第13話 従属国と、大規模農地と、元帝国兵たち

 リネシスが、元帝国領を調査してから、一週間後。


 武装船団に揺られて、ヴァヴァル公国の使者たちがやってきた。


 中心人物は、ヴァヴァル公国のお姫様だった。


「わたくしの名前は、ミネカ。ヴァヴァル公国における、農業学者ですわ」


 ミネカ姫は、身だしなみに無頓着だった。


 眼鏡は汚れたまま。髪もボサボサ。眉毛も伸びっぱなし。化粧なんて投げ捨てていて、動きやすい作業服を着ていた。


 いかにもイモっぽい娘である。だがしかし、ちょっとした仕草に気品があった。


 おそらくスタイリストが身だしなみを整えるだけで、お姫さまにふさわしい見た目に変身するはずだ。


 もっとも、それをミネカ姫が求めているとはかぎらないが。


「初めまして、ミネカ姫。俺は公務をサボってばかりだから、両国の関係性を祝う式典にも出ないから、今日が初対面だ」


 リネシスは、ミネカ姫から、高度な知性を感じていた。


 魔力はほとんどないが、そんなことが不問になるぐらい農業に正通している。


 彼女が、大規模農業を成功させるトリガーであった。


「リネシス王子。もしかしたら、あなたの判断は賢かったのかもしれませんわよ。わたくしは、式典なんてものに参加して、おもしろいと思ったことなんて、一度もありませんもの」


 爆弾発言である。よりによって、両国の関係性を祝う式典を真っ向から否定したのだ。


 ヴァヴァル公国の使者たちは、慌てて言い訳した。


「こ、これはちょっとした比喩というか、ただ時間の使い方のアレであって、オルトランを否定したわけではなくて」


 リネシスは、忍び笑いをもらした。


 ミネカ姫の失言を、他人事だと思えなかった。もし逆の立場だったら、宗主国の王族にケンカを売ったかもしれない。ただし、こんな直球の失言ではなく、もっと遠回しに刺激するような言動になるだろうが。


「いいんだ。俺だってうつけモノだからな。ただちょっと学問と商売に詳しいだけで、他人の失言を咎める立場にない」


 リネシスがあっさり許したことで、使者たちはふーっと胸をなでおろした。


 しかしミネカ姫の暴走は止まらなかった。


「そのうつけモノが、食料品の取引価格を正常化してくれるそうですが、信じがたいですわね。こちらの技術だけを渡して損したくないので、ちゃんと取引価格を正常化する確証がほしいですわ」


