第2話

「よーし、次、美化委員。クジ引いたヤツは手を挙げろよー」

 担任の工藤先生が教室を見渡す。

 私は仕方なく手をあげた。

 今日のホームルームは各委員の入れ替えが議題だった。

 立候補があれば話は早いけれど、案の定そんな奇特な人間はまずいないから、ほとんどの委員のポストは工藤先生の作ったクジを引いて決めることになった。

 そして、私の引いたクジには不幸にも「ビカ」と書かれていた。

 美化委員は委員のポストの中でも最も人気のないものの一つだ。

 理由は簡単で、毎日の教室の黒板周りなどの整頓に加えて、週に一度は校内の廊下や花壇といった共用部分についても分担して美化を行う……というのが主な活動だから、単純に手間が多くて面倒なのだ。

「1人は水口か。おーい、もう1人は誰だー?」

 その時、私の何列か後ろの席のほうで、ささやくような声が聞こえた。

「うわー、よりによって『美化』引いちまったよ。しかも水口かー、松野とかがよかったなー」

 この声は、このあいだ教室でくだらない妄想話をしていた男子の1人だろうか。


 残念でした。私は君には何も興味がないから早く手を挙げてくれないかな。

 私、今日はこれから忙しいんだよ。


 しかし、ヒソヒソ声はそれで終わらなかった。

「ねぇ、よかったら僕が代わろうか。美化委員」

「え!? マジで? いいの?」

「いいよ。僕のクジは白紙だから。交換する?」

「助かるわー。じゃあ、これ」


 ん? 誰だか知らないけど自分から美化委員になるなんて、物好きな男子もいるんだな。


 直後に、後方の席から声がした。

「先生ー。すいません、引いたのは僕でした」

 声に振り返ると、少し小柄な男子が立って手を挙げていた。確か彼は――。

「ああ、江崎か。じゃあ美化委員は水口みずぐち香奈かな江崎えざき悠斗ゆうとで決まりだな。それでは次、図書委員――」

 また教室の中が騒がしくなる中で、江崎君と目が合った。

 江崎君は「ヨロシク」というように唇を動かす。

 私はキツネにつままれたような気分で小さくうなづいた。


 ホームルームが終わって帰り支度をしていると江崎君が私の机までやってきた。

「水口さん、明日、美化委員の最初の全体活動があるらしいから予定しておいてね」

「え? ええ、よろしく」

 それだけ話すと、江崎君は教室から出ていった。

 私も鞄に教科書やノートをしまい、急いで玄関口へと向かう。

 今日は少し離れた駅前の繁華街まで行かなければならないから、お金は惜しいけれど学校近くのバス停からバスに乗った。


 バスの車内で、私は鞄に忍ばせていた書類を取り出してもう一度目を通す。

 それは、スマホを新規に契約するための書類だった。

 私はこれまでケータイやスマホを持ったことがなかった。

 それは主に家の経済的理由に負うところが大きかったが、正直なところ私自身が必要性を感じていなかったこともある。

 私には友達といえる人間は皆無だった。

 あまり社交性のない性格のせいもあるが、もし仲のいい人ができたら、どうしても自分の家族や家のことについて話さなければならなくなるだろう。

 あの父のことや家庭環境を人に知られるのは絶対に避けたかった。

 だから私は意識的に人と交流することを避けてきたし、交流を促すような機器というものもこれまでは必要としていなかった。

 けれど、今はそれを入手しようとしている。しかも父には秘密でだ。

 家にはパソコンもないから、私はこの2週間ぐらい図書館などで自由に使えるパソコンを使っては通信会社のサイトをずっと調べていた。そして、未成年者が契約する場合に親の同意書と身分証があればいい会社を絞っていった。

 同意書と身分証についてはそれほど難しくはなかった。父は必要がなければ免許証はいつも家に放置したままだったから簡単にコピーをとれた。同意書は父よりもはるかにきれいな字を書く響に書かせた。もちろん、決して父には言わないことを約束させて。

 バスが終点の駅前のターミナルに到着すると、私は事前に調べておいた駅裏の商店街の中にある通信会社のショップへと向かう。

 ショップのドアの前に立ったときはさすがに少し鼓動が速くなったけれど、私は意を決して店内へと足を踏み入れた。


 1時間ほど後、私は呆気ないほど簡単に目的のもの――スマホをこの手に獲得していた。

 親に連絡をされそうになった時のための言い訳などもいくつか用意していたけど、それは結局杞憂に終わった。

 今までは他人が使っているのを横から見ているだけだったからすぐには使いこなせないかもしれないが、自分の端末を手に入れたことで情報を調べるのはこれまでよりはるかに楽になりそうだった。

