第3話 勤務初日

「いやぁ、災難だったねぇ」


 事務所の半地下にあるシャワー室で泣きそうになりながら体を洗い、用意された例のサファリ服に着替えた俺をいの一番に出迎えたのは、小柄で柔和な笑みを浮かべた男だった。40代ぐらいか。クソまみれのまま呆然と立ち尽くしていた俺をここまで案内してくれたのも彼である。


「挨拶が遅れちゃったね。僕は園長補佐の武田。よろしく」

「今日からこちらでお世話になります河合です。新人で分からぬことが多いですが、頑張っていきたいと思いますのでどうぞよろしくお願いします」


 完全に萎え切った心を挨拶とカモフラージュの愛想笑いで覆う。就職活動もだてに経ていない。心と顔の感情を一致させないことなどだいぶこなれてきている。


「役所1年目でドラゴンパークに赴任するなんてそうそうないから大変だと思うよ。頑張ってね。じゃあ早速だけれど、ぐるっとパークを案内するからついて来て」


 スタスタと歩く武田さんの後に続き更衣室をでて階段を登ると、広々とした空間に机がずらっと居並ぶ場所にでた。ざっと見渡しただけでも30台はある。俺が入ると、座って作業をしていた人はみな、にこっと笑い会釈したのですかさず返した。


「ここが普段事務作業をする事務所だ。無事だった荷物はそこの河合くんの机に置いておいたよ」

「ありがとうございます」


 案内された俺の机は窓際の、お互い向き合って座るように並んだ6つの机の真ん中で今は誰も座っていない。

 荷物を確認しようと近づき、目に入ったのは右隣の机の乱雑に置かれた書類たちだった。

 ファイルがだるま落としのごとく積まれ今にも雪崩が起きそうである。

 俺の机の上空へも進出している。制空権があるというのは分かっていないらしい。

 左隣の机は対照的に、整理整頓されてかわいらし小物が置かれている。

 まさに絵に描いたようなオフィスレディの机だなぁ、と思っていたが脇にあるアクリルケースを見てその考えは捨て去った。

 手のひらサイズのドラゴンのフィギアが展示されている。おおよそ十体。ぬいぐるみもある。

 花柄デザインの文具が並ぶ女性らしさとドラゴンフィギアを並べる小学生っぽさのコラボという謎の空間が演出されていた。見なかったことにしよう。


「ドラゴンパークで働くといっても、全員がドラゴンを飼育しているわけじゃない。主に飼育課、総務課、施設課、広報課の4つあって、机もそれぞれ島ごとに別れている。今、飼育はみんな現場にでていないよ」

「現場ってなんですか?」

「現場って言うのは飼育作業場所のことだ。働く場所は事務と現場に分かれる。〝俺、現場だから〟っていうのは〝俺、飼育をメインする人だから〟っていう意味でも使われるよ。ちなみに河合くんも飼育課で現場メインだ」

「え!? 飼育ですか? 俺、動物を飼ったことすらないのですが……」


 武田さんは驚いた顔をして俺を見た。


「メダカは? おたまじゃくしとかも飼ったことない?」

「ないです」

「小さいときにカブトムシとかトカゲを捕まえたこともない?」

「……ないです」

「えっとぉ……動物好き? 昔、犬にかまれた恐怖体験とかあったりする?」

「いえ、そういった体験はないのですが、好きとか嫌いとか以前に、そこまで生き物に関わったことがなく」


 黙り込む武田さんに、気まずい沈黙が流れた。


「なんでパークに配属されたの?」

「俺が一番聞きたいですよっ……!」


 言い終わってはっと気づいた。やばい、素がでた。あわてる俺をよそに、武田さんは頭をかいて笑った。


「いやあ、ごめんごめん。ちょっとびっくりしちゃってさ。俺って北海道出身で生まれた頃から動物に囲まれた生活だったし、学校も獣医大学でているから基本的に動物に関わったことのある人しか会ったことなくてさ。なんか新鮮なんだよね。いやあ、しかし動物飼ったことがないかぁ」

「武田さんは獣医なのですか?」

「うん、といっても今は事務メインで現場にはあんまでていないよ。ヘルプされれば手伝うけどね。河合くんも現場で何かあれば気軽に呼んで」


 園長補佐という上の立場の人を気軽に呼べる訳ないだろう。しかし総務ではなく飼育。まさかの展開に縋り付くような目をして武田さんを見た。


「いっそ今からでも事務の方へと変更はできないでしょうか」

「無理だねぇ。飼育の子が1人やめちゃって補充で来たのが河合くんなんだ。まぁ、大丈夫だって。なんとかなるよ」


 希望はついえた。

 ああ、そうなのか。

 俺は明日から毎日このサファリ服を着て、ほうきとかちりとりとか持ってドラゴンのウンコを片づけるのか。ほんの少し前まで想像だにしなかった未来の自分を描き、暗澹たる思いであった。

 思わずため息をつこうとした時、目の端にちょこまか動くものが入ってきた。

 顔をそちらへ向けると、同い年くらいの背の低い女性が事務所に入るところであった。彼女は俺を見つけると目を見開き、てててと駆け寄ってきた。


「本当にごめんなさいっ!」


 頭を下げたのと同時に短くきりそろえた髪がサラッと揺れる。

 こんな小動物のような女の子に開口一番わびをいれられるようなことがあっただろうか。面食らい黙っていると俺が怒っていると勘違いしたのか、彼女はぷるぷる体を震わせた。

 

「さっき、君にウンコ爆弾を食らわせたドラゴンをとばせていたのが彼女なんだ」


 隣の武田さんが耳打ちし、納得した。

 あのドラゴンを……と小さくつぶやくと彼女はびくっと背筋を伸ばした。


「ちゃんと飛行するまえに排便させようとしたのですが、どうも今日はでが悪くって……。不安はあったのですが閉園中だし、万一飛行中に落としてしまってもここの職員なら簡単に避けられるから大丈夫かなって思ったのです……本当にすみません。スーツ代のクリーニング代もきちんとお支払いします」


「いえ、気にしないでください。もともとクリーニングにだす予定でしたし、赴任早々、ウンだけに運がついたと思います」

 言ったとたん、すべったと思う言葉に、彼女の顔にぱっと笑顔の花が咲いた。


「ありがとうございます! 河合さん、優しい人なんですね」


 クリティカルッ!

 オーバーキルッ!


 ステータス表示される世界なら俺の頭まわりにはそのような言葉が浮かんでいただろう。

 かわいい。

 スーツのクリーニング代? この笑顔で十分おつりがくるレベルだ。さりげなく、運動神経をディスられたと思ったが気のせいだろう。

 武田さんの、こいつ仮面がすでに剥がれているなぁという目に俺ははっと我に返り、にやけ顔を真面目顔に戻すと、武田さんはにやりと見ていた。

 のんびりしていると思いきや何気に人のことよく見ているぞ、この男。

「まぁお客さんに対してじゃなくて良かったよ。人前でドラゴンを飛ぶところを見せる前の課題を見つけることもできたし」


 武田さんが話をしめ、その場はおさまった。


「さて君のOJT担当を紹介しようと思ったのだけれど今、現場にでて帰ってこないんだよね。無線にもでないし」

「無線? OJT?」

「ああ、無線ってのは無線機のこと。職員一人一人が持っていて、パーク内どこにいても連絡とれるようにしているんだ。OJTはOn-The-Job-Trainingの略でいわゆる教育担当のことだ。彼が帰ってくるのをずっと事務所で待っているのもあれだし、今日は園内をぐるっと回ろうか」


 そういう武田さんの案内のもと、ドラゴンパークを回ることになった。

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