 いくら言いたいことをはっきりという性格であっても、外交の場にはふさわしくないだろう。


 もし、ここにいるのがリネシスではなく、愚鈍なバルバド王だったら、百パーセント外交問題に発展していた。


 だが、ミネカ姫の要望はもっともだ。


 取引には裏書きが必要である。それも信頼度の高い裏書きが。


「兄上を連れてきた。オルトラン王家の第二王位継承者で、次男のマキサだ」


 次男のマキサは、たるんだお腹を、ぽんっと叩いた。


「マキサだ。ミネカ姫は、式典でオレと会ってるよな」


 ミネカ姫は、マキサのお腹を見た。


「はい、あなたと、長男のドルバさんは、何度か式典で」


「というわけで、農場関連の技術と交換で、取引価格の正常化を約束しよう。これが正式な書類ね」


 次男のマキサと、ミネカ姫の間で、正式な調印が行われた。


 両国の立会人も多数いる。


 どうやらヴァヴァル公国の使者たちは、まさか本当に取引価格が正常化するとは思っていなかったらしく、歓喜の雄たけびを上げた。


 彼らの喜び具合を見たとき、リネシスは宗主国と従属国の難しさを、あらためて痛感した。


 どれだけ崇高な理想論を持っていても、従属国に負担を押し付けた時点で、胡散臭くなるのだ。


 おそらく時間が経つほどに、従属国を持っていることが時代遅れとなり、国際情勢で不利になっていくはずだ。


 だがしかし、国家間の関係性なんて、どこまでいってもパワーゲームである。


 いったいどんなポジションが有利になって、不利となるのか、見極めていきたい。


 リネシスは、さりげなく草むらに近づくと、そっと声をかけた。


「マルトロ司祭、俺はちゃんと情報を正しく使ったぞ」


 草むらには、マルトロ司祭が潜んでいた。なぜ隠れているかというと、宗教関係者が外交に立ち会っていると、政治的な意味が発生してしまうからだ。


 しかし彼を味方に引き込まないと、テネタ教の関係者が民主派に入ってくれない。


 マルトロ司祭は、苦い薬草を飲んだような顔をしていた。


「両国の齟齬を、着実に解消しているようです。あなたは、やることなすこと暴力的ですが、しかし着地点は正しい」


「そういってもらえると嬉しいな。あとは、大規模農地が成功するかどうかだ」


「勝算はあるんですか?」


「ある。ミネカ姫だ」


 ● ● ● ● ● ●


 調印は、滞りなく完了した。


 両国の王族が、書類の見落としがないか再確認して、ようやく大規模農業の話である。


 ミネカ姫が、農業関係者を集めた。


「さっそく、わたくしの農業技術を伝授しますわ」


 リネシスだけではなく、技術論に興味のある人間たちが、続々と集まっていた。


 ミネカ姫は、大きなリュックサックを、地面に降ろした。


「オルトランのみなさんも、二毛作や輪作などはやってきたと思います。しかしこの方法だけでは、収穫量に上限がありますわ。そこでわたくしは、これを開発しましたのよ」


 大きなリュックサックから、二つの袋が出てきた。


 リネシスは、二つの袋から漂ってくる匂いで、ある程度中身を察した。


「化学で作ったものだな」


 ミネカ姫の瞳が、流れ星のようにちかっと光った。


「あら、リネシス王子、あなた本当に学問が得意なんですのね。わたくし、とっても興味がありますわ」


 これまで他人行儀で話す女子だったが、突然水を得た魚のように活気が出てきた。


 興味のある話題なら、饒舌になるわけだ。


 典型的な学者タイプである。残念ながら外交の場にはふさわしくない。


 そんなことは、ヴァヴァル公国の要人たちも理解している。それでも旧帝国領に送り込んだということは、彼女が優れた技術を持っていることを示していた。


「俺が学問を得意としているのは、師匠が優れていたからだな。ケルサ元学長だ」


 リネシスが亡くなった偉人の名前を出せば、ミネカ姫は鼻息を荒くして食いついた。


「ケルサさん! 直接お会いしたことがありますわ。民主主義について記した本を書いて、追放されてしまって、本当に残念でした。あの本の価値がわからないなんて、オルトランの王様は無能ですね」


 戦争が起こりかねないほどの失言である。


 オルトラン王国側の人間も、ヴァヴァル公国側の人間も、騒然となっていた。


 だがリネシスと、民主派に属する関係者だけは、苦笑いしていた。


 どうやらミネカ姫は、味方に引き込めるらしい。


 だが今は、民主主義革命について語る場ではない。


 リネシスは、ヴァヴァル公国の関係者たちを安心させるためにも、強引に話を前に進めることにした。


「袋の中身について、続きをどうぞ、ミネカ姫」


 ミネカ姫は、こくこく激しくうなずくと、やや甲高い声で説明を始めた。


「左が窒素。右がリンです。この二つを使い分けることで、畑の収穫量が飛躍的に上昇します。これをわたくしは、化学肥料と呼んでいますわ」


 化学によって生まれた肥料。だから化学肥料。


 リネシスは、両国の関係者たちが使っている軍馬を眺めた。


「なるほど、従来の肥料は、牛や馬のフンを使ったものだ。それをフラスコから作ったわけか。生産性が明らかに違ってくるし、寄生虫の問題もクリアできるし、薬品の性質によって、細かく対応を切り分けられるのか。これなら奴隷を使わずに大規模農業をやっても、しっかり黒字になるな」