 学生であれば優遇されるプランを選択したとはいえ、月に数千円の出費は私にとっては小さくはないが、それも「計画」を実行さえすればなんとかなるだろう。

 帰りのバスの中で、私は早速獲得したスマホでこれから必要になることを調べながら、いくつかアプリを選んでダウンロードした。


 ※※※


「水口さん、西町の方だったよね。よかったら一緒に帰ろうよ」

 翌日、初めての美化委員会が終わった後、帰り支度をしている私に江崎君が話しかけてきた。

「え? 私と……?」

「うん、駄目かな」

「駄目じゃないけど……」

「じゃあ校門のところで待ってるよ、それじゃね」

 江崎君はそう言うと、さっさと教室を出て行ってしまった。


 江崎君って、こんなに積極的に女子に話しかけてくるタイプだっけ……。


 ただ、よく考えてみれば2年生のクラス替えがあってから約1ヶ月が経つが、江崎君に限らず私はクラスの人達とそんなに親しくしているわけではないから、個々の性格なんて知らないことのほうが多かった。

 私は腑に落ちないものを感じながらも、荷物を鞄に入れて校門へと向かった。

 江崎君は校門の横でスマホを覗いていた。

「ごめん、待った?」

「いや、全然。それじゃ行こうか」


 ……なんだか付き合ってる2人みたいな会話だな。


 私は自分の考えにむず痒いような感覚を覚えながら、それを悟られないようにあくまで普通を装う。

 江崎君は横に置いてあった自転車を引きながら私の隣に並んだ。

「江崎君、自転車だったの?」

「うん。それがどうかした?」

「乗らないでわざわざ歩いて帰るの?」

「僕だけ乗ってたら一緒に帰れないじゃない」

「それはそうだけど……」

 屈託なく笑う江崎君につられて、不覚にも私も思わず笑ってしまう。


 それって、純粋に私と一緒に帰りたかったってこと?


「でも、どうして私と?」

「え? んー、それは……」

 江崎君が少し俯いてかすかに顔を赤らめる。

「一緒のクラスになった時から、水口さんと話してみたいと思ってたんだよね。でも、水口さんはあんまり人と話したりしない感じだったから……」

「もしかして、それで美化委員を交換したの?」

「え!? 知ってた?」

「うん」

 今度は明らかに江崎君の顔が紅潮した。

「も、もしかしてキモイとか思ってる?」

「ううん、思ってないよ」

 狼狽する江崎君がおかしくて、また笑ってしまった。

「よ、よかったー。いきなり嫌われたらどうしようかと思った……」


 それから私達は、帰りの道を話しながら歩いた。

 江崎君は最近ハマってる週刊誌のマンガのことやゲームでレアカードを引いたことなどを話してくれた。正直、私にはあまり興味がないことのほうが多かったけど、途中からは熱く語る江崎君が面白くなって内容よりもそっちで笑っていた。

 私のことも聞かれたけど、家や家族の話は適当にぼかして料理をするのが好きだと答えておいた。

 もっとも、それは趣味じゃなくて家事をしているだけなんだけど。


 そうしているうちに、江崎君と私の方向が分かれる交差点までたどり着いた。

「それじゃ、私こっちだから……またね」

 自宅の方向へ向かおうとする私を江崎君が呼び止めた。

「待って、……水口さん、よかったらLINE交換しない?」

「私と?」

「うん、クラスの人の話だと、水口さんスマホを持ってないって話だったけど、今日、鞄から出して触ってるところが見えたから……」

 私のことを気にしてる人なんていないと思っていたから、つい休み時間にスマホを触っていたけど江崎君はそれを見ていたらしい。

「最近持ち始めたばっかりだから、持ってるけどまだあまり使ってないよ」

「じゃあ僕がやり方を教えてあげるよ。いい?」

「うん……」


 江崎君は手際よく交換の仕方を教えてくれ、私のスマホに初めての――そして唯一の友達が登録された。


「それじゃまた明日ね!」

 大げさなくらい手を振りながら去っていく江崎君に、私は戸惑いながら小さく手を振った。


 江崎君、君は本当に純粋でいい人なんだね。

 そう、私なんかとは真逆の人。

 私と仲良くなんてならないほうがいいと思うよ。

 私はたぶん、これからもっと酷くなる――。


 何となく物悲しい気分を抱えたまま、私は再び家路を歩き出した。


 ※※※


 私は陽の傾きかけた駅前広場の片隅にある街灯にもたれて人を待っていた。

 待っている、といっても相手は知り合いでもないし顔も知らない。

 私が相手に教えたのは、この場所と着ている服の特徴だけだった。

 私が今日着ているのは膝上ぐらいの丈の白いロングパーカーだ。

 これは私服なんてそんなに持っていない私のお気に入りの一着だった。

 下になにを着ていてもなんとなく形になるし、ジッパーを上げてしまえばみすぼらしい中を隠すこともできるからだ。

 今日は、喉元までジッパーを上げている。


 その時、私の前に1人の中年の男の人が立った。

 年齢は40代くらいだろうか。少し薄くなりかけた頭とお腹が突き出た、典型的な「オジサン」という感じだった。

「君が、ちゃん?」

 私は小さくうなづいた。

「ほ、ほんとに……その、女子高生?」

 私はジッパーを腰のあたりまで引き下ろした。

 パーカーの下から制服が現れる。

「ほんとに17歳だよ」

 私が小さくささやくと、オジサンは息を飲んだ。

「……じゃあ、行こうか。あっちに場所があるから」


 私はうなづいてジッパーを戻すと、街灯とネオンが灯り始めた街をオジサンの後について歩き出した。


(続く)

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