第9話 発明家のはじまりは、写真であった。

 リネシスは、役所の事務作業をこなしながら、考え事をしていた。リンリカーチ帝国の生き残りと、貧民街を、どうやって救ったものかと。


 いろいろな角度から考えたが、やはり国内に存在する仕事の量が少なすぎることが、すべての原因だった。


 もし二年前の戦争がなければ、総人口と仕事量の比率は、ここまで不均衡になっていなかっただろう。


 だが、もう戦争は起きた後だし、なんなら戦勝国としての利益も得られなかったのだ。


 国益がマイナスになったことを前提に、解決策を模索するしかない。


 リネシスが、うーんうーんと悩んでいると、思わぬお客さんがやってきた。


 天才児のイルサレンであった。


 イルサレンも、十四歳になった。青年期に近づいただけあって、だんだんと顔つきに、個性が出てきた。


 どことなく牧羊犬っぽかった。髪の毛が天然パーマのモジャモジャなので、ロングコート系だろうか。


 そんな犬顔の少年が、一枚の手紙を持ってきた。


「王子。魔法大学の偉い人が、この手紙を渡してくれって」


 この時点で、すでにリネシスは、手紙の主を疑っていた。


 魔法大学の要人は、すでに王族三兄弟の手中だ。だから大事な話があれば、手紙ではなく、魔法障壁を張って直接話すだろう。


 そんな状況で、わざわざイルサレンに手紙を頼む。


 かなりの確率で、嘘の手紙か、もしくは厄介な差出人だ。


 開封せずに焼いてもよかったのだが、イルサレンの労力をムダにするのも悪いから、丁重に手紙を受け取った。


 物理的な罠や、魔法的な罠を警戒しながら、手紙を開封する。


『王族のパレードには参加しないんですか? 母より』


 筆跡も印章も、母親である王妃のものだった。


 偽造ではなく、正真正銘の本物。


 疑問が湧いてくる。イルサレンは、誰にこの手紙を頼まれたのか?


「イルサレンくん。この手紙は、誰に、頼まれたんだい?」


 リネシスが慎重に質問すれば、イルサレンは普通に答えた。


「一代前の学長で、ガリトラと名乗っていました」


 いきなり政敵の名前が出てきて、リネシスは気分が悪くなった。


 だが、イルサレンが悪いわけではないので、努めて冷静に対処していく。


「あそこに飾ってある肖像画の人物で、間違いないか?」


 リネシスは、役所の壁に飾ってある、歴代学長の肖像画を指さした。


 リネシスの師であるケルサ元学長もいるが、政敵であるガリトラ先代学長もいた。


 ガリトラ先代学長の見た目は、しわしわの毛むくじゃらだ。まるで体毛をたくわえたネズミみたいな老人である。


 イルサレンは、ネズミみたいな老人を見て、こくりとうなずいた。


「はい、あの人ですけど……なにか問題ありましたか?」


 イルサレンは賢い子だから、リネシスの様子が変化したことに気づいたらしい。


 リネシスは、どこまで事情を話すか迷った。だが、天才児に気遣わせておいて、なにも教えないのも悪い気がした。


 ちょっとだけ事情を語るだけなら、問題ないだろう。


「ガリトラは、解雇の形で退任してるんだよ。だから、この男が、魔法大学のキャンパスにいることは、よろしくないわけだ」


 ガリトラ先代学長は、おそらく魔法大学を密偵していたんだろう。


 なにが目的で、密偵していたのかは、いまのところわからない。


 唯一わかっていることは、なにかを探るついでに、イルサレンに手紙を託したことだけだ。


 この事実から逆算すると、王党派は、イルサレンとリネシスのつながりに、気づいたことになる。


 しかも、王妃の手紙を持ってこさせるあたり、どうやら王妃を、王党派に取り込んだらしい。


 王党派と民主派による権力争いは、少しずつ勢いが加速していた。


「王子。すいませんでした。ガリトラさんが、そんな後ろめたい事情を持っているなんて、知らなくて……」


 イルサレンは、胸に手を当てながら、謝罪した。


「いいや、イルサレンくんは、なにも悪くないよ」


 リネシスは、王妃の手紙を、ランプの炎で焼いた。


 ぱらぱらと黒焦げになっていく手紙の繊維を見つめながら、イルサレンの将来について考えた。


 天才である彼にも、いつかは政治の話をしなければならない。


 民主派につくのか、王党派につくのか。


 ほぼ間違いなく、民主派を選んでくれるとは思う。だが彼は、真水のように純粋だから、リネシスの汚さを責めるだろう。


 そのときのことを考えると、リネシスは気分が重くなった。


 そんなリネシスの憂鬱な気分を吹き飛ばすように、イルサレンが朗報をもたらした。


「ああそうだ。さきほどの肖像画で思い出したんですけど、最初の発明品が完成したんです。試しに使ってもらえませんか?」


「ほぉ。発明品。それは、ぜひとも拝見したい。どんな代物なんだい?」


「写真といいます。さきほど王子は、ガリトラさんの人物認識を、肖像画で行ったじゃないですか? あれは不正確なので、犯罪捜査に不向きだと思ったんです。そこで僕は、魔法使いのみなさんが使う、投影の魔法を、科学で再現しました」


