第19話

 アーリを抱きかかえたバレントがゆっくりと階段を登っていくと、建物の出入り口にランタンを持ったナーディオとミリナの顔が見えた。

「師匠、ミリナ! ……なぜここに?」

「お前は自分がやった事の、重大さを全く分かってないな」ナーディオは腕を組んで、ため息をついた。「外は大混乱だぞ。お前がしたことは、街の根幹をひっくり返したんだ。富裕層は絶望し、貧困層は湧き上がっている。一人の人間と一匹の狼がオーソリティーに対して、反旗を翻したってな」

「おっさん、取り敢えず安全な場所に避難させようと来てやったわけ!」

「そうか、ありがとう……」


 バレントはその場で倒れこんだ。

 見知った顔を見て、アドレナリンで張り詰めた緊張の糸が、プツリと切れたのだった。手の中に抱えていたアーリを、匿うようにそのまま冷たい床に伏した。


 かくして、バレント達の長く短い一夜は終わった。

 ルークズに囚われた家族を救うために忍び込んだバレントとループは、街の圧政を終わらせた英雄として讃えられることになった。

 ルークズ・オーソリティーのしてきたことは、瞬く間に全住民へと知れ渡った。だが、彼らのほとんどは、資源や食料の多くを私利私欲の為に作ってきた街の管理体制の壊滅を喜んだ。

  そこから街の発展は目覚しかった。ルークズ・オーソリティに収めていた物資や食料の多くが、貧しい人々や必要な箇所に行き渡ったためだ。彼らは街の裾野を広げ、その周囲に壁を作り上げて街全体を守れるように整備をし始めた。


 あの夜から、約一年という時間が経った。

 頭にタオルを巻いた屈強な男達が、鉄のフェンスの外で馬車に荷物を積み込んでいる。静かに吹く春先の風が、彼らの額に滲む汗に、ひんやりとした安らぎを与えた。

 その中の一人、一番若そうな男が、真新しいフェンスゲートの近くに立っていたバレントに駆け寄り、びっしりと文字が書かれた紙を片手に話し始めた。

「バレントさん! これで工事完了です、代金は既に、商会に収めて頂いた金額で大丈夫ですので。また何かあればお申し付けください!」

「ああ、ありがとう」短く感謝したバレントは、そこで何かを思い出したかのように振り返った。「そうだ、少し待っててくれ」


 家の中へ消えていったバレントは、一分も経たないで冷蔵箱を抱えて戻ってきた。

「ムムジカの肉だ。大体二キロくらいあるから、みんなで分けて食べてくれ」

「い、いいんですか?」若い男が箱を開けて、冷気の中に入っている肉の塊を見るなり、周りの男達もゾロゾロと近寄ってきて覗き込む。「こんなにいい肉もらってしまって、本当にいいんですか?」

「ああ、ムムジカが二頭も取れてな。三人じゃ到底、食べきれないからな。是非、食べてくれるとありがたい。若いから臭みも少ないが、一応香辛料を付けて揉んでから焼くといい」

「ありがとうございます!」

「旦那、太っ腹だな」

 男達はそれぞれに感謝を述べると、プレゼントを大事そうに馬車へとしまい、シティへと馬を出発させた。


「ばいばーい!」

 アーリとループは、男達の出発するのをリビングの窓から眺めていた。バレントが手を振るのを見てか、アーリも真似して手を振った。

 商会の作業員達の姿が、森の奥に完全に消えていくのを待ってバレントは家に入った。

 真新しい扉を開けると、綺麗なフローリングの廊下が伸び、白く丁寧にペイントされた壁と天井がそこにはあった。

 シンプルなデザインのランプが天井から吊るされている。左右と奥に深緑色の扉があった。

 玄関のすぐ脇には二階へ続く階段があり、踊り場には外からの明かりが入るように窓が取り付けられていた。

 リビングを覗き込むと、綺麗ななめし革のソファーとその前に置かれた真新しいローテーブル。ダイニングテーブルの周りには八脚の白樺の椅子が並べられている。キッチンとリビングを隔てる壁はくり抜かれていて、料理をしている様子がソファーからでも見えるようになっていた。

「二人とも、早速二階を見てみるか? アーリとループの部屋もあるぞ」

「にかい! みるみる! ベッドもあるの?」

「いつも使っているやつよりは少し、小さくなるけどな」

「本だなは? いっぱい入るやつかなー? ループのへやはどんなだと思う?」

「私の部屋はベッドがあればいい。あとは日当たりが良ければ昼寝にも良いとは思うが」

「まぁ……それは見てからのお楽しみだな」

 バレントは穏やかに笑いかけると先頭に立ってゆっくりと階段を登っていく。階段を登って、一番最初に見える扉をバレントは指差した。

「あそこがループの部屋だ」最後の段に足をかけ、今度はその右隣を指差した。「そして隣の部屋はアーリのだな」

「どっちがさき?」

「まずはループの部屋から見よう」

「……私の部屋が先か、楽しみだ」

 バレントはループの部屋の金色のノブを捻って開け放つ。

「うわぁおっきいベッド!」

 アーリは扉が開くなり、部屋に走りこんでベッドに飛び込み、バタバタと泳ぐまねをした。部屋の中央に置かれた四メートルほどの大きさのベッド。正面と左の二箇所の窓からは、のどかな春の日差しが部屋に入ってきて暖かい。

「す、すごいじゃないか。ベッドと本棚、これは爪研ぎか」

 大型ベッドを置いても、あまりのあるスペースには大きな本棚が置かれ、天井と床を繋ぐロープが巻かれた丸柱が付いている。

「上を見てみろ」

 バレントが天井を指差すと、ループとアーリも視線を上げた。

「天窓ってやつだ、上からの光を部屋に差し込めるようになっている。もちろんシェードの開け閉めもできるぞ。昼寝するにもぴったりだ。追加で欲しいものがあれば言ってくれ」

「な、なんと言って良いか……。こんな部屋私にはもったいなくないか」

「そんなことはない、家族なんだからな」

「む……そう、だな」

 ループはこそばゆいのか、途端に静かになった。

「ループ、かぞく! アーリも?」 

「ああ、アーリもだ。さぁ、隣の部屋も見てみようか」

 部屋の入り口に寄りかかっていたバレントは廊下に出て、今度は隣の部屋の扉を開けた。

「おおお」アーリは自分の物になる部屋を見て、純粋な驚きの声を上げながらベッドへ飛び込んだ。「こっちのベッドもおっきいね! 本だなもある! すごい、すごい!」

「あとは机もあるぞ、勉強したりパズルしたり、本を読んだりするときに使ってくれ。机の上にはライトもあるぞ」

 アーリの部屋のベッドはループの物よりも小さかったが、背が伸びたとしてもかなり広々と寝れるサイズだった。その脇には二百冊は仕舞えそうな本棚と、クローゼットが置かれている。ループの部屋のように天窓と二枚の窓からは、日光が柔らかく入ってきている。右奥の角には長方形のテーブルの脇には小さな本棚も置かれている。

「なかなか良い部屋じゃないか、よかったなアーリ」

「うん! ありがとうバレント!」

「二人とも喜んでくれたならよかった」

「バレントのへやはないの?」

 バレントは少し恥ずかしそうに、目の横を指で掻いた。

「あるが……見たいか? あまり面白いものでもないと思うが」

「うん!」「ああ、どんな感じなんだ?」

「一階だ、ちなみにアーリの部屋の向かい側は予備の部屋になってるからな。まだ何もない空っぽの部屋だが」


 一階の廊下、リビングの反対側の扉をバレントは開けた。

「ここが俺の部屋だ、ベッドと棚とクローゼットがあるくらいだな。あとは装備を入れるラックがあるくらいだが……」

 アーリはバレントの部屋でも相変わらずベッドへダイブした。

「あ、パズルだ!」

 アーリが指差した先には、額縁に入れられた完成品のパズルが置いてあった。バレントはそれを持ち上げると、入り口のすぐ脇にあるガンラックの上に飾り付けた。

「ああ、もっと増えたら飾るからな」

「アーリのへやにもほしい! パズルいっぱいやる!」

「そうだな。さ、そろそろ飯の支度でもするか。今日はご馳走だぞ」

「まだ飯には、早くないか?」

「今日は俺が料理しないから平気だぞ?」

「ん……どういうことだ?」

「そろそろ来るはずだが……お、ちょうど来たみたいだな」

 部屋の入り口にもたれ掛かっていたバレントが玄関の方を見た。玄関の外、フェンス辺りから馬車の音がした。

「バレント、来てやったぞ!」

「おっさーん、美味いパンと、美味い肉料理を作るやつ連れてきたぞー」

 バレントを呼ぶ声が聞こえてきた。バレントは廊下を抜けて、玄関を開け放つ。フェンスの外にナーディオ、ミリナ、ガーレルとその息子カルネを乗せた馬車が、森を抜けてフェンスの所で止まった。

