あの時の黒い土鍋
貴音真
黒い土鍋
ガチャン!
台所の吊り戸棚を整理していた時、それは落っこちてきた。
底が焦げ付いて真っ黒になった土鍋…
その黒い土鍋は床に叩きつけられて二つに割れた。
「……また割っちゃった…」
私はポツリと呟いた。
この土鍋を見るとあの時を思い出す。
まだ彼がいたあの時を―――
ドスン!
大きな音を立てて何かが降ってきた。
それは新品の土鍋が入った箱だった。
「あっぶなー、こんなの当たったら怪我しちゃうよ。置場所考えないとなあ…」
私はポツリと呟いた。
その土鍋は彼が友人の結婚式に行ったときの引出物だ。
ギフトノートで好きな物を選べる引出物の中から彼はこれを選んだらしい。
私と出会う前の話だ。
「よっと…」
カチャ…
土鍋の箱を持ち上げた時、中から嫌な音がした。
慌てて箱を開けたが、中身は想像通りだった。
床に落とした時の衝撃で土鍋は真っ二つに割れていた。
「やっば…どうしよ…」
私は割れた土鍋の箱を持ち、途方にくれていた。
別に土鍋の一つや二つ割ったところで大したことはない。
そう、普通の土鍋ならば割るくらい大したことはない。
けれど、この土鍋は彼にとっては普通の土鍋じゃなかった…
彼が出席した結婚式の四日後、結婚式の主役である幸せの絶頂にあった新郎新婦は、新婚旅行で海外へ向かう時、航空機の事故で帰らぬ人となったらしい。
そして、彼はそれを知った後、遺体の無い葬式に出席した後で引出物を土鍋に決めたという…
その理由は、亡くなった新郎新婦と彼は大学時代からの友達であり、その頃によく三人で鍋パーティーをしていたからだった。
その土鍋を私はうっかり割ってしまった。
割れてしまったこの土鍋は彼にとって大切な友人二人の形見のようなもの、思い出の品どころではない。
それを割ってしまった。
取り返しなんてつくわけがない。
焦った私は割れた土鍋を手に取り、作業部屋に急いだ。
当時の私の趣味は陶芸だった。
陶芸と言ってもオーブンレンジで造る簡単なものだ。
私は作業部屋に置いてある陶器の修復用具で土鍋の底を補修した。
そして、私は台所に戻ると、オーブンに入らないその土鍋をガスレンジの上に乗せ、ひたすら火にかけた。
土鍋はどんどんと黒く焦げ付いていった。
こんなことをしても意味がない…
けれど、その時の私はそれがわからなかった。
私はひたすら土鍋を火にかけ、とうとう土鍋はくっついた。
真っ黒焦げになった土鍋を前に私はホッと胸を撫で下ろした。
「よかった……あれ?」
安堵から声を漏らした私はあることに気がついた。
彼が帰ってこない…
その日に限って彼の帰りが遅かった。
いつもならとっくに帰ってきて、既に食事を終えて私と恋人同士の時間を共有しているはずの午後九時過ぎ、彼はまだ帰ってきていなかった。
ピピピピピ!
その時、私の携帯電話が鳴った。
私はなぜか嫌な予感がした。
その予感は的中した。
電話の相手は末尾が110番だった。
警察の電話番号だった。
それは、彼が勤めている会社のある地域を管轄している警察からの電話だった。
手が震えた。
鼓動が波打った。
得も言われぬ不安感の中、私は携帯電話を手に取ってその電話に出た。
「もしもし…」
声が震えた。
出来ることなら切ってしまいたかった。
間違い電話であって欲しいと願った。
そして、電話に出た私に相手の警察官はこう言った。
『夜分に失礼します。四宮啓子さんの携帯電話で間違いないですか?』
それは確かに私の名前だった。
警察からの電話は間違い電話ではなかった。
私が四宮啓子は自分のことだと答えると警察官は警察署まで来れないかと言った。
私が詳しい話を求めると、警察官はそれを拒んだ。
しかし、何も聞かずにこんな時間に外出出来ないと伝えると、警察官は上司に相談した後でこう言った。
『良いですか?落ち着いてお聞きください。今から三時間ほど前の十八時過ぎ、あなたのお付き合いしている彼が同僚を殺害して自殺しました』
意味がわからなかった。
なぜ警察が私と彼との関係を知っているのか、なぜ彼がそんなことをするのか、全てのことの意味がわからなかった。
そして、私はその三十分後に迎えに来た警察官と共に警察署へ行った。
私はそこで彼が犯行に至った動機を知らないかと訊かれたが、何もわかるわけがなかった。
警察は彼の携帯電話に登録された中から特に親しいと思われる人物から順番に電話を掛けていたらしい。
彼の携帯電話には私のことが『四宮啓子(恋人)』と登録されていた。
彼は几帳面な性格だった。
携帯電話には登録者の名前を必ずフルネームで登録し、()の中には自分と登録者との関係を記載していた。
だから警察は私と彼との関係を知っていた。
その日、警察から話を聞いた私には気になることがあった。
それは警察には言っていない。
彼は同僚を殺害した殺人犯だ。
そんな彼と付き合っていた私が警察へ余計なことを言えるわけがない。
彼が同僚を殺害した方法は、重い物で同僚の頭を殴打した後、気絶した同僚を生きたまま焼くというものだった。
その重い物が何なのか、警察はそれを教えてくれなかったが、マスコミによるとその重い物とはたまたま近くにあった土鍋だったらしい。
犯行時、彼は同僚と共に仕事帰りにホームセンターへ行き、同僚が初めて買うという土鍋のアドバイスをしていたらしい。
そこで彼は手にした土鍋が割れるほど強く同僚の頭を殴打し、その後で倒れた同僚の上に割れた土鍋を乗せ、ホームセンター内から着火材を持ってきて火を点けた。
そして、彼はまだ生きていた同僚が焼かれて悶え苦しむのを見て、動いて火が消えてしまわないように、自らも火だるまになりながら同僚を押さえつけていたと、犯行の目撃者がテレビの特集番組で語っていた。
彼がなぜそんなことをしたのか私には本当にわからなかった。
ただ、私は一つだけはっきりとわかっていた。
目撃者が語る彼の犯行の始まった時間と、私が土鍋を落として修復し始めた時間がぴったり一致するのだ。
私はこの奇妙な偶然が気になって仕方がなかった…
―――さっき、私はその土鍋を割ってしまった。
私はこの土鍋を見ると彼のことを思い出す。
決してそんな凶行を行うとは思えない心優しい彼が生きていた時のことを思い出す。
私はこの土鍋を何度も何度も捨ててしまおうと思った。
でも、出来なかった。
彼がいなくなってから私は既に十数回この土鍋を割っている。
その度に私がその時に付き合っている人や知人が似た様な死に方をする。
全く関係ない人達が同じような事件を起こして死ぬ。
きっとこの土鍋は呪われているのだ。
「……またくっつけないと…」
私はポツリと呟き、既に趣味ではなくなって押し入れに仕舞ったままの陶器の修復用具を取りに寝室へ向かった。
次は誰の番なのか…
それが家族や親しい友人でないことを祈りながら私は土鍋を修復し始めた。
あの時の黒い土鍋 貴音真 @ukas-uyK_noemuY
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます