第5話 みんなトカゲでは……?
7時30分。俺はドラゴンパークに到着した。
張り切りすぎた、という訳ではない。ちょうどいい時間帯のバスがないのだ。
市内からパーク直行のバスは早くても開園時間の9時に到着する便しかないのでパークの最寄り駅まで行き、そこから別路線のバスに乗り継ぐしかない。けれど本数が少なく次の到着は8時15分。実質初日勤務に遅刻はまずいので必然的にこの時間になる。
市役所ならば歩いていけたのにと人事課に恨み言を言いつつ、事務所へ向かう。7時台の出勤はさすがに早すぎるかと思いきや、すでに人は結構いた。
「おはようございます」
声をかけ入室すると、おはようの返事とともに、だれ? ああ新人の河合さん、という声がちらほら聞こえた。
始業まであと1時間もあるのにみんな何をやっているの、と思いながら中央テーブルに座る5人の老若男女を見ると、スマホを見ていたり、茶を飲みながら新聞を読んでいたり、テレビで朝ドラをぽけーっと観ていた。
ゆるい。その言葉につきる。ここは地域センターか。本当に職場なのか。スーツ姿の人は他におらずかなり浮いている。
自分の机に行くと、昨日は不在であった右隣の机の主がいた。短く切った髪はボサボサで寝起きのまま来たような男だ。年齢は30代後半ぐらい。ヒゲは伸ばす派。ヒゲが似合う日本人ってあまりいない印象だが彼の場合、顔が濃いためかなじんでいた。
「おはようございます、河合悠斗です」
ヒゲ男はパソコンから顔をあげ、こちらを向いた。
「おはよう。新人教育担当の五十嵐だ。昨日はすまんな。ちょっと無線切ってたわ」
内心、ああこいつが昨日俺をすっぽかした奴かと思いはすれど、おくびにもださなかった。
「至らぬ点も多々あると思いますが、どうぞよろしくおねがいします」
「ああ、こちらこそよろしく。ところで、だ。お前はドラゴンのことをどれぐらい知っている?」
「ほとんど何も知りません。しかしこの職場にきたからには――」
あらかじめ用意していた言葉を続けようとすると、男はぷらぷらと手をふった。
「テンプレ回答は興味ねぇ。お前が何も知らないど素人って分かればいい。じゃあ質問その2。ドラゴンと爬虫類と恐竜の違いはなんだと思う?」
「え?」
いきなりの質問に目が点になる。
「早く答えろ。それぞれの違いは?」
「ええっと……みんなトカゲでは……?」
俺が答えるとヒゲ男はあからさまなため息をついた。
「まるで話にならん。そもそもトカゲとはなんだ?」
トカゲとはなんだ……?
生まれてこの方、そんなこと考えたことがない。四つ足で毛が生えていなくてつるっとした動物がトカゲっぽいと思うが、そのまま答えたら鼻で笑われそうだ。
ドラゴン、恐竜、トカゲ、イモリ、ヤモリ、タモ○。
思いつく限りのトカゲっぽい動物を頭に思い浮かべる。彼らの多くが持っているものがぱっとひらめいた。
「トカゲとはウロコがある動物でしょうか!」
「鳥類の足にもウロコはあるし、なんならアルマジロだって背中に持っているぞ。奴らはトカゲか?」
はい、駄目でした。確かにニワトリの足はごつごつだ。
「まぁ、ウロコがあるという答え自体は悪くはない。爬虫類のなかでもトカゲ類やヘビ類というのは〝ウロコが有る〟有鱗目に属する。有鱗目はさらにトカゲ亜目・ヘビ亜目・ミミズトカゲ亜目の3つに分かれ、トカゲってのはその中の爬虫綱有鱗目トカゲ亜目に属する動物の総称だ」
すらすら答える姿は、この人、何百回とこの説明してきたのだと思わせた。
「で? トカゲとはなんたるかと分かったと思うが、じゃあ爬虫類とトカゲの違いは?」
分からない、と口からでかけてるがふと考え直した。
さっきの話からすると、爬虫類という大きなグループがあるところに、トカゲ亜目という小さなグループがあるらしい。
それって某大所帯アイドルグループの運営会社と姉妹グループの1つを並べているようなものではないか。つまり……
「そもそも、トカゲは爬虫類というグループに所属しているので、較べること自体間違っていませんか?」
「そういうことだ」
五十嵐のにやりとした顔を見て、俺はほぉっとため息をついた。
なんだろう、この面接で良い感触を得たような感じは。就職試験は終わったはずだぞ。
「じゃあ、ドラゴンと爬虫類と恐竜の違いはなんだ?」
安心したのもつかの間、またもや緊張状態に置かれる。
どうして俺は勤務実質初日の朝の7時台に、初対面の男に質問責めにあっているのか。
違いなんて分からねぇ……。いや、ドラゴンは飛べる……?つまり。
「他とは違い、ドラゴンには羽がある……?」
「なかには羽のないドラゴンもいるが、まあ及第点だ。じゃあ爬虫類と恐竜はどう違う?」
爬虫類と恐竜の違い?
大きいかか小さいかだろうか。
しかし、オーストラリアで見たイリエワニは5メートルと恐竜並にでかかった。
あれこれ考えても、答えが見つからない。そもそも考えようにも知識となるパーツがまるでないのだ。あまり変な回答はだしたくないという思いから、必死に頭をふる回転させ、俺はこれではという回答を思いついた。
「絶滅したのが恐竜で、生き残っているの爬虫類でしょうか?」
「その回答なら、ニホントカゲが今絶滅したら恐竜になるのか?」
撃沈。
絞り出した考えは見事に沈んでいった。
「まったく、恐竜大好き小学生には爆笑ものの答えだな。まあいい。とりあえず、下にいって着替えてこい」
五十嵐はそう言うとパソコンに目を移した。
「えっと、それで先ほどの答えはなんでしょうか?」
「あとで自分で調べろ。俺はおいそれと答えを言う主義じゃねえ」
新人の質問を素直に教えてくれないのってブラック会社の特徴の1つだと聞いたことがあるよ。そう思いながらも、俺はすごすご逃げるように荷物を置いて階段を降りた。
更衣室は半地下の大量の洗濯機、乾燥機を通り過ぎた廊下の先だ。中にはいると高校のスポーツ部を連想させるロッカー室があり、誰もいないことを確認すると俺はどっとため息ついた。
容赦ねぇわぁ。落ち込むわぁ。
まだ働いてもいないのにすでにHPもMPもごっそりなくなった気分だ。
生物なんて高校で選択すらしていないし、ドラゴンだって赴任しなければ一生ふれあうことのない生物だったのに知識がある訳ないだろう。もうすでに今から先が思いやられる。なんなんだ、あのヒゲは。
落ち込んでいてもしょうがないため、すぐ着替えよう。ロッカーの中に用意されている上下の制服に着替えベルトを装着した姿を鏡で見る。
どっからどう見てもコスプレだ。遊園地にいてもなんら不思議ではない。こんな格好をして働く日が来るとは思わなかった。
長靴は事務所から現場へ行くときに履くので完全ではないが、長靴なんて最後に履いたのいつだろう。
席に戻ると机の上にあるパソコンの電源がついており、五十嵐が待ち受けているのを見て、ひゅっと息をのんだ。教育担当の顔見て恐怖覚えるってすでにだめじゃない?
