第15話 うつけモノの縁談、天才と天才の交流

 リネシスは、まだオルトランの首都に帰還していなかった。


 自分自身の目で、大規模農業の道筋を確認するためだ。


 野営用の道具は、ヴァヴァル王国の船に積んであったので、それを使って野営地を設営した。


 食糧も十分確保してあったが、万が一に備えて、野生動物を狩っていく。


 オルトランの兵士たちも、旧帝国兵も、かつての戦争で、最前線に食糧が届かない事態を経験しているため、サバイバル技術が卓越していた。


 リネシスも狩りに加わりたいのだが、それをやったらうつけモノの仮面が剥がれてしまうので、ぐっと我慢した。


 せめてもの抵抗として、食べられる野草を摘み取っていく。


 清流から水も汲んできて、ろ過を行ってから、たき火で煮沸。


 兵士たちの集めた野生の肉と、リネシスの集めた野草を、一緒に煮こんでいく。


 ここから先の調理手順は、リネシスの趣味だ。


 魚の干物を削って、ダシにした。


 兵士たちの酒をもらってきて、下味を強化した。


 味付けは、塩のみ。


 味見してみれば、野営地で作ったとは思えないレベルで、おいしかった。


 肉が柔らかくなってきたとき、ミネカ姫が隣に座った。


「リネシス王子、少しだけよろしいでしょうか?」


 リネシスは、サバイバルなど経験したことのなさそうなミネカ姫に、気を使った。


「もしや、野性的な料理は嫌いか? 酒と野草を混ぜて煮込んであるから、獣臭さは緩和されているぞ」


「そちらはご心配なく。ヴァヴァル公国は、そこまでお金があるわけではないので、王族であろうとも、野ウサギや、イノシシの肉を食べることもありますのよ」


 ミネカ姫は、ほんのり棘のある口調で、答えた。


「いくら窒素とリンで、農作物の生産性を高めても、オルトランに搾取されれば、国民は干上がったわけか……だが、それも今日までだ。国家間の取引価格が正常化するから、じきに家畜の肉が流通するようになるだろう」


