第12話 旧リンリカーチ帝国領
リネシスは、旧リンリカーチ帝国領を視察することにした。
他の誰かに頼むのではなく、自分の五感で調べること。
元帝国民たちを確実に救うためには、もっとも信用できる自分自身の嗅覚を駆使する必要があった。
早朝の明け方。リネシスは誰にも見つからないように首都を抜け出した。
飛行の魔法を使用して、すっかり明るくなった空を飛んでいく。
リネシスは魔法使いとしても優れているため、猛禽類よりも早く飛べた。
そんな速度で継続して滑空していけば、あっという間にかつての国境線を飛び越えた。
旧帝国領土である。
ありとあらゆる地平線に、大自然しか残っていなかった。
ブラックドラゴンに焼かれた直後は、黒い灰が残っていたのだが、いまとなっては緑の大地しか残っていない。
はたして灰はどこにいったんだろうか?
火をつけた張本人――混沌を司る黒竜/ハリ・ア・リバルカが語りだした。
【我の炎は、あらゆる人造物を焼いて、すべてを大自然に戻す。焼け跡の灰は、雨を通じて木々の栄養素となり、そこに動物たちが巣をつくるだろう】
リネシスは返事をしなかった。第五大隊の仲間を焼いた相手が、心底憎いからだ。
しかし、黒竜の語った内容は、真実だった。
旧帝国領土は、通常の火災跡みたいな、骨組みや基礎が焼け残るような場所すらなかった。
だが、ぽつぽつと異物を発見した。
小規模なキャンプである。
テネタ教の情報ネットワークに引っかかるぐらいだから、他の勢力も肥沃な土地を偵察しているらしい。
てっきり教会か王国の偵察兵かと思ったが、違った。
海千山千の山師みたいな連中だった。
リネシスは音もなく地上に着陸すると、彼らに話しかけた。
「お前たちの所属はどこだ?」
山師たちは、ぎょっとした。自分たち以外には、この土地を調べていないと思っているらしい。
「なんだおまえは…………ん、もしかして、リネシス王子さまですかい?」
「ああ、いかにも。俺がうつけモノのリネシスだ」
まさかの王族登場に、山師たちは、ぼそぼそと内輪の会議をはじめた。
リネシスは魔法を使うと、彼らの声を拡大した。
「なんで王族がこんな土地に?」「見つかったらヤバイぞ」「でもどうするんだ。誰かに見つかったからって逃げ帰ったら、今度はおれたちの命が……」「じゃあどうする?」「うつけモノが相手だし……消えてもらっても」
さすがに海千山千な連中だけあって、都合の悪い目撃者を消すつもりらしい。それが王族が相手であってもだ。
オルトランみたいな緩い国ならともかく、他の王制国家でこんなこと計画したら、その時点で一族郎党処刑されてもおかしくない。
リネシスは、ふーむと唸りながら、彼らの会議に首を突っ込んだ。
「俺を殺したいらしいが、そんなことより、お前たちの所属はどこだ? 返事次第では無罪放免にしてやる」
山師たちは、ごくっと息を飲んだ。まさか会話の内容が漏れているとは思わなかったんだろう。
だが結論は決まっているわけだ。お互いの顔を見合わせると、いきなり短剣を抜いた。
リネシスは、あまりにも安直なリアクションに、思わず笑ってしまった。
「なるほど、国家の許可を得ないで、ここになにかしらの建物を作って、占有権を主張しようというわけか」
山師たちは、短剣を揺らしながら、じりじり近づいていく。
「……王子様が悪いんですぜ、こんなところに、ひとりでのこのこくるから」
悪いもなにもない。リネシスはオルトラン最強の歩兵だ。
つま先に魔法式を展開。キャンプのある一帯に、電撃系の攻撃魔法を解き放った。
バババっと地面を伝って、電撃の波が広がっていく。地上に足をつけていたすべての生物たちが、一瞬で感電。
そう、すべてだ。
このあたりを偵察していたのは、山師以外にもいるらしい。他の地点で偵察をやっていた勢力も、感電して気絶した。
あとは地上を根城にした動物たちも、感電して気絶してしまった。彼らには悪いことをしてしまった。だが魔法式を調節してあるので、一時間ぐらい経てば、意識を取り戻すだろう。
「さて、こいつらの荷物から、身元を特定できるかな」
リネシスは、山師たちの荷物を漁った。
誰かから依頼を受けたらしく、手配書を持っていた。匿名の依頼らしいが、文字の癖と、お金の出所を考えると、すぐにわかった。
豪商ハンプット家だ。
山師たちの依頼人がわかったので、今度は別の地点で暗躍していた連中を調べた。
こちらの連中は、身分を証明するようなものを持ち歩いていなかった。だが一名だけ、見覚えのある人物がいた。
ヴァヴァル公国の密偵であった。
