最終話 群れとは
食事を終えた狼たちが、私には笑顔のように感じた。子供を見つけ、狩りもなんなく成功した。
一匹当たりの配分を見る限り、満腹には至っていないだろう。けど、問題はそれほどない。何故なら、狼は基本的に夜行性だからだ。
今食している角鹿は、彼らにとっては前菜といったところなのかもしれない。
血の付いた口を洗うかのように、狼たちは泉に口をつけた。食事もとれて、水分補給もできる。ここは狼たちにとって、最高の狩場なのだと、改めて感じさせた。
子供たちは水を飲むことよりも、折れて手ごろになった角を必死にかじっていた。幼い前足で角を掴んで安定させ、歯でガジガジと噛んでいる。
角鹿の角は甘いらしいので、さしずめ子供のデザートかおやつということだろうか。
気を休めている狼の群れを見て、こっちも安心してきた。まだ、調査時間は短いが、今すぐに解決しなければいけない問題があるわけではないようだ。
あとは夜の行動も観察し、他の群れが生息していないかも調査をしよう。
そう、私が今後の予定を立てていると、私の体が少しだけ揺れた。
それと同時に、アルファが飲むのをやめて、耳をぴくつかせた。
何かがやってくるサイレン。それが再び、狼たちの耳へと届いてしまった。
音が響くたびに、泉に波紋が広がる。
予想以上に奴は近いようだ。
アルファを筆頭に、群れは逃げ出す準備をし始めた。狼たちには振動の居所が耳を通じてわかっているようだ。
すぐにでもこの場から去ろうとするが、なんと子供たちがまだ角をかじっているのだ。
危機感がなさすぎると、哀れに思うが、まだ子供ということか。目の前にある甘いお菓子に夢中だった。
父親と思われる狼が、焦りながら子供たちを注意する。子供たちは感じていないようだが、大人たちは危機が迫っていることを知っている。
それが伝わったのか、二匹の子供狼はかじるのをやめて、大人たちの元へと向かった。
しかし、問題はもう一匹の子供だ。親の言うことを聞かず、角から口を離そうとしない。この子供、私の見間違いで泣ければ、先ほど迷い子だった狼だ。どうやら、この子は群れの問題児らしい。
父親が叱るように吠えていた。さすがにこれ以上は駄目だと感じたのか、やっと子供は親に従う気になった。
けれど、そうこうしている間に、密林の主は姿を現してしまっていた。
一日二回も森の主に出会うとは、ありがたくない幸運だ。個体数の少ないであろうワリアルスに出会えることは、狼の群れと出会うことと同じくらい確率が低いことだ。
泉のある憩いの場は、再び狩場へと姿を変えた。先程と違うのは、狼のではなく、ワリアルスのということだ。
「グルウウウオオオオオ」
距離をとっている私ですら、耳をふさぎたくなるような強烈な咆哮を轟かせた。
森の王者は、完全に狼たちをロックオンしている。
「逃げるぞ!」アルファは群れに言い聞かせるように吠えた。それを聞いた狼たちは、一斉に逃げ出していった。
子供たちも遅れながら、そちらについていった。
森の奥へと逃げていった狼たちを捕えようと、ワリアルスは追跡を始めた。彼が歩くたびに、地面が揺れるのを感じた。
私も狼たちを追って、全速力でダッシュした。双眼鏡でも見失う可能性があったので、私は危険を顧みず、ワリアルスに近づいた。
ワリアルスは狼たちから目を離そうとはしていない。私に気がつく可能性は低いと判断しての行動だった。
何も装備していない私だったら、両者に追いつくことはできない。けれど、今の私は、サポートスニーカーを履いている。
足への負担、地面を踏む力の強化、そういった補助をこの靴はしてくれる。とはいっても、私は陸上選手でもなんでもないので、全速力で走る必要はある。
群れが出遅れたため、ワリアルスはぴったり狼たちの背後をキープしている。歩幅が大きいというのは、やはり厄介なことだ。狩る側が余裕で走行しているのに対し、狼たちは違う。
逃げるのに必死だ。このままでは、みるみる体力がなくなって、追いつかれてしまうことだろう。特に足が成長しきっていない子供ならなおさらだ。
私の予想通り、子供たち、特に問題児の狼が群れからだんだん離れていってしまう。
子供の狼についている父親が、前を走るアルファたちに向かって吠えた。
それを聞いたアルファは、進路を変えて右に大きく曲がっていった。それに続いて後ろの四匹も曲がった。
それを確認すると、長男ベータが逆の方向へと進路を変更した。子供たちとその両親が、ベータについていく形となった。
二手に分かれて再びかく乱させる作戦なのだろう。けれど、相手は森の主だ。同じ手は二度通用しない。
瞬時に、足の遅い子供たちがいるほうへと、ワリアルスも進路を変えてしまった。アルファたちが遠吠えをするも、全く耳を貸さなかった。
そのままベータたちは走っていき、ワリアルスも余裕な態度でそれを追っていく。
私は双眼鏡の倍率をあげ、一番後ろにいる子供の様子を見た。
下ベロを出し、必死に前へと足を出している。
けれど、今にも疲れて歩みを止めてしまいそうだった。
このままでは、まずいと感じたのは私だけではない。
二手に分かれたことが効果がないことを知ったアルファたちは、距離をとるのではなく、ワリアルスへと詰めていった。
どうにかして、子供たちから目を離させたい様子だった。
もう少しで最後尾の子供が追い付かれてしまう、というところで、アルファが行動を起こした。
角鹿を襲った時のように、驚異的な脚力で、長く伸びた尻尾に向かって飛び掛かった。
ワリアルスが尻尾に痛みを感じれば、後ろを振り向くだろうと思ったのだろう。
その作戦はこの場合において最善策だったのかもしれない。
しかしそれは、相手がワリアルスではなければの話だ。
目を集中して進化させたワリアルスの視野に対して、ある研究家はこう述べた
「奴は驚くべきことに、真後ろまで見えている」
飛び掛かったアルファの体を、ワリアルスの尻尾がうねりながら襲い掛かった。
空中で態勢を変えられなかったアルファは、その攻撃をもろに受けてしまった。
尻尾に打たれたアルファの体は、地面に叩きつけられた。
まだ息はしているようだったが、すぐに立つのは難しい状態だった。
尻尾に手ごたえを感じたワリアルスは、追跡するのをやめて、地面に投げ出されたアルファへと体を振り向かせた。
二人の距離はかなり近く、しかもアルファは体の自由が利かない状態だ。何度も立とうとするが、生まれたての小鹿のように、上手く立てない様子だ。
周りの狼たちは走るのをやめ、ワリアルスに向かって喉が枯れるほど叫んだ。
けれど、ワリアルスは動きを止めず、狼を丸呑みできるほど大きい口を広げた。
その瞬間、ジャングル中に響き渡るほどの巨大な衝撃音が、空中で鳴った
いや、鳴らせた。
自然界には基本的に人間の手を加えない。絶滅危惧種のサポートをすることはあっても、人間の兵器を使うのは、フェアではない。
ワリアルスは決して悪ではない。狼が正義でも、私が正義でもない。それが自然界というものだ。
本来、アルファはここで死ぬ運命だったのかもしれない。
私は、私の信条に背く行動をした。
音の正体は、爆弾による轟音だ。爆弾だが、炎が巻き起こるのではなく。かわりに鼓膜が破れそうなほどの爆音を轟かす。
できるだけ天高く投げて、音との距離をとろうと思ったが、焦って投げたためそれほど飛距離はでなかった。
私はすぐに耳を防ぐことである程度緩和できたが、数秒間は耳鳴りが止まらなかった。手で塞げる私でこうなのだから、もろに流れてくる動物たちには、とてつもない衝撃音だろう。聴覚に優れた狼たちがいるのに使いたくはなかったが、緊急事態のため仕方がない。
狼たちは耳を攻撃されて頭を振り回したり、その場で足踏みしたりと、各々混乱している。
けれど、音響弾のおかげで、捕食者の視線をこちらに向けることができた。
ワリアルスも私たち同様、混乱したようで岩のような頭をブンブン振り回していた。アルファを食うことを辞め、音のなる方角、つまり私がいる方を睨みつけてきた。
森の主はプライドが高い。自らの捕食を邪魔されることを最も嫌うだろう。ワリアルスの瞳はさらにぎらつき、完全に怒りであふれていた。目のいいワリアルスのことだ、すぐに私のことをロックオンしていることだろう。
「グルガラァァァァァ」
自然界に踏み込んだ罰だ。そう意味しているかのような、聞いたことのない怒号だった。私は狩りの邪魔をした。怒られて当然である。それは覚悟していた。
「すまない、森の主よ」
