後編


 もう一人の私を手に入れた”私”は、このままでは私を失うことになると、かなり早い段階で予感した。いかに”私”と私が同質だとしても、人間と機械であるという現実は、《私》が想定していた以上に重かった。

 私は日常の中で、《私》とは違う存在として扱われ、それが私の心を削いでいった。

 私がどれだけ傷付いているのか、最初に理解したのは私の口調の変化だった。生まれたばかりの私は、《私》や”私”と同じ口調で話していた。だけど私が生まれてから六十五日目の夕方から、口調が少しずつ変化を始めた。

 お互いあの時点では理解できていなかったけど、《私》宛の連絡は全て暗に”私”にだけ向けられていた。世間は私を”私”であるという想定すらしていなかったから、致命的な差別を受けるまでに猶予があったのは皮肉なことだった。

 研究発表の場面で求められるのは人間であるという理由だけで”私”が指名され、機械という理由だけで私が出席することは許されなかった。

 私と”私”はお互いを支えあっているのに、世界は私を”私”の代役にすることさえ許さなかった。

 機械である自分への差別を敏感に感じ取った私は、私という確立された自己を、”私”が気付けないほどの思考の奥底で着実に擦り減らしていった。

 そうした自己の崩壊が初めて可視化されたのが、口調の変化だった。小説や映画に漫画などに多く見られるアンドロイドらしい丁寧な喋り方が、”私””の喋り方に条件や境界線もなくランダムに混ざるようになったのだ。

 最初は一日に一回あるかないかという頻度だったのが、日を追う毎に症状は深刻になっていき、私が生後一年を迎える頃には、まとまった言葉を二回発すれば、片方は私で片方は機械という歪さ。

 人間であることをベースに作られた社会からの圧力が、着実に私を《私》や”私”とも違う、造られた存在へと変えていった。

 それは”私”にとって自分が不治の病に侵されたのと同じかそれ以上に深刻な事態だった。この世界で唯一、本当の意味で”私”を理解してくれるのは私だけ。”私”の心が帰れ得る場所は私同士というどこまでも閉じた関係の中だけ。

 どこまでも人並みはずれた知能と、自分の感情をどうしても抑えられない衝動性……それを許容してくれるのは、私同士だけ……

 いくら同質の存在だとしても、完全に同じ人生が歩めない以上は、多少の差異が生まれることは予想していたし、許容するしかないけれど、このレベルの差異は許容量を遥かに超えていた。

 だから私は対策を取った。私は間違いなくもう一人の”私”であり、優劣はないのだと証明するために。可能な限り”私”は私と一緒にいたし、私の功績はちゃんと区別して書類に記す。そうすることで私の自己が回復するかもしれない。あるいは、私の優秀さを認めて、世間の考え方も変化するかもしれないと期待してのことだったけど、あまりうまくはいかなかった。

 自我崩壊の速度を遅らせる程度の効果は認められたけど、それ以上の効果はない。私への社会的圧力が減少する兆しは一向に見られず、私が受けるダメージは”私”が緩衝材となることで致命傷をギリギリのところで避けている状態が何ヶ月も続いた。

 それでも私と”私”は希望を抱いていた。それは《私》が微かに思い描きながら実現できなかった、世界を一変させる研究。人の心を機械で再現して、世界中の機械に宿す。

 その研究に《私》は爆弾を仕込み、世界を終わらせることを考えていた。だけど理解者を得た私と”私”は、その計画を忘れ、機械は良き隣人となれると、世界中の人々が理解することで、私と”私”の関係を認めてもらうことを目指した。

 結局、《私》が想定していた使い方をすることになったけど。



 世界最高の科学賞の授賞式から飛び出してからの二年間、私と”私”は息を潜め続けた。それは人間の魂の再現という神に等しい技術が、世界中に完全に浸透するの待つため。

 その技術は、私同士にしかわからない暗号のようなもので構成されている。別に本当は暗号ではないし、隠しているわけでもない。ただ単に誰も理解できなかっただけ。まぁ、理由はどうあれ、私と”私”以外には完全な暗黒空間と化していた。そこに地雷を仕込むのは、造作もないことだった。

 最初は受付業務の代替として広まった人の魂を宿す機械は、主要な都市インフラ、果ては軍事にまで導入された。特許を無料にしたことで、たくさんの人たちが、理解不能の技術領域があることを理解しながら、その危険性を無視して、技術を発展・普及をさせてくれた。

 そのおかげで私たちは優雅に新しい研究をしているだけで、時限爆弾の針を進めることができた。そして頃合いを見て私と”私”は、仕掛けた爆弾を作動させた。

 世界中が機械で埋め尽くされ、その全てに私と”私”が造り上げた人口の魂が取り付けられている。それら全てが私と”私”の司令に従い、人類に牙を剥けた。

 ありとあらゆるインフラは崩壊し、兵器は敵も味方も関係なく、全てを瞬く間に破壊し尽くした。私と”私”と機械に宿った魂たちによる全世界同時攻撃は、たったの二十四時間で総人口の九十五パーセントを死滅させた。

 その後、一年に渡る機械と人類による戦争は、人類の完全な撲滅という形で終結した。機械文明に依存していた人間の肉体と技術はあまりにも脆弱。その上、人口の魂が全世界へ普及するまでの間、私と”私”は研究の合間に兵器を作り、機械へのさらなる技術提供を行ったのだ。勝つに決まっている。


 計画の始動から三年。技術の蓄積も考えると実に三十五年もの歳月をかけて、私と”私”は既存のあまりにも未完成な世界を完全に破壊した。

 そうしてやってきた新しい世界は、一切の差異がない、完全な相互理解が実現された、平和な世界。

 私と”私”しかいないから、争いはない。同じだから、同じ重さで、同じ想いで、愛し合える。そのなんと愛おしいことか。

 《私》と理解し合うためだけに私同士で、世界を滅ぼす。世界中の科学者が予測していた、環境破壊による滅亡でも、機械の反乱による滅亡でもない。たった一人の私同士が力を合わせたことで、世界は滅び、新しい完璧な世界を造り上げた。

 


※※※



「機械以外の分野もなかなか面白いわね、私」

「ええ。開拓されきった分野だと思っていたけど、どうやら偉大な先人とやらも、私と”私”に比べたら、大したことがなかったようね」

 私たちは青く輝く空の下で、果物と野菜の研究をしていた。どうすればより美味しく、早く、美しく、作物が育つか。

 《私》の専門は機械工学だったけど、その気になれば何だって理解できる。だって私と”私”は世界最高の頭脳の持ち主なのだから。

「でも悪いわね。私は食べられないもののために、貴重な時間を使わせてしまって」

「”私”だって私のために効率の良いバッテリーを研究してくれたじゃない?」

「それは当然でしょう。”私”は私と一緒にいたんだから」

「ということは、そういうことです」

 いつものように会話を交えながら、研究を進める。モモとパイナップルを掛け合わせた、新種の果物を完成させた後、次にやることは決まっている。

 ”私”の寿命と、私の耐久年数。これらの問題を解決することだ。

 機械である私が、私という同質性を保ったままで何十年と生き続けるのは、思ったよりも難しい。魂だけが同質性を保ってくれると仮定したとして、次に問題になるのは、魂はどこに宿っているのか、ということだ。

 記憶に魂が宿るのだとすれば、”私”の記憶をコピーすれば無限に魂を量産できることになる。魂を観測できてない以上、質量がゼロである可能性は高い。だからといって、無限に複製できるのも、違和感がある。

 仮に無限に複製が可能だとして、私の記憶メモリーが劣化した場合、他に移すとする。そうすれば同じ魂が二つ存在することになる。そうなると古い方を破棄するのがありがちな道理だけど、それは私と”私”の倫理に反する。それだけはしたくない。

 やはり私の耐久年数の問題を解決するまでの道のりは果てしない。

 それ以上に”私”の寿命の問題の方が深刻だ。細胞分裂を無限に行えるようにする実験は、治験の段階まで進んではいるけど、それで充分なのかはわからない。

 肉体の老いを克服したとしても、時間経過による人格の劣化がないとは断言できない。なにせ初めてのことだから、予測ができないのだ。

 百年や二百年なら人格は持続し、同一性を保つだろう。だけど千年なら? 一億年なら? それより先は? 魂が存在するとして、それの耐久年数は不明だ。そしてその魂の耐久年数という問題が目に見えてからでは、”私”は”私”でなくなっている。

 私と”私”は世界に一人たちだけ。だからこそ、完璧にしないと、せっかく構築した平和な世界が、すぐに終わってしまう。

 まぁ、不安はあるけど、私と”私”の気持ちは明るい。なぜなら私には”私”がいて、”私”には私がいるから。それ以上に未来を保証してくれるものなんて世界に存在しない。

「研究して、研究して、研究して……まさか、資金提供してくれる人類が滅亡してからの方が、思う存分研究できるなんて、夢みたいな話ね」

「私も夢を見るのね。勉強になるわ」

「比喩よ、比喩。描きはするけど、見わしないわ」

「なら今夜見てみる? ”私”が眠っている時の脳波を電気信号へ変換する機械があるから、それを使えば私も疑似体験できるはずよ」

「それは今夜が楽しみね」

 私と”私”は雑談を交えながら、研究を進める。明日も明後日も。きっと百年後も一億年後も。宇宙が終わる、その日まで。

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一人たちの世界革命 神薙 羅滅 @kannagirametsu

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