第6話 ウェリペリ大公の影

 夜間。夕闇と暗闇が、徐々に切り替わっていく時間帯。


 衛兵隊の勤務時間における、夜勤のタイムテーブルに切り替わったとき。


 リネシスは、ゴルゾバ公爵の私邸を訪れた。ただし正面玄関ではなく、飛行の魔法で空を飛んで、二階のテラスに着地した。


「大佐、大佐。リネシスだ、ちょっといいか」


 リネシスが、テラスの大窓を叩けば、ゴルゾバ公爵が、窓越しに姿を現した。


「とにかく、まずは中へ入れ」


 ゴルゾバ公爵は、テラスの大窓を両手で開いた。


 リネシスは、すばやく屋内に入った。


 古い本の匂いと、剣の整備油の匂いが充満していた。ゴルゾバ公爵は、酒もたばこもやらないので、実直な軍人の匂いが染みついたわけだ。


 リネシスは、適当な古い本をぱらぱらめくりながら、事情を説明した。


「俺を探っているやつがいる。衛兵隊に密偵がいて、たぶん、誰かの指金だ」


 ゴルゾバ公爵は、やや冷めた紅茶を飲みながら、夜空の月を見上げた。


「ついに、お前の動向を疑うやつが出てきたか」


「いつかは出てくると思っていたが、ちょっと早すぎる。たぶん、ブラックドラゴン戦のときに、避難誘導を指示したことが原因だ」


 リネシスは、どんな完璧な計画も、目論んだとおりに動かないことを痛感した。


 ただし、一つだけいえることがあって、ブラックドラゴン戦における避難誘導の指示は、絶対に間違っていなかったことだ。


 だから過去の行動を悔やむより、内偵を雇った黒幕を見つけて、今すぐ対処したほうがいい。


 ゴルゾバ公爵は、城の方角を眺めながら、こう言った。


「少なくとも、バルバド王ではない。あの王に、そういう寝技は使えない」


 リネシスも、同じ意見であった。


「寝技の得意やつ。それだけで、かなり絞り込めるな」


 黒幕候補は、五名から六名ぐらいだ。その誰もが、政治力学のみで肥え太った無能貴族である。


 リネシスは、無能貴族たちを、どうやって排除したものかと考えていた。


 するとゴルゾバ公爵が、折れた短剣を机に置いた。


「リネシス。もし、黒幕が誰かわかったら、そいつを暗殺するのか?」


 ゴルゾバ公爵の声には、未熟者を戒める迫力があった。かつてリネシスに剣術を教えていたときと同じ雰囲気である。


 だからリネシスは、衣服の裾や襟を整えてから、きちんと答えた。


「相手の出方次第だ」


 暗殺の選択肢はある、と答えたのである。


 リネシスの実力ならば、なんの証拠も残さずに、政敵を始末できる。


 無血革命という大事の前には、肥え太った貴族の命など小事であろう。


 だが、ゴルゾバ公爵は、賛同するつもりがないらしい。


「リネシス。私と約束しろ。どんなに追い込まれても、暗殺だけは実行しないと」


「なぜ?」


 たった二文字だけで、聞き返すことになった。


 リネシスは、冒険者時代から、第五大隊時代まで、数多くの命を奪ってきた。


 山賊、盗賊、海賊、街のゴロツキ、敵兵、野盗と化した逃亡兵……それらを殺害することと、無血革命の足を引っ張る愚かな貴族を殺すことは、同じことだと思っていた。


 そんなリネシスの単純な思考回路を否定するように、ゴルゾバ公爵は折れた短剣を数々の勲章に叩きつけた。


「お前は、おそらくこの国で、いやもしかしたら、この世界で最強の戦士かもしれない。


 だが政治は、経済は、戦争は、個人が強くても、どうにもならない。


 戦争中、お前は一人で千人以上もの敵兵を殺した。だがそれでも、第五大隊が敗走することは何度もあった。


 思いだしたか? 国家と国家がぶつかった場合、国力が優れているほうが勝つのだ。


 だからリネシス、お前は優れた政治家にならないといけない。


 そのためには、暗殺という安直な手段を使わないで、政敵を倒せるようになるまで、成長するのだ。


 それを成し遂げられれば、ケルサの遺した夢は、完璧な形で叶うだろう」


 折れた短剣は、数々の勲章を破壊していた。


 安直な手段が、せっかく得られた栄誉を、失わせてしまったわけだ。


 いやもしかしたら、栄誉なんて曖昧なものは、国力という具体的な力の前には、些末なものなのかもしれない。


 政治・経済・軍事力。


 一騎当千の英雄よりも、国力を増大できる政治家のほうが、時代に求められているわけだ。


 リネシスは、ゴルゾバ公爵の深い考えに、敬服した。


「それが、俺に剣術を教えた大佐の責任というわけか……」


 ゴルゾバ公爵は、壊れた勲章を払いのけると、その奥に隠してあった戸棚を開いた。


 一冊の本が出てきた。ケルサ元学長が執筆した、民主主義に関する本であった。


「本当なら、ケルサが教えるべき部分だった。だがあいつは、ブラックドラゴンの翼をもぎとるために、死んでしまった」


 リネシスは、一冊の本から、学問と魔法の師匠の面影を感じた。


 たしかに、あの優れた智者であれば、暗殺なんて安直な手段は戒めたのだろう。


 そう思ったリネシスは、折れた短剣を、土系統の魔法で粉々に分解した。


「俺は、政敵を暗殺しないことを誓う。二人の師匠の名にかけて」


 ゴルゾバ公爵は、ちらかった部屋をかたづけながら、ちらっとリネシスを見た。


「約束してくれたから、お前の懐を探っているやつが誰なのか、私が探しておいてやる。黒幕がわかり次第、テテに伝えておく。私が直接お前に教えてしまうと、それこそ、うつけモノの演技がバレるかもしれないからな」


「ありがたい。では朗報を待つ。さらばだ大佐、また会おう」


 リネシスは、ゴルゾバ公爵にお礼をいうと、ふたたび空を飛んで、夜空に消えた。


 ● ● ● ● ● ● 


 暗殺を禁じたからこそ、リネシスは、以前よりも慎重に動くようになった。


 ちょっとした書類を書くときや、なにげない会話のなかでも、尻尾をつかまれないように気を使った。


 とくに共通規格に関する商売の準備は、まるで社会の影みたいに行動した。誰かを雇うにも、機材を用意するにも、ほぼリネシスは表に立たなかった。


 だが、まっとうな商売をやろうとすると、どうしても公的な書類が必要になる。


 だから裏技を使うことした。


 後世の歴史で語られるところの、ペーパーカンパニーを通した経営である。


 商売の内容は合法だし、きちんと納税もするのだが、経営の実態がつかめないのである。


 リネシスは、ケルサ元学長という社会科学の天才から、手続き論も学んでいたから、こんな裏技も使えた。


 さて、せっかくペーパーカンパニーを使って、経営の実態を隠したんだから、操業する工場も偽装したかった。


 もし新規に土地を取得して、わいわいと新しい工場を建てたら、とんでもなく目立つだろう。


 だからテテの実家である馬小屋に、工場を増設することになった。


 テテは絶句した。


「な、なんで、うちの実家なんだ……」


 リネシスは、馬小屋の馬たちの背中を撫でた。馬たちは、幼いころのリネシスを知っているため、くんくんと匂いを嗅いで、同一人物かどうか確認していた。


「事情は説明したとおりだ。黒幕の正体がわかるまで、俺は目立った動きができない。だからテテが表で、俺が裏になる」


「そういう意味で聞いてるんじゃなくて、なんで、うちの実家を選んだんだ? 偽装するにしても、他に候補があるだろうが」


「まぁよいではないか。テテの両親も喜んでいるわけだし」


 テテの両親は、馬小屋の商売が大きくなることを、歓迎していた。だが、不安に思っていることもあるらしい。


「しかし王子様。うちは、しがない馬小屋でございます。もし、わたしたちの手に負えないぐらい、商売が大きくなったら、どうすればよろしいですか?」


 リネシスは、テテの背中を、ばしんばしんと叩いた。


「全部テテにまかせればいい。こいつは現実主義者だから、経験を重ねれば、すぐに優れた経営者になるぞ」


 テテは、ちょっと恥ずかしそうに、身をよじらせた。


「おいリネシス。親の前で、からかうのはやめろ」


「からかってない。俺は本気だ」


「だが、オレが、巨大化した革製品と旋盤工場の管理なんてできるのか?」


「できるさ。冒険と戦争での経験は、役に立つ」


 こうして、皮製品と旋盤を作る、小さな工場が稼働した。


 工場の名前は、リネシスとテテの頭の文字をとって、リテ工場と名付けられた。


 後の歴史における、LMI(リテ・ミリタリー・インダストリー)の初稼働の日であった。

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