第5話 うつけモノの演技をバランスよく続けていく
翌日の早朝。リネシスは、ふたたび怪盗シルバーボルトの格好になると、民衆への再分配を開始した。
『怪盗シルバーボルト見参! 昨晩、あくどい豪商から盗んできたお金を、民衆に分け与えよう!』
見た目の派手さを優先するなら、金貨をバラまいたほうがいいんだろう。だがそれでは、受け取る対象に、偏りが出てしまう。
だから金貨を銀貨に両替してから、直接手渡しした。通行人に渡すこともあったし、各ご家庭を訪問して渡すこともあった。
これだけ目立つことをやっていれば、当然衛兵も集まってくるわけだが、彼らにも銀貨を渡した。
『これはワイロではなく、君たちの正当な報酬だ。日用品を買うのに使いなさい』
本当にワイロではない。戦争からの復興となれば、職業に関係なく、お金を行き渡らせることが必要不可欠であった。
無事、お金の分配が終わったので、魔法のカードを置いて、現場を去った。
再分配は大成功であった。民衆は、怪盗シルバーボルトの味方になったのである。
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お金をばらまいた後。リネシスは、共通規格の法律を作るために、首都の王立役所を訪れた。
渦を巻いたような構造の建物で、それぞれの階層ごとに、担当の部門が分かれている。
このちょっと気取った建物で、新しい法律を作っていく。
そう、最近のリネシスは、復興に必要な法律を、自分で作っていた。
ただし、白昼堂々と自分で法律を作ったら、うつけモノの演技がバレてしまう。
だから、普段から役所で働くことで、法律の作成を、まるで流れ作業の一部みたいに偽装していた。
ちなみに、役所で働くようになってから、リネシスの評判は変化した。
「どうやら、うつけモノは、事務仕事が得意らしい」「十代のころは、本当にどうしようもないやつだったが、ちょっとは更生したらしい」「でも、いまでも公務はサボってるんだよね。家族と仲悪いのかな」
なぜ公務をサボっているかといえば、リネシスの新しい戦略だった。
リネシスは、内戦を伴わない、無血革命を起こしたい。
だから、なるべく表に名前が出てこないように、じわじわりと革命の準備をしたい。
となれば、うつけモノを演じるための力点が、少々変化する。
少年時代から続く、うつけモノの前評判を維持しながら、これ以上悪評を広めないようにしたいわけだ。
もし、以前のように、放蕩三昧の演技を続けてしまうと、悪評が上乗せされるため、悪目立ちしてしまう。
だからといって、あまりにも真面目に働きすぎると、今度は好評が広まってしまって、リネシス王子待望論が浮上してくるだろう。
それでは、無血革命が遠のいてしまう。
だから『役所で地味に働きつつ、公務をサボる』が最適解になったわけだ。
ただし、この新しい戦略には、唯一の失敗があった。
ブラックドラゴンとの戦いで、うつけモノの演技を中断して、住民たちの避難誘導を指示したことがある。
あの時の活躍が、噂として独り歩きしていた。
「リネシス王子ってさ、戦争で真っ先に疎開したはずなのに、なぜかブラックドラゴン戦のとき、首都にいたよね」「そうそう。しかも、避難誘導するとき、やたらと説得力あることいってたよな」「あれって、なんだったんだろう?」
目立ちたくないのに、目立ってしまった。
それは、リネシスの知らないところで、新しい火種を生んでいた。
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新しい火種とは、王党派の中心人物、ウェリペリ大公だった。
壮年の貴族であり、気持ちがいいほど、恰幅が良かった。人食いワニのように恐ろしい顔をしていて、いつも大口をあけて牛肉を頬張っている。貴族用の豪奢なお召し物が、やけに似合っているのは、彼が権謀術数を得意としているからだろう。
だが彼は、権謀術数を、私利私欲のために使ったことはない。
すべては、従兄弟のバルバド王を、王座に押し上げるために使った。
ウェリペリ大公と、バルバド王は、幼いころからの盟友なのだ。
逆に考えれば、バルバド王のような無能が王座に上がってしまったのは、ウェリペリ大公の余計な尽力のせいだった。
そんな人物ゆえに、致命的な問題も抱えていた。彼は、政治力学に関する権謀術数しか取り柄がないのだ。
だから軍略・経済・兵站の才覚が必要になる戦争では、あまり役に立たなかった。
ゆえに、リネシスたち王族三兄弟が、七転八倒することになり、どうにかリンリカーチ帝国に勝利できたのである。
さて、ウェリペリ大公だが、戦後になっても、権謀術数しか使っていなかった。
復興という最優先の目標には関与しようとせず、バルバド王の政敵になりそうな人物を探していた。
城内・市中・衛兵隊内部……あらゆる場所に、密偵を放っていた。
その密偵から、興味深い報告が入った。
「大公様。リネシス王子は、うつけモノではないかもしれません」
どれだけリネシスが、うつけモノの演技を重ねても、その体内からほとばしる才能の火柱は、どうしても目立つわけだ。
だが、まだ嫌疑の段階だ。ちゃんとした証拠をつかむまで、泳がせたほうがいいだろう。
そう判断したウェリペリ大公は、密偵に命じた。
「リネシス王子から、目を離すな。いくらワシの甥っ子といえど、バルバド王に歯向かうつもりなら、処罰せねばならん」
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新たな火種が育っているとき、リネシスは共通規格の法律に着手していた。
