侍VS俺VS

松本

侍VS俺VS

 休日のお昼過ぎ、通勤客もまばらになった駅のプラットフォームにて、俺は侍に切り殺された。始まりは些細な事だった。令和のこの時代に白昼堂々と袴を身にまとい、刀と脇差を腰に付けて乗降場に仁王立ちする時代錯誤の滑稽さに俺は好奇心をそそられたのだ。俺は侍に接触を図った。俺の侍に接する態度に、異質なものと関わる際特有の自然な蔑みがあったことは否定しようがない。俺はすっかり油断していたのだ。こんなに堂々と異装をして突っ立っていられるような鈍い精神の持ち主に、どうせ言葉の裏の悪意なんて読み取れまいと思い込んでいた。俺の予想は外れ、侍は俺の発言に隠された嘲笑を機敏に察し取り、侍の右手は耐え難い恥辱にわなわなと震え始めていた。侍が腰の刀に手を掛けたと思うや否や、電光石火の如く俺の身体を引き裂いた。鮮血に染まったプラットフォームの中、俺は赤い水たまりの中に伏した。その後、俺と侍はすぐに駆け付けた警察に連れてゆかれた。


 取調室に俺と侍と刑事の三人が三角形になって座っている。

「ですからね、彼は私を斬り殺したんですよ。彼は殺人罪に問われるべきです。」

俺の問いに刑事が答えた。

「私は最初、コスプレか何かだと思っていました。しかし、いくら問いただしてみても、『拙者は市川家の侍、市川十衛門でござる』と態度は一向にブレない。つまり、彼は侍のコスプレをしているわけではなく、まごうことなき正真正銘の侍だということになります。あなたは彼を蔑み、武士の誇りをないがしろにしたわけです。武士を辱めることは死に値する行為です。」

「切り捨て御免は確か江戸時代あたりの制度でしょう」

「ええ、おっしゃる通り。しかし彼は侍ですから」

ああ、何ということだ。侍は俺を斬り殺したというのに、「切り捨て御免」によって無罪放免となるらしい。

「納得できません」

「おぬしは武士を笑いものにした。裁かれるべきはおぬしじゃ」

「だからなんで武士の恰好なんてしているんですか?」

「拙者は市川家の武人…」

「一向に埒が明きませんね」

「おのれ!この期に及んで拙者を愚弄するか!」

俺と侍がヒートアップしているところに刑事が割り込んだ。

「では、一騎討というのはいかがでしょう」

「ふん、よかろう」

「よかりませんね。一騎討は確か決闘罪かなんかの罪に問われるはずです」

「彼は侍ですよ?」

「ああ、確かに」

彼は侍だから一騎討も認められるのだそうだ。俺の命を奪った侍を撫で斬りにしてやろうという気持ちが一気に沸き立った。

 

 三人は取調室を離れ、決闘にふさわしい広い体育館に移動した。そこで俺と侍は一線上に向かい合っていた。

「待ってください」

俺は声を上げた。

「俺は刀を持っていません」

「おっと、そうでした。ほら、あなたの刀をお返ししますよ」

刑事はそう言って取り調べの際に押収したビニール傘を渡した。

「ちょっと待ってください。こんなんじゃ勝ち目がありません。警棒か何か貸してくれませんか?」

「しかし、あなたは一騎討に同意しました。つまり、そのときからあなたも武士となったわけです。あなたが武士である以上、獲物の管理は自己責任で行うべきでしょう」

確かに、刑事の言うことは最もだった。

「脇差でもいいんで貸してくれませんか?」

「ならん」

「やっぱりそうですよね」

「お主、一度引き受けた勝負、まさか辞退するとは申すまいな」

上目でこちらを見据える武士の姿は気迫に満ち、チリチリと空気が焼ける音がした。侍の放つ覇気に突き動かされ、俺はビニール傘を両手で構えた。侍はまだ微動だにしない。一瞬の気のゆるみが命取りとなる中、換気扇の回転音だけが何倍にも増幅して響いた。ついに緊迫感に耐えられなくなった俺は全力で駆け出し、侍の脳天めがけて獲物を振り下ろした。侍は目にもとまらぬ抜刀術で俺の一撃をいなし、一呼吸おいて切断されたビニール傘が地に落ちる乾いた音が鳴った。俺の手元にはJ字状の持ち手と、竹槍のように尖った金属の棒だけが残った。そのとき、俺の中で何かが動いた。休息を与える暇もなく剣戟が飛んできた。俺はほぼ無意識に、最小限の動きでそれらすべてをかわした。そうだ、思い出したぞ。俺は日本初の傘術、一傘流の創始者、雨道傘衛門であった。限界まで傘の腕を極め、無謀にも決闘を申し込む連中を屠る日々。そんな日常に嫌気がさした俺は、血塗られた日々を記憶の底に封印し、平凡なサラリーマンに擬態して生きていたのだ。刀と傘が衝突する感覚によって、抑え込んできた記憶の全てが一瞬にして流れ込んで来た。こちらに駆け込んでくる侍の動き、彼の刀の辿る軌道もすべてスローモーションのように感じられた。左上からの振り下ろし、左足を踏み込み右半身を引き付けることで距離を詰めながら紙一重で交わす、すぐさま飛んでくる切り返しを傘で弾いて、傘の先端を心臓に突き刺した。侍が膝をつく。傘を引き抜き、血液を着物の裾で拭って鞘に収めた。

「み…見事…なり…」

「お主もなかなかの強者であったぞ」

侍は体育館の上部の窓からのぞき込む夕焼けをスポットライトに、誉高き最期を迎えた。


「あなた…!ああ、あなた!!」

女性の悲痛な叫びが響き、刑事の他にもう一人傍観者がいることに気づいた。またもや時代錯誤な着物を身にまとっているあたり、おそらく侍の配偶者なのだろう。彼女は着物が崩れるのも意に介さず大股で侍に駆け寄り、骸を仰向けにして頬に手を当てた。

「あなた…どうして死んでしまったの?武士の名誉のためなんかに命を投げ出すなんて…ホント、あなたってバカ」

彼女は侍の手を胸に押し当て、大粒の涙を零している。しくしくとすすり泣く彼女に俺は、奥さん、と声を掛けた。

「たかが武士の名誉、あなたにはそう見えるかもしれませんがね、彼にとって武士とは、命を投げ捨ててでも守る価値がある、大切なものなんです。彼は決して不幸ではありませんよ。信じるものの為に最期まで自分を貫けたんですから、彼はとても幸せだったと思います」

それでも彼女はしばらく涙が止まらないようだったが、もう少しすると俺の言葉を受け入れたのか、ようやく口がきけるほどに落ち着きを取り戻していた。

「そうよね…。ありがとう、私も覚悟を決めたわ」

彼女はゆっくりと、それでも力強く言った。

「私の心は、常にあの人と共にありたい。ねえ、あの人と同じ場所で、同じ死に方をしたら、あっちの世界でもあの人と邂逅できると思うの。だから、ここで私を眠りにつかせてほしい。あなたがあの人にしたのと同じやりかたで。構わないわ。だって、私の信じる道だもの」

彼女の頬には生乾きの涙が染み込んでいるものの、目線は一切ぶれず、侍が武士道に捧げるそれと同質の信念が感じられた。

「あ、それは自殺幇助罪に問われるので、無理ですね」

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