鈍いお人よし

助手

第1話

「緑」

「消しゴム」

「ガソリン」

ジャンルはノンフィクションです。


本編

「また減産ですか!? 今年はもうこれで3回目ですよ」

真鍋は机を叩く。

「仕方ないだろう、政府の方針だ。従う以外にあるまい」

彼の上司は腕を組んで椅子に深く座ると、深く溜め息を吐く。

「クリーン、環境保全、緑を大事に。そんな合言葉ばかりで今は原油業界には逆風だよ、いやもう終わりかもしれないな」

上司は眼鏡を取ると、目頭を揉む。

「だからって、これ以上減産したら利益なんて上げられませんよ・・・・・・」

「それは・・・・・・、一番経費の掛かる部分から切り落としていく必要があるだろうな」

そこまで言って、二人は黙り込んでしまう。

一番経費が掛かるところなど、分かり切っている。

「だからと言って、一番下の人間から首を切ったら転職先はどうします? ここで働いて短い人間ならまだしも、10年以上働いてる者も何人でもいます。ここしか知らない人間もいるんですよ、そんな人間がコンピューター業界に転職できると思いますか?」

「そこまで大きな問題ではない、契約社員から切ればいいだろう。まずはそれでどうにかなる」

「・・・・・・、分かりました。リストを作成して今週中にはお渡しします」

「ああ、すまんな」

真鍋は頭を下げると部屋を出た。

廊下を少し歩くと、部下の今井が声をかけてきた。

「どうでした、真鍋さん・・・・・・、ってその顔は駄目みたいですね」

「また減産だ、契約社員の首を切れと言われたよ」

また減産ですか!? と今井は自分が上司の部屋でしたようなのと同じリアクションをする。

「やっぱり、原油業界は斜陽期なんですかねー。私も転職を考えなきゃ」

オフィスに戻ってパソコンに向かいながら、今井は冗談かどうか分かりにくい事を言う。

「そうだな。この調子じゃ早期退職者を募集するだろうから、俺もそれに応募するかな」

リスト作成の為に紙に名前を書き込んでいく。

まだ本決まりではないが、この中の何人かは実際に辞めなくてはならないだろう。

「えー、真鍋さんがいないんじゃこの会社で働く意味がないじゃないですかー。あーあ、真鍋さんが辞めちゃうなら私も辞めようかなー」

「なんだそりゃ、そんな理由で仕事辞めてどうするんだ。お前、俺より10は若いだろ、いくら斜陽期でももう少し続けてないと転職は難しいだろ」

「大丈夫ですよー、その時は真鍋さんに永久就職しますのでー」

オフィスの机が、がたっ、と音を立て動くのを俺は聞き逃さなかった。また際どい冗談だ。彼女のそういった発言は、オフィスの男子たちを神経質にさせるには十分だ。

「こら、そういった冗談は止めろ」

消しゴムを手に取り、リストの名前を消しては新しい名前を書き込んでいく。

「えー、そんなー。私はいつだって・・・・・・」

そう言うと今井は立ち上がって、

「本気ですよ! 真鍋さん」

突然後ろから俺の首に腕を回して抱きついてきた。

「ぐぉっ」

消しゴムを持つ手が滑り、リストの紙を大きく破る。

更に後頭部には何か2つのやわらかい物体を感じる。

「あ! 動揺してます? 動揺してますね! いやー、照れちゃうなー」

「うぉっ、揺らすな揺らすな!」

首を腕で固めたまま上下に激しく動かされたので、真鍋は体勢を崩しそうになる。

「そんな事言って、嬉しいんじゃないですかぁ~?」

今井の甘い声が耳元で囁かれるが、顔を強引に押しのける。

「いやんっ」

その時に今井がわざと甘い声を出すが、それは無視する。

「ったく、またリストを書き直さなくちゃな」

真鍋は破れた紙を見ながら頭を掻く。

「あー、またそういった古臭いやり方してー、目の前にあるパソコンは何のためにあるんですかー?」

「うるさいな、俺はこっちの方がやりやすいんだよ」

「そんな事言っても、どうせ最後には首を切る人の名前を書いて社内メールで送らなきゃいけないんですから、最初からWordなりなんなりで書いた方が早いと思いますけどねー」