この国は、オルトラン王国の従属国である。
いきなり外交問題が発生したので、手荒に扱うわけにもいかず、とりあえず魔法を封じ込める縄でグルグル巻きにしておく。
あとは山師たちに事情聴取するだけだ。彼らも縄でぐるぐる巻きにすると、治療魔法を使って強引に起こした。
「う、うぅ……いったいなにが?」
リネシスは、原っぱに腰を下ろすと、適当な嘘をついた。
「俺の護衛が、お前たちに電撃系の魔法を撃った。ちなみに今も、森の奥から狙っているぞ。かなり腕の立つやつだ」
山師たちは、悔しそうに舌打ちした。
「くそっ、そうだな……王族が、こんな僻地まで、ひとりでくるはずがなかったな……」
「それで、豪商ハンプット家は、なにを狙って、この土地を占有しようとしたんだ?」
リネシスの推理は的中だったらしく、山師たちの顔色が悪くなった。
「し、しまった……」
「ちゃんと答えたほうがいいぞ。もしなにも答えなかったり、嘘をつくならば、縄で縛ったまま、崖から突き落としてやろう」
「へ、へへ……そんな度胸あるのかよ。うつけモノによ?」
どうやら山師たちは、リネシスに人を殺す度胸はないと思っているらしい。
バカなやつらだ。そう思ったリネシスは、適当な下っ端を崖から突き落とした。
下っ端は、海面に叩きつけられると、手足を縛られたまま海中に沈んでいく。
リネシスは、冒険者時代も、第五大隊時代も、散々人を殺しているので、ゴロツキひとり殺すぐらい、なんの抵抗もなかった。
山師たちの親分は、泣き叫んだ。
「悪魔め!」
リネシスは、つまらなさそうに答えた。
「いまなら、まだ助かるかもな。どうだ、真実をしゃべるか?」
「わ、わかった。しゃべるから、早く手下を、助けてくれ」
どうやら本当にしゃべるつもりになったらしい。
リネシスは、魔力の紐を軽く引っ張った。
びよーんっと下っ端が地上に戻ってきた。ごほごほと海水を吐き出していて、とても苦しそうだった。
親分は、ようやく観念したらしく、ぼそっと真実を語った。
「…………ここに、でっかい農園を作るつもりだった」
リネシスは、政治家かつ企業家の脳で、巨大農園について考えた。
普通の方法で黒字を出せるとは思えなかった。どう考えても、農作物の売上を、農民の人件費が上回るのだ。
要約すれば、奴隷を使わないと利益が出ない。
リネシスは、山師たちに、じっくりと質問した。
「奴隷を引っ張ってくるつもりだな。だがオルトランは奴隷を禁じているぞ。恨みが何世代にも継続して、収集がつかなくなるからだ」
山師たちは、リネシスを見る目が変わった。まさかお金の話ができるとは思っていなかったんだろう。
「借金あるやつとか、元帝国民みたいな、みんなの嫌われ者を集めてくればいいんだよ。こいつらが奴隷労働で死んでも、誰も困らないだろ?」
山師だからこそ、法律違反であろうとも、収益が出そうなら危ない橋を渡るというわけだ。
しかも奴隷が、社会的な地位が下がっている人物なら、世間の反応も薄いと計算したらしい。
残念ながら、世間の反応は冷たいだろう。
嫌われ者が、奴隷労働で酷使されていても、ざまぁみろ以外には思わないはずだ。
人間は、基本的に短期的なサイクルで生きている。次の世代まで恨みが残ることを考えていない。
だからといって、国家の責任者が見逃していいわけではないのだ。
山師の処分は後で下すとして、続いてヴァヴァル公国の密偵と交流することにした。
● ● ● ● ● ●
リネシスは、ヴァヴァル公国の密偵たちにも、治療魔法を使って、強引に起こした。
密偵たちは、目の前にリネシスがいることに気づくと、だらだら脂汗を流した。
彼らは、スパイ活動中である。偽装身分でオルトラン王国に入国すると、元帝国領土まで移動した。
その狙いを探ることが、リネシスの目的だった。
「お前たちはヴァヴァル公国のスパイだな。もし、旧帝国領土を探っている理由をちゃんと話したら、スパイ罪に問わないでやろう」
密偵たちは、じっとうつむいていた。
どうやら、なにも話さないで死ぬつもりらしい。
密偵としての職務を、まっとうするつもりだろう。
それが意味のない行為であることを、リネシスは告げた。
「オルトラン王国には魔法大学がある。ライラ学長に頼めば、お前の記憶を魔法で調べてくれるぞ」
密偵は、がくりと肩を落とした。拷問すらせずに情報を引き出せるなら、黙っていても意味がないことがわかったからだ。
「我々の目的は、この肥沃な土地を利用することで、オルトランの食糧を増産することだった」
なぜヴァヴァル公国が、オルトラン王国の食糧生産を増やそうとするのか?
