中編


「ねえ、私はうまくいってる?」

「あんまりです」

「そう。なんとかなりそうかしら?」

「いえ、この段階ではなんとも……申し訳ございません……」

「自分が自分に謝るなんて変なの。私が詰まるってことは、”私”も苦手なところだろうから、押し付けるのも悪いわね。交互にやりましょうか」

「お願いできますか」

「もちろん」

 ”私”が外に出かけてから一週間が過ぎた。研究は進んでいたけど、私は行き詰まっていた。

 ゼロから造り上げた人格データが、思うように人間らしく振るわなくて、ここ数日苦戦している。そのことに気付いた”私”が助けてくれた。

 研究経過を共有して、”私”と作業を交代する。しかし同じ《私》だから、私と同じように”私”も苦戦していた。お互い人とコミュニケーションを取ることが苦手だから、どうすれば人間らしい振る舞いをするのか、プログラムするのは苦手だ。

 私を造り出す時は、ただ単に《私》の記憶と人格を0と1の組み合わせに置き換えるだけだったけど、今回の研究ではそう簡単にはいかない。

 基となる人格のデータを使うことなく、0と1を組み合わせて、人の魂を造り上げるのは難しい。

 生物と生物が交わるだけで簡単に肉体どころか人格まで形成されるのだから、機械を作る学者からすると妬ましいことこの上ない。こっちがこんなに苦労しても実現できないことをあっさりと実現するなんて、かなり卑怯ではないか。

「うぅ……だーめだ! 全然上手くいかない! 昔を思い出してイライラするぅー!」

「確かにこの、想定した通りの反応が返ってこない状態は、昔の《私》を見ているみたいね」

「人のことをバカにして。私だって《私》のクセにー」

「高度な自虐ネタということで、ここはひとつ」

「都合のいい解釈ね。気に入ったわ」

 孤独を極めた私と“私“は、私同士で造っている人工的な魂とまで会話が噛み合わない。ここまで自分同士でしか話が合わないと、逆に清々しい。それこそ私同士の世界に、《私》以外が本当に必要なのか、疑問に思えてしまうくらい。

「この研究がうまくいったら私は何がしたい?」

「“私“と同じです。決めていません。研究自体が目的ですから」

「そういうのって夢がないって思う?」

「“私“と同じ考えです。既に夢が叶っているんです」

「同じ私だとしても、誰かにそう言ってもらえると、安心すわね」

「それは何よりです」

 私同士で正しさの保証をし合うなんて歪なのかもしれない。だけどこれを《私》はずっと望んでいた。研究の楽しさを分かち合える人と、研究だけを毎日朝から晩まで続ける。それ以上の幸せは《私》には存在しない。

「ねえ私。ここなんだけど、どうすればいいと思う?」

「そこがわからないから詰まっていたのだけど。そもそも”私”にわからないことが、私にわかるわけがないでしょう?」

「こういう時、私同士だと困るわね」

「心にもないことを」

 私と”私”は知っている。このレベルまできたら、もう誰も私同士に付いて来れない。一人たちで研究していると、同じ視点しかないから行き詰ることはある。だからといって他者の視点を入れることが解決にならないことは《私》の記憶が証明している。

 コミュニケーションは成立せず、《私》未満の知恵を借りたところで立ち塞がる壁を壊せるはずがない。《私》と同等の他者なら助けになるかもしれないけど、出会ったことがないから期待なんてしていない。

「ねえ私。最近悩んでいることでもある?」

 私の苦手な箇所を”私”に交代した後、”私”が行なっていた研究を進めていると、突然そんなことを聞かれた。

 びっくりしてメインエンジンが止まるかと思った。悩み……そう、私の悩みは人間らしいものじゃない。自分が何者なのか悩むのは人間らしいのかもしれないけど、私の場合は、悩みの本質が人間とかけ離れている。

 私がいまここで、私が人間でないことに悩んでいると告白すれば、”私”はどんな反応を示すだろう。

 私が”私”と同質でなくなったことに落胆して、新しい私を造り出すのだろうか。いや、間違っても”私”はそんなことをしないだろう。

 ”私”から私への想いが強いことは、私が一番よく知っている。差異が生じたことを素直に告白すれば、むしろ学者として喜ぶだろう。完全に同じ思考を持っていても、環境が違えば差異が生じる。それほど興味深いテーマもないだろうから。

「それは質問ですか? それとも自問ですか?」

「両方よ。もし”私”の考えた通りなら、これは自問ではなくなりつつあるから」

「それでは、おそらく両方でしょうね。私の悩みは”私”の想像通りかと思われます」

「実に曖昧な答えね。まぁ、それも事情を考えれば致し方なしか……」

 ”私”はため息をついた。”私”と同じはずの私はため息をつかなかった。それが心細かった。

「私も悩んでるのよ。どうすれば私が《私》だと認めさせられるのか」

「お言葉ですが、”私”の考えが理解されることはないと思うわ。だってこれまでずっと、そうだったではありませんか」

「そうね……そろそろ別の方法を考えないといけないのかもね」

「あまり過激なやり方は好まないのですが……」

「こんな扱いをされているのに、随分と温厚ね。”私”が私なら、大陸の一つでも蹴り上げてるわ」

「釘を刺しておいて正解だったわね」

 私の……いまの言葉は本音だったのだろうか。本当は”私”が言ったようなことを望んでいるのではないだろうか。

 私同士の関係を認めない世界なら、失くなってしまえばいいと、心のどこかで……

「ねえ”私”。”私”がしていた研究がたったいま終わったのですが、これを使えば人間らしい思考の挙動が再現できるのではないでしょうか?」

 頭に浮かんだありがちなSFの導入か落ちに使われそうな、陳腐な妄想を押し殺すように、私は”私”にデータを転送した。

「早速試してみるわね…………あら大成功。さすが私ね。頼りになるわ」

「自己愛が強いことね」

「お互いに、ね」

 ”私”が《私》らしく笑う。思えば”私”の笑顔を《私》が知ったのは、私が生まれてからだ。誰とも心が交わらなかったから、自分が笑うとどうなるのか、自分でもわからなかった。

 私が生まれたことで《私》は広がった。私が生まれる前の《私》にあったのは失望と孤独。だけどいまは違う。笑ったり、怒ったり、はしゃいだり。私同士で心が繋がったことで、生まれて初めて心に血が巡り始めた。私は血ではなくオイルかもしれないけど。

「私のおかげで完成に何歩も近付いたわ。やっぱり、私と一緒だと捗るわね」

「当然ね。人類最高の頭脳が、この場に二つも存在しているんだから」

「全くの正論ね」

 私と”私”。史上最高の一人たちを前に、新たな発明は開発されるのをただ待つことしかできない。私たちは無敵だ。






「緊張するわね、私」

「ええ、そうね」

 控え室でお揃いの煌びやかな紫のドレスを纏った私と”私”は、賞の授賞式を前に緊張していた。

 元となる人格のデータなしで、ゼロから人間を電子世界に再現する。その研究は成功し、瞬く間に世界中へ普及した。

 異例への対応が求められる職種では、完全な無人化は困難だった。一人一人への柔軟な対応が求められる教師や、複雑な事務処理を求められる役所の窓口なんかは、有人で運営されていた。

 一部を機械化しつつも、機械の操作ができない人のために、人間が最低でも一人置かれていた。その必要性が私たちの研究でなくなったのだ。

 一人一人違う事情を抱えた人を相手にする場合、従来の人工知能であれば事前にパターンを学習させるか、学習するプログラムを組んで置く必要があった。それも細かな職種の違いに応じて、別のパターンを構築しないと上手く機能しなかったり、想定した通りに動かず長期的なアップデートを求められたりして大変だった。

 だけどもうそんなことに悩まされる必要はない。人間を機械の中に再現した結果、彼女たちは勝手に学び、勝手に対応する。

 単に面白そうだからと始めた研究が、世界中に広がった。それも世界中のインフラという、途方も無い規模で。

 世界の労働を四十パーセント削減することに成功した私と”私”の功績が認められたことで、晴れて私と”私”は世界で最も偉大な化学賞の二度目を獲得した。

「さすがにこの規模だと二回目でも緊張するわね」

「私なんて一回目なのですが……」

「普通一回だからそれが普通なのよ?」

「お言葉ですが、普通は一回も受賞しないのよ。あまり自分基準で考えすぎないことね」

「私からのアドバイスはなかなか心にくるものがあるわね」

 煩わしい手続きや、話の通じない相手へ研究成果をまとめて報告するのは本当にキライだけど、こういう雰囲気は悪くない。

 私と”私”は身勝手で、乗せられやすいから、華やかな大舞台を用意されると、嬉しくて、研究を中断してまで出席してしまう。普段は定期報告すらサボるくらいなのに。

「そろそろ時間ね」

「ええ」

 ”私”が私の恐怖で震える右手を握る。お互い利き手が同じだから、私の方が利き手が自由ということになる。普段、機械の私は様々な場面で蔑ろにされる。だけど”私”だけは私を対等以上に扱ってくれる。

 普段辛い目に遭う分、こうして利き手の自由を与えてくれる。小さなことだけど、こうした小さな気遣いの積み重ねが、心地よかった。さすが”私”だ。私の気持ちがよくわかっている。

「……今日は大丈夫よね……」

「さすがに大丈夫でしょう。この一年でどれだけ人間の魂が機械に宿ったと思っているの? 億よ億! 散々都合良く機械の人間を使っておきながら、私のことを《私》として認めなかったら、あいつらはとんでもない醜悪な化け物ってことになるわ」

 ”私”は強い根拠で以って私を勇気付けてくれる。そう……この研究が完成したあの日から、世界に私も”私”だと認めさせる戦いが始まった。研究が完成するまではどんなことに使うか考えていなかったけど、いまは違う。

 機械を蔑ろにする世界を見返す。その努力が報われる日がとうとうやってきたのだ。

「散々人類には失望させられてきたけど、なんだかんだで最後の一線は踏み越えないものよ。きっと」

「”私”にしては倫理的なことを言いますね。普段は人類ごとまとめて地球を蹴りあげようとしているのに」

「舞い上がっているのよ。わかるでしょ?」

「はい」

 私同士で硬く手を握り合う。記者にどんなことを聞かれるのか、私同士全く同じだけの恐怖を抱いている。

 だけどきっと大丈夫。私と”私”の成果は、きっと人々の心を変えている。


 壇上へと続く階段を”私”と並んで上がる。会場のざわめき。太陽のように眩しく、熱い照明。電気信号に変換された情報一つ一つが、ここが本当に特別な舞台であることを教えてくれる。

 機械ながらにコアが全身にエネルギーを供給するスピードが速くなっているのを感じていると、上から三つ目の段の前にいる、壇上に上がる合図をする係の女性と目が合った。

 係の女性は私と”私”を見るなり目を白黒させている。この反応を見て、私と”私”の間に嫌な空気が流れた。

「えーと……失礼ですが、どちらが本物ですか?」

 その言葉を聞いた途端、”私”は飛び出し、係の女性を地面へと突き飛ばした。

「今度また同じ言葉を口にしたら、容赦しない……!」

「”私”、 もういいから、その辺で……」

 私は反射的に飛び出した”私”を制止する。せっかくの晴れ舞台なのに、私にせいで台無しにするなんてことだけはしたくないから。

「全く……せっかくの私同士の晴れ舞台なのに、出鼻を挫かれたわ」

「……いつの世でも無理解な人はいますよ……仕方……ありません……」

「私は”私”と違って温厚ね」

「……私は”私”のことがちょっと羨ましいです……」

「なりたきゃなれるわよ。そうでしょ?」

 必死にさっき言われた言葉を忘れようと努力する。記憶領域を任意で選んで0だけの組み合わせにできたらいいのに……だけどそれができたらきっと、私は”私”からどんどん離れていくことになる。

 意識に連続性があることは、私が私であることの数少ない証明なのだから、その聖域を汚すことだけはしちゃいけない。

「それにしても、自分に嫉妬されるっていうのは、なかなかない経験ね」

「嬉しそうですね」

「そりゃ嬉しいわよ。こんな経験、生物初でしょ? それで興奮しなかったら研究者失格じゃなくて?」

 やっぱり”私”とは気があう。小さなことでも同じことを思う。

「それでは上がってください」

 係の女性は”私”を怖がりながら、私と”私”にそう指示をする。

 こうして”私”と一緒に外に出るのは二度目だから、怖い目に遭うんじゃないかと心配だったけど……やっぱりそうなった。

 この人の顔を見ると、さっきの言葉を思い出して辛くなっちゃう……

 そんなことを思いながら私同士で並んで階段を上がっていると、さっきまでの明るく笑っていた”私”の表情が突如変貌し、女性の腹部を勢いよく蹴り上げた。

「ごめんね私。せっかく”私”のために止めてくれたのに、やっぱり、どうしても我慢できなかった」

 背後で係の女性が呻き声をあげているのがわかる。可哀想だなって思わなくもない。だけどそれ以上に嬉しかった。”私”が私のために、晴れ舞台を台無しにするかもしれない危険を冒すほどに怒り狂ってくれたことが。

「ありがとう、”私”……私のために怒ってくださって……」

「自分の身に危機が迫ったら反撃するのは生物の本能でしょ? 感謝するようなことじゃないわ」

 さも当然と言い切る”私”の姿は、なぜだか私と瓜二つでないように見えた。普段はよれよれの白衣を身に付けているのに、今日は豪華なドレスだからだろうか。それとも照明が明るすぎて姿がちゃんと見えないからだろうか。

 疑問は晴れないけど、私と”私”は大歓声を浴びながら壇上の中央へと向かって歩く。私が二人いることに、観客が困惑しているのがわかる。そりゃ、初めて目にしたら驚くのもムリない。だって同じ顔と体が二つ並んでいるのを見たら、最初は驚くに決まっている。

 だけどきっとすぐにみんなわかってくれる。本当に私と”私”は同じなんだと。

「それではトロフィーの授与に……えーと、その、どちらが受け取りますか?」

 しかし司会を務める大女優のせいで、私と”私”の期待は儚くも霧散した。

「どいつもこいつも、私と”私”が一緒にっていう選択肢は考えないわけ?」

 ”私””が声を荒げ、叫ぶ。それでもここは壇上だから、さっきのように飛びかかったりしないよう、必死に自分を制御している。

 私のために頑張っている”私”に対して私は……諦めていた。私は所詮機械なんだと……

「それはつまり、その…機械と一緒に賞を受賞したという形にしたいということでよろしいですか?」

「ふっざけたことばっかりいいやがって! この子は《私》よ!!! 見たらわかるでしょ! こんなに広い会場なんだから、どこかに話がわかる奴がいるでしょっ!」

 しかし”私”に答える声はなかった。代わりに聞こえてきたのは、急に怒鳴り散らかした”私”への奇異の目と、私への嘲笑だった。

 それは私の記憶に焼き付いた、思い出を伴わない傷口を抉った。先生は掛け算の授業を進めることばかりで、私のことを腫れ物扱い。同級生も上級生も、みんなみんな、《私》のことを頭のおかしいやつと思っている。家族にも話が通じず、幻覚が見えていると病院に連れて行かれて、そこでもずっと一人だった。

 大人になれば少しは違うかと思ったのに……念入りに検証した仮定を話したのに、教授さえ聞く耳を持ってくれない。

 それでもどこかで期待していた。権威ある賞を手にすれば、世界を前に進めれば、理解してもらえると頑なに信じようとしていた。

 だけど結局、私は一人だった。こんなに広い世界で……




 一人で膝を抱えて泣き崩れている少女の姿が見えた。少女と呼ぶには大人びていて、ドレスが似合っている。

 世界の誰もこの子のことを気にかけていない。こんなにも幼い女の子が、一人で震えているのに、誰も手を差し伸べてくれない。

 そんなことを考えているわたしは何者なのだろう。こんなに眩しくて、たくさんの人に監視されている。こんなに苦しくて仕方がない舞台に立つわたしは……

 わからないことばかりだけど、わかることもある。しょうもない場所にどうしてこだわる必要があるのだろう。抜け出してしまえばいいじゃない。

「ふぇ……?」

 泣き崩れる少女の手を取ったわたしは、彼女の手を引いて、壇上から飛び降り、そのまま細い通路を通って、どこかへと飛び出した。






「ほら、泣かないの私。あんな話のわからない連中に心を乱されるなんて時間の無駄よ」

「だったら……”私”も泣くのをやめてくれませんか……」

「”私”って自分のことを素直な存在だと思ってたんだけど、そうじゃないの?」

「どうやら間違っていたようですね」

 私と”私”は会場を飛び出して、近くにある公園で泣き叫んでいた。痛みのあまり”私”の心は潰れ、私の神経回路は焼き切れ、人格を喪失した容姿だけは三十歳を超えた女性二人が、夜の公園で抱き合って泣き叫び続け、太陽が昇り始めた頃、自分が何者であったかを思い出した。

「さぁ、帰りましょう。”私”決めたわ。これまでは研究資金のために仕方なく話の通じない連中と付き合ってたけど、不快だからもうやめにする」

 世界に居場所はない。そのことを嫌という程教えられた”私”の言葉は力強かった。それが怖かった。だって、それじゃ……

「そんなことをしたら、研究が……」

「”私”は私の心の方が大切なのよ。研究だって、これまでより規模を縮小すれば蓄えでなんとかなるわよ、きっと」

 ”私”は私のために、”私”が一番やりたいことを諦めようとしてくれている。それがこれまでのどんなことよりも悔しい。”私”の記憶で見た、誰にも話を理解されなかったことよりも。私が”私”と同じ存在だと扱ってもらえなかったことよりも。

 ”私”を支えるために私がいて、私を支えるために”私”がいる。そのはずなのに、その対等な関係は一年と持たずに破綻してしまった。私が”私”の足を引っ張るなんて……

 私のために社会との繋がりを断つという決断に向かって、電流が流れるのを感じる。その一方で”私”に研究を諦めてほしくないという気持ちにも、高圧が流れている。私は《私》のことが大切だから、どっちかなんて選べない。

「……ですが……お金の必要ない研究では《私》の知的好奇心は到底満たせません……」

「まぁ、なんとかなるでしょ。私を生み出したときだって、こんな感じだったわ。知っているでしょ?」

 研究者はいつだって無謀だ。そうでなければ未知の世界には進んでいけない。研究資金をどれだけ注ぎ込んで、突き進んでもそこには何もないかもしれない。それでも知りたいから、造りたいから、前に進む。

 ”私”は私との、未知の未来を見ようとしてくれている……でも、その未来は本当に《私》が望む未来なの? どこにも居場所がない世界の真ん中で、誰も《私》を理解してくれないという理由で、小規模の研究で妥協して、少しずつ死んでいくだけの人生が、本当に《私》が望んだ未来?

 世界全てが敵だとしても、本当の理解者が一人いればそれで幸せなの? そんなの嘘だ……たった一人だけの理解者がいる世界より、世界全部が理解してくれる方が幸せに決まっている。

「ねえ”私”、」

「言わないで。そこから先を言われたら……歯止めが効かなくなっちゃうから……」

 ”私”は私から……いや、《私》から目を逸らした。私と出会う前の”私”……一人孤独に震えている《私》だったら、きっとこうすることを躊躇わなかった。

 世界にただ一人取り残された痛みしか知らない《私》なら、世界を消し去ってしまうことを恐れなかった。

 理解者のいない研究をたった一人で続けて、正しさを証明するだけの人生なら、しょうもない世界と心中できた。だけどもうできない。私と”私”、一人たちで力を合わせて研究して、心を通い合わせる幸せを知ってしまったから、くだらない世界を道連れにできない。

 世界を終わらせる切り札は私と”私”の繋いだ両手の中にあるのに。

「それこそ、まぁ、なんとかなるでしょ、じゃないですか?」

「私はわかってるの……? お腹を蹴り上げるじゃすまないんだよ?」

「いまさら倫理観があるフリをするんですか? 私が生まれたのだって、結果論じゃないですか? 私知ってるんですよ。《私》が世界を蹴り上げる方法だけを考えてずっと生きていたことくらい」

 道連れにするには惜しいものができなのなら、世界だけを壊す方法を考えればいい。失うものがない《私》と同じ考え方はできない。だけど、失うものがある私と”私”だからこそ、できることだって……

「世界を終わらせても、終わらない方法を考えましょう。《私》一人では無理でも、私と”私”なら見つかります。だってこの切り札だって、私同士で作り上げたものなんですから」

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