第9話 花を知らぬひとへの手紙

 セピア色は褪せたイカスミのインクが由来だそうですね。

 離縁状を三行半みくだりはんと呼ぶのは、江戸時代の夫から妻への離縁状が三行と半分で書かれていたのが元だとか。

 ですが今、あなたの錆びかけの万年筆で最後の手紙を書く私に、三行半は足りません。


 私の心が離れたのはいつのことでしょう。

 以前、誰かが言っていました。

「昔はよかったと言いだしたら、それは年寄りの入り口だ」と。

 けれど、私は思わずにはいられないのです。

 かつての日々がどれほど素晴らしかったかを知っているから。


 そしてそれを取り巻く世の中は猥雑で下品ではあったけれど、より良く有ろうと律する荒々しい気高さがあった。

 いまはそれが、まるで蜘蛛クモの巣に取られた小灰蝶シジミの翅や、野に墜ちた翡翠かわせみの屍のようにわずかばかりの彩りを残して蝕まれている。


 にもかかわらず、誰もが今を褒めそやすのです。

 萎れた切り花を指して「色があるから鮮やかだ」とでもいうように。


 私は野の青々とした草の頃を知っている。

 それがつけた小さな硬い異物のようだった蕾も見た。

 そして大輪の花となり、その茎がばちりと切り落とされた日も、私は見ていたはずでした。


 今は、切られた花の根は引き抜かれ、その実も種も、来年の花も、見ることは叶いません。


 私の中の何かが、白む曇天の中の真っ黒のカラスのように、枯れた声で鳴くのです。

 朽ちかけの切り花を見て鳴くのです。

「こんなことは間違っている、昔はこうではなかった」と。

「野に咲く頃を、たれか知らぬか」と。

 

 私はこの声を抱えて、世界が褪せたセピア色に見えています。

 鮮やかな琥珀色でもなく、時を重ねて趣を持つ古酒の色でもなく。

 灰の降る黄昏時のような、全てを覆う終わりの夜の始まりのような、

 薄ら寒い薄暮れに見えているのです。


 この手紙を最後にするのは、あなたが読むことはないと知っているから。

 それでも書かずにいられないのは、

 この花の行方を見ずして逝ったあなたを

 どこかでうらやむからでしょうか。

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息抜きの掌 たけすみ @takesmithkaku

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