【2】人類と猫、そしてバナナ

 遺伝学においてヒトゲノムの大半が他の動物の有するそれとほぼ共通の機能を果たしているという事実は、最早常識となって久しい。我々人類をヒトたらしめている部分というのは実はそれほど多くないのである。有名な所で言えば、人間とチンパンジーは約98.8%共通するゲノムを持つ。その違いは僅か1.2%にとどまるのだ。

 さて、ここで思い出していただきたいのが、テレビのクイズ番組などでしばしば出題される、時間の推移と共に画像が2%ずつ徐々に変化していき、その変わった部分を当てる、という問題。最終的に初めの画像とは全く異なる物になっているにもかかわらず、多くの人は一度でその違いを指摘することが出来ず、難易度の高いクイズとして出演者を悩ませる場面を目にしたことのある人は多いことだろう。そう、我々人間の脳は2%の変化を認識することが出来ないのだ。

 つまり、ゲノムにおいてヒトと1.2%の違いしか持たないチンパンジーは、我々にとってその遺伝学的差異を認識することが出来ないので、もはや人類と全く同じ生き物といっても過言ではない。

 このことを踏まえ、今回は人類と猫について考察していく。


1、人類と猫


(1)猫とヒトの歴史

 猫は尊い。これは人類の共通認識である。彼らと我々の歴史は実に長い。彼らの祖先はおよそ13万年前に中東地域に生息していたリビアヤマネコだと言われているが、今日のように我々のかけがえのないパートナーとして、共に生きるようになったのは、およそ9500年前だと言われている。キプロス島のシロウロカンボス遺跡で、最古の飼い猫の墓が見つかったのは記憶に新しい。

 古代エジプトにおいても、猫は神の化身として信仰の対象となり、日本においては長崎県壱岐市のカラカミ遺跡(弥生時代)から飼い猫とみられる動物のいた痕跡が発見されている。ネズミの天敵である猫は、古代日本人にとって収穫した穀物を守る益獣であり、この頃からよき友として密接な関係にあったのだろう。

 平安時代になると、猫は愛玩動物としての地位を確立。宇田天皇が父・光考天皇から譲り受けた黒猫を溺愛していた事は猫好きの間では有名である(参考:『寛平御記』)。

 そして、現代においては『猫カフェ』や『猫ブログ』『猫ミーム』『猫ひろし』など、現実とネットの垣根なく、全ての人々に愛されている。

 ここで疑問に思うのは、何故猫がここまで人類に愛されているのかという点である。確かに猫は見るからに愛くるしいフォルムをしている。モフモフの毛、固体とも液体とも判別のつかない柔軟な身体、くりくりのおめめ、モキュッとした口元と肉球、ピンと可愛らしいお耳、尻尾をふりふり、ゴロゴロニャーゴ愛くるしい仕草。

 し……しっしかし騙されてはいけない。我々は科学者である。視覚情報のみに頼って本質を見極めないというのは矜持にもとる。頼るべきは科学。ということで、猫の遺伝的性質に着目していく。


(2)猫とヒトの共通点

 遺伝学的に見ると、猫の遺伝子はヒトと90%類似している。90%というのは、漢字で表すと九割。言い換えるならば『ほぼ』である。つまり、猫はほぼヒトということを意味している。逆も然り、ヒトはほぼ猫なのである。つまり、文豪・夏目漱石が記した『吾輩は猫である』というのも、遺伝学的にみるとほぼ正しいのだ。正確には『吾輩は【九割】猫である』といったところだろうか。

 我々がほぼ猫であるという事を踏まえると、何故猫がこれほどまでに愛されているのかという疑問も解消される。ほぼ猫である我々は猫を愛して当然だからだ。


(3)人口問題

 地球上の人口は2019年の時点で77億人に達し、今般、人口増加に伴う多くの解決すべき課題が生じている。だが考えてみて欲しい。ヒトの九割は猫なのである。つまり、77億人のうち、69.3億人は猫だということだ。人類は僅か7.7億人にとどまる。そう考えると、まだまだキャパシティーに余裕があるといえるのではなかろうか。この事実によって、様々な課題が解決されるだろう。


(4)猫の液体説について

 人の身体の約70%は水。これは某清涼飲料水のCMでも有名なフレーズである。70%というのは、もうほとんど水であるとも言い換えられる。ここで考えて欲しい。ヒトはほぼ猫。90%猫なのである。そしてその内の70%が水であるとするならば、猫もまたほとんど水なのである。つまり、猫が液体であるという説は正しいといえる。


2、人類と猫、そしてバナナ


 バナナのDNAの60%は我々人類と同じ、という事を知る人は少ない。しかしこれは遺伝学的に紛れもない事実である。つまり、バナナは四捨五入すればヒトだということだ。我々は『だいたいバナナ』であるといえよう。これを暴論であるという方は、少し冷静になって考えて欲しい。我々の住む日本という国を動かすための様々な法律、それは国会の決議によって定められている。その決議は出席議員の過半数で議決されるのはご存じであろう。つまり、過半数ですら『だいたい民意』なのである。それを上回る六割が『だいたい』でないなら、何が『だいたい』であろうか。

 さらに言えば、人間の六割はバナナであるから、衆議院465人のうち、279人はバナナである。つまり、バナナによってこの国は動かされていると言っても過言ではないのに、ヒトが『だいたいバナナ』である事実を否定するのは全くもってナンセンスであるといえよう。

 我々はバナナの定めた法によって、生活しているのだ。70億の人類、その内の六割、42億人は完全にバナナだ。

 さて、猫から話が逸れたので戻していく。ヒトはほぼ猫であるから、猫もまたほぼヒトである。つまり、ヒトがだいたいバナナであるならば、猫もだいたいバナナなのである。人間が猫を飼うという事は、バナナがバナナを飼っているのとほとんど同じだ。

 我々の悩みの六割は人間関係だといわれる。我々はほぼ猫であるから、我々の悩みは猫の悩み。また、我々の六割はバナナであるから、我々の悩みはバナナだ。要するに、猫の悩みは完全にバナナなのである。猫が背後にバナナやきゅうりを置かれて恐怖におののくのはつまりそれが理由だという事だ。


【2021年2月7日 記者:N岡(財団法人 超飛躍的科学研究所)】

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