黒鎧
駆ける。
駆ける。
それがゆきにできる唯一のことだ。
またたきよりも速く、駆ける。
駆ける。
なのに意識は1刻、一日のようにも感じる。目の前の光景がいやにゆっくりと流れ、みななの眼前に迫る機甲兵の銃口は止まってしまったようだった。
けれどそんなはずがない。
ゆきの意識だけが、体のスピードと現実についていけていないだけ。いまにもあの鋼鉄の指は引き金をひこうとしているのだから。
だから、足よ、あの機械を超えて駆けろ!
『お嬢さん。残念だね。隊長は殲滅って言ったんだ。だからあたしは―』
「しねえええええっっ!!」
どごおっおお。
鈍い音がゆきの足から這って響いた。なにか戯言を垂れ流していた機甲兵の手を、掛けた足そのままに蹴りつけたのだ。
機甲兵がたたらを踏む。平行装置が機能したのが忌々しい。倒れていればよかったものを。
『なっ、なんだ!?』
「死ね」
みななを傷つけるやつは全員殺してやる。ゆきは殺意に任せもう一度機甲兵を蹴り上げた。
『どうなっている!』
足の関節を狙ったのがよかったらしい、機甲兵は片足をついて崩れた。
ゆきは急いでみななを担ぎ上げた。みななはきゃっきゃと笑っている。倒れた機甲兵が面白かったのだろうか。
けれどそれを確認している猶予はない。一刻も早く離れなければ。
『そこまでです少年』
背後からの声を無視し、ゆきは駆け出した。見晴らしのいい集落とはいえ下れば木々が煩雑に茂っている。機甲兵の難点は障害物が多すぎる地形には不利なところだ。森に逃げ込み、そのまま村まで駆け抜けるべきだ。
ド。と背後の地面がえぐられる。続いてどどどどと次々に迫ってきた。機関銃だろう。はねた石がゆきのふくらはぎの肉をえぐる。ゆきは振り返ることなく走り抜けた。とろい!!このスピードならば森まで行ける!
『ちっ、機動超歩兵!その子供を逃がすな!』
「はいはいはいよおおおお!!」
(―機動超歩兵?)
聞いたことのない兵種に嫌な予感がしたが、ゆきは止まるわけには行かない。
ぐんぐんと燃え盛る集落が遠ざかっていく。炎の熱も、光も次第になくなって、ついには真っ暗闇になった。けれど振り返ることはできない。ゆきの耳には、遠くで燃えるばちりばちりという音だけでなく、なにか唸り声に似た低いものが絶えず聞こえていたのだ。
それは次第に近くなる。炎が遠ざかるに比例して唸り、ゆきを取り巻いた。
「逃げられる、とおもったかあ?」
真っ暗闇にふさわしくない、いやにうきうきとした男の声が、ゆきの真後ろから聞こえた。
(逃げられない、か)
ゆきは勢いよく振り返り、蹴り上げた。何がいるかはまだわからないが、とにかく敵であるのだから、攻撃からはいるのは間違っていないはずだった。
が、そのケリは冷たい手で止められた。
暗闇にとけるような黒い手。それとおなじ黒を全身にまとい、唯一顔に一本ひかれている赤の光だけが、色だった。
(鋼鉄、いや、軽いな。だが強度はある。なんだ)
全身を柔くだが強度のある鉄で覆っている。まるで甲冑のようだが、隙間は一切なくつるりとしている。ゆきの知識にはまったくないその様相をどう形容していいかわからないが、不気味で有ることだけは間違いない。
ゆきの感情を読み取ったように、顔の光が点滅した。
「おお、やるなあ少年。重い蹴りだあ!」
けらけら、とあざ笑うような点滅。
ゆきは足を戻し後ずさった。横に抱いたみななを担ぎ直す。みなながいるので手は使えない。足は逃げるのに必要だ。ではこの速く、不気味なものから逃げるのには?
こめかみに汗がつたう。
獣を狩るときだって、山越えのときにだって、機甲兵にすらゆきは怖気づかった。余裕すらあった。ゆきのほうが強いとわかっていたからだ。
たぶん黒鎧(仮にこう呼ぶことにした)も同じだろう。己がいま、上だとわかっているからこうして余裕しゃくしゃくとゆきと対峙しているのだ。
(対話、できるな)
時間稼ぎになんの意味があるかはわからない。けれど、ゆきは深呼吸をして、話しかけた。
「それは、なんですか」
「それ?」
「あなたの着ている、黒い鎧です。見たことも聞いたこともない」
黒鎧は自分のつま先から確認して「これかあ」とこぼす。
「強化外骨格っていうんだけどよ。見ただろお前も装甲兵の不便さ。でかくて森にこれねえでやんの!だからちっちぇえ装甲兵がほしいってなって、んで作られたってわけ。わかる?」
「あまり、わかりません」
黒鎧のふらふらとした説明が悪いのか、ゆきの理解からかけ離れているかはわからないが、いまいち容量を得ない。
「ま、コレ着てれば、バイク以上に速く走れて、戦車ぐらい丈夫で、人並みに器用な兵器の使い方ができるんだとよ。バックパックは邪魔だけどな」
「……視界はどうなっているんですか?見えてるんですかそれ」
「おー、一応な?文字が浮かんだりしてるけど見えるぜー。暗闇でもお前がびくついてんがよおおおくな」
一筋の光が、ぎゅっと集まり、強く点滅する。
―くる
「お前が死ぬところもなああああ!!!」
限界集落少年、都会へ行く @kaumeu
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