強竜ワリアルスは、牙を剥き出しにしながら、こちらに走って向かってきている。王者の余裕で常に歩いていたワリアルスが、全速力で走ってきている。
戦車が私一人に対して大砲を向けながら、走行してきているような大迫力だった。
通常なら目の前の光景に足がしびれて動けないが、私には覚悟があった。主を激怒させる覚悟、そして禁忌を犯す覚悟を。
私は押し寄せる死神をよそに、リュックから新たな球体を取り出す。今度のは音爆弾ではない。それよりも、ワリアルスに効果的な代物だった。
それは光線弾だ。
ワリアルスの顔面に光が当たる角度に向かって、私は投球を行った。そして、放物線を描いて光線弾は飛んでいき、ワリアルスの正面でタイミングよく破裂した。
すると、眩い閃光が一面に広がった。一瞬しか直視していないが、とてつもなく眩い光であることには間違いない。
私は瞼を閉じ腕で目を覆ったが、それでも光を感じた。光線弾は高額商品で買うときに渋ったが、威力は十分すぎるほどあるようだ。
一瞬視界を奪われ状況を確認できなかったが、ワリアルスがらしくない情けない声で吠えたので、上手くいったようだ。
光を感じなくなったので、瞼を開いた。すると、そこには今にも倒れそうに揺れ動いているワリアルスの姿があった。おそらく、平衡感覚が軽くマヒしているのであろう。
耳や鼻も全く発達していないわけではないが、視覚が高性能のため、ワリアルスは生活の中で目に依存していることが多い。私の生命線がリュックなら、彼らの場合は優秀な目だろう。
そんな瞳を強烈な光で攻撃されれば、焼けるような痛みを感じているのではないだろうか。嘆きながらじたばたするワリアルスをみて、胸がずきずきと痛みだした。
双眼鏡を使って狼たちを確認すると、光はそれほど食らっておらず、アルファを含めた全員が態勢を立て直しているように見えた。
予想でしかないが、空中で光線弾が破裂したこと、ワリアルスの巨体が壁になったこと、これにより距離のある地面にいた狼たちには、効果が薄かったのかもしれない。
あれならば今すぐにでも逃げることができるだろう。
今度は私自身のことを心配する番だ。
一時的に動きを封じているとはいえ、私とワリアルスの二者間の距離はかなり近い。視力を取り戻し、再び襲ってくれば、数歩で飲み込まれてしまう
彼が万全の状態なら、驚異的な視野からは逃れることができない。しかし、今ならば見失う距離に移動できるだろう。まだ補強シューズの電池は切れてはいない。
安全な距離にもしたどり着かなかったとしても、保護色の効果によっておそらくは見えにくいはずだ。いや、そう信じて今は走らならねばならない。
そう思い走り始めようと一歩踏み出すと、あってはならないことが起きてしまった。雑草の中に交じっていた蔓に、足が絡まれて躓いていてしまった。
全速力で逃げようとした分、勢いがのって見事に転んでしまった。私の体は地面に向かって叩きつけられ、物凄い痛みが襲った。
先の尖った葉が全身、特に防具のない頬にかすった。血が出るほどではないが、わずかに痛みは感じた。加えて土で全身が汚れている事だろう。
しかしそんなことは問題ではない。痛みも耐えられる範疇のものだ。
一番まずいのは、この状況で転んでしまったということだ。一秒でも早く、この場から立ち去らなければいけない。
私は光線弾の効果持続にも、ワリアルスの視力にも、特別詳しいわけではない。どれだけの時間、視界を奪えているのかが正確には計ることができない。
だからこそ、一分一秒でも迅速に走り出さなければいけなかったのだ。
痛みを押しのけてうつ伏せから仰向けになるよう体を起こし、ワリアルスに目をやった。
まだ呻いているものの、先ほどよりは随分落ち着いている。少しすれば元通りの状態になってしまうだろう。にもかかわらず、私との距離は全く縮まっていない。
これが野生に手を加えてしまった報いか。長年調査を行っていたなかで危機的状況は数えきれないほどあったが、何度も潜り抜けていた。が、今回ばかりは死を覚悟した。
「グギャッ」
突然、ワリアルスが声を上げた。混乱していた時とは雰囲気が違く、痛みを感じたように聞こえた。
何が起きたのかと確認すると、私は目を疑った。
なんと、ワリアルスの尻尾を狼が噛みついているのだ。顔の形からして、ベータのようだった。
何故、ここに? 逃げたはずでは?
