第9話 前日
初めて双葉さんと接触したあの日から、一週間が経過した。
今のところ、概ね順調と言っていいだろう。
安達さんは幸いやる気を出してくれているし、俺自身のダイエットの方もなんとか進んでいる。
体重や見た目はまだほとんど変わっていないが、体力はついてきたように思う。
筋肉痛も軽度のもので済むようになったし、前よりも5分ほど長く動けるようにはなってきた。
ここまで進めば、痩せる運動を続けることが出来る様になるので、より効率よくダイエットを進められるようになる。
やっといい循環が回り始めてきたので、このまま続けていくとしよう。
ふと、少しだけ不安になる。
今のところ問題は一切なく、あまりに順調過ぎだ。いや、順調なのはいいことではあるのだが、自分が慢心していそうで少し怖い。
(抜けているところはないだろうか?忘れていることは?)
肝心の調理実習は明日だ。念入りに確認しておくに越したことはない。
明日の調理実習では、安達さんが作ったクッキーを本宮に渡すことで好感度を稼いでもらう。至ってシンプル。単純で明快だ。
だが不安は拭い去れない。それは明日のイベントが本来、安達さんのためのイベントではないから。
必ず本来のイベントは起きる。それは避けようがないことなので、あとはどう立ち回るかだけ。
ぐるぐると脳内を回転させて、色んなパターンに対応できるようシミュレーションしていく。
「どうしたの、只見くん?そんな真剣な顔して」
目の前に座る安達さんの呼びかけに、現実に意識が戻った。
「あ、ごめん。少し考え事してた」
「そう?」
安達さんは不思議そうに少しだけ首を傾げたが、すぐに手元の資料に視線を戻した。
人気の減った校内。静かな雰囲気の中、遠くから吹奏楽の奏でる音たちがやってくる。
パチン。パチン。
紙束を止めるホチキスの音。今日も先生に押し付けられた資料作りのため、安達さんと2人で作業中だ。
手元の資料作りに集中しながら、少しだけ目の前の安達さんを盗み見る。
さらさらの綺麗な黒髪。薄く暗くなってきた教室で、彼女の髪がゆらりゆらりと僅かに揺れている。
その髪の間からは、端正な彼女の顔がのぞいていた。
下を見ているせいか、伏し目がちになっていて、彼女の長いまつ毛とても目立つ。
そんな彼女はどこか穏やかな表情で、資料作りに勤しんでいた。
「そういえば、お菓子作りの方は順調?」
「あ、そうだった。只見くんにも味見してもらおうと思って、持ってきたんだよね」
そう言いながら、ごそごそとリュックを漁り、透明な袋でラッピングされたクッキーを取り出した。
「はい、これ。ラッピングは手抜きだけどごめんね?」
「いや、全然いいよ。ありがとう」
手渡された袋にはクッキーが四、五枚ほど入っていて、とても軽い。パッとみた印象はザ、手作り感が溢れていた。
市販品のように整形されているわけではなく、所々歪で形は不揃い。
だが、それが手作り感を演出していて、貰う身としては特別感があって少し嬉しくなった。
じゃあ、早速、と一枚取り出して食べてみる。サクッとした食感と共に、優しい甘さがふわりと口の中一杯に広がっていく。
「ん!美味しいじゃん」
流石に市販品ほどの口当たりの良さはないが、それでも充分においしいと呼べるものだ。
「ほんと!?よかったー」
俺の言葉にほっと安堵した表情を見せる安達さん。柔らかくあどけない微笑みを浮かべている。
「不味いって言われたらどうしようかと思ってたよ」
「そんなことないよ。ちゃんと美味しい。それに双葉さんにも味見してもらってたんじゃないの?」
「蒼ちゃんにも食べてもらってはいたけど、やっぱり好みとか男子と女子で違うから」
「まあ、確かに」
「それに蒼ちゃんには死ぬほどクッキー食べさせたから、最後の方とか嫌そうにしてて当てにならなかったんだよね」
お、おう。えげつないことするな。少しだけ冷たい笑みを浮かべる安達さんに思わずだじろぐ。
この前双葉さんがクッキー食べるために安達さんを利用した仕返しということなのだろうが、なかなかの酷い仕返しだ。
まあ、そんなことが出来るほど仲良いということなのだろうが。
「と、とにかく、クッキーは美味しいから安心してくれ」
「うん。分かった、ありがとね」
そう言いながらも安達さんは何故か少し不安げだ。どこか迷うように視線を揺らして、俯き加減に小さく呟く。
「……ねぇ、只見くん。本宮くんもらって喜んでくれるかな?」
瞳を揺らしながら上目遣いにこっちを見てくる。
彼女は不安なのだろう。そりゃそうだ。好きな人というのは特別で、初めて自分から動くのに不安でないはずがない。
彼女の不安そうな表情に胸が痛む。
本来なら、安達さんはまだ積極的に動くようなタイミングではない。
だが、それを早めたことで、彼女にこんな不安そうな表情をさせてしまった。
俺がどんなに上手く立ち回ろうとも、結局最後にやるのは安達さん自身で、俺ではない。
やっぱりこんなことするべきではなかったのか?そんな考えが一瞬脳裏を過るが、すぐに振り払う。
俺がやろうとしていることは、俺の自分勝手な理想の押し付けなのかもしれない。それでも、安達さんに笑ってもらえる結末があるなら、俺はそれを掴み取りたい。
だから、俺は自分に出来る最大限の応援を口にした。
「大丈夫。男なんて単純だから女子の手作りってだけで喜ぶもんだよ。ほら、双葉さんも言ってたじゃん。燃えかすみたいな炭でも喜ぶって」
「それは只見くんが否定してたけどね」
「まあまあ。そもそもに安達さんは考えすぎなんだよ。普段のお礼ってぐらいの感覚で渡せばいいんだよ」
「お礼……」
「そう、お礼。普段、本宮くんに助けてもらっているでしょ?そのお返しとしてなら気楽に渡せるんじゃない?」
「……確かに。今日も助けてもらったし、そう考えると、渡すの楽だね」
どうやら不安は解消されたようで、穏やかな柔らかい表情に戻った。
「今日も助けてもらった、って何かあったの?」
「実は今日筆箱忘れちゃって、困ってたら筆記用具一式貸してくれたんだよね」
「あ、そうだったんだ」
「うん、今回に限らず、本宮くんってさりげなく色々気付いて助けてくれるんだよね」
「あー、確かに、色んな人をすぐに助けているよね」
普段の本宮のことを思い出す。
困っている人にはすぐに手を差し伸べるし、誰とも分け隔てなく接していて、モテるというのも頷けた。
そりゃあ、安達さんだって好きになるよなぁと思っていると、彼女が俺の言葉に食いつく。
「そう!みんなに優しく出来る人ってなかなかいないでしょ?ああやってすぐに誰にでも助けてあげられるのってカッコいいと思うの」
そう語る安達さんは、瞳をきらきらさせていて どこか上機嫌だ。
普段以上に楽しげで本宮のことが好き、という感じがひしひしと伝わってきた。
楽しそうに本宮のことを語る安達さんは、とても魅力的で幸せそうだ。
この笑顔を守るためにも、明日の調理実習は成功させなければ、そう改めて自分に誓い直した。
現実世界でカーストトップに君臨した男は、負けヒロインの笑顔を守るためラブコメ世界でも陰キャデブからリア充に成り上がる 午前の緑茶 @tontontontonton
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