勇ある一門
◆
魔王を討ち果たした男。果たしてこれは虚言ではないのか。
そう疑わせるほどに、男の表情は柔和で人懐こいものであった。
加えて、そのししむらの果敢無げさよ。
とても、この若者が、血と鉄にまみれた魔族共との大合戦の渦中に居たとは到底思えぬ。
「不躾で申し訳ないが、本当に貴殿が魔王を討ち取ったのか」
「はい陛下」
「いや、貴殿が偽りを申しているとは思わないが、その、なんだ―――」
思わず、言葉に詰まる。
その細き腕でよくぞ、とは言えぬ。目前に立つは、人類の救世主。
『勇者』と呼ぶべき、英雄であるのだから。
「いえ、仰りたいことはわかります。ただまあ、我らは勇者の血筋でありますれば」
私の心中を慮ったその言葉に、ひとまずの安堵の息がこぼれる。
やはり、印象に違わぬ配慮をもった青年だ。
だが、気になることを申した。
「『勇者の血筋』と?」
「はい。私共の先祖は、かつて先の世の魔王を打ち倒した『勇者』にございます」
「ほう、我が国勃興の折に尽力したという勇者の子孫であったか。
いやしかし、伝説の勇者の子孫が残っていたとは知らなんだ」
「ははは、まあご先祖の働き以降は特に活躍なく辺境にて暇を持て余していました故。
ご存じなくとも仕方ありますまい」
「しかし、今ここに我らは魔王を打ち倒した新たな英雄を迎えているのだ。
まずは、貴公の家について話を聞かせてもらえるか?」
「それでしたらまず我が先祖の話から始めましょう」
ふと視線を横に移すと、常ならば眠たげにしている衛兵が今日は目を爛爛と輝かせている。
まったく現金な奴だと頬が緩む。だが、英雄の冒険譚が直に聞けるとあらば致し方もあるまい。
現に、老いた私でさえ勇者の語り口に心躍らせているのだから。
「およそ500年程前の話にございます。
我らが先祖は、僅かな仲間と共に破壊の権化である魔王を打ち倒し。
その、働きから当時の王より『勇者』の号を賜りました。
その際、併せて頂戴した極北の領土領民を持って我が一門を起ち上げたのでございます。
初代は一平民から成りあがったにも関わらず、領民たちは温かく迎え入れてくれたと聞きます。
そして、親しみを込め《勇者さま》と呼び従ったそうです。
以来、我が家の長は総じて《勇者さま》とあだ名されるようになりました。
ところで、陛下は『勇者』の由来をご存じでしょうか」
「勇気ある者の意と心得るが」
「いかにも、魔王を前にして剣を抜く勇気を持つ者。それが由来にございます」
首をひねる。それは実に妙な話であった。
戦場に身を置く男衆にしてみれば、剣を抜くなど息をするのに等しき行い。
たかが、剣を抜くことをもってして勇気ある者と称するとは実に奇異ではないか。
「御疑念もっともかと。私も、由来を初めて聞いた時、かつての人類は如何に臆病であったのかと嘆いたほどです」
ふと、悪戯心が湧き上がる。
「称号を与えた我が王家も含めてか?」
見る見るうちに、若き勇者の顔が青ざめる。
「いや、あの」と取り繕う様は、まさに叱られた童のようではないか。
勇者の人となりが見れるかと、思い付きでからかってみたが想像以上に見た目通りの男であった。
「あの、大変失礼いたしました。なにぶん、礼儀を知らぬ田舎者ゆえ……」
「すまぬ。少しばかりからかっただけだ。続けてくれ」
自然と口元が緩むのを感じる。
その厳格さに、周囲より恐れられることも多い私がこのような戯れに興じるとは。
どうにも、この男には不思議と周りを和らげる力を持っているらしい。
勇者は、頭を掻きながら話を続けた。
「剣を抜く。確かに、児戯にも等しき所作にございます。
しかし、真に魔王を前にすれば、その考えも変わりましょう。
言葉に尽くせぬ恐怖。いや、魔王は恐怖そのものと言ってよいでしょう。
死の覚悟をもってしても、我が四肢は悉く震え、歯が鳴り、瞼が沈み、腰の剣は岩ほど重く感じられました。あれを前にして、剣を抜くのはとてもとても困難なことなのです。
故に、それでもなお白刃を晒した我が先祖は勇者と称されたのです」
初めて聞く話であった。それに、魔王が倒れた今確かめようのない事実でもある。
しかし、魔王の下に送り込んだ戦士たちが勇者一党を除いて誰も戻らなかったことを思えば、その恐ろしさは真実なのであろう。
「そして、その子孫である貴殿もまたその栄華に授かったわけだ。
貴殿は、如何にして魔王の恐怖に打ち勝ったのだ?」
「皆の助けがあったからこそ」
勇者の頬に、一筋の光るものが流れる。
しばしの間、謁見の間に沈黙が降り勇者の啜り泣く声のみが響いた。
察するに、魔王との戦いで多くの仲間を失ったのであろう。
見かねた衛兵が、勇者に寄り添い手拭きを渡す。
勇者は礼を言い、それで鼻を嚙み再び面を上げた。
「失礼。我が一門の話でした……。
―――そう。我らが先祖は、勇を示したからこそ『勇者』と称されたわけでございます。
それゆえに、その息子である二代目は自身が《勇者さま》と呼ばれること厭ったそうです。
何も成しえていない己は、決して勇者などではないと。
しかし、そんなこととは裏腹に領民たちは親しみを込めて、《勇者さま》と声をかけてくる。
二代目は領民の気持ちを慮り、忸怩たる思いながらそれを受け入れました。
二代目は、先祖の威光を笠に着るような罪悪感を覚え、加えて、己も魔王と相まみえることさえできれば、父と同じく勇を示せるであろうにというに勇者への羨望に苛まれたのでしょう。
その思いは我が一門に、脈々と受け継がれてまいりました」
何ともまあ、優しく、生真面目な一族であろうか。
開祖の偉業を盾に、民を従えさせるのは至極自然なことであり。
事実、我が王家もまたそのようにして成り立ってきたというのに。
「そして遂に、我が一門は、魔王と相まみえ本物の勇者と成る機宜を得ました。
それこそ魔王城下の大合戦への、陛下よりの参集の下知にございます」
「我が令に、もっともはやく応じたのは貴殿の家であったそうだな」
「なにせ、一門始まって以来の歓天喜地にございましたゆえ。
名実ともに勇者と成るべく、長きにわたり研ぎ澄ました技を存分に発揮できるとあれば。
一門総出、押っ取り刀での出陣と相なったわけでございます」
「一門総出か」
「いかにも、赤子と稚児を除いた老若男女問わぬ一門総出でございます」
なんと、あの血煙が舞い鼻をつく据えた匂いが漂う悍ましき戦場に女を出すとは。
勇者一門にとって、『勇者』の号はそれほどに重いものであったのか。これは、もはや執着。否、妄執といって過言ではない。
「もちろん、名誉のみを求めて戦いに臨んだわけではございません。
我が一門は、剣で成り上がった身でありますれば。女子供とて、皆その心得がございます。
であれば、民の為にそれを振るうことにどうして躊躇することがありましょうや。
足の悪い祖母ですら、鞘を支えに剣を振るい申した」
「それは、当主である貴殿の考えによるものか?」
「まさか。各々、自身の意思によるものにありますれば、誰一人として強いられてはおりませぬ。それに、当時の筆頭は私ではなく大叔父でありました」
肺腑より息が漏れる。なんとも、恐ろしい武の家であろうか。
恐らく、勇者の大叔父とやらは戦場に倒れたのであろう。戦場にて、家督の継承が為されるのはよくあること。勇を誇る一門であれば、なおさらだ。
しかし、これほど若き者に長の座が回ってくるとは。
継承順位から考えても、勇者より先に家督を継ぐべき人物は多くいたはずだ。
それはつまり、それだけ一族の多くの者が倒れたということではなかろうか。
「―――いったい、どのような戦いであったのだ」
「それはもう、後世に胸を張って語り継げるものにございました」
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