情報が追い付かなく呆然としている私をよそに、続けざまにワリアルスの体に向かって狼たちが飛び掛かった。
ベータだけではなく、群れ単位でこちらに向かってきていたようだ。
ワリアルスは盲目の状態で、全身を噛まれていた。私同様、何が起きているのか把握できず、何度も「グギャ」と声を発していた。
密林竜 ワリアルスの皮膚は、見た目に反して軟らかい。主である彼らに向かってくる無鉄砲な動物は少なく、そのため防御を強化する必要がないとされている。
そのため、狼による噛み攻撃は、かなり有効的だ。
たまらずワリアルスは狼たちを振り払うように、体を回転させる。しかし、狼は持ち前の身のこなしで、すでに距離をとっていた。
「グルロォォォォォ」
威嚇するときのように吠えたが、比べ物にならないほど弱弱しかった。
狼の牙が刺さったところから、少量血が流れている。それが何か所もあるのだから、ある程度はダメージを受けているはずだ。
森の主 ワリアルスは、ほとんど経験しないであろう痛みを感じ、その場か去ろうと足を動かし始めた。
まだ目が見えないのか、痛みのせいなのかは分からないが、ふらついた足取りで森の奥へと退散していった。
主が消えたこの場には、尻餅をついた状態の私と十匹の狼たちしかいない。
絶滅危惧種である狼が、王者であるワリアルスを撃退してしまったのである。
狼たちはじっと私を見つめていた。この距離では保護色も意味をなさないだろう。
調査している間に日が少し落ちてきたようで、森はさらに暗さを増していた。すると、狼たちの眼光が金色になり、気高さと恐ろしさが倍増していた。
私がしゃがみ込んでいるので、ちょうど狼たちと目線が重なっている。
闇に包まれた森の中で、狼たちの体は銀色に艶やかで、瞳は美しく月色に輝いている。
獰猛な獣に囲まれ、恐怖で絶望してもいい状況だ。
けれど私は、神々に出くわしてしまったような、奇跡的で運命的な感覚を抱いた。
群れは私を見ながら停止していたが、次男であろう狼が近づいてきた。
下手に刺激しないよう、そのまま私は止まった。逃げても今の私では逃げ切ることはできないと判断したからだ。
そんななか私は、自分がヘルメットを被っていないことに気がついた。すぐ近くに無造作に転がっているのだ。転んだ時に落としてしまったのだろう。
それを知った私は、思わず片手で角を隠す動作をしてしまった。
これが次男の警戒心を上げてしまった。
次男は口角を上げ、低く「グルルル」と唸った。今にも襲いかかってきそうな雰囲気で、着実に近づいてくる。
狼を見守るはずが、餌になってしまうとは、何とも間抜けな話だ。
結局、私は罰を受けなければいけない、と悟った。
けれど、そんな私の窮地に手を差し伸べてくれる者が現れた。
「戻れ」
吠えたに過ぎないのだが、私にはアルファがそういった意味を込めたように思えた。後ろで私たちを見ていたアルファが、次男の動きを止めたのだ。
それに従うように、次男は私から目を離し、群れの傍へと戻っていった。
私は、アルファと目があった。
何を思って私を見逃したのかは分からない。
ワリアルスから助けた礼なのか、私の持つ道具を警戒して無駄な争いを避けたのか。真意はわからない。
けれど確かなのは、何らかの意思を持って私を襲わなかったということだ。
アルファは群れに指示を出し、私の元を離れていった。
私は、狼たちの後姿を、ただ呆然と見ることしかできなかった。
狼は絆というものを大切にする動物だ。常に集団で行動し、個は群れのために、群れは個のために尽くす。ワリアルスに襲われる仲間を救おうとする勇姿を目の当たりにして、それを知識ではなく肌で感じることができた。
もしかすると、彼らが進化をしなかった理由はそこにあるのかもしれない。
強き者はより獰猛になりプライドも高くなる。ワリアルスがいい例だ。狼から進化した獣の多くも、群れではなく少数や単独で行動することが多い。
彼ら狼は、一人で生きるよりも、家族と共に過ごすことを選択したのかもしれない。
私は立ち上がり、ヘルメットを被りなおした。土や葉がかなりついていたので、強めに服を叩いてはらった。
絶体絶命の危機に直面したが、大きな怪我はしていない。軽く装備を確認して、一度森を後にすることにした。激しく体力を消耗してしまった。けれど、群れの生態は確認することができた。
ワリアルスには申し訳ないことをしたと、心の中で懺悔し、私は森の出口へ向かった。
すると、狼たちが消えていった方角から、透き通った遠吠えが聞こえてきた。それをきっかけに、連続で遠吠えがこだましているかのように私の耳に届いた。
狼が遠吠えをする理由はいくつかあるとされている。群れを集めるため、お互いの位置を知るため。そして、離れた仲間とコミュニケーションをするため。
彼らは十匹全員揃った状態だ。遠吠えをせずとも、近くの仲間と意志疎通をすることはできるはずだ。
では、何故?
もしかすると、彼らは私のことを……
いや、おそらくそれは、私の思い過ごしだろう。
絶滅危惧種観察日記 十匹狼の遠吠え 高見南純平 @fangfangfanh0608
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます