第5話 狩猟本能
信じがたいことだが、進化期以前には、狼と人間が共存していたと言われている。
機械などが発達していない、まだ人が狩りをしていた時代のことだ。狼と人間は、獲物を狩るという目的で協力関係にあった。犬をペットとしていた時代があるように、狼と人間は本来親しき動物同士だったのだ。
しかし、それはある時を境に、敵対することになっていく。
人間の文明が進歩すると、動物を狩るのではなく飼育して安定した食料とする、家畜が主流になってきた。そこで、狼と人間の同盟は崩れ去ってしまった。人間とは残酷なもので、いらなくなってしまったものは簡単に手放してしまう。
まだ、狼との関係を断ち切っただけならばよかった。だが、人間と狼との間にはさらに亀裂が生じた。
家畜を食い荒らしてしまう狼に対して、人間は敵意を示した。そして、かつての友を乱獲していった。ひどい話である。
これによって狼の数が著しく減ったのではないかという説もある。
理想は狼の数が増え、大昔のように人間と共存できている世界になること。
しかし現実は非情で、私は狼の群れを気づかれない位置で、こそこそと歩いている次第だ。
無事、迷い子と合流を果たした狼たちは、別のエリアに移動をしていた。
群れをつけている道中、存在に気付かれないかひやひやした。衣服に迷彩を施したままだが、匂いで気付かれる可能性がある。
けれど、双眼鏡でとらえることのできるぎりぎりの距離を保っていれば、案外警戒はされなかった。気付かれていないのか、はたまた私に敵意がないことを感じ、見逃しているのか。真実は分からない。が、私はとある実験を思い出していた。
古い研究データだ。進化期の前に生息していた通常の犬。彼らは嗅覚が優れており、嗅ぎ分け、何キロも離れた先の匂いも嗅ぐことができると言われていた。
しかし、彼らが寝ている間に、好物であるジャーキーを鼻先に置く。
すると面白いことに、起きることはないのだ。鼻が発達している犬が、寝ているとはいえ好物の匂いに気付かないというのは、興味深いことだ。
これにより、犬は常に嗅覚を鋭く敏感に働かせているわけではない、のかもしれないという説があがった。犬は匂いをたどる際、鼻を前に押し出すように数回動かす。これをしているとき、犬の嗅覚は真価を発揮するのではないか。研究データの中身は、そういったものだった。
この説がもし、狼にも言えるとしたら。彼らは少なくとも私を目視で確認はしていない。ということは、私の臭いをかいでいない可能性がある。それによって、気づかれなていないのかもしれない。
考察は途切れることはないが、ひとまず群れの動向を観察することにした。
彼らはいったん、巣に戻るかと思われた。根拠はないが、子供を見つけたことによってリラックスした状態に見えた。なので、人間でいう家族団欒をするため、寝床に戻ると思っていた。
だが、移動した場所は泉のある森の広場のような場所だった。泉の水は遠くからでもわかるほど澄んでいて、まるで鏡のように輝いていた。
ここで休憩をするのだろうか。
おそらく、多くの動物たちが、泉の水を飲みにここへきている。何故わかるかというと、泉の半径五十メートルほどの地面から生える野草が、異様に縮んでいるからだ。まるで意図的に整備されているかのようだった。
これはおそらく、多くの動物たちが頻繁に雑草を踏んでいるため、自然と足場のいい環境になっているのだろう。
彼らも水分補給をしに来たかと思ったが、様子が変だった。一行に近づかないのだ。それどころか、自分たちの体を隠せる茂みで待機している。
一番先頭にいるボスが、群れを統率しており、それに従って他九匹が屈んで泉の方をみつめいている。
狼のボスのことを私たちの中では「アルファ」と呼んでいる。基本的にその家族の父親が、アルファを務めている。
父が老いれば、長男が必然的に繰り上げとなる。それまで、後継ぎである長男はベータとして、副隊長的ポジションになることが多い。この群れでいうと、一番後ろにいるオスの狼がそれにあたるだろう。
迷い子だった狼を含めた子供たちを、後ろから見守っている状態だった。
子供たちの前にいる男女のペア、彼らは両親であり夫婦であろう。先ほど双眼鏡で見たところ、母親の腹は僅かだが膨れ上がっているように見受けられた。この群れだけでまだ繁殖をしているということは、嬉しい情報である。
そして、親子の前にいるのが、狼年齢でいうと少し老けているので、アルファの妻だろうか。その前に二人揃っている若い男女は、次女と次男だろう。カップルのようにべったりとくっついているわけでも、距離をとっているわけでもない。
狼が待機しているおかげで私もじっとしていられるので、メモを取ることにした。家族構成を把握するのも、調査隊として大切な仕事だ。
まず、群れの長 アルファ 1 長男 ベータ 1 アルファの妻 1
妻の子供と思われる次男次女 2
おそらく長女であり子供たちの母親は1に、その夫が1。そして、子供が3匹。
合計 10匹の群れだ。
実際に「どういう家族構成ですか?」と狼たちに聞いたわけではないので、多少の誤りはあるだろう。誤りがあれば、今後調査をするうちで随時、訂正していきたいと思う。
彼らは集団で、じっと何かを待っていた。
すると、泉に静かなる来訪者がやってきた。軽快な足取りで、それは泉に近づいてきた。
体格は狼よりも若干大きく、同じ四足動物だ。草食動物で、主に苦みのある葉を好むと言われている。
それの先祖は鹿と呼ばれる動物で、角と足の速さが特徴だ。戦闘能力は低いが、俊敏さに優れており、肉食動物が捕まえるのは一苦労だったという。
中には、車並に巨大で凶暴な鹿も確認されており、見た目によらず生物として優秀な動物である。
この鹿の種別名は角鹿頭部から本物の木が生えているのではないかというぐらい、立派で枝分かれした角を二本、携えている。
進化期を超えたこの角鹿は、特に角の強度と長さなどに重点を置いて進化を果たしてきた。自らの体の三分の一はあるであろうその巨大な角は、彼らにとっての鋭利な刃物だ。
肉食動物に襲われるとその角を槍のように、相手に向かって構え、全速力で突進する。狼の体ぐらいなら、いともたやすく貫通してしまうだろう。
角鹿は一匹だった。迷いなく泉に近づき水をチロチロと飲んでいる様子を見ると、群れからはぐれたというよりは、もともと一匹だったと推察される。
なんというか、少し間抜けな話だが、角鹿はその特徴的な角を進化させすぎたせいで、単独で行動することが多い。
広がりすぎた角は、周りにいる仲間の鹿にあたってしまうそうだ。大型動物を撃退できるほどの凶器である角にかすりでもすれば、皮膚が傷つき出血する恐れがある。だから、仕方なく一匹でいることが多いのだろう。
単独行動は自然界に置いて不利なように見えるが、この角鹿の場合はそれほど影響が出ないように見える。
草食動物なので狩りをする必要はないし、このジャングルなら一生食べ物には困らないだろう。敵に対しては、自分の身は自分で守ることのできる動物なので、ある程度は戦える。
大体の肉食動物は、自らを攻撃してくる角鹿を発見しても、安易には近づかない。
しかし、それは角に怯えて逃げ出してしまう動物に限る。
獰猛であり勇敢な彼らには、そんなことしったことではないのだろう。
狼たちは、この鹿を狩るつもりだ。様々な動物の憩いの場であるこの泉は、彼らにとって最適の狩場なのだろう。
あの鹿を狩ったとしても、十匹で食べれば一匹当たりの量は少ない。とはいっても、貴重な食料であることに変わりはない。
それに、角鹿の角は美味であるという説もある。もちろん、食べることはできないので腹の足しにはならないが、かじると甘みがあるらしい。私は食べたことがないのでわからないが、狩りに成功した肉食動物が、おやつ感覚で角を食べている光景は何度か見たことがある。
自然界では食える時に食っとかなければ、命取りになる。狼たちは、多少怪我をしてでも、角鹿を狩る覚悟があるようだ。遠目でしか分からないが、彼らの目には静かに燃える闘志を感じる。
長であるアルファが、草木の音をたてぬよう静かに、その場で体を起こした。茂みから僅かに体がはみ出している。しかし、水に夢中な角鹿は気がついていない。
アルファは後ろを振り返り、頭をクイっと動かし、何やら群れに指示を出しているようだった。
「お前たちは後ろに回れ」
このセリフは私の勝手な想像だが、アルファの仕草からしてそう言っているような気がしてならなかった。
指示を貰った若き狩人の次男と次女が、一緒に群れから離れていった。彼らは後ろから奇襲する役目のようだ。角鹿と十分に距離をとりながら、隠密行動で後ろに回っていく。
次男たちが定位置についたことを確認すると、アルファが戦闘態勢に入った。それをみた後続の狼たちも、静かに腰を上げ狩りの準備をした。
どうやら、子供たちもこの狩りに参加するようだ。参加といっても、先陣をきって角鹿と戦わせることはないだろう。
アルファ一匹で襲い掛かった場合、反撃をされる場合がある。しかし、八匹という集団で行けば、おそらく角鹿は逃げ出す。数合わせでしかないのだが、傍観者ではなく狩人になっているということが重要なのだ。
特に絶滅危惧種一匹の命は重い。出産することのできるメスが一匹減っただけでも、繁栄の危機になることもある。だからこそ、他の生物よりも早く子供が一人前にならなくてはならないのだ。
