第2話 4月10日――今日も温室へ

 玄関を出ると、そこは異世界だった。なんて、昔は思ったものだ。さっき聞いた『グリーンフィアー』の単語のせいだろうか。変なことを思い出した。

 玄関の外に広がっているのは、いつもの光景だ。ひたすらコンクリむき出しの農家向けに新しく作られたマンション、その三階。引っ越してきたときより若干黒ずんできた外壁をたどりながら、俺は駐車場へと降りていく。ただひたすらコンクリートで作られた無機質な階段を降りていく。二階に差し掛かったところで、背後でドアの開く音がする。


「お、日比谷。今からか?」


 男の声に振り返ると、「ナス農家」の高山がドアから出てきたところだった。挨拶代わりに軽く片手を上げる。


「おう。珍しいな、お前もか?」

「ああ、元気が良すぎてな。昨日は半分徹夜だったんだ」

「お前のところもか…」


 そう言って高山は少し隈の浮いた目を、手首に包帯の巻かれた手でこする。俺は同情のため息を付いた。

 俺たち『農家』の悩みは共通だ。結局、野菜共の世話、その一点につきる。その包帯から高山に目を移す。


「つーか、昨日は収穫報告書もあっただろう? どうしたんだ?」

「本部に掛け合って、明日まで待ってもらったよ。おかげで今日も徹夜さ」


 そう言って苦笑いを浮かべる。よくもまあ、あの頭の固い渉外係を説得できたものだ。思わず実地のこともよくわからないのに、口ばかり挟んでくる男の顔が浮かびそうになった。


「あんまり無理するなよ? 文字通り体が資本なんだ」


 高山とは農業訓練所からの付き合いだ。少しばかり心配を口にすれば高山は苦笑いを浮かべた。


「おう、ありがとよ。これから配給所に買い物行って、また少し寝るさ」

「そうか。じゃあ、またな」


 そう言って、鍵を取り出した高山に手を降って分かれる。アスファルトで覆われた駐車場に降りれば、いつものように俺のジープが待っていた。今は珍しくなくなった左ハンドル。運転席に乗り込んでエンジンをかける。駐車場から出れば、そこはかつて熊谷と呼ばれていた呼ばれていた街だ。今は第43番コロニーと呼ばれている。

 かつては昭和の面影も残す、買い物客で賑わう古い街だった。それが今は見る影もない。

 建っているのは、コンクリートの建物ばかり。街のあちこちにある空き地。ひび割れた道路。そして、あちこちにある赤茶けた土だ。かつての人々の賑わいなんて見る影もない。

 こうなったのは、たった十年のことだ。

 俺はいつものようにラジオをつける。いつもなら、ニュースをやっている時間だ。それをBGMに、ひび割れた道路を流していくのがいつもの流れだ。

 ラジオをつければ、いつものキャスターが言う。


「明日は『グリーンフィアー』10年の追悼日です」


 そう言って、国会のなにやら偉い人? の名を挙げ、その人が第一コロニーの追悼ホールで弔辞を読み上げるなんてことを言っている。もう随分、国会なんて単語は聞いていなかったから新鮮だ。顔も知らない相手に感慨もなにもないが。

 そんなことをつらつら考えていれば、コロニーの外壁が見えてきた。錆びたトタンや鉄骨、砕かれたコンクリート。そんな瓦礫をひたすら積み上げ、街を囲っただけの簡素な、しかし、たった一つの街の命綱。このあたりには家がない。高さ5メートルのそれは、かつてあった家の残骸たち。そこに切れ目を入れるようにして存在するのが、俺が出勤に使っている西側ゲートだ。

 ゲートまで行けば、どこかの学校から持ってきたのだろう、鉄扉が俺を迎えてくれる。横にあるプレハブの守衛詰所では、門衛がいつものように立っている。昔の警察官だか、警備員だかの制服を着た職員は、今日も火炎放射器を構えていた。

 ジープを詰め所に寄せると、門衛がいつものように近づいてくる。今日は知らないやつだ。


「第7温室の日比谷達夫だ。出勤したい」


 窓を開けて門衛に向かっていえば、門衛はいつものようにうなずいて手を出す。俺もいつものように、カードを取り出して渡した。今や貴重なプラスチック製のカードを見せれば、門衛の顔が少し驚いたようになる。一瞬固まった門衛は、恐る恐る俺からそのカードを受取る。まあ、初めてだと当然の反応だ。門衛は少しの間ためつすがめつそれを見ると、それを俺に返してきた。


「確認しました。お通りください」


 門衛が手を上げると、ゲートのエンジンを掛ける音がした。ゲートがワイヤーで引かれ、鉄を引きずる嫌な音が響く。俺は軽く門衛に会釈して、ジープのアクセルを踏み込んだ。

 ゲートを抜ければ、あたりに広がるのは一面の赤茶けた大地だ。それは水平線の向こうまで、どこまでも、どこまでも広がっている。昔、高校に通っていた頃に見た、アメリカの砂漠のような大地。それがをまさか海も渡らずに見ることになるなんて、当時は思っても見なかった。たった十年。しかし、『グリーンフィアー』が、全てを変えてしまった。

 砂埃を上げながら、俺は自分の職場である、第7温室を目指して車を走らせた。

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