玉座の間にて

ふっくん◆CItYBDS.l2

先の王の死


ふと、自身の手が震えていることに気づく。

長きにわたる魔王の不在に、いっそのこと私自身がその椅子に座そうかと企んだこともあった。あるいは、新しき魔王に相応しき力なければ、その首うち落とし自身が成り代わろうかとも。

それだけの野心と、それを適えるだけの器量は持ち合わせているつもりでいた。


千年の間、空席であった玉座。

主なく冷え切ったであろうその黒檀こくたんに、今日この日再び熱が宿った。


名のある魔物どもを、その力をもってしてねじ伏せ。

彼は、魔物のいただき魔王の座にたどり着いた。


たくましき体躯からは、オーラが黒きもやのように立ち昇り。その輪郭を霞ませている。

しかし、その圧倒的存在感に。彼がいま、そこにおわすことを誰一人として疑うことはないだろう。


ほどなく、人類にも彼の即位が伝わるであろう。

彼が魔王として君臨する限り、魔族たちの悲願である滅びと嘆きにあふれる世界が必ずや訪れ、人々は恐怖に打ち震え夜毎震えて過ごすこととなるのだ。


意図せず、震えた手が剣のさやに触れた。その冷たさに、私は吃驚きっきょうし思わず拳を強く握りこんでしまう。手のひらに爪がくいこみ、血がにじむ。

何が、相応しくなければその首うち落とす駄。固く閉ざされ言うことを聞かぬ拳で、いかに剣の柄が握れようか。

私の、愚かな野心は本物の魔王と対峙することで霧散してしまったのだ。


彼と、剣を交えれば私は確実に死ぬ。

いや、死すらを超える苦しみをこの身に刻まれるであろう。

鞘より、剣を抜くことができない。そもそも、彼と戦う意思が湧かないのだ。もし許されるのであれば、いますぐ裸足で逃げ出したいほどだ。

御伽噺おとぎばなしでしか知らぬ、伝説の恐怖がいま私の目の前にあるのだ。


そんな私の葛藤を見抜いてか、魔王はくつくつと笑い目を細めた。


「安心しろ、とって食おうとは思わん。だが、いささか無礼ではあるな」


「申し訳ございません。我が一族は、礼より先に剣を学ぶ故」


「それで、貴様は誰だ」


「我らは、魔王の座を見守ることを宿命づけられた一族でございます」


「なんとも、けなげな一族だな。しかし、答えにはなっておらぬ。我が問うたは、貴様のことよ」


魔王からの問いかけに、私は自らの役目を思い出した。

なぜ、私はここにいるのか。それは、三千世界に蔓延はびこる影を確かなものとするため。

それは、魔王が世界の敵と為らんとするのを助けるため。


まずは、語らねばならぬ。

一族に伝わる、先の世の魔王と勇者の戦いを。


「私は、一番槍にして語り部。先代魔王の最期を、お伝えするべく御前におります」


魔王は、私の口上にしばし前のめりとなった。


「人に滅ぼせられし、先の王。我は、彼奴を惰弱だじゃくであったとは思わぬ。それほどに、魔王の座は遠く果てなき高みにあった」


その御身姿に、私は改めて確信する。

既に、天下に並ぶもの無き力を携えながら、それでもなお先に学ぼうという姿勢。

今上の魔王は、傲りや慢心とは無縁であるのだ。

なれば、新たな王はかつての王より遥かに強いだろう。


この勤勉なる魔王を、打ち倒す隙など一寸ほどありはすまい。

しかし、そもそも魔王とはそうあらねばならない。そうでなくては、我らが欲する魔王足り合えない。

そのためだけに、我ら一族は語りを紡いできたのだから。


「勇者に生なし、勇者に死なし。


先王、幾たびも勇者の首を撥ね、胴を螺旋ねじきり、頭顱とうろり潰し。

その眼を飲み、皮を剥ぎ、腸を喰らった。


されど勇者怯むことなく漸進す。

かの者に恐れなし。喜んで命差し出す者なり。


勇者、死す度、力を得。


遂には先王の戟を躱し、その肌に擦疵かしを刻む。

次いで指を堕とし、肉を削ぎ、その切っ先が喉を貫き申す。


勇者、侮るべからず。

かの者に、久遠くおんの死を与う」


魔王の喉が、低く鈍く唸った。


「我が一族に伝わる、魔王の最期にございます。口伝故、委細わかりませぬが、かつての勇者は蘇生魔法が使えたものと我らは解しております」


「馬鹿な」


「なぜ、否定できましょう」


「魔法とは、世界の理を超え奇蹟きせきを現出する術。

邪法、魔法と呼ばれる所以はそれだ。


だが、その魔法をもってしても失われた命には触れられぬ。

それが、理外の術、唯一の理なのだ」


「勇者は、女神の加護を受けていたと聞きます。神の力をもってしても不可能でしょうか?」


「ふむ、神もまた理外の存在。ならばあるいは―――。あいや、確かに人間が先の王を討ち取ったという事実を知れたのみで充分」


「一族に伝わる物語。王の力添えとなりましょうや」


「うむ、よくぞ千年の長きにわたり伝えたものよ。大儀であった。

時に、貴様は己をもって一番槍と申したな。ならば、早速その槍振るうがよい」


魔王は、嫣然えんぜんと立ち上がりその右手を前へとかざした。


「我は魔王。全てをり砕き、打毀うちこわし、滅尽せし存在。

光を闇に、希望を絶望に。罪を賞に、生を死に。ハライソを地獄に。悉くを覆し、万物を翻せ。


王の名のもとに命ずる。

フィンブルヴェト大いなる冬の使徒として、その先駆けと成れ」


その豪然たる声明に、私の拳は震えを止めた。

魔王の御手と、淀みなき眼が指し示す敵は人類。

かの者は、その口舌の全てを世に現出せしめるであろう。


これは決して、夢や願望といったかすかなものではない。

魔王の、魔族たちの宿願がいまここに成就する。


胸中より恐怖が立ち消え、熱と力が沸き上がる。

そうか。これが、我ら一族が血に宿し魂に刻まれた力。


ならば今こそ。

新たに後世に語られる伝説が、幕を開くのだ。

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