第3話

「オジサン」は駅裏の方へ向かう狭い路地へと入っていった。

 私も少し離れてオジサンの後ろに続く。

 路地の両側には小さな飲み屋が軒を連ねていて、酔っ払った客の話し声と肉の焼ける脂っぽい匂いが立ちこめていた。

 その路地を抜けると猥雑な路地とは対照的に閑散とした駅裏にでた。

 ポツポツと飲食店がある以外は、住宅とマンションが混在するこれといった特徴のない街並みが続いている。

 オジサンが住宅と住宅の間の狭い道へと入っていく。


 こんなところに目指すものがあるんだろうか。


 疑問に思いながら進んでいくと、低層のマンションが並ぶ一角に、唐突に煌びやかなネオンと看板が目に入ってきた。

 看板には、「ホテル パッション」と書かれている。


 人目から隠すように壁が立つ入口まで来ると、オジサンが振り返った。

「ここでいいかな?」

 私は無言で頷いた。

 垢抜けない外観の建物だったけど私にとっては場所なんてどうでもいいことだった。

 オジサンについて入口をくぐると、小さな窓だけのフロントと、部屋の写真と番号の書かれたプレートのようなものが並んでいた。

 オジサンが部屋を選んでいる間に周りに目を配ると、一台の防犯カメラがこちらに向いていた。


 私が今日ロングパーカーを着てきたもう一つ理由は、制服をすっぽりと覆ってしまえるからだ。今はフードも頭から被っているし、学校の鞄は100円ショップで買った大きめのトードバッグの中に入れてある。一見しただけでは高校生とわかるはずはなかった。


 オジサンは部屋を決めるとボタンを押してカギを取り出した。

 そのまま、フロントからすぐの場所にある狭いエレベーターにオジサンと一緒に乗り込む。

 3階で降りると、目の前には両側にドアが並ぶ廊下が延びていた。

 オジサンがカギとドアを交互に見ながら廊下を進み、ある部屋の前で止まった。

 カギでドアを開けると、原色の壁に安っぽい天蓋の付いたベッドが大部分を占める狭い部屋に足を踏み入れた。

 そこは、私が初めて目にする男女が欲情を交わすためだけに作られた部屋だった。

 ようやくパーカーのフードを下ろすと、手荷物や上着をソファーの上に置いているオジサンの背中に話しかけた。

「予め決めたとおり、時間は2時間、は2万5千円で先にちょうだい。そして……ゴムはちゃんと着けてね」

 スムーズに言えるように密かに何度も練習したことばだった。

 振り返ったオジサンが慌てたように財布を取り出す。

「ああ、もちろん、わかってるよ。はい、これ……お風呂は一緒に入ってくれるんだよね?」

「うん、いいよ」

 私はオジサンから紙幣を受け取ると、トードバッグの中にある鞄の奥にしまった。


「……それじゃ、どうしたらいい?」

「まずは、制服をよく見せてくれないかな」

「わかった」

 私はパーカーを脱ぐとベッドの縁に座った。

 オジサンは向かい側のソファーに腰をおろして、私の全身を舐め回すように見つめる。

「カンナちゃん、脚が細いんだね」

 私はどう答えていいかわからずに、曖昧な笑顔を浮かべた。


 ※※※


 スマホを入手してから二週間ほどが過ぎたころだった。

 その間は、私は時間を見つけてはアプリを試したり調べものをしながら、計画に向けて準備を進めてきた。


 私の「計画」とは、響と一緒に家を出ることだ。

 今の生活には絶望しかなかった。

 実の父親に体を汚され、生活はいつもギリギリの状態だ。

 響もこれから思春期を迎える。今まではいろんなものを我慢させてきたけど、それも早晩限界は来るだろう。

 本当は今すぐにでも家を出たい。

 私は考えてみた。

 公的機関に訴えることはできる。ただ、ギリギリとはいえ一応は生活している以上、養育の放棄とまで見なされるだろうか。

 では、虐待は?

