第11話

 ヨルムンガンドの初停車はいろいろあったが、ともかく『南イマイニ駅』を無事に出ることができた。

 いまは通勤客ばかりなので、座席のみがある三等客室が満席状態。


 操縦席のモニターごしに乗客の様子を伺ってみると、みな満足そうだった。


「うん、このシート、高級感があってすごく座り心地がいいなぁ」


「大手鉄道会社の三等車なんて荷物同然の扱いが普通だからなぁ」


「聞いたか? ユピテル鉄道の新車両って三等車両には座席がなくて、立ち乗りになるんだってよ!」


「うげえっ、立って列車に乗れってのかよ!?」


「同じ料金なら、アーサー鉄道のほうがいいだろ! 見ろよ、この革張りのシート!」


「しかもこの列車、走ってるってのにほんの少ししか揺れないよな!」


「ああ、心地よくてなんだか眠く……」


 そんな彼らの眠気を吹き飛ばす事態が勃発した。


 ……ガラガラガッ!


 車両の扉が開いて、ワゴンが運び込まれてくる。


「はーい、車内販売でーす!」


 その一声だけで、車内の人間すべてが凍りついていた。


「こ……コスモス様っ!?」


「ま、まさか、売り子までやるだなんて……!」


「う、ウソだろっ!? あの人気絶頂のアイドルがっ!?」


 まるでドッキリを仕掛けられたみたいに唖然とする乗客たち。

 その横を、笑う太陽のような少女が通り過ぎていく。


「ウソじゃないですよぉ~、おせんにキャラメル、あんパンに牛乳はいかがですか~?」


 次の瞬間、乗客たちは総立ちになった。


「くっ、くださいっ!」


「コスモス様からものが買えるだなんて、二度とないチャンスだ!」


「こっ、こっちもくださいっ!」


「ありがとうございまーすっ! ああ、みなさんひとりずつ伺いますから、座って待っててくださいね~!」


 すると、きちんと座り直す乗客たち。

 『ミラクルボイス』の威力は健在のようだ。


 そこからは、ワゴンの品物のたちに羽根が生えたかのようだった。


「え、えーっと、あんパンに牛乳! おせんにキャラメルください!」


「こっちも、ぜんぶください!」


「はーい。ぜんぶで500エンダーになりまーす」


 商品は車両の半分も進まずに品切れとなり、コスモスは在庫補充のために何度も行ったり来たりしていた。

 その最中にふと、思いだしたかのように言う。


「あ、そうだ。朝ごはんをしっかり食べたい人は、食堂車両にも行くといいですよ!

 お姉ちゃんがやってますから!」


 乗客たちは、顔を見合わせる。


「お姉ちゃん……?」


「お姉ちゃんって、まさかグラジオラス様?」


「そんなバカな。大聖女のグラジオラス様が食堂車両なんかで働くわけないだろ」


「だよなぁ、お姫様が働くようなもんだ。もしそんなことがあったら、俺ぁ腰を抜かしちまうよ」


 と、誰もが最初は『お姉ちゃん』のことをグラジオラスだとは思っていなかった。


 しかしコスモスが車内販売をやっているくらいである。

 もしやと思い、何名かの乗客が食堂車に向かってみると、そこには……。


「あっ、いらっしゃいませ! 初めてのお客さんですね!」


 女神のような笑顔が、カウンターごしに……!


「おっ……おねえちゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーんっ!?!?」


 乗客たちは阿鼻叫喚の渦に包まれてキリキリ舞い。

 とうとうバッタン! と倒れてしまう。


「あわわわ……! ほほっ、本物のグラジオラス様だ……!」


「大聖堂で遠くにからしかお目にかかれないようなお方が、まさか本当にいるだなんて……!」


「す、すげぇ、身体がほんのり光ってる……!?」


「な、なんてお美しい……! いや、神々しいんだ……!」


「この列車ってもしかして、天国行きなのか!?」


 グラジオラスは丸い眼鏡ごしの大きな瞳をぱちぱちさせていた。


「あの、みなさんどうされましたか? お身体の具合でも……?」


「い、いえ! なんでもありません! そ、それよりもここは、本当に食堂車で……?」


 グラジオラスは、白い指を大きな胸の前で絡めわせて微笑んだ。


「はい、わたしがお世話させていただきます」


 すると、その場にいた者たちの心臓が「ドッキーン!」と高鳴る。


「お……おお……! ぐ、グラジオラス様が……!」


「お、俺たちに向かって、微笑んでくださった……!」


「め、女神さまっ……!」


「や、やっぱりこの列車は、天国行きだったんだ……!」


「食堂列車をご利用なされるのでしたら、お好きなお席にお座りくださいね」


 途端、シュバッ! と席につく乗客たち。


 コスモスの声が『ミラクルボイス』と呼ばれるように、グラジオラスは『ホーリーボイス』と呼ばれる声を持っている。

 『ミラクルボイス』が元気いっぱいの活力で人を動かす力ならば、『ホーリーボイス』は心を浄めて素直にする力があるそうだ。


 乗客たちはさっきまであれほど取り乱して騒いでいたのに、いまは生まれ変わったように大人しくしている。

 又借りされてきた猫が、さらに猫の皮をかぶったかのように。


 グラジオラスは子猫を慈しむような声で言った。


「まずは、メニューのご説明をさせていただきますね。

 お食事はモーニングセットのみで、お飲み物は牛乳、コーヒー、オレンジジュースがございます。

 モーニングセットは1000エンダーで、お飲み物は200エンダーとなっております

 それでは、入ってこられた入口側の席のお客様から、順番にご注文をどうぞ」


 すると、客たちは示し合わせてもいないのに、キッチリと順番を守り注文をする。

 オーダーは全員、モーニングセットだった。


 朝食に1000円というのはなかなかの出費だと思うが、大聖女パワーは財布の紐を緩める力もあるのだろうか。

 さらにグラジオラスは手際もよく、すでに並べておいたモーニングセットの皿にテキパキと盛り付けをしていく。


 しかし噂を聞きつけた客がどんどんやってきて着席し、食堂車両は満員となってしまった。

 ひとりで注文、調理、配膳するのは大変そうだ。


 操縦席の魔導モニターごしに見ていた俺は、マイクごしに声をかけた。


『グラジオラス、大変そうだな。俺が手伝ってやるよ』


 いきなりの車内アナウンスに、グラジオラスは雷鳴を聞いたウサギみたいにピクンと反応する。


「あっ、そのお声はアーサーさん? いえ、大丈夫です。わたしひとりでも、なんとか……。あっ!?」


 モーニングセットの入ったトレイを運んでいる最中、転びそうになるグラジオラス。


 寸前、壁から伸びてきた無数の金属の手が、すかさず彼女の身体を支える。

 落としそうになっていたトレイも受け止めていた。


 これは、『内部アーム』……。

 つい先ほど、駅のホームでチンピラどもを撃退した『外部アーム』の車内版だ。


『そう遠慮するなって、ほい、モーニングセットお待ち、っと』


 俺はアームを操作して、受け止めたトレイを、近くの客のテーブルに置く。

 別のアームに身体を預けたままのグラジオラスは、ポッと頬を染めていた。


「あ……ありがとうございます、アーサーさん……。

 殿方に助けていただくなんて、初めてのことで……。

 アーサーさんの腕、たくましくて、とっても素敵です……」


 『それは、わたくしの腕なんですけどね』と、ヨルはなにやら不満そう。

 しかし俺に花を持たせてくれたのか、その声は操縦室のなかだけで響いていた。

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