その答えは、両国の歴史にあった。
「なるほど。父上は、従属国であるヴァヴァル公国から、格安で食糧を買い取っている。それがお前たちの負担になっているから、オルトランの食糧を増産すれば、もう格安で売るための農作物を作らなくてもいいと思ったわけか」
従属国。オルトラン王国を宗主国として、そこに従属する他国がある。
それがヴァヴァル公国だった。
ヴァヴァル公国は、六十年前に締結した条約により、格安の兵力と、格安の食糧を、オルトランに輸出することになっていた。
なぜ、こんな不平等条約が結ばれたかというと、他でもないヴァヴァル公国の自業自得であった。
あれは六十年前。オルトランの王様が、リネシスの祖父だったころの話だ。
ヴァヴァル公国は、ある日突然、オルトラン王国に宣戦布告して、普通に負けた。
自分たちから侵略戦争を仕掛けて、しかも完全敗北したわけだから、不平等な講和条約が結ばれて当然であった。
六十年前の旧世代なら、ヴァヴァル公国民も、自業自得だと受け入れただろう。
だが六十年後の現役世代は、なぜ無関係の自分たちが、格安の兵力と格安の食糧を輸出しなければならないのだと不満に思うだろう。
実際問題、密偵もかなり怒っていた。
「戦争中だって、捨て値当然で、食糧をオルトランに輸出しなきゃいけなかったんだ。その間、我々ヴァヴァル公国の民が飢えていてもだぞ」
どうやら他の密偵も、かなり不満が溜まっていたらしい。
「本当なら、奴隷を使役することも禁じていたはずなのに、オルトランに兵糧を輸出するために、解禁しなければならなくなった。全部お前たちのせいだ!」
なにかの負担を、どこかに押し付ければ、下へ下へと恨みが連鎖していく。
きっとヴァヴァル公国の奴隷たちも、ヴァヴァル公国民を恨んでいるだろう。
そのヴァヴァル公国民は、オルトラン王国民を恨んでいる。
オルトラン王国民は、旧帝国民を恨んでいる。
戦争を通じて、あらゆる恨みが繋がっていた。怨念の鎖のように。
リネシスは、人類の業の深さに、息苦しくなった。
「ならばこの俺が、恨みの連鎖を断ち切らねばならない。お前たちの作戦に協力しよう」
密偵たちは、きょとんとした。きっとリネシスの反応が予想外だったんだろう。
「リネシス王子、もしかして本当に、助けてくれるのか?」
「やるしかあるまい。たしかヴァヴァル公国には、優れた農業技術があったな? あれを、うちの魔法大学の研究チームに分析させてくれ。この旧帝国領土にうまく適応できれば、食糧問題は解決するはずだ」
密偵の責任者が、うーむと唸った。
「技術交換だな。となれば、オルトランにもなにか差し出してもらわないと、釣り合わないぞ」
なにが釣り合う対価なのか?
リネシスは、悩むことなく結論を出した。いや少々違う。従属国との問題を解決するとなったら、これ以外の答えは存在しないのだ。
「食糧の取引価格を、適正値に戻してやろう」
密偵たちは、思わぬ収穫に、絶叫した。
「本当か!? いやでも、リネシス王子に、そんな権限あるのか? うつけモノって情報だが……?」
うつけモノには権限がある。だが表向きにはないことになっているため、もっともらしい嘘をついた。
「兄上たちに頼むさ。オルトランの王族は、兄弟の仲が良好でね」
「それなら安心だ。今すぐ公国に帰還して、王様たちに吉報を伝えねば」
ヴァヴァル公国の密偵の話、豪商ハンプット家の私兵たちの話。
この話を組みわせることで、大規模農園の現実的な計画が浮かんできた。
奴隷労働を伴わずに、それでいて利益を出す方法であった。
ヒントは、二つあった。
一、ヴァヴァル公国の持っている、優れた農業技術。
二、かつて帝国と戦争していたとき、リネシスが中立国に逃がした元帝国兵たちである。
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