英雄譚③
◆
子を三人産んでなお、その美しさが評判だった叔母上の腹から腸が漏れ出る。大叔父上の厳しい稽古から逃げ出した俺を、よく探しに来てくれていた兄の首が胴から離れた。片目を抜かれながらも、再び立ち上がった父は顔をつぶされてしまった。
共に育ち、共に飯を喰らい、共に生きてきた家族たちが魔王に蹂躙されていく。
「ばば様、いい加減に降りてくれ! ばば様を背負っているせいで俺は未だ剣すら抜けていない」
俺の言葉に、背負った祖母は微動だにしなかった。
それどころか、肩を掴む手に力がこもる。
「待て……お前は優れた剣士だが、万が一の勝ち目はない」
「だからと言って、じっとしていられるか」
「だから見よ。奴の剣筋を追え、奴の思考を先んじろ、勝機を見つけるなら今しかない」
あまりの歯痒さに、腸が煮えくり返りそうになる。だが、だからと言って祖母を投げ出すわけにもいかない。
俺は祖母の言葉に従い、じっと目を凝らす。
呼吸を整え、魔王の剣に穴が開くほどみつめる。
そうすると微かながら、その剣に違和感を覚える。魔王は、左手を庇っているようにみえた。
「何が見える?」
「大叔父上の一撃は、届いていたんだ」
よく見れば、魔王は傷こそ負っていないが当初より確実に動きが悪くなっている。
皆の必死の剣が、少しずつではあるが確実に魔王の体力を奪っているのだ。
「このまま数で押せば、いつかは魔王も倒せるかもしれない」
「その通り、だが奴が衰えるのを待つ気はないぞ。少しでも早く奴を倒せば、それだけ仲間の命を救える」
「不意打ちなら。いや、奴は死角からの親父の剣すら交わして見せた」
「奴の目は、異常なほど良い。魔王は常に、動きある者を視界におき、その挙動を把握できるように努めておる……」
祖母が、急に黙り込む。
「どうした、ばば様?」
「奴は、お前のことだけ見ていない。いや見えていない気がする」
「どういうことだ?」
祖母は、俺の背から降り俺の姿を一瞥する。
「剣か……? いや、確証はないが」
「ばば様、何か知恵があるなら貸してくれ」
「奴は、自らを前に剣すら抜けぬ臆病者を敵としてみておらんのかもしれん。つまり、いまだ剣を抜いていないお前は魔王にとっていないも同じ。
ならば、お前の剣ならば魔王に届くやもしれぬ。だが、奴を一刀のもとに切り伏せられなければ……」
「ばば様。俺の得意な剣を忘れるとは、もうボケたのか」
「居合か」
魔王を中心に、仲間たちの骸が足の踏み場も無く円周に広がっている。
だが、勇者一門の誰一人として意に介さず魔王に挑む。仲間の骸を踏み荒らし、血に足を滑らせようとも我らは宿願足る魔王を打ち倒すのみなのだ。
俺は、祖母の手振りを合図に魔王の背後へと回り込む。
魔王を狭間に、祖母と目が合った。これが、今生の別れとなるやもしれぬ。
減らず口の絶えない、気難しい年寄りであったが、いまとなっては何もかもが愛おしくてたまらない。
「ちぇえええいぃあああああああああああああ」
祖母が、今まさに絶命し膝から崩れ落ちる仲間の隙間を縫い魔王へと躍りかかる。
同時に、俺は全身全霊をもって地を蹴った。
居合。
極東の地に伝わる、剣を鞘から抜き放つ動作を持って敵に一撃を与える剣技。
本来剣技にあるべき構えを捨て、静から動へと瞬時に入れ替わる迅速の剣。
その直前まで、剣は鞘に収まっているが故に魔王は俺を敵と認識できない。
我が一門、最速の剣受けてみよ。
祖母がその小さき体で魔王の蹴りを受け、壁まで飛ばされる。
その衝撃に、肺腑の空気がすべて抜けたのであろう。祖母の叫声が止まり、ほんの一瞬だけ場が沈黙に包まれた。
ちりん。
後に、鈴の音と語られた鞘を走る刀身が調。
続くは、魔王の右腕が地面に打ち付けられる音であった。
胴を上下に切り分けたつもりであった。