 イルサレンは、役所の外に止めてある、馬を指さした。


 どうやら馬の背中に、写真という発明品を積んであるらしい。


 リネシスは、興味津々で、役所の外に出た。


 ● ● ● ● ● ●


 馬の背中に、やや大掛かりな装置が積んであった。木製の四角い箱と、鉄製の脚立の組み合わせであった。


「王子。そこに立っててください。いますぐ準備しますから」


 イルサレンは、四角い箱に、布をかぶせると、その内側にもぐりこんだ。それからすぐに、リネシスに対して、こんなお願いをした。


「いいですか、王子。僕がいいというまで、絶対に動かないでください」


「ああ、わかった」


 リネシスは、いわれたとおり、じーっと仁王立ちした。


 あまりにも暇すぎて、すぐ近くを乗合馬車が通り過ぎていく。ご近所のご婦人たちが市場に向かった。衛兵たちが馬で巡回していた。


 そんな感じで、二分ほど経過すると、布の内側からイルサレンが出てきた。


「もう動いても大丈夫ですよ。撮影完了です。でも、特殊な環境で現像しないと、写真にならないので、あとで持ってきますね」


 このリネシスを撮影した写真だが、歴史の教科書に載ることになる。


 タイトルは【王子様と昔の街並み】であった。


 さて、リネシスは、四角い箱を、こつこつと叩いた。


「二度手間が必要なのか。難儀な道具だな。ちなみに、完成品のサンプルはあるのか?」


「ありますよ。魔法大学の友達を映したやつですね」


 イルサレンは、ポケットから、一枚の紙を取りだした。


 写真。


 人間の姿も、その背景も、そっくりそのまま、長方形の紙に印刷してあった。


 これが投影の魔法であれば、なんの驚きもない。


 だが魔法を一切使わずに、科学だけで再現してしまった。

 

 リネシスは、写真を持つ手が震えた。


 いくらイルサレンが天才とはいえ、まさかたった一年で、これほど凄まじいものを発明するとは思っていなかったからだ。


 リネシスは、天才児を称賛した。


「イルサレンくん。君は、本当に天才だったな」


「……最近、魔法大学の人たちにも、天才、天才とよばれて、本当に困っています」


 イルサレンは、苦しそうに目を伏せた。どうやら天才の栄誉に耐えられないらしい。


「過剰な名声は苦手かい?」


「はい。僕は、どこまでいっても、パン屋の三男坊です。天才なんていわれても、ピンとこなくて……」


 無理に天才と名乗る必要はないだろう。なにか別の肩書きを与えてやれば、心の負担は軽くなるはずだ。


 リネシスは、あれこれ考えたが、シンプルな結論を出した。


「なら、今後は発明家と呼ぼう」


 発明家という肩書きに、イルサレンは花火みたいに弾けた。


「それはいいですね! 発明家ならかっこいいですから!」


 なんて会話をしているとき、リネシスは、重要なことに気づいた。


 さきほど、イルサレンに渡された、写真の人物の正体だ。


 リーア・ウェリペリ。ウェリペリ大公の娘であった。


 たしか今年で十五歳だが、よりによって政敵の親族が、イルサレンの友達になっていた。


 この事実に、リネシスは、頭が痛くなった。


 最悪の場合は、ハニートラップを活用するスパイの可能性がある。


 もしイルサレンを篭絡されてしまったら、民主派は大幅な戦力ダウンになるだろう。


 リネシスは、イルサレンのナイーブな心を傷つけないように、言葉を選んで質問した。


「イルサレンくん。ウェリペリ大公の娘が、魔法大学にいる理由を、知っているかい?」


 イルサレンは、どうやら政治的な話題に興味がないらしく、普通に首をかしげた。


「なんでっていわれても……普通に入学してきたんですよ。今年の春に」


 普通に入学。もし陰謀や政略なら、政治的なルートを使って入学するはずだ。


 しかし普通に入学となれば、難しい試験と、転送ゲートの人柄調査を突破したことになる。


 もしかしたら、本当にただの偶然で、イルサレンとリーア・ウェリペリアは、友達になったのかもしれない。


 リネシスは、あとでラサラ学長に詳しい事情を聞くことにした。


 さて、そろそろ仕事に戻ろうかなと思ったとき、すぐ近くを衛兵の隊列が通り過ぎていった。


 王族がパレードを行うのだ。さきほどの王妃の手紙と、情報が繋がったのである。


 ただしリネシスは、公務をサボると決めているため、パレードなんて無関係だった。


 まるで、そんなリネシスに仕事を与えるかのように、貧民街の若者が走ってきた。


「リネシス王子! 大変です、貧民街で、高熱で死にそうな子供がいるんです。助けてください!」


 リネシスは、貧民街の信頼を獲得していた。


 亡くなったケルサ元学長が、リネシスの善行を噂として流していたからだ。


 だが戦前と違って、戦後は王党派による監視がある。


 これ以上、有用な人物であることを表に出しては、いよいよ身動きがとりにくくなるだろう。


 なら、自分の政治的な立場を隠すために、貧民街の子供を見捨てるのか?


 それは仁義がないな、とリネシスは思った。


「いこう。俺には医療の心得もあるからな」


 リネシスが王族用の馬に乗れば、イルサレンは手を挙げた。


「王子、僕も手伝います!」


「ならばイルサレンくん。テネタ教のマルトロ司祭を貧民街に呼んできてくれ。俺の手袋を持っていけば、初対面の相手でも、お願いを聞いてもらえるだろう」


 リネシスは、手袋を外して、イルサレンに渡した。


「わかりました。では、いってきます」


 イルサレンは、自分の馬に乗ると、テネタ教の教会本部まで走っていった。

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