聖戦と二月男子
向日葵椎
来たる聖戦に備えよ
高校の友人三人と喫茶店にやって来た。男子四人。知的な赤根、腹ペコ青田、変態の黄野、そしてぼく、緑山だ。それぞれ妹がいるという共通点もあり、ぼくらは一緒にいることが多い。
赤根の注文したチョコレートケーキを見て、黄野が言った。
「聖戦が――始まるぞ」
?……ぼくは首を傾げた。
青田は遠くへ視線を向けながら腹を鳴らした。これはたぶん赤根のケーキを見ないようにしている。きっと黄野の声も青田の意識に届いてはいない。
ニコニコ顔の赤根はフォークを手にとって黄野へ尋ねた。
「聖戦とは、なんのことです?」
「今君の目の前にあるのはなんだい」
「ケーキですね。正確にはガトー・オ・ショコラですが」
青田の腹が鳴る。たぶんこれは「ケーキ」という単語が意識に届いたためだ。
「そ。つまりはチョコレートケーキさ。で、だ――カカオの甘い匂いがぼくらに何を告げる? そろそろ始まるイベントがあるだろう」
「えーと、学年末試験が近いですよね。確かにわたしにとっては甘いテストと言えなくもないですが、どちらかと言えばビターな人が多そうにも思えます。そういえば皆さんは調子どうです?」
青田はやっと視線を赤根に向けて口を開いた。
「くれるのか?」
「期末試験の話です」
青田はまた視線を遠くへ向けた。
ぼくは「ぼちぼち」とだけ答える。
黄野は首を振って、
「違う違う。学校だけじゃなくてもっと広い範囲で盛り上がるイベントだよ。ほら二月のイベントを思い出したまえよ」
二月のイベントと言えば、
「節分……?」
「緑山君、君はチョコを投げる気かい?」
違ったみたいだ。
赤根がニコニコ顔でうなずく。
「なるほど。バレンタインデーですね。二月でチョコレートのイベント、そしてそれは目前まで迫っている」
そしてフォークでケーキをすくって一口食べた。
「やっと答えが出てきたよ。男子諸君であれば気にしていてもおかしくはないものだと思うんだけどね」
「いやあ、ぼくは家におやつ用チョコのストックが十分あるものですから。妹と共有のストックなのである意味バレンタインチョコみたいなものじゃないですかね。そういう黄野さんはどうなんです?」
「毒が入ってたらどうするんだい?……特にぼくの妹、アイツはミステリー小説の新しいトリック考案中とか言って毒薬代わりの唐辛子エキスを食べ物に忍び込ませようとするんだ。キッチンはもちろん出入り禁止だけど、そのせいでぼくはこの時期ちょっと憂鬱になる」
「青田さん……は意識がチョコの世界へ旅立っているので後でうかがうとして。緑山さんはどうです、チョコもらったりなどは」
「妹が作るのを毎年もらってます」
「いいですよねえ手作り。愛情がこもっているような感じがします」
黄野はため息をついて言う。
「愛情は毒だよ」
ちょっとよくわからない。
「それで青田さんはどうなんです? バレンタインデー」
青田は視線をぼんやりさせたまま、
「ああ……妹とな、食いに行くんだ。チョコをな」
「お菓子屋さんですか?」
「いや、駅前デパートのイベントコーナーで販売されるバレンタイン用チョコをな、制覇する約束をしてんだ。……だから節約してるんだ」
「なるほど。だから今日はジュースだけなんですね。――では元気出してください。ぼくのケーキを少しあげましょう」
「いいのか!?」
「いいですよ」
赤根はフォークでケーキをすくって青田へ差し出した。
が、黄野がハッとして、
「いけないっ、これは一服盛られてるパターンだ!」
と言って、フォークへ顔を寄せてパクっとやってしまった。
?
青田が鬼の形相で黄野を睨みつける。
「オイ黄野、それはオレのだぞ」
「大丈夫、毒は入ってなかったみたいだよ。また赤根君にもらったらいい」
赤根はニコニコ顔で、
「毒入りならとっくにわたしが死んでます」
黄野は赤根を指さす。
「いいや、君が死ななかったのは“あの時”に毒が入っていなかったからさ。これは青田君を油断させるためだろうね。そしてその後に隙を見て毒を入れ、フォークですくって青田君へ差し出した。しかし残念だったね、それはぼくが食べてしまった。それでなんでぼくが生きてるのかって言うとね、特殊な訓練でできたほっぺのポケットにまだケーキをしまっているからなんだ」
早く食べなよ……
青田は気にせず黄野の手をどかし、
「どうでもいい。赤根、ケーキ」
赤根はいつものニコニコ顔で、
「はい、どうぞ」
青田はようやくケーキを食べられた。
「うっまい!」
再びケーキをつついていた赤根が思い出したように黄野へ顔を向ける。
「――しかし聖戦と言うのは大げさでは? 確かにチョコレートをもらえるかもらえないかを気にするイベントではありますが、それだけのことです」
「いいや、大げさではないよ。チョコレートにカカオの実が使われることは知っているよね。そのカカオの学名がなんだか知っているかい?」
「確かテオブロマカカオでしたよね」
「さすが赤根君。そう。そしてテオブロマはギリシャ語で“神の食べ物”を意味する。神の食べ物っていうとギリシャ神話にはアムブロシアーという不死の力を持つものが登場したり、日本の身近なものだとお供え物があるよね。お供え物はお祭りが終わった後に食べたりするけど、これは神々の力を分けてもらうっていう意味がある」
「つまりチョコもそういう神聖な食べ物だと」
「そうさ! そして国中の神々の力を得た人間は何をする?」
「今年も残り頑張ろうと――」
「そう、聖戦なんだよ!」
?
「しかしバレンタインデーは毎年ありますが何も起きていないようです」
「いずれ来たる聖戦に備えているのさ」
「……その日が来ないことを祈ります。しかしそれは日本の男性だけかもしれませんね。ヨーロッパやアメリカでは女性から男性だけに限ったものではないですし、チョコレートを贈るとも限らないものなので」
「日本がそうなのは、ぼくの読みでは八百万もいる神々がいつ暴走してもおかしくないからだと思うんだ。あと女性も油断してはいけないよ。友チョコだってあるんだからね」
青田が手を挙げて言う。
「年中ずっとチョコ食べてるオレと妹はどうなるんだ?」
黄野はフッと笑い、
「神になるんだよ」
またケーキをつつく赤根を見て、ぼくは気づいてしまった――
「まだ、ぼくだけケーキを食べていない」
ニコニコ顔で何か言いかけた赤根を遮った黄野が言う。
「ちょうどいい、ぼくのポケットのが――」
「いらない」
赤根の方を向くと、フォークでケーキをすくって差し出してくれた。
「ではどうぞ」
「いただきますっ――」
「お味はどうです?」
「甘くて、口どけなめらかで、とてもおいしいです」
「よかった」
ぼくが甘い余韻を楽しんでいると黄野が言う。
「チョコレートの口どけっていうのはね、ココアバターのおかげなんだよ。これが人間の体温のちょっと下くらいに融点があるものだから、口内で解けるのさ。――なんだか出来すぎているとは思わないかい? やはりこれは人類を聖戦へと向かわせるために仕組まれたことなんだろうね」
気にせず余韻を楽しもう。
赤根が答えた。
「チョコレートの口どけには作る時のテンパリングも大事なんですよ。温度調整のことですね」
ぼくは赤根の方だけを向き、
「テンパリング……?」
赤根はうなずいてからノートを取り出し、文字を書く。
『tempering』
青田が文字を見て、
「へえ、じゃあチョコはどう書くんだ?」
赤根は文字を書く。
「『chocolate』です。ついでにさっきのテオブロマカカオが『theobroma cacao』で、ココアバターが『cocoa butter』です」
「ココア、バッター」
「ココアバターです。バッターは『batter』ですね」
黄野が首を振って言う。
「いや、確かにそれはココアバターだけどね、青田君も間違ってはいない。実は最初はココアバッターだったんだよ。カカオが大昔から食用だったっていうのはマヤ文明の壁画からもわかってるんだけどね、その中にカカオの実をバットで吹っ飛ばしている様子も描かれていたんだ。そしてそのカカオから漏れ出ていた脂肪がココアバッターと呼ばれたっていうわけさ」
赤根はニコニコ顔で、
「神の食べ物を天界まで吹っ飛ばして差し上げるということですね」
「それはいい。今度話すときはそれも付け加えておこう」
「ジョークのオチとしてもそこそこ面白いです」
どうやら黄野の冗談らしい。
ホントにそれらしくてまぎらわしい。
――その時、ぐう。
そんな音が青田から聞こえる。
ぼくは、閃いてしまった。
「ぼくもチョコっとお腹が空いたよ」
「…………」
……おや。
「…………」
赤根はニコニコ顔でぼくを見ている。
?
どういう感情なんだろう。
……おやおや。
「…………」
黄野は赤根のノートを眺めて何も言わない。
もはやジョークとして認識されないレベルだったのかもしれない。
青田は――
「だよなー」
微笑む青田はぼくに向かって言った。
救いの光を感じる。
なんて神々しい笑みなんだろう。
「バレンタイン、青田にチョコあげるよ」
「マジか!? やったぜ」
すると黄野が急にこちらへ向き、
「なんだって? じゃあぼくも欲しいな。チョコっとでいいから」
さっきのわかってたよね!?
赤根はニコニコ顔のまま言う。
「ではわたしも欲しいです。さっきのはとても面白かったです」
取って付けた!?
「ダメだよ。冗談を救ってくれたのは青田だけだもの」
しかし青田は、
「冗談……?」
やはりわかっていない!
でもいいんだ。ぼくが救われたのだから。
赤根はニコニコ顔で言った。
「なるほど。聖戦は既に始まっていたということですね」
黄野は赤根に言う。
「やはりあの時に毒を仕込んでおくべきだったのではないかね?」
「それは問題ないですよ。黄野さん言ったじゃないですか。“愛情は毒だ”って。緑山さんはわたしのケーキを一口食べた。つまり緑山さんはわたしにケーキのお礼をしなければならないのです!」
赤根は真面目に見えて時折おかしなことを言う。
それより、ぼくには言いたいことがある。
「争うのはやめよう。青田大明神に救われたぼくにはわかるんだ。救いはきっとそこにある」
青田もうなずいて言う。
「なんか神になったけどオレもそう思う。ケンカはよして仲良くすべきだろうな。チョコはみんなで食べたらいいし。――これからな」
視線の先はケーキに向かっている。
赤根はニコニコ顔で、
「えっと、あげませんよ。あの、それとこれとは別なので」
黄野はケーキを指さし、
「来たる聖戦には毒でなく、愛情で備えようじゃないか」
こうしてぼくらは聖戦に備えた。
聖戦と二月男子 向日葵椎 @hima_see
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