 リネシスが客観的な情報を説明すれば、ミネカ姫は智者の目になった。


「あなた、本当は、うつけモノではないのでしょう?」


 どうやらミネカ姫は、表面的な態度に騙されない人物らしい。


 だがリネシスは、うつけモノを貫くことにした。


「いや、まぎれもなく、うつけモノだ。ちょっとだけ学問が得意なだけで、他に取り柄はない」


 国民の評価そのものだ。剣術も魔法もダメ。毎日おかしな行動を繰り返す。でも、ちょっとだけ学問が得意。


 そういう評価だからこそ、リネシスは政治と経済で暗躍できる。


「リネシス王子。あなたは、本当に不思議な人ですわ。これまでの人生で、見たことのない男性ですもの」


 ミネカ姫は、リネシスに肩を寄せた。


 ズボラな見た目と違って、かなり積極的な女性であった。


 だが、リネシスが、のぼせ上がることはなかった。


 なんだかんだと王位継承権を持った王子である。もしハニートラップだったら、目も当てられない。


 いくら新しい条約を締結して、農作物の取引価格が正常化しても、宗主国と従属国の関係性は、丁寧にやるべきであった。


「そっくりそのまま返そう。ミネカ姫のような女性を、これまで見たことがない」


 リネシスは、ミネカ姫から、そっと離れた。


「わたくしが珍しい? オルトランには、勉強のできる女性がたくさんいるのでしょう?」


 ミネカ姫は、鍋料理をお上品につまんでから、もう一度リネシスに近づこうとした。


「いる。だが、貴族や魔法使い限定で、国民のすべてに教育が行き届いたわけではない。なんとかしようと思っているんだが、どうにもうまくいかない」


「なぜ、うまくいかないのでしょう?」


「風習が原因だ。庶民の誰もが、自分ごときに勉強なんてできるわけがない、と思い込んでいる。長い間、身分制度が学問をしばってきたことが原因だ」


「身分制度だけではないと思いますわよ。産業構造にも問題がありますわ。家業をこなしていくのに、子供を労働力として使わないといけないんですから」


 ミネカ姫の鋭い指摘に、リネシスは眉をぴくっと動かした。


「ミネカ姫、政治にも興味があったのか」


「いえ、政治は嫌いです。しかし、科学者として、あなたに、負けたくないと思いましたわ」


「もし、科学者として張り合いたいなら、俺じゃなくて、明日到着する、イルサレンくんと張り合ってくれ。その子は、俺より、圧倒的に賢い」


「リネシス王子より賢い子供に興味もありますが、それはそれ。いま大事なことは、わたくしとあなたの婚姻でしょう」


 あまりにも唐突な会話の切り替わりに、リネシスは鍋のおたまを落とした。


「……なんでミネカ姫は、そんなに唐突なんだ?」


「わたくし、昔から即断即決してきましたの。政治や空気を無視して。そのせいで国民のヒンシュクを食らうこともあったし、称賛されることもありましたわ」


 どうやらミネカ姫の生き様は、リネシスに近いらしい。


 もちろん完全に同じではないのだが、それでも基本的な行動方針がそっくりなのだ。


 たしかに、この女性が妻になるならば、リネシスの覇道は前進するんだろう。


 だが、メリットとデメリットだけで図れないから、結婚は難しいんだろう。


 それに王家同士の結婚なら、両者の意思のみで結婚できるはずもない。絶対に政治と経済と外交が関わってくる。


 いくらリネシスが王制を打倒して、民主制を確立しても、ミネカ姫となにかが起きれば、ヴァヴァル公国との外交問題に発展する。


 青春や恋愛を描いた物語であれば、両国の王子様とお姫様が、なかなか結ばれない状況に業を煮やして、駆け落ちすることもあるのかもしれない。


 だが、リネシスは、いずれオルトランを率いるつもりだ。


 うつけモノの仮面は、いつか必ず外すことになる。


 そのときに、なぜあのとき、こんな愚かな行動をしたのか、ちゃんと国民に賛同を得られないといけない。


 ただの勢いで、なんの理由もなく、他国のお姫様と結婚するのは、まず間違いなく国民の賛同を得られない。


「ミネカ姫の気持ちはありがたいが、要人同士の結婚は、周辺関係者の根回しが必要不可欠だ。もし根回しを甘く見ると、後々に禍根となって、思わぬ衝突を生むものだ」


 リネシスは、すぐ近くの草むらを指さした。


 実は、ヴァヴァル公国の家臣団が隠れていた。どうやらミネカ姫が心配でしょうがないらしい。


 ミネカ姫は、家臣団が草むらに隠れていることに気づいて、頭を抱えた。


「なにをやろうとしても、政治、政治。なんでわたくしは、お姫さまに生まれてしまったのでしょう……」


「まぁ、政治抜きにしても、俺たちはお互いのことを、あまりにも知らなすぎる。そんなに急ぐ必要も、ないのではないか?」


「それは、実に正しいですわね。では文通しましょう。外交ではなく、ただの男女として、お手紙の交換を」


「わかった。そうしよう」


「うれしい! では、さっそくお手紙を書きますわ」


 ミネカ姫は、カバンから筆記用具を取り出すと、さっそく手紙を書きだした。


 どうやら、ヴァヴァル公国のお城に帰るまで、我慢できなかったらしい。


 リネシスは、鍋の中身を兵士たちに配りながら、結婚について考えた。


 首都の市民たちも、衛兵隊の兵士たちも、冒険者時代の仲間たちも、誰もが一度は、結婚という名の分岐点と向き合う。


 結婚をするのか、しないのか。


 結婚をするとして、どんな相手と、どんな家庭を築くのか。


 どんな老後を過ごして、どんな足跡を後世に残すのか。


 リネシスは、革命のことばかり考えていて、自分の人生を後回しにしていた。


 だが、年齢的には、いつ結婚してもおかしくないのである。


 一部の事情通を除いて、リネシスはうつけモノとして扱われてきた。


 だからこそ、これまで縁談なんて、まったく入ってこなかったのだ。


 しかし、ミネカ姫は、うつけモノという評判を知ったうえで、それでも婚姻を望んでいた。


 お互いに変わり者であれば、社会との距離感を通じて、自然と会話が成立するのかもしれない。


 リネシスは、ミネカ姫との文通でどんな内容を語るのか、楽しみになっていた。


 ● ● ● ● ● ●


 翌朝。大規模農業の予定地に、馬車の隊列が到着した。


 隊列を率いているのは、義足の経営者であるテテ。


 そんなテテが連れてきたのが、天才児のイルサレンだ。


「王子、なにやら僕に会わせたい人物がいるとか」


 イルサレンの瞳には、科学的な探求心の光が宿っていた。


「こちらのミネカ姫だ。君と同じ、科学の天才だよ」


 リネシスは、ミネカ姫を紹介した。


 天才同士のシンパシー。イルサレンと、ミネカ姫による、科学談義が始まった。


 窒素とリンを生み出す化学式を通じて、他にもなにか作れるのではないか、という話題だ。


 あまりにも高度な内容なので、もはやリネシスには理解不能であった。


 無理に干渉して、彼らの会話のペースを乱す方が、国家にとって不利益だろう。


 天才同士の会話の横で、リネシスとテテは密談を始めた。


「この土地を、ハンプット家が狙っていた。しかも奴隷同然の農民を使って、大規模農園を経営するつもりだった」


 リネシスの報告を受けて、テテは戦闘の跡を確認した。


「となれば、ハンプット家は、奴隷として使いたい人間たちのリストを持っているはずだな。それを回収して、犯罪の証拠にすれば、ハンプット家そのものを潰せるな」


 さすがにテテは、リネシスの思考をトレースできていた。


 だが、この先の思考に関しては、追いついていなかった。


「潰すついでに、商売を乗っ取るぞ。あいつらは流通を支配しているわけだが、それを俺たちが掌握すれば、革命はさらにやりやすくなる」


 リネシスが悪い顔で微笑むと、テテはすっかり呆れた。


「リネシス。お前というやつは、本当にこういうとき、悪い顔をするな……」


 リネシスとテテが、政治と経済の話をしているとき、二人の天才は、高度で危険な話をしていた。


 ミネカ姫の生み出した化学肥料は、イルサレンのアイデアが加わることにより、さらに効率的に生み出せるようになった。


 科学史における【ミネカ=イルサレン法】が誕生した瞬間であった。

 

 この画期的な技法によって、従来の農業では絶対に不可能であった、食糧の大量生産が可能になったのである。


 だが、この【問題】の核心は、とある副産物が大量に生まれていることだった。


 アンモニアである。


 アンモニアを量産できるようになると、恐ろしい兵器を量産できるようになる。


 ダイナマイト。


 魔法を使えない一般人が、まるで魔法使いの攻撃魔法みたいに、広範囲を攻撃できる兵器だ。


 この殺戮をまき散らす兵器が標準化すれば、戦場はより厳しく過酷なものになるだろう。


 だがイルサレンとミネカ姫は、賢くて純粋だからこそ、自分たちがなにを生み出してしまったのか、いまいちわかっていなかった。

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