開始の合図は、静かなものだった。
これは狩りではなく、暗殺に近いのかもしれない。
狼の特徴はたくさん存在するが、その中に体躯の小ささもあるだろう。肉食動物というのは決められているわけではないが、体が大きい傾向がある。雑食は別だが、肉食は狩りをしなければいけない運命だ。
なので、強靭な肉体とパワーは必要不可欠だ。中には古代チーターのようなスピードに特化したものも存在するが。
進化期もその傾向を引き継いでいた。さっきのワリアルスのように、獰猛で巨大な怪物のような姿になっていった。
しかし、狼は違う。
密林の自然に隠れてしまうほど体は小さく、牙や爪も鋭いが巨大とは言えない。狩りにおいて不利とも思えるが、彼らは暗殺者だ。かえって好都合なのだろう。
アルファが茂みから身を出し、できるだけ背を下げ、尚且つスピードの出る態勢で近づいていく。
まだ角鹿は気がついていない。五十メートルほど両者の距離は離れている。足場が密林にしては良いが、それでも小枝などが落ちていて音はしてしまうものだ。けれど、アルファはまるでそこにいないかのような気配で、近づいていく。
アルファがジャンプをして飛び掛かれば、食らいつけるであろう距離になったとき、さすがに角鹿は気配に気づいた。けれど、すでに十分に接近している。
角鹿が飲むのをやめ、振り返ろうとした瞬間に、アルファは前足に力を入れて前方に跳躍した。
角鹿の後ろは絶望的に無防備だ。巨大な角も、後ろを覆うほどはない。そのため、常に後方に意識をしているはずだが、休憩中とアルファの技術が重なり、危機感が薄まっていた。
角鹿の腰辺りを、研磨されたかのように尖鋭な牙が、容赦なく襲った。だが、それほど深くはなかった。
角鹿が振り返ったため、狙いがぶれてしまったようだ。それでも、軽く出血させるぐらいには刺さったようだ。
「キャキャー」
甲高い叫び声がした。角鹿の鳴き声だ。背後からの一撃による、痛みと驚きを現したかのような鳴き声だった。
鹿の鳴き声は種類にもよるが、人間でいうところの女性のようなやや高めの声だ。
叫びながら振り向ききった際に、巨大な角が勢いよくアルファを襲う。が、ある程度予想していたようで、なんなく避けた。
双眼鏡からみると頬をかすめたようにも見えたが、血は出ていないようなので大したことはないようだ。
アルファはいったん後ろに下がり、距離をとった。角鹿は血をぽたぽたと垂らしながらも身構えているので、両者が対峙している状態だった。
その場にいるわけではないのに、殺気のまじった緊張感がこちらにも伝わってきた。
角鹿は先ほども述べたように、逃げるよりも闘いを選ぶ。今の段階では、アルファと正面切って闘うつもりのようだ。
それを感じたのかアルファは「今だ」と、その場で短く吠えた。すると、ぞろぞろと後ろにいた狼たちが姿を現した。
狼たちの四足状態の身長は、私の腰の高さもないが、八匹もいて、さらに牙を剥き出し威嚇していれば、一目散に逃げるだろう。
それが、角鹿の場合は目線が同じなので、迫力は私から見るよりも凄まじいものだろう。
好戦的な性格とはいえ、さすがにこの数を相手にするつもりはないようだ。
数に圧倒された角鹿は、休憩所を後にしようと後ろを向いて逃げ出した。手負いとはいえ、足の速さは健在だった。角に目が行きがちだが、鹿は本来逃げ足の速い動物なのだ。
それを追ってアルファたちも動き出す。けれど、それほどスピードは出さなかった。角鹿と対面した時は獰猛にみえたが、なかなかクレバーな性格だ。体力の消費を抑えているのだろう。
彼らは、その先に何がいるのかを知っている。私もわかっているわけだが、群れに思考を持っていかれた角鹿だけは、それを理解してはいなかった。
奥へと逃げていく角鹿の前へ、潜伏していた伏兵があらわれた。アルファより威圧感はないが、二匹いれば角鹿の足を止めるのに十分だった。
挟み撃ちにあった角鹿は、無力に等しい。おそらく、狼たちはそれを知っていたのだろう。
角鹿と狼の勝負は、狼の作戦勝ちで幕を閉じた。
必死に角鹿は抵抗するも、息を引き取るのにそう長くは感じなかった。
生命が命を落とすのは仕方がないことだ。弱肉強食は進化期を遂げても変わらない、地球の絶対的なルールだ。
そうはわかっていても、血を流していく角鹿を見ると、胸を締め付けられるような思いだった。
けど、目を反らすわけにはいかない。私はこの目と耳で、彼らの全てを記録しなければいけないのだから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます