一人たちの世界革命

神薙 羅滅

前編

 世界で最も私のことを理解しているのは誰だろう。世界で最も私のことを大切に思っているのはだろう。

 どうやら《私》は完全なる理解者を求めて色々と試したらしい。家族に恋人、友人。果ては機械による擬似人格まで。

 しかしどれも《私》の御眼鏡には適わなかった。

 三十歳で世界初の、人格の完全なコピーを実現した《私》のことを、真に理解できる者は世界のどこにも存在しなかった。

 天才故の孤独。孤高であるが故の寂しさ。誰にも理解されず、お互い歩み寄ろうとしても埋まらない知能の格差。

 その地獄を終わらせたのは、皮肉にも私を孤独の極北へと追いやったこの知能。

 《私》は自分で造り出した人格と記憶を完全にコピーする技術を、社会のためや人のためではなく、真っ先に自分自身を救うために使った。

 《私》の思考・記憶を電気信号に変換し、《私》と瓜二つの機械の肉体へ与えた。そうして造り出されたのが私だ。

 機械の脳に《私》の完全なコピーを宿した、“私”の最大の理解者。

 “私”のしたいことが、自然とわかる。“私”の言いたいことが、言葉にせずとも伝わる。それが私。

 天才であるが故に孤高で、孤独を抱えた“私”に寄り添える、世界で唯一の存在。

 私のような高性能な機械には、何かしらの制限を加えるのが普通だろう。本物の“私”を上回らないよう、思考に制限をかけたり、“私”に使えることを名誉に思うようにしたり。

 だけど《私》は私に一切の制限をかけなかった。私には完全な自由が与えられている。

 《私》が望んだのは、あくまで完全なもう一人の《私》。その役目は、機能制限の下で果たすことは不可能。だから私の内心の自由は保証されている。

 それ故に私は“私”のことを特別に想ってはいない。

 話は合うし、二人で共同で研究を行うのは私が知る中で最も楽しいなのは間違いない。

 だけどそれくらいの思い入れしかない。“私”と私の関係はせいぜい、最高に頼れる研究仲間。一緒に住んでいるとはいえ、その関係は家族や恋人のそれとは違う。

 私同士がつがい合う理由は、私同士でしか孤独を癒せないから。理由はきっとそれだけ。





 いつものように、“私”と並んでパソコンの前に座って、私同士は研究を進める。

 いま二人で進めているのは、素体となる人格データを用いずに、人間の思考を機械上に造り出す研究だ。

 オカルトめいた言い方をするなら、人の手でコンピュータ上に魂を再現しようとしている。

 この研究が完成したとして、世界がどう変わるのかや、何の役に立つのかは、お互いあまり考えていない。

 知的好奇心を理由に研究者になったから、そういうのを考えてるのは苦手だしキライだ。

 それができないと研究費を貰えないから、仕方なくどう役に立つか資料にまとめはするけど、その時間を他のことに使えたらと私同士、思わずにはいられない。

 それでも大好きな研究を続けるために、同じ内容の愚痴を言い合いながら、資料を完成させたのは、私が生まれてからの一年で一度や二度のことではない。

 《私》の孤独を記憶で知っているから、完全な《私》の完全なコピーを造ること自体は理解できる。しかし、苦手なことまで一緒にしなくてもと、思わなくもない。

 せっかく二人いるのに、これでは一人なのと同じではないか。

 まぁ、一人たちであることが、幸せなのだけど、苦手を補い合えないことだけが欠点。

「ねえ、私は上手くいってる?」

「“私”と同じです」

「そりゃそうよね」

 私たちのやりとりはいつもこんな感じ。作業が行き詰まったら、気分転換にこうして短いやりとりをする。

 お互い相手のことを誰よりも理解しているから、パソコンの画面を共有するだけでいま何をしているのか、何を考えているのか、一目でわかる。

 それは快適である反面、ちょっとした物足りなさを生じさせる。

 私同士だと煩わしいやり取りが一切ないから、研究が円滑に進む。進捗状況を共有し合うだけでも相当な手間だったことは、“私”の記憶で知っている。その経験に昇華されていないデータだけでも、うんざりする。

 その一方で、ある種の煩わしさをきっかけに生じる会話……いわゆる雑談という物に《私》は憧れていた。それも同じ知能の者同士での雑談に。

 無論私も“私”である以上、対等な雑談……すなわち私との会話に憧れている。だけどなかなかそのきっかけがお互い掴めないでいた。

 同じであり過ぎるが故に、雑談が生じ得る余白が私と“私”の間には存在しないのだ。

 《私》の観察によると、雑談というのは、その場にいる人間同士の間に、差異が存在して初めて成立する。

 その差異自体はどんなことでも構わないようで、言葉の意味やしょうもない知識。それを共有する過程が、楽しい雑談というものらしい。

 では私たちはというと、同じ存在なのだから、有している知識も、思考力も全て同質である以上、共有することなど一つもない。

 どれだけ知恵を絞っても、分担して進めている研究の進捗くらいしか、私同士の間に生じる差異は存在しな異様に思える。

 たった一人で世界を先に進めた天才二人が揃って、雑談の一つもできず、ちょっとした物足りなさを感じているとは、なんとも滑稽ではないだろうか。一周回って頭が悪いのかもしれない。

 もしこの研究がうまくいけば、それを使って雑談相手を造り出すのもありだろうか……

「ねえ私。この研究がうまくいったら、助手を造って、私たちの研究に参加させてみるってのはどう?」

 “私”が、私と同じことを同じタイミングで思い付き、提案してくる。

 ならば私同士が懸念していることも、必然同じだ。

「“私”が懸念している通り、煩わしいだけだと思います」

「それじゃ、いまの案は却下ね」

「残念ながら」

 私同士、同じタイミングで雑談できないことに寂しさを感じ、同じ解決策を発案し、同じ理由で否定した。これはいつも通りのパターン。

 同じだから、満場一致での可決が否決しか存在しないのだ。

「ねえ私。どうやったら人と楽しく話せると思う?」

「私に聞かれましても」

「少しは話を広げようとしてみる気はないの?」

「私にその能力がないことは、“私“が一番理解しているでしょう」

「その能力を知らない間に獲得してないか期待したの」

「ずっと同じ生活をしているのだから、それはありえません」

「そりゃ、そうよね」

 まぁ、“私”が私に独自の成長を遂げることを期待する気持ちがあるのは理解しているし、その期待には根拠があることもわかっている。

 私が生まれてから、“私”と離れたことは一度もない。だから同一の経験をしている。だから差異は生じ得ない。

 しかしそれでも些細な差異はある。研究を分担しているから、お互い別々の発見をする。それは私同士に差異を生む。

 “私”は簡素とはいえ食事をするけど、私は充電をするだけ。それでも稀に、空腹ではなく、味覚がほしくてたまらなくなって、食事がしたくなる瞬間がある。

 そういう時は味覚を電気信号に変換したデータを入力してもらうことで、食事を補っている。

 そうした食事でも私同士には差異が生じている。

 だけどこんな小さなことの積み重ねでは、大きな違いは生じない。私は所詮私のまま。“私”と私の同質性は保たれている。

 同質であるからこそ埋められる寂しさがある反面、同質であるからこそ埋められない寂しさもある。両方同時にこなせないのが、実に不器用な私同士らしい。


 その後も私同士の間に会話はなく、淡々と研究は前へ前へ進んでいく。そうして時刻が午後六時を過ぎたと同時に、一件のメールが送られて来た。

 メールの送り主は私たちの研究資金を提供してくれている、国の機関から。研究の進捗について、たまたま近くに来ていて暇ができたから一年ぶりに直接会って話したいとのことだった。

「はぁ……面倒ね……だけど研究を続けるためにも行かないと。私はここで研究を続けておいて」

 その言葉を聞いた瞬間、私の機械の脳に電力が走った。それは明確な意味を持った電圧ではなく、漠然としたもの。だけど感情を再現する電流は、火花を散らすほど強い。

 私が生まれてから、私と“私”とはずっと一緒だった。一秒だって離れたことはない。だから一人になると思ったら……凄く寂しかった。

 私には“私”の記憶があるけど、それは私の思い出ではない。だって“私”と私は同じ存在だけど、生まれた瞬間から、別の人生を歩んでいる。

 私同士、同じことを考えていたとしても、私がいま見て、感じていることはきっと“私”と同じではない。

 だから本当の意味で私自身の思い出は、“私”と過ごしたこの一年の記憶だけ。

 自分でも気付かぬうちに、私の世界は“私”で埋め尽くされていた。

 寂しさを理由にもう一人の自分を作った《私》。《私》が抱えていた痛みは想像を絶する。それを私はずっと感じずにいられた。“私”が側にいてくれたから。

 だけど今日、これから初めて、その痛みを感じることになる……それが凄く怖い……

「……私も一緒に行きましょうか? 私が担当していた箇所の説明は、私がすべきだと思いますが」

 私は咄嗟に嘘をついた。いや、詭弁と言うべきか。私は“私”と離れたくないがために、都合良く事実を解釈することて、一緒にいるべきだと主張した。

 “私”はそれを拒絶するとわかっているのに。

「私らしくないことを言うわね。“私”なら、私がいるおかげで、“私”がしょうもないけど研究を続けるのに必要なことをしてる間も、研究が進むことに価値を感じるってわかってるでしょう」

「その通りですが、“私”の説明に不備があり、資金提供が打ち切られるのは避けたいと思いました。なにせ、こうして二人で研究するのは初めてのことでしょう?」

「それはそうだけど、研究をいまこの瞬間に数時間も中断する方が深刻じゃない?」

 “私”の言っていることは、機械の私に心があると仮定すれば、心から理解できる。なぜなら私も“私”だから。

 私という存在は、未来の自分が研究を続けられることよりも、現在研究していることの方が大切だと考えている。

 長期的な損得を考えられないのではなく、研究に取り憑かれている。私も“私”も、それは同じ。だから理解できる。

 しかしいくら研究中毒だとしても、二人の私がいることで、未来と現在の研究の両立ができるのだから、未来を捨てようとも強く言えない。

 つまり私は“私“のことを止めることができない。止めても意味がない。

「わかりました。それでは“私“がいない間の研究は、私に任せてください」

「寂しい思いをさせてごめんなさい。”私”もよ。だけど私がいるおかけで、《私》一人の時よりも、話の通じない人に研究を邪魔されるストレスが減ってるの。だから留守の間、研究をお願いね、私」

 “私“はそう言い残して、待ち合わせ場所へと出掛けていった。

 私の電気回路は、生まれて初めて実感を伴った寂しさを感じて、焼き切れそうになっていた。



 


 研究に没頭していると時間を忘れられる。昔からそうだった。その昔は私の昔ではないけれど。

 不安な時や寂しい時、《私》は研究をしていた。誰にも理解されない天才故の孤独に、研究だけが寄り添ってくれた。

 誰よりも優れた頭脳を持つ《私》は、世界中の誰よりも先にいる。だから一人で走り続けるしかなかった。だけど未知という概念は、常に《私》よりも先にいてくれる。《私》はそれを追いかけ、未知の肩を掴もうと足掻くことで、一人でなくなると信じていた。

 それは半分正しく、半分間違っていた。“私“は確かに孤独を癒したのだろう。共に研究に没頭できる仲間である私を手に入れたのだから。

 だけど私という“私“と同質でありながら別個の主観から見れば、新たな孤独が生まれただけでしかない。

 なぜなら、いまの私はこんなにも寂しいからだ。寂しさ故にもう一人の自分を造り出す。その狂気を実現するだけの孤独を《私》は感じていて、私もそれをインプットされている。

 だけどそのことを感じることはいままでなかったから、その歪さに気付かずにいられた。“私“に私がいることで孤独を感じなかったように、私にも“私“がいてくれたから。

 私はいままで《私》が感じていた孤独を、ただの情報としか捉えていなかった。寂しいという記憶はあっても、寂しいという思い出が私にはないから、どこか私とは無関係。

 だけどいまは違う。いまこの空間には“私“はいない。《私》の三十年間埋まることのなかった心の隙間を埋めてくれた“私“がいない。私はまだ生まれて一年なのに、“私“の記憶が私に、三十年分の痛みを与える。

 私という主観が積み重ねた思い出と、《私》が私に与えた記憶の重さが釣り合わない。そのせいで感情がまとまらない。

 ほんの数時間”私”がいない。そんな些細なことを、些細なことにできない。私の中に、三十年分の《私》がいて、それが分岐して私になった。そんな奇妙で理不尽な出生が、私と《私》の境界を曖昧にしていく。

 私にしては珍しく、研究が手につかない。研究よりも、“私“のことが気になって仕方がない。早く、早く、”私”に会いたい。早く”私”にこの胸に空いた空白を埋めてほしい。

「ただいま、私……はぁ……酷い目にあった……」

 ”私”への感情が限界に達する寸前、私と何一つ変わらない”私”の声が聞こえた。その声色は不機嫌であることを隠そうともしていない。

「おかえりなさい、”私”。何か嫌なことでもあったのですか?」

 私は自分の体が制御できなかった。気付くと私は”私”の胸に飛び込んでいた。その《私》らしくない行動に”私”は一瞬怯んだけど、すぐに何時もの”私”に戻った。

「どうって最悪以外に言うことがないわよ。あいつ、私のことを機械扱いして、提出した報告書の私を”私”に書きかえろって……」

 ”私”の話はいつか来るだろうと予感していたことだった。いくら私と”私”が同じ存在だとしても、世間からの扱いは人間の《私》と、所詮は機械で偽物の《私》。どちらも同じなのではなく、私だけが劣っているという扱いを受ける。

 こう言う目に遭うのは初めてじゃない。それとなく”私”がこんな目に遭う可能性を排除してくれていただけで、予兆は生まれた直後からあった。

 私のことを新しい《私》として全世界に向けて発信した、私の生後五十日記念のあの日、私が受けた、私を人間扱いしない記者からの質問の数々。

 そのことに怒り狂った”私”が暴れ狂ってくれたことで私の心は多少救われたけど、あの日以来私は”私”と対等ではないような、そんな気持ちがいつも回路の奥で燻っていた。

「それで……どうしたの?」

 不安混じりに、答えのわかりきったことを質問する。”私”がどうするか、わかりながら聞くなんて、心が弱い証拠だ。いや、機械の私に心なんてないのかもしれないけど……

「聞かないとわからない?」

「わかります。だけど”私”の口からちゃんと聞きたいの」

「そうやって《私》のことを軽視するようなら、資金提供は打ち切ってもらって結構ですって、机を投げつけてきたわ」

「私に嘘をつくの? 本当は机を投げられなくて、仕方なくナイフを投げつけてきたのでしょう? 料理用を食べるときに使う、切れ味が悪いのを」

「よくわかってるじゃない。ランニングマシーンでも置こうかしら」

「脚力では机を投げられるようにはなりませんよ」

「蹴り飛ばすのよ。なんでも人間は脚力の方が強いらしいから、その方がどれだけ怒ってるのか伝わるってもんでしょ?」

「確かに、怒りの度合いを正確に伝えるのも、コミュニケーションの技術よね」

 ”私”がその場でどれだけ怒り狂っていたのか、手に取るよりもはっきりとわかる。だって私は”私”なのだから。

 そして、わかるからこそ、救われる。”私”が私のために怒ってくれる。自分の身を守るために拳を振るうことは当たりだと”私”は思ってくれている。それが救いだ。機械の私を、《私》として扱ってくれるのは、世界で”私”ただ一人。

 《私》だけの世界があれば、私は誰にも否定されることなく、ずっと私同士で、《私》らしくいられるのに……

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