「とりあえず朝来て初めにやることは、昨日の日誌のチェックだ。すくなくとも同じワイバーン班のドラゴンの日誌は毎朝チェック。その後はメール、今日のスケジュールの確認だ。朝会は8時半から始まるからそれまでにな。朝会では朝の挨拶初めの後、今日の行事や作業の確認をし、飼育課は全体報告後、個別の班ミーティングにうつり終了後いよいよ現場だ。ちなみに現在、飼育班は5つに分かれ富士さん班、ヨーロッパドラゴン班、フロストドラゴン班、ふれあい班、我らがワイバーン班がある」
ゲームでよく雑魚敵として登場するワイバーンは本当に存在するのか。
そして俺、ワイバーン班なのか。
「全体報告はなんとなく分かるのですが、班ミーティングは何をやるのですか?」
「昨日に何か変わったことがあったかの確認と今日の代番の確認だ」
「代番?」
「飼育員にはそれぞれ担当ドラゴンというものが割り当てられていて、そのお世話をするのが仕事だ。俺の担当はワイバーンとナッカーだが、俺が公休の場合はナッカーを同じ班の誰かがやることになる。その誰かが代番ってことだ」
「ということは誰かが休めば代番はそれだけ増えるってことですか」
「そうだ。まぁ、お前はまずどんな作業があるか把握して慣れるまでこの一週間は色々まわることになるから、代番がつくようになるのは一ヶ月は先だ。とりあえずはこれくらいだな。今日の朝会ではお前の紹介があるから何を言うか考えておいてくれ」
そうだろうなぁ。ここへ新しく入ってきたのは俺1人。転校生みたいなものだ。転校生がみんなの前で紹介されるのはアニメでよく見るシチュエーションだ。でも嫌だなぁという顔をした俺を無視して、五十嵐はふたたびパソコン作業に戻った。
仕方なく俺は日誌とやらのチェックをしようと開きうめいた。
うわぁ、文字がいっぱい。
言うならば小学生のアサガオ観察日記のドラゴン版。
だが、まずドラゴンにどんな種類があるのかそもそも分からず、カタカナで書かれたワードの羅列が何を示すのか不明である。
日本語を読んでいるはずなのに何も頭に入らない。
これを毎日読むのきついなと思っているといつのまにやら8時半。
左の机の主は今日は休みのようだ。
「それでは朝会を始めます。本日はここドラゴンパークに新たな仲間が加わります。新人の河合さん、前へどうぞ」
「はい」
現在園長は出張中ということで、本日ナンバー2の園長補佐に促され事務所の中心へ向かい、皆に向かい合う。
こうして改めて周りをみるとみんな黄土色一色。異様だ。
「おはようございます。本日からみなさまと一緒に働かせて頂くことになります河合悠斗です。実は私、今まで犬や猫どころかハムスターもメダカも飼っていたことがなく……」
その言葉にざわっと事務所中の空気がざわめいた。
え、まじで?と思っていた通りの反応が帰ってくる。
「ドラゴンパークには子供の時にピクニックで来たことはありましたが、大人になって以来は初めてでして」
ざわざわとざわめきが大きくなる。
なんで来たのかな? という小さな声が聞こえた。それ、俺が一番聞きたいよ。なんだろう、この罪悪感。
俺はただ赴任先で挨拶をしているだけなのに、処刑前に罪をひとつひつと告白して、ああなんてひどいやつなんだと群衆が非難する図ではないか。
「ですが、みなさまに色々と教わり成長していきたいと思っています。今後ともどうぞよろしくお願いします」
頭をさげると拍手がおこる。
顔をあげた時にちらりと俺の教育担当を見るとあくびしていた。
お前の教育担当の挨拶中にあくびをするなよ。ばっちり見えているぞ、こら。
その後は五十嵐の通り、各種報告後ミーティングが始まる。
しゃべっているのは分かるが、何を言っているのかさっぱり頭に入ってこない。SFの設定を口で説明しているようだった。
いやぁ、何言ってんのか分からないわぁと思っているうちに終わったらしい。
「それでは今日も一日お願いします」
とワイバーン班班長の尾上さんが言い終え、皆、一斉に机から起立したため慌てて立ち上がった。
「よし、これから現場に行くからついてこい」
「は……はい!」
五十嵐の言葉ともに、不安を抱えながら俺は初めての現場へと向かった。
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