第2話 ドラゴンの洗礼

 赴任先のドラゴンパークはどういう場所なのか。

 自宅研修中、頭からこびりついて離れない疑問だった。

 本来であれば新規採用職員は役所内の研修棟で集団講義を受けるのだが、こんなご時世でそんな三密なことはできず、必要最低限の講義以外は渡された資料を元に家でレポートを書き人事課に電子メールで送ることになっていた。

 監督のいない研修なんてものは自主の時間のようにまるで集中力が続かず、俺はちょいちょいドラゴンパークのホームページを開いていた。

 ドラゴンたちの紹介というページには、〝ワイバーン〟〝バジリスク〟などゲームで聞いたことのある名前が並び、『飼育員さんの1日』では黄土色のTシャツに深緑色をしたズボンを履き、サファリパークでよく見る帽子を被った職員がブラシを持って床をこすっていた。

 所在地は市の外れにある。保健所や水道局と同じく本庁から離れた出先機関と言われる施設だ。役所に通う前提で借りたアパートからは最寄りの駅からバスで20分と遠い上に本数が少なく1時間に1本だ。ひどい話だ。人事課よ、どうして前もって言ってくれないのか。

 繰り返しホームページを見ても、ドラゴンは本当に存在していたんだと思うし、肝心の仕事内容が分からない。

 あそこの職員が市の職員なんて赴任先を言い渡された時に初めて知ったレベルだ。流石にドラゴンの世話ではないだろう。あんなテーマパークの職員のような格好をして働くなんて想像できない。理系出身だし、総務で会計処理や物品発注、もしくは広報でホームページの更新などに違いない。

 未知すぎる赴任先に行きたくない働きたくないと思いながらも、あっという間に研修期間は終わり、いよいよ出勤当日を迎えた。



 住宅地から離れた小高い山をノロノロとバスが登っていく。

 午前中の全体研修を終えた後にそれぞれの赴任先へと向かうのだが、本庁勤務でない俺は電車とバスに乗りドラゴンパークに行かなければならない。

 どうして1人だけ方向性が違うのだろうと沈みながら、人っ子ひとり歩いていない景色を窓から眺めていると「ドラゴンパーク正門前~ドラゴンパーク正門前~」というアナウンスが聞こえた。降車ボタンを押すとブーとふぬけた音が響き渡る。

 バスが停車し、外へと一歩踏み出した。瞬間、鼻腔に入り込んできた空気に思わず顔をしかめる。

 臭いがまるで違う。

 あたりかしこ獣の臭気に満ちあふれており、危険をかぎ取ったのか背中がゾワゾワとする。

 うわぁ、行きたくない。文明社会が発達して以来、人間が失いつつある原始的な恐怖を感じ取る能力がいかんなく発揮されている気がする。

 足取りは重いが出勤初日に遅刻をするわけにはいかず、停留所の正門から施設沿いに左回りに歩き、職員が出入りする管理事務所のある裏口を目指す。

 着慣れないスーツが型崩れしないかと冷や冷やしながら歩くこと約10分、それらしき建物と階段が見えてきた。一度スーツを整え、さぁ行くぞと階段に足をかける。階段を登るごとに臭いは強くなり、気持ちはしぼむ一方だ。このまま回れ右をしようかと思った矢先、顔に影がさした。

 雲が太陽にかかったのかと見上げた先には


 ――ドラゴンが空を舞っていた。


 小さな翼をバサリと大きく振りかぶり、軽やかに飛び回る。

 太陽の光りで見えにくいが、銀色の鱗であろうか。

 きらきらと光り輝いて、それは宝石のように瞬く。

 白い腹を見せながら、それは空を自由気ままに飛んでいた。

 ドラゴンパークで働くなんて嫌だ、なんてさっきまで思っていた自分を忘れさせるような幻想的な姿であった。

 見上げる空を悠々と飛ぶ姿は不覚にも美しく、赴任して良かったかもしれないという気持ちがこみ上げた。


 ――次に起こる出来事までは。


 すこしでもこの光景を目に焼き付けておきたいと、一心に空を見つめる俺はドラゴンから何かが放たれたのが見えた。

 太陽の光が明るすぎて、なにやら黒い物ということしか認識できない。

 それは見上げる俺の目の前にどんどん近づいてくる。

 それがドラゴンの糞と分かったと同時に俺の体に直撃した。


 ココナッツの実が頭に直撃して死ぬ確率は、サメに殺される可能性よりも高いそうだ。

 某アメリカ大統領の頭にココナッツの実が落ちないように、インド政府が訪問先の施設のココナッツの木を撤去したという笑い話のような本当の話があるから、その威力たるや日本人には分からぬすさまじさがあるに違いない。


 では、ドラゴンの糞が直撃した場合はどうなるのか。

 ココナッツの実ほどの堅さがあるわけでもないから、さすがに死ぬことはなかった。

 だが、そのどろっとした泥状のものは俺のおろしたてのスーツを一瞬にて茶色く染め上げた。

 勤務先に足を踏み入れたその日、俺は早速ドラゴンからの洗礼にあった。

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