 父が私にしていることを訴えれば、間違いなく認められるだろう。でも、それで父が捕まるようなことになったら、父の行為が世に知られてしまうかもしれない。もちろん匿名で事は進むかもしれないけど、ここは東京ほどの大都会ではないから、人の森に紛れて暮らすにも限界はある。

 もしそうなれば、私だけでなく響までもが好奇の目にさらされてしまうだろう。

 未成年の今の私には、状況を自分で乗り越えられるだけの力が何もない。

 だから、いま事を起こすのは尚早だ。


 私が描いた道筋はこうだった。

 後々のことを考えて、高校はなんとしてでも卒業する。

 卒業後は就職するが、場所は東京とかなるべく遠いところがいい。

 就職先に頼む等して保証人を見つけ、アパートを借りられるようにする。

 全てが揃ったそのタイミングで、虐待を訴える。

 父が捕まるかどうかはわからないけど、少なくても響と一緒に暮らすことは認められないだろう。その時、私が就職して経済的な基盤と住むところを持っていれば、響を引き取ることが出来る可能性がある。

 私の恥ずべき過去が周囲に知られてしまうかもしれないけど、遠くの街に行ってしまえば好奇の目に晒されることもないし、場合によってはもう二度とここに帰ってこなくてもいい。

 そうすれば、私と響はこれからの人生を前を向いて生きていけるのだ。


 でも、そのためには相応の準備をしておく必要がある。

 決行のタイミングは響が高校生になる時期に近いし、住むところを確保したり当面の生活を安定させるためにはまとまったお金が必要だ。

 何度も計算してみて、この「計画」を実現するには、最低でも100万円以上、できれば150万円くらいは用意する必要があると思われた。

 それは今の私には途方もない金額だ。

 アルバイト情報等を見てみたけれど、これから卒業までの2年足らずの期間で稼ぎ出すには、学校にも行かずに使える時間の全てを充てなければ難しかった。

 でも、響を置いてそんなには家を空けることはできない。

 普通にやるのではだめだ。

 不定期で、短時間でも高収入の仕事……。


 私に思いついたのは一つだけだった。


 調べてみると、女子高生という私の肩書きは使い方によってはかなりの価値を持つらしいことがわかった。それなら、私はなけなしのそのカードを切るだけだ。

 世間的にみればそれは許されないことなんだろう。

 響にも言えそうにはない。


 でも。


 私は今まで、自分の望む事なんて何ひとつ叶いはしなかった。

 むしろ望まないことばかりが身に降りかかってきた。

 これは私――いや、私と響がこの悪夢のような日々から逃れる唯一の機会なのだ。


 ……いいよ、私はやる。

 この目的のためなら、例え火炙りにされたって構わない。

 絶対、絶対にやり遂げてみせる――。


 ※※※


「カンナちゃん……リボンをほどいて、ボタンを外してみて」


 少し呼吸が荒くなったオジサンがうわずったような声でささやく。

 私は言われたとおりにリボンを取り、ボタンを外して胸元を開いてみせた。

「ふう、ふう、かわいらしい胸だね。カンナちゃんは、その、処女なの?」

「…………違うよ」

「あ、ああ……そうなんだ」

 オジサンは心なしか落胆したようだった。

「処女のほうがよかった?」

「もし、処女だったら、倍のお小遣いをあげてもよかったかな」

 一瞬、私の脳裏にかつて内腿を流れた赤い筋の光景が甦った。

「……ふーん、あれにそんな価値があったんだ。ならもったいないことしちゃったな」

 考えこんだ私に、オジサンが少し姿勢を低くしてまたささやく。

「ねえ、カンナちゃん、今度はスカートを少しめくってみて」

「いいよ、こう?」


 にしては、私は不思議なほど緊張していなかった。

 力ずくで実の父親に犯されるのに比べれば、目の前のオジサンは無害そうだし望んだ報酬も与えてくれるのだから、自然とそう思ってしまうのだろうか。


 私はオジサンの要望に応えて、膝を立てて中がよく見えるようにしてあげた。


 続く

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彼女の煉獄 椰子草 奈那史 @yashikusa

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