 ミネカ姫は「あひょーっ」と、はしたない声で喜んでから、リネシスの手をがしっと掴んだ。


「リネシス王子。もしかしてあなた、化学式の心得があったり?」


「あ、あるが……?」


 リネシスが、対処に困っていた。いつも他人を圧倒するばかりで、押し込まれたこのないリネシスが。


 それほどまでに、ミネカ姫は、外交の場にふさわしくない学者バカだった。


「ではこれより化学式のレクチャーをいたしますわっっっ!」


 この場にいる学問に詳しい人間たちは、度肝を抜かれた。


 ミネカ姫が、自ら利益を手放そうとしているからだ。


 リネシスは、ミネカ姫を落ち着かせることにした。


「落ち着いてくれ。ヴァヴァル公国にしてみれば、化学式を他国に流出させるのは、あまり好ましくないことのはずだぞ。それを知ってしまったら、オルトランは自前で化学肥料を量産できるようになってしまう」


「オルトランには、化学肥料を量産できるだけの人材と設備があるんですわねっっっ! すばらしいいいい!」


 彼女のピントはズレていた。学問のことになると、利益と不利益が見えなくなるらしい。


 せっかく化学肥料をダシにして、宗主国から譲歩を引き出せるタイミングなのに、ミネカ姫は化学式を無償でレクチャーしようとしていた。


 ヴァヴァル公国の関係者も、ちょっと泣きそうになっていた。


 リネシスは、さすがにヴァヴァル公国の関係者がかわいそうになったので、ちゃんとアドバイスした。


「ミネカ姫。どうしても俺に化学式を教えたいなら、ちゃんと取引の条件を提示してから、公文書で調印したほうがいい」


「なぜですの!? 学問は平等なのに!」


「いや、そういう建前なのだが、その学問は国家の税金で育てたのだから、無償で放出するのは、機会損失なのだ」


「リネシス王子、まるで商人みたいなことをいいますわね。うつけモノのはずなのに」


 学問に正通しているだけあって、こういうところだけ鋭かった。


 リネシスは、うつけモノの仮面を継続させるためにも、外交を平穏に着地させるためにも、化学式の話題を先延ばしにすることにした。


「そうだミネカ姫。我がオルトラン王国で、もっとも優れた理化学系の天才を連れてくるから、そのときに化学式をレクチャーしてくれ」


 明日になったら、麒麟児であるイルサレンを連れてくる。


 その間に、ヴァヴァル王国の関係者と、化学式について調印すればいいだろう。


 化学式に関しては、現金取引でいいはずだ。リテ工場で散々儲かっているから、いくらでも工面できる。


 化学式に関する話題が一段落したら、ようやくミネカ姫は落ち着いた。だがなぜか、リネシスの手を放そうとしなかった。


「リネシス王子、そこの木陰で、学問のお話をいたしましょう。詩や音楽でもいいですし、数学や化学でもいいですし、国語や歴史でも」


「なぜ木陰に」


「うちの付き人たちが、邪魔をしないように」


 だが他でもないミネカ姫の付き人が、大粒のツバを飛ばしながら反対した。


「なりません、姫様! きっとこのうつけモノは、姫様を暗がりに連れ込んで、乱暴するつもりなのです!」


 付き人たちは、ミネカ姫をぐるりと囲んだ。まるで悪い虫から守るように。


 どうやらミネカ姫は、ヴァヴァル公国で人気があるらしい。


 あれだけ失言しても、人気が衰えないということは、良いことは良い、悪いことは悪いと言ってきたんだろう。


 ミネカ姫は、付き人のまとめ役に、不満を述べた。


「爺や、止めないでください。わたくし、生まれて初めて、自分の趣味を理解してくれそうな殿方と出会えたのですから」


 爺やは、渋い顔で反対した。


「我がヴァヴァル公国にも、貴族の学者は複数在籍しています」