既存の法律との整合性を取りつつ、細かい条文をチェックしてから、署名欄だけ空白にしておく。
当初の計画どおり、まだ施行はしない。新しい旋盤の量産が終わったら、王族のお触れとして、国民に広く知らしめればよい。
もちろんお触れの署名欄には、リネシスの名前ではなく、二人の兄の名前を署名する計画だ。
やることを終わらせたので、お昼休みもかねて、パン屋にいった。
そう、天才児のイルサレンに、学問を教えるためだ。
「王子、宿題、ちゃんとやっておきましたよ」
イルサレンは、専門書を提出した。
リネシスは、専門書の書き込みを見て、目を見張った。
「たった一日で、こんなに覚えられるのか……」
リネシスだって、学問には自信がある。だがイルサレンは、そんな生半可な自信を打ち砕くほどに、数学と化学に特化していた。
「いやいや、王子の教え方がうまいんですよ」
イルサレンは、エサを求めるひな鳥のように、さらなる宿題を求めた。彼の目は、どんな高価な宝石よりも、キラキラ光っていた。
リネシスは、その学術的な光に、圧倒されてしまった。
「このままのペースで進むと、半年後には、俺を抜かすことになる。そこから先は、魔法大学の専門家たちに習う範囲だ。入学の手続きをしておこう」
魔法大学の話題になったとき、店頭からイルサレンの母親がやってきた。
「あの、王子様。うちには、イルサレンを、魔法大学に通わせるお金がありません……」
母親は、申し訳なさそうにいった。
だがリネシスは、すぐに正しい情報を伝えた。
「いや、俺が推薦するから、学費は免除になる。その代わり、イルサレンは、国家の戦力名簿に載るから、有事の際は、この才能を役立ててもらうことになる」
母親は、有事の際、という言葉に敏感であった。
「戦争は……もうやらないでほしいです……」
パン屋は、戦争で長男坊を失っている。
このパン屋の長男坊は、リネシスにとっても戦友の一人だった。
だが、オルトラン王国は、戦争から逃れられない運命にあった。
「オルトラン王国、三百年の歴史を振り返ってみると、すべての戦争は、宣戦布告されているんだ」
リンリカーチ帝国との戦いだって、宣戦布告された。
先代の王が、オルトラン王国を統治していたときも、やはり別の国に宣戦布告された。
先々代の王のときだって、それまた違う国から、宣戦布告された。
オルトラン王国は、ガッタール大陸における、橋頭保としての価値を持っているため、狙われやすいのである。
なお、こういう歴史やデータに基づいた説明は、相手によっては通じないこともある。
「王子様の難しい考えは、わたしのような学のない平民には、わかりません。でも、わたしは親なんです。イルサレンに、兵隊をやれないことだけは、わかっています」
母親は、勘違いしていた。イルサレンが、歩兵として最前線に出ると思っているのだ。
だからリネシスは、丁寧に説明した。
「奥方様。イルサレンは、兵士をやるわけじゃない。武器や医薬品の開発に従事することになる」
「信じられません。パン屋の息子が、そんな偉い貴族がやるような仕事につくなんて……」
リネシスは、やはり身分制は邪魔だ、と思った。
おそらくこれまでの歴史でも、イルサレンのような平民出身の天才が、貴族ではないという理由だけで、埋もれていったんだろう。
あとは、学費の問題も、どうにかしなければならない。
せっかく天才を発掘しても、学費が払えないからと進学をあきらめては、意味がないのだ。
「とにかく、来週までには、魔法大学に入学する続きをすませておく。それまでは学習範囲の復習を繰り返してくれ。ではな、もうすぐ昼休みも終わるから」
そう伝えると、リネシスは役所に戻ることにした。
帰り際、イルサレンがこんなことをいった。
「王子。僕は、発明品を作ってみたいんです。魔法を使えない人が、魔法使いとまったく同じ力を使えるように」
普通の少年が、この夢を語ったなら、微笑ましかったんだろう。
だが、イルサレンという自然科学の天才が語ったことにより、夢には暗闇がこびりついた。
なぜならば、たとえ世界平和のために生み出された技術であっても、軍事転用可能だからだ。
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リネシスは、役所に戻って、事務仕事を再開しようとした。
だが気づいた。自分の机の引き出しに、開けた形跡があることに。
どうやら誰かに荷物を漁られたらしい。
あえて気づかないフリをしながら、紛失物を確かめれば、メモや手紙が消えていた。
だが、盗まれて困るような書類は、公の場所には置いていないため、なんら痛手はない。
たとえば、共通規格の法律に関する書類だが、あれは肌身離さず持ち歩いている。
しかし、第三者に荷物を漁られたことは、絶対に無視できなかった。
犯人を突き止めないまま、革命の計画を進めるのは、あまりにも無謀だ。
だからリネシスは、隣の席の女性職員に、さりげなく聞いた。
「俺がいない間に、お客さんはこなかったかな? ちょっと昼休みを長く取りすぎてしまってな、約束をすっぽかしたかもしれないのだ」
さらっと嘘をついて、犯人の手がかりを得ることにした。
すると女性職員は、親切に教えてくれた。
「それらしい人は来てませんよ。でも、うちのフロアに、衛兵さんたちが来たんですよ。なんでも怪しいやつが役所に侵入したとか」
「その衛兵たちは、本物だったかな?」
「本物ですよ。いつもこのあたりを巡回してる人たちでした」
どうやら衛兵隊の内部に、誰かが雇った内偵がいるらしい。
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