生涯にわたり、最高に剣が奔った。だが、それでも魔王は躱して見せたのだ。
額から冷や汗が流れる。ああ、遂に俺にも死が訪れるのだ。
不意に、人の気配を感じた。
大勢の人間の声に、鎧と剣がすれる音。沸き立つ歓声。
ああ、いったいどれほどの時間、我らは戦い続けていたのだろうか。大平原にて戦っていた、国の兵隊たちが遂に魔物の軍団を突破し魔王城に雪崩れ込んだのだ。
「ここまでか」
利き腕を斬りおとされたというのに、魔王はその冷静さを微塵も失わず穏やな様子であった。
「我が腕を堕とすとは見事なり。しかし、今日はここまでとしよう。
今宵の大合戦は貴公らの勝利だ。しかし、私は力を蓄え再びこの魔王城へと帰って来よう」
魔王は踵を返し、俺のことなど気にも留めず歩みを進める。
その背に、黒く大きな影が覆いかぶさる。
「なっ!?」
魔王が、初めて驚きの声をあげた。
「俺が勇者だ。俺こそが勇者だ」
大叔父上だ。袈裟切りにされて、倒れたはずの大叔父上が息を吹き返し、魔王を逃すまいと覆いかぶさったのだ。
それと時を同じくして、人ならざる獣じみた叫喚が骸の中よりあがった。
「あ゛あああ゛あ゛あ゛ああ゛ああ」
声にもならぬ声をあげたのは、顔をつぶされたはずの我が父であった。父は血と涎をまき散らしながら、魔王の足へと剣を突き立てた。
魔王の喉から唸り声があがる。
「このイカレどもめ、倒れたままなら生き残れたやもしれぬというに」
魔王が、まとわりつく親父たちを振りほどこうと剣を振り上げる。その手首が、伯母上の槍によって貫かれた。腹を割かれた伯母上は、漏れ出た腸を片腕で抱え込み、片膝ながら最期の一突きを見舞ったのだ。
「誰でもない、私が、私だけが真の勇者だ!」
伯母上の口上に連れられて、倒れたはずの一門の皆々が、続々と立ち上がる。
「いや、俺だ」「ワシこそが勇者だ」「勇者勇者勇者勇者勇者勇者」
動きを止められた魔王の体に、次々と剣が差し込まれていく。
「ぐあああああああああああああああ」
魔王の膝が地につく。しかし、それでも一門は止まらない。
受けた痛み、失った家族、勇者の一門に生まれた使命。あらゆる思いを載せて、皆が魔王へと剣を、槍を、斧を、突き立てていった。
その悲鳴が明け、魔王の目より光が失われた時分。
その体は、かつて生ある者であったとは思えぬ巨大な剣山と化していたのだった。
◆
「それで、何人生き残ったのだ」
「20余名ほど。当主含め、我が家の主だった男たちはほとんど死に申した。
最期に立ち上がった者たちも、もはや執念にのみ体を突き動かされていたのでしょう。
魔王亡き後、しばらくして息絶えました」
「それは申し訳ない事を聞いた」
「いえ、それが我ら勇者一門の宿願なれば」
「うむ、世界はまさに主ら一族によって救われたのだ。
さて、その類まれなる働きには当然、王家は報いなければならぬ。
お主らは、何を望む」
「魔王に挑んだ全ての者に《勇者》の称号を」
「―――よかろう。いやしかし、伝説に倣えば魔王を前に、剣を抜いた者を勇者と呼ぶは当然のこと。勇者の称号だけでは、ちと寂しすぎる。
他に、望むことはないのか?」
「……ならば、我ら一門に仕事をお与えください」
「恩賞ではなく仕事が欲しいと申したか?」
「ええ。我が一門は、長年の苦しみに耐えようやく真の勇者たる機会を得ることができました。
しかし、此度の戦に列することのできなかった童ら。それに、まだ見ぬ我が子孫たちは、我らと同じ《勇者》への執着に苦しみ苛まれることでしょう。
ですので、時に際して彼らにも、我らと同じ機会をお与えいただきたいのです」
「具体的には、何がしたいのだ」
「未来永劫にわたって、我ら一門を魔王番として彼の地に配して頂きたく―――」
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