「あの人たち、ぜんぜんかっこよくないですし、なによりわたくしとの縁談は成立しないのでしょう? 政略結婚にならないとかで。その点、リネシス王子なら大丈夫」


「う、うむむむむ、しかし、なんでうつけモノなんかを……」


 リネシスは、ぼそっといった。


「俺の意見がなにひとつ反映されないまま会話が進んでいく……」


 リネシスは、この浮ついた話を、打ち切ることにした。


 ミネカ姫や外交がどうのこうのではなく、怪しい集団が肥沃な土地に集まってきたからだ。


 豪商ハンプット家の私兵たちである。


 以前、リネシスが縄で拘束したやつらが、さらに手下を引き連れて戻ってきたのである。


 リネシスは、やれやれと肩をすくめた。


「お前ら、わざわざ命だけは助けてやったのに、まさか恩を仇で返すなんてなぁ」


 というのは嘘だ。本当はこの展開を狙っていた。ハンプット家を潰すために。


 国家側から手を出せば、商人の弾圧だ。


 しかし豪商から手を出して、それに反撃したならば、適法な鎮圧である。


 そんなことを知らないでか、私兵のリーダーは悪い顔でいった。


「この土地は、最初におれたちが目をつけたんだ。王族は出ていけ」


 リネシスは、私兵たちを挑発するために、けらけら笑った。


「この土地は、正式に兄上の土地になったぞ。ほら、公的な書類だ」


 書類をみせびらかしたら、ついに私兵のリーダーは激怒した。


「力づくで追い出すまでだ!」


 交戦開始である。


 リネシスは、まるで野蛮な暴徒に怯えるような演技をしながら、ちかっと手鏡の光を、遠くの渓谷に送った。


 かつて戦争中、第五大隊と帝国軍が激突した、あの場所である。


 リネシスとしては、この展開を狙ったわけだから、備えは万全だ。


 しかし、ヴァヴァル公国の人々は、軽く混乱していた。


 ミネカ姫が、ひぃっと悲鳴をあげて、リネシスにしがみついた。


「リネシス王子、お助けください」


 付き人のまとめ役である、爺やも叫んだ。


「リネシス王子! あなたの責任ですぞ! よりによって我らを招いた日に、暴徒に襲撃されるとは!」


 リネシスは、怯えるフリをしながら、ぼそっといった。


「安心してくれ。ちゃんと護衛を用意してあるから」


 渓谷の空から、魔法使いの集団が、飛行の魔法で飛んできた。


 すべての魔法使いが、帝国兵の鎧を着ていた。


 かつてリネシスは、リンリカーチ帝国と戦争しているとき、めぼしいやつに声をかけて、中立国に避難させた。


 そう、彼らのことである。


 元帝国兵たちのリーダーは、戦略級の魔法を使える。戦時中、リネシスが、喉元にロングソードを当ててから交渉した、例の魔法使いであった。


 リネシスは、計画が完璧に進んでいることに安堵した。


 元帝国兵たちに、かつての故郷を守らせる。


 しかもかつての故郷には大規模農地が作られて、そこに元帝国民たちが農民として入植する。


 元帝国民に仕事を与えられたし、元帝国兵たちも帰属意識が機能して大規模農地を守ってくれるだろう。


 あとは正当防衛によって、私兵を皆殺しにしてから、豪商ハンプット家の事業を乗っ取ればいい。


 豪商ハンプット家の事業は、運送業である。


 そう、大規模農業で生産された農作物を運ぶのに、必要な事業なのである。


 リネシスは、すっかり政治家になっていた。


 この裏の意図に気づいていたのは、冒険者時代の仲間であるマルトロ司祭だけであった。


「……リネシスを育ててしまったのは、我々ですよ、ゴルゾバ公爵。国家の利益のために、毒を飲み込む覚悟はありますか」

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