「うるさい。俺の自由だ、ほっとけ」

今井の「はーい」という気の抜けた返事を聞きながら、また新しい紙を取り出して、そこに名前を書き込んでいく。

だが、書き込みながら今井の言わんとすることも正しい、と思う。

真鍋が使っている紙は再生紙100%だろうがなんだろうが、何らかの植物が使用されているだろう。消しゴムも元をただせば石油が絡んでくる。

そういったものが敬遠され、削減あるいは「エコ」の名のもとにクリーンな代替品へと移り変わるのはやむを得ないのかもしれない。

緑を、地球を守る、という名目を出されれば、自分達の業界が目の敵にされるのは避けようのない事とも言える。

「これも栄枯盛衰ってやつかな」

椅子に座った真鍋が一人そう呟いていると、自分の机に影が出来た。

見上げると今井が上から見下ろしている。

「どうした、今井」

「やっぱり、辞めさせないといけないんですか?」

その顔は本気で心配している時の顔だと、真鍋は知っていた。

「ああ、会社の方針だし、俺も上の判断が間違っているとは思えないからな」

だから、質問には真剣に答えた。

「でも、みんな頑張ってるじゃないですか、それなのに首だなんて。こんな時代じゃ再就職だって簡単じゃないですし」

「ははっ」

「? どうかしましたか、真鍋さん」

いや、お前も俺と同じことを考えているんだな。

そう言おうとしたが、何だか恥ずかしかったので言わなかった。

「そんな顔するな、心配するなよ。ほら、この伊藤って人、彼は教員免許を持ってたはずだ、それに柊は弁護士になるためにうちの事務員になったいわゆる腰かけだったはずだろ? 皆なにがしかの食い扶持にありつけるさ」

紙をペンで叩きながらそう説明する。

「ふふ、優しいですね」

「そうだとも、どこかの誰かさんが邪魔しなきゃもっと優しくできるんだけどな」

「あら、そんなひどい人がいるんですか?」

今井はわざとらしく驚く。それを見て真鍋は満足したような呆れたような、そんな顔をした。

「とにかく、俺はリストを作るよ。お前は今日はあがれ」

真鍋は時計を指差しながらそう言った、すると、

「だったら今晩、ご一緒に食事しませんか?」

その今井の突然の言葉に、部屋のどこかで凄い物音がする。

「だ、大丈夫か!」

どうやら誰かが失神したかして倒れたようだ。

「お前、そのうち死人を出すんじゃないか・・・?」

「へ?」

今井本人に自覚はないらしい。

「とにかくですね、私と一緒に食事! ダメですか・・・?」

「いや、ダメとは言わんが・・・」

食事の誘いを断る理由はないが、真鍋にはなんで誘われたのかイマイチ分からない。

「私、伊藤さんとか柊さんみたいに、再就職先を見つけやすい契約社員の人知ってるんです。だからそれについての・・・、そう! 情報交換です!」

「何!? 本当か!?」

真鍋が目の色を変える。

「女子のコミュ力舐めないでください。真鍋さんよりずっと顔が広いんですよ、私」

今井は自慢げに大きな胸を張る。

「助かるよ今井! だったら今晩な、俺も早めに仕事終わらせるから、ほれ」

真鍋はそう言うと机の上の消しゴムのカスを払い、自分の名刺を取り出す。その裏にさらさらとペンを走らせて、そのまま今井に渡す。

「・・・これは?」

「俺のLINEの番号だ、確かお前、俺のLINE知らなかったよな」

「・・・ずっと欲しかったのにこんな形で貰うと、うれしくない・・・」

「? なんか言ったか? 今井?」

「いえ、何でもありません」

今井の顔は膨れていたが、真鍋はきょとんとした顔をする。

「? とにかく助かったよ今井、これで何とかなるかもしれない」

「お人よし・・・」

嬉々として喜ぶ真鍋に今井の言葉は届かない。

「とにかく! 後でLINEしますから、ガソリンスタンドとかに寄り道せず真っ直ぐ来てくださいね!」

「任せとけ! 俺の車は電気自動車だからな」

「っっっ! もう知りません! お疲れ様!」

何故か顔を真っ赤にした今井は肩をいからせながら部屋を出ていった。

真鍋は今井の言っている意図が分からず首を捻るが、ひとまず忘れて自分が途中まで書き上げたリストに目を落とした。

「とりあえず、今井の助けがあれば半分に減らせる・・・、か?」

これから先も原油の減産やガソリン価格の下落は続いていくだろう、残念ながら自分たちの置かれた立場はかなり厳しい。

他にも直近四半期の売上資料などと顔を突き合わせて、何人の首を切るかを考える。

そして、今井からLINEが来る頃、時間にして1時間後。

「三分の一が、限界か・・・」

悩んだ末、解雇予定の従業員の内3分の1は会社に残すことが出来ると分かった。

予定より解雇する人間を減らすことは出来たが、真鍋はまだ満足していなかった。

まだ解雇する人間を減らせるんじゃないか? 何か見落としているんじゃないか? 

そう思い何度も資料を見返したが、結果は変わらなかった。

「三分の一・・・、か」

椅子にもたれかかり、天井を見る。

今井は何か急いでいるのか、スマートフォンからの通知が鳴りやまない。

それを静かに聞きながら、目を閉じる。

そして、大きく一呼吸した後、

「そこから始めよう」

そう言って、今井のLINEに「今から行く」とだけ、返事をした。


執筆時間4時間

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