第5話

 ヨルムンガンドの先頭車両から顔を出した俺を見て、工場長は窒息せんばかりに驚いていた。


「ななっ、なんでお前がそんな格好をして、そんな所にいるんだっ!?

 お前は今日は出勤のはずだろう!?」


 あ、すっかり忘れてた。

 今日の俺はあまりにも刺激的な出来事が多すぎて、日常なんて丘の上に投げ打ったままだ。


 機関士が俺だとわかるやいなや、工場長はコロッと態度を変えて怒鳴りつけてきた。


「いま、何時だと思ってるんだ!? さっさと降りて、工場で働け!

 本来ならクビにしてやるところだが、徹夜作業で特別に許してやる!」


 丘の上に戻って日常を拾いなおせば、今ならまだ間に合いそうだ。

 となれば、俺はこう言うしかないよな。


「あ、俺、工場辞めるわ」


「なんだとぉ!? それに、なんだその口の利き方は!?」


「今までは記憶がなかったから遠慮してたんだよ。

 そんなことより俺、機関士になることにしたから」


「き……お前のような役立たずが、機関士などなれるわけがないだろう!」


「っていうか今、なってるし。それじゃあ、そろそろ行くわ」


「まっ、待てっ!? 話はまだ終わっとらんぞ!」


 しかし俺は車両から乗り出していた身体を引っ込め、これ以上ないくらいキッチリと窓を閉めた。

 窓の向こうからは、くぐもった怒声が響いている。


「ぐっ……! ぐぬぅぅぅぅ~~~~っ!?

 こ、これは、なにかの間違いだ!

 お前のような人間に、ワシの憧れだった機関士ができるわけがないっ!

 あっという間にクビだっ、クビっ!

 あとで後悔するなよっ!?

 また雇ってくれって土下座しても、もう遅いからなっ!」


 俺は、赤熱したヤカンみたいにカンカンになっている工場長を尻目に、アクセルレバーを倒した。



 ◆  ◇  ◆  ◇  ◆



 街をひと回りした俺は、今度は郊外に出てみることにした。

 大草原と大海原の境界線のような、まっすぐな線路をひた走る。


 こんな直線のルートを走るのは初めてだったので、ちょっとスピードを出してみる。

 列車というのはスピードを出すとそのぶん揺れるものだが、この車両は違った。


「見て! 外の景色がこんなに早く流れてるよ!

 かなりのスピードが出てるはずなのに、ほとんど揺れてないなんて!」


「ああっ、本当に、なにかなにまで素敵です……!

 まるでゆりかごにいるかのように、心地いいです……!」


「ゆりかごに乗せられて、氷の上を滑っているかのよう」


 三姉妹もウットリするほどに、ヨルムンガンドは高速巡航にも対応しているようだ。

 ヨル自身も、まだまだ余裕があるようだった。


『アーサー、わたくしにとって今の速度は早足程度です。

 スピードが必要なら、もっと出すことができますが?』


「いや、いい。これだけ出るとわかったらじゅうぶんだ。

 ちょっとスピードを落とすから、操縦たのめるか?」


「承知しました」


 ヨルムンガンドには『オートパイロット』の機能があり、人間が操縦しなくても運行が可能だ。

 俺はアクセルレバーを鈍足にまで落とすと、ヨルに操縦を任せ、操縦室を出た。


 トイレを済ませたあと、窓から見える景色に気付いたので、デッキに出てみる。

 夕陽が溶けていくようなオレンジ色の海は、感動的なまでに美しかった。


「そういえば、海なんて見るの、久しぶりだなぁ」


「うん、わたしも!」


 見ると、いつの間にかコスモスが隣に立っていた。

 夕暮れに照らされた横顔は、彼女の輝きをさらに増していて、俺は思わずドキッとしてしまう。


 コスモスはポニーテールを風になびかせながら、気持ち良さそうに伸びをする。


「うぅ~ん! ずっと忙しかったから、こうやってのんびりするの、久しぶり!」


 今日は特別に忙しかったような気がするが、アイドルのコスモスにしたら、これくらいでも『のんびり』なのか。


「わたしだけじゃなくて、お姉ちゃんもクロちゃんも忙しかったんだよね。

 今はヨルくんに乗ってるのが気持ちよくて、ふたりともグッスリ寝てるよ」


「そうか、それじゃあちょうどいい息抜きになったってわけか」


「うん! ありがとうね、アーサーくん!」


 それは、思いも寄らぬ一言だった。

 気が付くと、コスモスは夕陽を閉じ込めたようなキラキラした瞳で、俺を見つめている。


 女の子からこんな風に見つめられることなどなかったので、俺は口から飛び出しそうになる心臓を飲み込むので必死だった。


「な、なんで急に、そんなこと……」


「なんでって、アーサーくんはわたしたちの夢を叶えてくれたんだよ、お礼を言うのは当然でしょ!?」


「夢って、パーサーになりたい夢のことか?

 お前たちなら、鉄道会社に頼めばパーサーどころか駅長にだって簡単になれるんじゃないか?」


「ううん、そうなんだけど、そうじゃないの!

 わたしたちは、ヨルムンガンド……ヨルくんのパーサーになりたかったの!」


「コイツは、そんなに特別な車両なのか?」


 するとコスモスは「とんでもない!」と言わんばかりに、キラキラした瞳をクワッと剥いた。

 どうやら俺は彼女の『魔鉄好きスイッチ』を踏んでしまったらしい。


「特別なんてもんじゃないよ!?

 このヨルムンガンドは、人間からエルフからドワーフから、すべての種族の魔導鉄道技術が込められた世界で唯一の車両なんだよ!?

 かつて全種族の和平が結ばれかけたことがあって、それを記念して作られたものなの!

 でもその和平は結ばれることなく破棄されて、ヨルムンガンドも同じく闇に葬られたのよ!

 噂では壊されたことになっているんだけど、まさか現存してただなんて思いもしなかったわ!

 アーサーくんのお父様が買われたというのを知ったとき、てっきりレプリカだと思ってたんだけど……。

 まさか本物だったなんて! しかもそれにいま乗ってるだなんて!

 そう考えるだけで、わたしおかくなっちゃいそう! この車両はそれくらいすごいものなんだよ!」


 俺を肩を掴んでガクガクと揺さぶるコスモス。


 近い近い近い。

 女の子にこんなに接近されたことなんて生まれて初めてだから、こっちまでおかしくなりそうだ。


 彼女はまっすぐな瞳で俺を見据えると、


「わたしは歌と踊りでこの世界を少しでも平和にできたらと思ってる。

 世界平和の架け橋となるはずだったヨルムンガンドは、子供の頃からの憧れだったの」


「そういうことだったのか……。でも、願いが叶ってよかったな」


 俺はそんな言葉が自分の口から出たことに驚いていた。

 いままで他人の願いが叶うことを妬みこそすれ、喜んだことなどなかったのに。


 コスモスは「うん!」と頷いたあと、いったん俺から離れて、居住まいを正す。


 夢のようだったスキンシップも、これで終わりか……と思っていたら……。

 直後、夢よりも信じられないことが起こった。


「……本当に、本当にありがとう! アーサーくんっ……!」


 がばっ……!


 と音がしそうなくらいの勢いで、コスモスが……。

 手を握ることすらプレミアムチケットになっている、あの人気絶頂のアイドルが……。


 俺の胸に、飛び込んできたんだ……!

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