「こんな遠くまで招待してすいません、師匠」

「いやいや、たまに外に出てのんびりするのも良いと思ってな。最近は怪物達も大人しくなったのもあるが……かなり時間も取れるようになったしな」

「ぜひ美味い料理を食べていってください」バレントは真新しくなったゲートを開けた。「ガーレルも遠い所まで来てもらって悪いな、料理の師として今日はよろしく頼む」

「本当なら出張料を取る所だが……街の救世主からの招待なら、喜んで受けるさ」

「救世主は少し言い過ぎだが……」バレントは恥ずかしそうに頭の後ろを掻いた。「さ、みんな、中へ入ってくつろいでくれ。馬車は後ろにな」



 夕食の時間が近づいてくるに連れ、新しい家の中には美味しそうな食べ物の匂いで溢れかえる。テーブルの上には、フレイクックのグリルや、エビや蟹のたっぷり入ったパスタ、フルーツの盛り合わせなどが、所狭しと並べられている。

 それを取り囲む宴の参加者達は、シティの喧騒を忘れて料理を楽しんだ。

 後からクルスとロッドも合流し、バレント達の新居は賑やかさで満ちあふれた。


 食事も一段落し、彼らはカードゲームで遊んでいた。

「おい、おっさん! ハートのシックス、止めてんだろ」

 ミリナは目の前に並んだカードと、自分の手札を交互に眺めて、少し悔しそうにそう言った。

「いや? 俺がそんなことするわけないだろ?」

 子供達に混ざって、ミリナとバレントもカードゲームに興じているのだ。

「あ、あがりだー!」

 アーリは最後のカードを出すと、嬉しそうにそう言った。

「よくやったなアーリ」

「アーリちゃんかよぉー、もー!」

「俺も上がりだぞ?」

「僕も!」

 バレントに続き、ガーレルの息子のカルネも手札を全て盤面に置き切った。

「おっさんもかよ! って、あー、カルネくんが止めてたんじゃん!」

 がっくりと肩を落とすミリナの横でアーリとロッドは、ゲームに勝った喜びを噛み締めていた。


 バレントは満足そうに、顎髭を摩ると、席を立った。

「ちょっと、やっててくれ」

 バレントはそう行って男達が酒を飲み交わしているテーブルに座る。

「お前も、すっかり父親じゃないか」

 遊んでいる所を見ていたナーディオは、酒を飲みながら、感心するようにそう言った。

「人間、慣れるもんですよ、師匠」バレントは椅子にドサっと座り、自分のグラスに酒を注いだ。「所でルークズの最後の一人は見つかったんでしょうか?」

 男達は一斉にゆっくりと首を振った。

「調査の結果、ブリゾズという名前で呼ばれていた事と、手紙のみで連絡を交わしていた事だけしか分からなかった。奴らの集会などにも参加しておらず、金銭と指示だけが行き来していたようだ」

 ナーディオの言葉に、クルスが続いた。

「その連絡役の居場所を探しだしたんだがよぉ。家の中はめちゃくちゃに引っ掻き回されて、風呂場に死体だけが残されてたんだ。そこで痕跡が途絶えちまったってわけ」

「なるほどな」

「何一つ、心配することはねぇよ、バレント。街は順調にその機能を取り戻してきている。ロスト・テクノロジーに関する記述や破壊された文明の歴史に関する本も出てきてな」

 ロッドが最後に続くように、そう言った。

「そうか……」

 バレントは小さく呟くと、あの日の夜に思いを馳せた。自分にとって何が大切で、何が大切じゃないかを改めて考えたあの日だ。

 ゆっくりと振り返ると、トランプを投げてはしゃいでいるアーリと、それを止めようとするループがいた。

 今の自分には二人がいれば十分だ。というよりかは、二人を守る事が手一杯だった。家族が安全で、楽しい日々を送ってくれるように自分も頑張らなければなと、思った。


「……ルークズね」

 バレントの背後で誰かが、そう呟いた。

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怪物と狩人と時々グルメ 〜他人を信用しない狩人がある日一児の父親に〜 遠藤ボレロ @Bolero0911

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