第6話 ワイバーンが現れた!
「朝ミーティングが終わったら、担当するドラゴンたちの餌をトラックで運ぶことから始まる」
五十嵐さんの説明を受けながら向かった先は、事務所の脇にある巨大冷蔵室であった。
冷蔵庫から餌の入ったバケツを取り出し、バケツリレーの要領で本日出勤のワイバーン班4名で次々とトラックの荷台に運ぶそうだ。
「前の人から受け取ったら、そのまま俺に渡してくれ。荷台に積み上げる」
「分かりました」
初っ端から力仕事だなと思いつつ、ワイバーン班の尾上さんから青いポリバケツを受け取る。
ワイバーンはホームページで肉食と書いていたが、ドラゴンパークではどんなごはんを与えているのかとのぞいたら、中にはこぶし大のピンク色のかたまりがいっぱい入っていた。
なんだコレはとマジマジと見ると、その中の一つと目があった。
「え……」
思考が停止した。
ポリバケツの中にいっぱい入ったそれは、一つ一つが何かの頭であり、どれもが濁った目をして恨めしそうに俺を見ていた。
「ぎ……ぎゃあああああああああ!!!」
悲鳴が響き渡った。
「鶏の頭と書いてケイトウ。見た通り文字通りニワトリの頭だ。安価で手に入りやすいから肉食ドラゴンによく与えている。最近入ってきた子はみんな、動物専門学校とか動物系の大学出身でこういうのには慣れているから、一般人がどう反応するのか忘れていた。すまん」
トラックの荷台前方に座っているヒゲ男が言った。
すまんではないと文句の一つでも言いたいが、予想以上に揺れるトラックの荷台から落ちないよう捕まるのに精一杯だ。
現在、荷台の半分以上のスペースを5つの青くてでかいポリバケツが占めている。原則、トラックの荷台に人が乗ることは違法だが荷台に荷物があり、それを監視する目的であれば乗ってもいいと自動車教習場で習った。だが、例のケイトウとやらがつまった積荷を見ないようにしている時点で俺は法を犯しているかもしれない。でも見たくないものは見たくないのである。
しかし、先程の出来事を思い出すたびに羞恥で頭をかきたくなる。ケイトウにビビり、腰を抜かした俺の姿は、悲鳴を聞きつけて駆けつけた人たちにさぞ無様に映っただろう。
せめて無難なポジションをキープしたいと思っていたのに、俺はバケツひとつ運べずドラゴンのごはんに悲鳴をあげる男だって思われるのだ。
もう駄目だ、おしまいだ。こうなったのもヒゲのせいである。絶対許さん。
いつしかこの恨み晴らすべしと思いながらも、どういうわけか返り討ちにされる姿しか想像できなかった。
「まぁこれから毎日見ることになるから、さっきみたいな悲鳴をあげていたらキリがないぞ。そのうち慣れる」
はい、と小さく返事し、今日も空が青いなと現実逃避した。
開園前のパークをワイバーン班班長の尾上さんの運転で園路を駆け抜け、小高い山を越えると、切り立った山の斜面にドーム状の構造物が見えてきた。一部ガラス張りなのか日光が取り込める透明構造になっている。サーカスのテントほどではないが、なかなか大きい。
「あんな建物、昨日は見なかったですよ」
「ああ。昨日は施設改修工事が入っていて付近一帯立ち入り禁止だったんだ。あれがワイバーン舎で現在ワイバーンを4頭飼育している。開園前に寝室から展示場に移動させるのが次の仕事だ」
「寝室から移動?」
「基本、どのドラゴン舎も寝室と展示場の二つの空間に分かれている。寝室はその名の通りドラゴンの寝る場所で、展示場は日中ドラゴンがいる運動場だ。朝、寝室にいるドラゴンを展示場へ出して清掃して、夕方に再び寝室へ収容して展示場の清掃を行う。見た方が早いだろう」
トラックが到着すると五十嵐はひらりと荷台から降りる。俺は恐る恐る荷台の縁、タイヤ、地面と順に足先がつくのを確認して時間をかけて降りた。
ワイバーン舎の裏口から入ると、堅牢なコンクリートでできた部屋が広がっていた。
班長の尾上さん、副班長の山川さん、ヒゲ、俺の男4人が入っても余裕があるくらい広い。だいたい50歳前後だろう尾上さんのビール腹が空間をより多く占めていてもだ。
中には大きめの冷蔵庫、5つのイスがあり、部屋の奥の階段の先には重々しい扉が見えた。
「ここは休憩室だ。あの階段を登った扉の先にワイバーンの寝室5つ並んでいて、そのうち4部屋にワイバーンが1頭ずついる。作業前に注意点が4つある。まず1つ。入る前には必ず、あの扉の小窓からワイバーンが廊下にいないかの確認をしてから入ること。本来であれば寝室にいるはずだが、誰だってミスはする。前日に鍵をかけ忘れていて、翌日廊下にでていることだって考えられるからな」
