでると男の顔がぱっと輝いた。いいよいいよぉと言いながら地面に置いてあったどでかいリュックから写真集を取り出した。いつでも持ち歩いているのか、それ。

「良い写真だろう。このワイバーン、どの子か分かる?」

 男がぱっと開いたページには緑色のワイバーンがチキンの原型をくわえている写真があった。緑ということは花子か節子か太郎だろうが、区別がつかない。

「分かりません。誰でしょうか」

「花子だよ、初心者には難しいかなぁ? 目が他の子に較べてくりっと丸い目をしているだろう。節子は切れ長の美人で、太郎は見た目どおりやんちゃ系だ。飛んでいる姿は彼は本当に特徴的でカクカク飛ぶ」

 ぱらぱらと男はいろんなワイバーンの写真みせて言うが、どれも同じワイバーンだ。お前は一体何を言っているんだ。なぜ分かるんだ。そしてなんだ、このワイバーンだけを集めたマニアックな写真集は。どこに売っているんだ。

「あとはそうだねぇ、花子が一番緑色が濃いよね。太郎は他の子と較べて頭の突起が多いし」

 どれだけ写真を見せられても、恐竜映画にでてくる海外の俳優のごとく、どれも同じに見える。あれ、初見だと恐竜に誰が食べられても、誰だが分からないから主人公の反応で敵か味方か判断するんだよね。

「ところで、この写真集はどこで手に入るのでしょうか」

「悪いけれどこれは僕が撮った写真を集めた自費出版で一般の書店にないんだ。今度あったときに新品をあげるよ」

 まじかよ。自費出版ってどれだけワイバーンが好きなのか、この男。というか、ドラゴンに関わる人、もれなくキャラが濃すぎるなぁと思っていると後頭部に風を感じた。振り返ると、ワイバーンの1頭がこちらに飛んで向かってきていた。

「花子っ!? ごはんがないのにこっちにやってくるなんてレアだっ!!」

 男はだだっとカメラに駆け戻り再び無言でシャッターを切り始める。ワイバーンの姿はどんどん大きくなっていき、手前の格子のそばまで近寄るやバサリと羽を羽ばたかせ、目の前に降り立った。写真男がふしゅおおおおと声にならない声をあげる中、花子は俺をにらみつけた。お前、なにしているんだって顔をしていた。

「お前たちの区別がまったくつかないから見ているんだよ」

 誰に言うわけでもなくつぶやくと、花子はふんと鼻をならし、いきなり尻尾で目の前の格子をたたきつけた。尻尾をバンバン振りかぶる花子にカメラ男は全身から喜びオーラがあふれ、正気でない目をしている。ガンガンとけたたましい音に反応して、どこからともなく人影が複数現れた。

「ちょっと原田さん、これどういうこと!?」

「多分、そこの新人くんがいるからだ!!」

 他のバズーカカメラ人間が数人どこからともなく息を切らせてやってきて、花子の前を陣取るとシャッターを切り続けた。フラッシュこそないものの有名人の謝罪会見のようにシャッターが鳴り続ける光景は異様だ。電車を撮る鉄道マニアが鉄ちゃんなら、ドラゴンを撮るドラゴンマニアはドっちゃんなのかなぁ。あと今日は平日のはずだぞ。これがドラゴン界かぁ。俺はとんでもないところに来てしまったと目の前に広がる光景を見てぼんやり思った。 

 あとで聞いたところによると、旋回中のドラゴンが観覧席までやってくることは珍しく、尻尾をたたきつけてくるなんてレア中のレアだそうだ。俺、嫌われすぎていない?君のおかげで良い写真が撮れたとカメラ男に満面の笑みで言われても複雑な心境だった。

 夕方のワイバーンとワームへの寝室への収容作業は朝同様見ているだけで終わったが、終業時には俺はもうくたくたであり、家に帰った時には風呂に入ってとっとと寝ようと思ったが、ヒゲの顔を思い出し止めた。絶対、明日の朝に本日答えられなかった質問をしてくることが目に見えていた。とりあえず、爬虫類と恐竜の違いを調べてから寝よう。よろよろとベッドから体を半分起こし、パークから借りてきた本を鞄から取り出す。なんとなく爬虫類の欄をぱらっとめくったところに書いてあった一文に驚愕した。

『フタバスズキリュウは恐竜ではなく、絶滅した大きなトカゲである』

 フタバスズキリュウがでてくる映画といえば、ドラえも○だろう。卵から孵ったピー○と主人公の心温まるストーリーは子供の時に見て以来、好きな映画トップ5に入る。けれど知らなかった……『のび太○恐竜』が正確には『のび太○爬虫類』という題名に変わるなんて。あとプテラノドンって今まで恐竜と信じていたのに恐竜じゃなかったなんて。真実は時に残酷だ。姿かたちはなんら変わらないのに、恐竜と思っていたのが恐竜じゃないと知ってしまった時のこのガッカリ感はなんなんだろう。恐竜の定義は借りてきた本では専門的すぎてどうもよく分からなかったが、ナショジ○というサイトのコラムによると、爬虫類の中でも脚が体から地面に向かって真っ直ぐに伸びているのが恐竜だそうだ。恐竜は基本的に二足歩行で、トリケラトプスのような四足歩行のものは元々二足歩行だったが後に四足歩行になったそうだ。脚の付き方で区分されるのかぁ。たしかにティラノサウルスって脚が体からまっすぐ下に伸びているが、ワニとかニホントカゲって体に対して脚が横に突き出ていてガニ股だなぁ。ああ、でもこれなら明日、爬虫類と恐竜に違いを聞かれても大丈夫だ。薄れゆく意識のまま満足げに髭を見返すことを想像し寝落ちした俺は、翌日の朝まで本につっぷしていたことに気づかなかった。

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