「ちなみにでていたらどうするのですか……?」
班長と教育担当がいる場合はどちらに聞けば良いのかと思い、一応二人の顔を交互に見ると尾上さんが反応した。
「昔、俺の先輩の代に檻から逃げていることが実際あってよ。大量の酒を用意してぐびぐび飲んで寝たところを捕獲したそうだ」
ヤマタノオロチかよ。
「あのときは麻酔があまり発達していなかったからそうせざる得なかったと聞いている。今現在、同じことがあったら、まずは無線機で事務所に連絡。そのあと獣医に麻酔をかけてもらうことになるだろう」
ヒゲが付け加えた。でも麻酔って恐竜映画だと効いた試しがない。効いたと思って近づいた瞬間、パクリとかよくある展開だ。
そういうことがないことを祈ろう。
「2つめは、慣れていないうちは檻から1メートル以上近づくな。鈎爪で引っ張られるぞ。3つめは、挨拶は順番を間違えないようにそしてはっきり大きくだ」
「挨拶? ワイバーンにですか?」
「あぁ。ワイバーンは非常に頭が良いドラゴンで、人のことをよく見ている。礼儀にも厳しく、初対面のお前が万一、挨拶せずに作業を始めようものなら怒り狂うだろう。あと、ワイバーンは群社会の生き物だから4頭のなかでも順位付けがはっきりしている。もし下位のワイバーンから挨拶したら、それより上位のワイバーンは“まず私の方から先にするべきじゃないか”と機嫌が悪くなる」
「まるで人間社会みたいですね」
「人と違って純粋な力関係で決まるから分かりやすいけどな。ちなみに上から幸子、節子、太郎、花子の順番で部屋の奥から挨拶していけば良い」
「名前が古風すぎません?」
「俺が来たときからその名前なんだ」
「俺が来たときもすでにそうだったなぁ」
ボリボリと腹をかきながら班長の尾上さんが付け加える。隣の山川さんもこくこくうなずいた。
「4つめは、何を見てもびびるな。すこしでも怖じ気付いたらすぐになめられるぞ。じゃあ、とりあえず幸子から順に挨拶に行ってこい。檻をガシャガシャ鳴らされても平常心を保て」
俺は言われたとおり、扉の小窓から動くものがいないことを確認し気合いをいれて、重い扉を開けた。
とたん、強烈な臭いが鼻をつきぬける。
アンモニア臭と便と獣臭のまじった独特の香りだ。
もう入った瞬間、危険信号が頭に鳴り響いている。
これ以上一歩も進みたくない。
「早く入れ」「時間ないぞ」「頑張れ」
ドアノブを握ったまま、なかなか足を踏みだそうとしないところへ、後ろに続くおっさんトリオにせき立てられ俺は中にはいった。
目の前には長い廊下が続いている。
廊下を挟んで左側には5つの部屋。あれが寝室だろう。
獣の動く気配がするなと思ったら、格子の隙間から腕より長い鈎爪が見えてぞっとした。
足元の網目の下には通路が広がっている。よく見れば左手はワイバーンの寝室へと繋がっており、右を見れば展示場へと続いている。この通路を使って外へだすのだろう。
ロボットのようなガチガチ歩行で俺は奥へと進んだ。
1つめの部屋は空。
2つめの部屋に、それはいた。
ワイバーンだ。二足歩行で前脚はコウモリの皮膜のような翼で、鋭い歯や鈎爪、丸太のように太い尻尾、緑色の鱗で覆われた体をしている。
まさにゲームで見たとおりのまんまだ。これが一番順位の低い花子だろう。どうみても花子って顔をしていない。緑だし草子の方が良いんじゃないかと思っていたらギロリと睨まれたため足を速め奥へ急いだ。
一番奥にいるワイバーンも眠っていたが、俺はその姿を見て息をのんだ。
他3頭が全身緑色に対し、赤い鱗をまとった巨体は目を奪われてしまう鮮やかさだ。4頭の中でも最も大きく美しく気高さが漂っており、ワイバーンのイメージを覆えすほどだ。
もし、幸子を目にしたらゲームの道中で雑魚敵として登場させるのを悔い改めるに違いない。
そう思わせるものがあった。
ラスボス幸子の名前は伊達ではなかった。
寝ているところを起こすのは忍びないと思いつつ、俺は背筋をのばし息を吸い込んだ。
「おはようございます!!」
挨拶に反応して幸子は目を開き、じっとこちらを見つめてきた。
知性を感じさせる目でまるですべてを見透かすような視線であった。
ああ、これは俺という人間がどういうものなのか品定めしている。
言うならば、面接。
俺は市役所の最終面接を思い出した。
目の前に市長。両隣に副市長。
その他、人事課・総務課・消防本部・教育委員会・市議会議員の他、なんかこの市のお偉いさんが20人以上はいるのではないかという空間で、今、テロが起きたらこの市は立ち行かなくなるのではという、そうそうたるメンツにたった一人で面接を受けたあの日。
「君は新聞を読みますか」
そう、一発目の質問で市長にじっと見つめられながら問われたあの時。
どう答えるのか40以上の瞳の視線の中、俺は自作の質問対策のなかになかったため
「読んでいません」
とバカ正直に答えた。
市長は
「そうですか」
と答えてそれ以上は質問してこなかった。
もう落ちたと思ってその後、両脇の副市長からどんな質問をされたか、なにをどう答えたか覚えていない。
だがあとでそれが、今の若者のほとんどは新聞を読んでいないのを知っている前提の質問で。
読んでいると答えたら執拗にどれだけ読んでいるのか、それこそ色々と質問され。
単なる就職活動のために上っ面だけ読んでいるのか。読んでいないのに見栄をはっているのか。嘘をついていないか。そう問われていたことを後で知ることになった。
俺の回答はある意味、バカ正直という意味では正解であった。
閑話休題。
ワイバーンはそんな目で見ている。
ここで怖じ気付いたら、なめられる。
朝の件もあり、俺はここでひるんではいられない。
逃げたくなる気持ちを抑え、俺はじっとその目を見返した。
すると幸子は、なにか面白がるようにふんと鼻をならし目を閉じた。
合格……なのだろうか。
俺はほぉっとため息をつき、次のワイバーンへの挨拶へ向かおうとしたところ、幸子の尻尾がゆらりと立ち上がり、格子の扉にたたきつけた。
ガシャアアアアアン
「ひいいいぃっ!?」
耳をつんざく音に、油断していた俺は思わず悲鳴をあげた。
その音に合わせ、他のワイバーンも次々と尻尾でガシャンガシャンと格子の扉を打ち鳴らし始める。
耳障りな音はコンクリートの部屋に反響し、止まることなくワイバーンは音を鳴らし続けた。
うるせぇ、めっちゃうるせぇ!!
その場から逃げるように他のワイバーンへの挨拶そこそこおっさんトリオの元へ戻った。
「走って逃げることができるとは驚いた。無事か?」
ヒゲは顎をさすりながら、さも驚いたかのような顔をしていた。
「腰が抜ける一歩手前ですよっ!!」
「いや、初めてとしてはかなり良いと思うぞ。まぁ全頭から完全になめられたが」
「無理無理無理無理っ!! あんなんビビるなって方が無理っす!!」
「最初からできる奴なんてほとんどいねぇよ。今から手本の尾上さんが行く。よく見ておけ」
俺のそばを尾上さんがすっと通り抜ける。
映画にでてくるような筋肉ムキムキマッチョじゃない男があの獰猛なワイバーンに勝てるのだろうか、かえってやられないのかと不安に思いながら俺は見た。
だが、尾上さんが廊下に踏みいったとたん、ワイバーンたちは尻尾の動きをとめ音が鳴り止んだ。
「幸子、おはよう」
優しげな声で尾上さんが声かけすると、グルルルと穏やかな声が聞こえ、すっと格子から鈎爪がでてきて握手した。
「まじか……」
唖然呆然だった。
俺の時とまったく態度が違う。他3頭にも一通り挨拶と握手をすると、山川さん、ヒゲも同様に続いた。
どのワイバーンもその間、音一つたてなかった。
「なぜだ……」
挨拶を終え、帰ってきたヒゲに思わず俺はつぶやいた。
「貫禄、経験、慣れだ。すぐに身につくものじゃない。さて、次はワイバーンを出す作業だが、今日はどうやるのか見ていてくれ」
ワイバーンを展示場へだすには、廊下の両側にある寝室側と展示場側の2つの引き戸を上に引っ張って開け閉めする必要があるそうだ。
寝室側の扉にいた尾上さんが南京錠を外し、引き戸を持ち上げると幸子が寝室から廊下へでて来た瞬間、引き戸を下げる。続いて展示場側の山川さんが引き戸を持ち上げ、展示場へと続く道が開くとすぐさま幸子は外へでてあたりを確認するとバサバサと音をたて、飛び上がる。
そのまま、上へ上へと飛んでいき、ドーム状の屋根をまで行くと旋回した。
同じ要領で3人で他のワイバーンを外展示場へ出しては、ワイバーンは次々と飛び立っていった。
4羽のワイバーンが悠々と旋回する様は幻想的な光景だ。
「飛ぶときに何か異常がないか確認を忘れずに。あと寝室に残餌がないか、糞便に異常がないか確認したら本来は清掃作業だが、今日は他のドラゴンを展示場にだしてからにする。じゃあ次、行くぞ」
時計を見ると、9時30分であった。
思いっきり開園時間はすぎている。
俺のせいだとがっくりしながらも、既にへとへとなのにまだ1時間しかたっていないことに驚愕だった。
初めての勤務初日はまだ始まったばかりであった。
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